第72話 ウソツキハダレ(1)
「では、紅茶のご用意をします。ルジェリア様はどうぞおかけになってお待ちくださいませ」
「は、はい。ありがとうございます」
シュヴェルさんに言われるままに私はルーザの家に上がらせてもらって、リビングの椅子に腰掛ける。中では暖炉の火がパチパチと音を立てていて、室内を程よく温めてくれていた。
暖かい炎が揺らめく様子を見ているだけで、寒さで冷えていた手と『王女』の肩書きによる圧迫感は、心なしか緩んでくる。身体が温まってきたところで私はフードを脱いで、お茶が来るまでずっと火を眺めていた。
「お茶をお持ちしました、ルジェリア様」
「あ。ありがとうございます」
そういってシュヴェルさんはティーセット一式を持ってきてくれた。
シュヴェルさんはソーサーの上にカップを置いて、早速紅茶を入れてくれた。コポコポと音を立てながら飴色の液体がカップの中に張られていき、白い湯気を立ちのぼらせる。
「お茶菓子にフィナンシェもご用意しました。どうぞお召し上がりください」
「すみません、急に来たのにこんなにしてもらって」
「お気になさらず。主人とそのご友人に尽くせるのなら執事冥利につきます」
シュヴェルさんは愛想よくにっこりと笑う。仕事もちゃんとこなして、気配りもすごく行き届いている。何処かの過保護姉にも見習ってほしいくらいだ。
私は冷めないうちに、と紅茶を早速いただくことにする。まずは元々の味と香りを楽しむために一口飲んで、その後に渋みを少し和らげるために角砂糖を一つ入れる。そして音を立てないよう、ティースプーンでゆっくりとかき混ぜた。
形が崩れて、くるくると回りながら徐々に溶けていく雪のような角砂糖。やがて飴色と同化してしまった頃にカップを持ち上げて、吐息で冷ましながらすすっていく。紅茶の香りが鼻をつき、紅茶が喉を潤していく感じがとてもホッとする。焼きたてのフィナンシェも甘さが紅茶と馴染んですごく美味しい。
「美味しいです、シュヴェルさん。ありがとうございます」
「お気に召してなりよりです。私のことは構わず、お好きなだけどうぞ」
「はい」
返事をしつつ、私は早速フィナンシェを手に取ってひとかじり。お茶とフィナンシェのおかげで大分気分が落ち着いてきた。張り詰めた空気が取り去られて、肩の力が抜けてこの散歩を始めてようやく本来の目的を達成出来そうだ。
元々、のんびりするために出た散歩だったのに、そんな簡単に思えることまで難しくなっている。王女ということを公表したことはあの場では仕方なかったというのもあるけど……普通のことまでがこんなに居心地悪くなるなんて。
自分で言い出して公表したけれど、今更ながら後悔する自分が何処かにいた。あの敬う視線が、ちやほやされる対応も、讃えられる言葉さえ窮屈に思えて。
「……ルジェリア様、大分お疲れのご様子ですね?」
「え?」
「失礼致しました。表情に疲労の色が見えまして、つい伺ってしまいました」
シュヴェルさんは心配そうな声で私の顔色を伺っている。
……無意識にさっきまでのことが表情にも出ていたらしい。シュヴェルさんは執事だし、顔色を伺うことはよくしているのだろう。すぐに私があまりいい気分でなかったことを見抜いてしまった。
「私でよろしければ話を伺うことならば出来ます。どうぞ、なんなりと申してください」
「えっ⁉︎ いえ、そんな大したことじゃないですから!」
今にも愚痴くらいならいくらでも聞きます、というようににこにこするシュヴェルさんを慌てて止める。
有難いけれど、シュヴェルさんにあまり心配もかけたくない。愚痴といっても何を話せばいいのかわからない私はシュヴェルさんをぎこちない言葉で説得した。
「左様でございますか? ルジェリア様の満足するまでお付き合いしてもよろしいんですが」
「いえ、本当にいいですから……!」
本当に、愚痴といっても何を言えばいいのかわからない。『王女』という肩書きに振り回されるのもさっきが初めてだし、もう一つの……新聞記事にあったことについても自分ではよくわからない。
自分自身でもはっきりしていないのにシュヴェルさんに聞いてもらおうとするのは、言葉にもしにくいような説明も難しいものだ。どうしたらいいのか、どうすべきなのかもわからないまま、私はその歪みの間を彷徨っている。
私は、一体何に悩んでいるんだろう。それさえ見失っている気がした。
「それは失礼いたしました。私も無理に、とは言いません。ルジェリア様の気が済むまでここでゆっくりなさってくださいませ」
「すみません……色々してもらっているのに、何も出来なくて」
「どうかお気になさらず。私が好きでしたことですから、ルジェリア様が私に恩を返す必要などありません。私はルヴェルザ様の執事として、そのご友人であるルジェリア様をお世話しているに過ぎませんから」
「友人……」
そんななんの変哲も無い言葉さえ、今の私には違和感がある。
何も打ち明けられず、ただ一人で縮こまって、挙句に逃げ出して。こんな私にルーザ達の『友達』の資格があるのかも疑問に思えてくる。
約束したのに。その一つだって私は果たせてないなんて……私が『裏切り者』なんじゃないか、と。
「あまり思い詰められるのはよくありません。ルジェリア様がリラックス出来るよう、私も最善を尽くしましょう」
「……はい。ありがとうございます、シュヴェルさん」
「……ルジェリア様は自信がないようですが、」
お茶のおかわりを持ってこようとしたシュヴェルさんは不意に振り返って私に言葉をかける。
「ルヴェルザ様はルジェリア様のことを相棒だとおっしゃってましたよ」
「え……」
「我が主人はあなたを大切な友人だと思っておられる。誠に勝手ですが、そのことは心に留めておいてくださいますでしょうか」
シュヴェルさんはそれだけ言うと、ティーポットを持ってリビングを出ていった。一方で、私はシュヴェルさんが口にした単語が一瞬理解しきれず、惚けた表情でその後ろ姿を眺めていた。
相棒……ルーザ、私をそんな風に呼んでいたなんて。
照れ臭かったのか、私の前では口にしたことのない単語。友達という経験の浅い私には予期しなかった二文字。シュヴェルさんの姿は角を曲がって見えなくなっていたのに、その言葉は私の耳に残っている。
意外だけど……少し嬉しいな。
ルーザの友達という自信が消えかけていた私を励ますには充分すぎる言葉だった。ルーザがそんな風に私を思ってくれているのが素直に歓喜を覚える。
いつかルーザがちゃんと目の前で言ってくれるように、私もその言葉で呼び返せるように、自信を持つためにも頑張ろう。
お茶と共に頬張るフィナンシェの味を確かめながら、私はそう思った。




