第71話 迷い、惑って、また明日(2)
「じゃあ、行ってくるね、姉さん」
朝食を食べ終えた後、私は早速散歩に出かけようと城の門を出ようとしているところだ。城での用事を終えたルーザとオスクも、目的は違えど一緒に城を出ようとしていた。
「ルージュ……本当に大丈夫なんですか? 昨日は急に倒れてしまいましたし。万が一に備えて薬を持っていきますか? 暖かい格好をしてますか? もう少し念を入れてから出かけませんと……!」
「もう! 私だって15なんだから、そんなに心配しなくて大丈夫だから! 姉さんは心配しすぎ!」
「ええ〜……」
私の拒絶にあからさまに不服そうな姉さん。それは姉というよりも、自分の言うことを私に即却下されたことに対して不満があるような反応だ。
もう。これじゃどっちが歳上なんだか。
「陛下、心配なのは僕も充分承知していますが、姫様も独り立ちしたいお年頃なのでしょう。姫様の休養を取るためにも今はこれくらいに」
「むう……仕方ありませんね」
うんざりしかけていた私を見兼ねてか、エルトさんが丁度良く姉さんを制止してくれて、なんとかその場が落ち着く。これで散歩にも問題なく出発出来そうだ。
「クリスタに便乗する訳じゃないが、無理はするなよ。少しでも不調があるならすぐに屋敷に戻れ」
「そこらをほっつき歩くくらいなら別に平気だと思うけど」
「うん。ありがとう、ルーザ。オスクも」
ルーザとオスクの言葉に反対せず、すぐに頷く。
そうだ、これは昨日のことを切り替えるための気分転換だ。それなのに無理してまだ全快していない状態で倒れてしまったら意味がない。
それにこれはただの散歩だし、余程のことがない限りは無茶はしないだろう。
そうして姉さんとエルトさんの見送りと、ルーザとオスクと一旦別れながら私は王都へと踏み出す。
いつも通りの、妖精や精霊が行き交う一番の賑わいを見せる大通り。買い物が目的だったり、飲食を楽しんでいたり、道の端っこでただぼーっとしているだけだったり。様々な目的や行動を起こしている穏やかな光景を眺めているだけでも安らぐ気がした。
「あっ!」
「ん……?」
そんな時、何処からか声が聞こえてきた。それと同時に、複数の視線。驚き、喜ぶ声がたちまち辺りに広がっていく。
しかも、その視線は私に向けられている?
「お姫様! お姫様だよ、お母さん!」
「おお、王女様!」
「え? わあっ⁉︎」
息つく暇もなく、私の周りはあっという間に通りすがりの妖精や精霊に囲まれてしまった。しかも、それら全ての視線が私を敬うような、憧れの感情を宿している。
……そこでようやく思い出した。
私が王女と公表したことと……変装も一切せず、普通に、大っぴらに大通りを歩いていたことを。
「前から一度、お姿を拝見したいと思ってました!」
「こんなところでお会い出来るなんて光栄ですな!」
「え、えと……ありがとう、ございます」
慣れていないのと、大人数での勢いに押されてそれしか言えなかった。
ほとんど……いや、全員が初対面で見知った顔は一つだってない。それなのに、全ての視線が私を慕うように眺めてくるんだ。
そんな視線に私は異様ささえ感じる。私は少し前まで公表していなかったただの妖精の一人にすぎなかったのに。『王女』という、その肩書きを持っていたことを明かしただけでこんなにも対応が違うことに。
「王女様には前から感謝したかったんです。いつも国のために動いてくださっているのに、会うことが出来なくて」
「え……私がやったことなんて、そんなに大したことじゃ」
「何をおっしゃいますか! 皆、王女様には感謝してもしきれません」
一人の老人妖精がそう言ったことを合図に、周りもそうだそうだと同意の声を上げる。私の周りが、私を賞賛する声で溢れかえる。
……本当に、大したことじゃないのに。
私がやってるのはあくまで姉さんの補助だ。昨日みたいに溜めてしまった書類の消化や、本で仕入れた知識を生かせること、必要な資料をまとめることなど。私は手伝い程度で、実際に実行に移すのは全て姉さんがやっているんだ。
過保護でも、少し頼りないところがあっても、私じゃ姉さんには届かない。『女王』という肩書きを持った、偉大な姉の影に隠れるばかりで、私という存在すら確かでなくて────『影の王女』なんて呼ばれていたのに。
「……王女様、どうかされました?」
「え? あっ、いえ、大丈夫です。あの、用事があるのでそろそろ行ってもいいですか?」
「おお、これはすみません」
私がそういうと妖精や精霊達は私から離れてすぐに道を開けてくれた。
私の声一つで、ここまでしてくれる。……なんだか申し訳なくて、それでいて怖い。
私は背後からの声援を受けながら歩き出す。用事、とはいったものの、目的は普通の散歩。周りをぶらぶら歩くだけだったのに大事になってしまった。
ここじゃ、なんとなく落ち着かない。場所を変えよう。
私はローブのフードを目深に被って、目立たないように誤魔化す。そして北の方角へ向かって走り出した。このまま真っ直ぐ行けば、あの大きな鏡がある。そこなら何もない。私を特別扱いする視線も、声も、肩書きも……何もないんだ。
助けを求めるように、何かにすがるように。私はただひたすらその鏡を求めて王都を駆け抜けた。
……鏡を潜り抜けた先にある雪を踏みしめる。
ミラーアイランドの裏側。影の世界……シャドーラル王国へと私は来ていた。
とにかく、逃げ出したかった。私を賞賛する声も、敬う視線も、ちやほやする態度からも、全てから。私が凄いんじゃない、全ては姉さんの功績だから。だから……私が尊敬される資格なんてないんだ。
「すう……はあ……」
詰まっていた息を吹き返すために私は深呼吸を繰り返す。冷たくも、落ち着く空気を身体いっぱいに取り込む。緊張で強張っていた身体も、声を上げることを恐怖していた喉も冷たい空気のおかげで緩められた。
「えっと、何処に行こうかな」
ここなら何処を散歩しても大丈夫だろう。何処でも行ってもいいし、何処でも足を止めても誰も気にも留めない。……故に、選択肢が多くて少し悩むことにもなるんだけど。
まあ、とりあえず歩き出そう。そこで何か気になるものもあるかもしれない。
鏡が据えられている泉の丘を下りて、シャドーラルの街へと走り出す。頰を撫でる北風が冷たくとも気持ちいい。解放感もあって、私は足取り軽く丘を駆け抜けた。
だんだんと街が近づいてくる。雪に覆われ、真っ白の街並み。ミラーアイランドとは真逆で、新鮮な景色と空気に気分も明るくなってくる。さっきの圧迫感もあって、よりその感情が強くなった。
「おや、ルジェリア様ではありませんか」
「……!」
聞き覚えのある落ち着いた声が私にかけられた。
その声を辿ると、箒を持ったシュヴェルさんが家の前で掃除しているところだった。どうやら、いつの間にかルーザの家まで来ていたらしい。
「あ、こんにちは、シュヴェルさん」
「今はお一人でしょうか。こちらに御用がありましたか?」
「えっと、用ってほどでもないんですけど」
とりあえず、王女という圧迫感から逃げ出したくて影の世界に来てしまった。だから、用っていうほどのことはなく、何か気まぐれに思いついた場所をぶらぶらしようとしていたのだけど、私は無意識に見知った場所ばかり目指していたようだ。
私はシュヴェルさんの足元をちらっと見る。
家までのとび石は落ち葉どころか雪の一つさえ落ちていないし、金属のフェンスはピカピカに磨いてある。雪かきもしっかりされているし……主人がいないのにも関わらず、相変わらずの立派な仕事ぶりに頭が下がる。
「予定が空いていらっしゃるなら、お茶をお出ししましょうか? 丁度掃除も終わったところなので」
「あ、じゃあ……言葉に甘えます」
行くところも思いついていないし、喉も渇いてきたところだった。
シュヴェルさんの提案に私も乗り、そのまま家に上がらせてもらうことになった。




