第71話 迷い、惑って、また明日(1)
……暗かった部屋が、朝日に照らされて明るくなる。
見知った天井。ふわりと揺らめくレースのカーテン。灯りが消されたシャンデリアと……暖かい毛布の感触。だんだん残っていた微睡みが朝日によって覚めてきて、そこが何処だかを理解する。
ここは私の……ルージュの城での自室の中だ。
「えっと……確か、私……」
まだ眠気でぼおっ……とする頭を抑えながら、昨日の記憶を辿っていく。
姉さんが溜めた書類の整理をして、ルーザ達に調べ物をする資料を貸し出して、そしたら突然ルーザがその時に見つけた資料を私に見せてきて……。
その資料を見たら……見たら、私はどうしたんだっけ? その資料の内容は、内容は……。
「うっ……!」
頭にズキリと鋭い痛みが走る。思い出そうと強く思う度に痛みは酷く、さらに鋭利になってきた。
駄目だ……思い出せない。いや、何故か私が思い出すことを拒否している。その理由は自分でさえ分からないのだけど。
多分、ルーザは私がそのことを思い出せないことの理由を少し知っているんだ。だから、慌てて私のところに来て新聞を見せてくれたんだろう。……結局、私が拒んでしまって倒れることになってしまったのだろうけど。
ルーザに話を聞くべきか。そんな些細なことでも迷ってしまう。理由もわからない、原因さえ自分で掴めていない自分の問題を他人に頼ってしまってもいいのか。そんな考えが頭の中でぐるぐるして、その一歩がなかなか踏み出せない。
ルーザは友達なのに。我ながら情けないな……。
「散歩でもしようかな」
最近、色々なことがありすぎて街をぶらぶらすることも少なくなっていた。街を散策するだけでも良い気分転換になる筈だ。
そうだ、そうしよう。たまにはのんびりしなきゃ。
そうと決めたら早速ベッドから抜け出して、身支度を整え始める。顔を洗い、眠気を飛ばしてから服がかけてあるクローゼットに手を伸ばす。
紫のワンピースを着て、その上に黒のコートを羽織って。右耳にはいつもの月の髪飾りをつけて、前髪で小さく三つ編みを作って支度は完了。そしていつものカバンを肩にかけようとしたら、
「あれ……無い」
カバンが置いてあった筈の、ミニテーブルの上には何もなかった。倒れてしまった時、一度起きた時にはテーブルにカバンが置いてあったのを見たから確かだと思うのに。
どこかに置いてきてしまったか、誰かに持ち出されたか。そのどちらかだと思うのだけど。
カバンを探すべく、扉を開けて自室の外へと出る。
まだ朝だからか城の廊下は静けさに包まれている。きっと今頃、料理担当の使用人妖精達が朝食を用意してくれているところだろう。朝食の前にカバンを見つけ出さなきゃ。
「……ん、ルージュか」
と、そう意気込んだ丁度その時、私の部屋の隣の扉が開いてルーザが出てきた。
確か、ルーザも昨日はここに泊まることになったんだっけ。昨日のことは曖昧でも、気がついた後にそのことを聞いたおかげで覚えていた。
「うん。ごめん、心配かけちゃって」
「いいって。身体は平気なのか?」
「起き上がっても大丈夫だよ。今日は散歩してくるつもり」
介抱してもらった上に、ルーザは私のことばかり気を遣ってくれている。なんだか気を遣わせてばかりで申し訳なくなってくる。
ルーザは私の予定を止めようとはしなかった。安心したように息をつくと、「そうか」と頷いてくれる。
「いいんじゃないか? 書類も片付いたんだし、のんびりしてこいよ」
「うん。ありがとう、ルーザ」
ルーザがそう言ってくれるなら、遠慮なく。久々に自由に歩ける時間を今の内に楽しまなくちゃ。
あと……そうだ。もう一つ、大事なことがあった。
「ルーザ、私のカバン知らない? 介抱してもらった後、何処かに忘れてきちゃったみたいで」
「……ん? ああ、悪い。ほらよ」
そう言ってルーザは私に何かぽいっと放り投げる。
慌てて私がそれを受け止めると、見慣れた布地に、覚えのある手触りと装飾。しかも肩掛け用の紐がついていて……って、これ私のカバン⁉︎
「な、なんでルーザが持ってるの? あ、もしかして介抱してもらった時に預かってくれたの?」
「いや。必要になったから、お前が寝た後に掻っ払った」
私の予想は見事に外れ。しかも、理由が想像の斜め上をいくどころか、思いつきもしなかったとんでもない理由がルーザの口からあまりにもあっさりとバラされる。
いや、借りるのは別に構わない。言ってくれれば貸すことはいつでも出来るけど、よりによって掻っ払ったって!
「もう、してること泥棒と同じじゃないの!」
「心配するなって。必要以上にいじってねえよ。その中にある王笏が必要だったから借りたんだ」
悪びれもせず、自信満々に言い切るルーザ。その態度を逆に尊敬してしまう。
王笏……つまり、ゴッドセプターのことだ。それが必要な理由なんて一つしか思い当たらない。
「もしかして、『滅び』のことで何かあった?」
「……ああ。夢の世界にあの結晶があるらしくてな」
……やはり。王笏の力を使うのだとすれば『滅び』関係のことしかない。しかももう夢の世界にまで被害が来ていたらしい。
ルーザはそれをなんとかするために私のカバンを借りたのだろう。だけど、よりによってレシスが目指している世界にまで『滅び』が侵攻しているなんて。夢の世界にもルーザは時々しか行けないようだし、そこで待っている精霊にも脅威に晒される。
これは……思っていた以上に急がなくちゃいけないのかもしれない。
「元凶以外はなんとか倒せたんだが、肝心の結晶が見つかってなくてな。今は戦力不足で大人しくしてるしかないんだ」
「そっか……」
なら、私がすべきことはレシスを早く夢の世界に辿り着いて貰えるように精一杯の手伝いをすることだ。
最も、レシスがまた呼び出してくれなければ私にはどうすることも出来ないのだけれど。
「今は他を抑え込めたから心配するな。お前はゆっくり気分転換してろ」
「……うん」
そう言いながらふてぶてしく笑ってみせるルーザはとても頼もしい。心配だけど、ルーザがそう言うならきっと大丈夫だ。
……うん、絶対に大丈夫だ。今までだってそうだったのだから。
「ほら、とっとと朝食取るぞ。早めに済ませた方が散歩にも時間割けるだろ」
「あっ、うん!」
いつの間にか歩き出していたルーザを慌てて追いかける。
ルーザにも、私が倒れた原因でなにか不安はあるのかもしれない。それなのに全くそれを思わせない対応が本当に有難い。
ルーザなりに私を気遣ってくれている。私も少しでも打ち明けられるよう、努力しなくちゃ……そんな思いを胸に刻みながら食堂へと向かった。




