第65話 悪夢は逢魔が時に・後(2)
「────ーザさ……ルー…さん、ルーザさんっ!」
「んあ……」
ぼんやりとした頭が徐々に冴えてくる。そして……はっきりとしてきた視界に、心配そうに呼びかけるライヤの姿が入ってきた。
「よ、良かったぁ〜……。心配してたんですから!」
「あ、ああ、悪い」
そんなライヤの勢いにおされて、オレはいつも通りの素っ気ない返事しか返せなかった。
こんなに心配してくれたのに。もっと他に言うべきことがある筈なのに。我ながら情けないな……。
「『悪夢』に飛びつかれてどうなるかと思いましたけど……こうして無事に戻ってきてくれて安心しました!」
「……そうか」
ライヤの安心しきった、のほほんとした笑顔。わかりやすいくらいに平和ボケしたそんな笑みにオレもつられて口端を持ち上げる。
「でも……あの『悪夢』だけ、『滅び』に侵されていなかったんです」
「は?」
ライヤから突然告げられた言葉にオレはぽかんとする。
なら、さっきの光景は……『滅び』とは関係が無い? 以前の地割れの時のような、この世界に僅かに残された夢が、オレに何かを伝えようとしてきたというのか……?
確かに今思えば、あの地割れの予知夢はオレは遠からずも当たっていたと思う。地面がひび割れて、足場が振動して、岩石が降ってくる……その光景は、アンブラの火山での出来事とよく似ていた。
形は違っても『滅び』に侵されていない『悪夢』はオレに何かを伝えるためにさっきの光景を見せた筈だ。あの光景になんの意味を伝えようとしていたのかはわからないままだが……。
「残りの侵された方はなんとか倒しきって、ルーザさんに飛びかかった『悪夢』は捕まえておきました。これでルーザさんも戻れますよね?」
「ああ。……って、お前よくそこまで一人で出来たな?」
「ふふん。なんたって私も、だ────」
そう言いかけたライヤはハッとして、何故か口をつぐんでしまった。
だ……なんだ? 言いたいことがあるならはっきり言えばいいだろうに。
「え、えっと、なんでもないです。私だってやる時はやる子なんです! えっへん!」
「はいはい、そうかよ」
ライヤは腰に手を当てながら胸を張り、褒めて褒めてと言わんばかりに自分の功績をアピールする。
……ルージュに似ているのは見た目と雰囲気だけだけだな。性格はさっぱり似ていない。大体、ルージュはこんなことしないし。
ライヤの間の抜けた行動にはあっ、とため息をついて傍に落ちていた鎌を拾い上げて懐に収める。失っていた愛用品の感情と重みを取り戻すと、やけに安心感があった。実際、さっきまでこの鎌が手元に無くて相当焦っていたし……やはり、普段から持ち歩いているものが無いと落ち着かない。
だが……さっきの出来事の不可解さはまだ拭いきれていない。
何故、あのルージュの姿をしていた何者かは狂気に囚われていたのか。あの光景は地割れと同じ、予知夢だったのか。そして────あいつの涙の意味はなんだったのか。疑問は尽きない。
カグヤが忠告した『狂気』の本当の意味。それを知ることが、オレらの身を守ることや、まだルージュが打ち明けられずにいる過去を振り払うためのヒントなのかもしれない。ルージュに直接聞くのは気が引けるし、オスク辺りに相談するか。
「ルーザさん、時間が押しているみたいです。戻り……ますか?」
ライヤはそう聞くものの、やはり寂しいのか表情が誤魔化せていない。そう言った言葉も、最後は言いにくそうにしぼんで聞こえなかった程だ。
ライヤが待っている精霊はまだ夢の世界に辿り着けていない。オレが前回来た時と全然進展していないし……、ライヤはいつまでこんな孤独な、しかも今は危険も伴うこの世界で待ち続けなければならないのか。
その精霊が来たら今の夢の世界の状況も変えられるかもしれない。オレもライヤ同様、早くその精霊に会いたいという気持ちが強くなってくる。そいつが来たら聞きたいことが山ほど出来てしまったから。
「そうするしかないな。悪い、本当はもうしばらくいられればいいんだが」
「いいんです。まだ隠れ場所はありますし、ルーザさんにこれ以上迷惑かけるわけにはいきません」
ライヤはそういって、精一杯の笑顔をオレに返してくれた。
次も絶対に来るから、と断言できないのが悔しい。今回と前回の期間が大きく空いてしまったし、そもそもオレの意思で行き来が出来ない。変に無責任なことを言ってライヤを傷つけたくも無くて……なんとも言えない板挟みにオレは葛藤を感じる。
一人の辛さ……それは、ルージュを見ているとよくわかる。竹やぶで泣きついてきたルージュと同じ思いを、他の奴にもさせたく無い気持ちの方がやはり勝ってしまう。
「私も、最近思ったんです。自分から行動するルーザさんを見習って、私も待つばかりじゃなくて自分から歩いて行こうって。だからルーザさんは自分の目的に集中してください!」
「だが、いいのか? 今のこの世界の状況はかなり危険だってのに」
「大丈夫です。『悪夢』に簡単に負けちゃう私じゃないってこと、自分の行動で証明してみせます!」
「……そうか」
ライヤの覚悟は本物のようだ。これ以上オレがライヤの心配をするのはライヤの意思を蔑ろにすることだ。
ライヤの言い分は最もだ。ならオレも、オレ自身の役目に集中するべきだろう。
「上等だ。なら、遠慮なくお前の功績を使わせてもらうぞ」
「もちろんです!」
ライヤがそう言ってくれたことだし、オレは早速『悪夢』を使って現実に戻ろうと試みる。
……今回はこいつが残っていたから良かったものの、次はどうなるかわからない。ライヤのためにも次も来たい気持ちもあるが、その時もちゃんと戻る手段があるかが不安要素だ。
念のため、ライヤにこいつを見張っておいてもらうか。
それを頼んでからオレは現実に戻るため、『悪夢』に手を伸ばす。黒いモヤモヤしたものに指先が触れると、途端に眠気が襲ってきた。同時に視界もぼやけ始める。
さっきの光景が、ルージュの狂気と涙の意味がまだわからない。これから先に『それ』が来るのだとしたら……助け出す方法を考えなければならない。
────あの時掴めなかった手を、今度こそ掴むためにも。




