第64話 悪夢は逢魔が時に・前(2)
……横になっていた時、急に何かに吸い込まれるような感覚に捕らわれた。
暖かな毛布の感触から、突如としてゴツゴツとした土と石のような感触にへと変わる。もしや……と思ってオレ、ルーザは思い切って身体を起こす。
「……予想通り、か」
オレには見覚えがあった、土に覆われた地面と、まばらに生えている雑草が僅かに見える、まさに荒地と言うべき殺風景。名称のイメージとは程遠い……『夢の世界』の中だった。
確か、前回来たのがオーブランと出会った時以来だったから……少々ご無沙汰だな。
相変わらず、なんらかの原因でこの世界の力が弱まったままらしい。じゃなきゃ今頃、いつか本で見た花が咲き乱れて澄んだ水を湛えた湖……という、平和の理想郷のようなまさに『夢』の雰囲気を取り戻している筈だろう。
「……ッ! ライヤは……?」
この世界に残した、来た時には会いに行くと約束した相手のことを思い出してオレは立ち上がる。
オレの意思では来れないとはいえ、しばらく期間が空いてしまったことで寂しがっている筈だ。すぐに見つけねえと。
服に付いていた土を払い落として、ライヤがいそうな……以前にあいつを見つけたこの世界でもまだ僅かに残っていた花のある場所へと向かう。オレが来た時に合流する意味でも、あまり移動はしていない筈だ。
しばらく来れなかったが、前回の出来事の大きさのおかげで記憶にはしっかり刻まれている。唯一の記憶という名の地図を頼りに、オレはその場所へと目指した。
しばらく歩き続け、なんの変わり映えもしない殺風景に飽きて来た頃に、ようやく目的の花畑……といってもちらちら地面に花が咲いている程度の場所へと辿り着いた。
……『滅び』が侵攻してきているからか、前より花が減っているし、土の荒れ具合も以前より心なしか増している気がする。こんな場所で待っているだけのライヤがますます気の毒に感じてくる。
多分、この近くにいると思うんだが……何処に行きやがった?
「る、ルーザさんっ⁉︎」
……と、丁度良いタイミングだ。向こうから先に気づいてくれた。
声を辿って周りを確認すると、まだ残っていた数本の木の影にライヤはいた。
だが、その反応とライヤの居場所がおかしい。さっきの声はオレを見つけたことに喜びより驚きが勝るようだし、木陰にいるのもまるで何かに見つからないようにしているかのようだ。
「おい、一体どうしたんだよ?」
「か、隠れてくださいっ!」
「うわっ⁉︎」
近づいた途端、ライヤにいきなり腕を引かれる。突然のことに反応が遅れ、オレはドスンッ! と派手に音を立てながらその場に倒れこむ。
いって、腰を思い切り強打した……じゃなくて!
「だから、どうしたんだよ!」
「る、ルーザさん、しっ! 見つかっちゃいます!」
「はあ? 見つかるって誰に……」
ライヤは口に人差し指を当てて、オレに喋るなと言ってくる。
この世界には生き物らしい生き物なんていなかった筈だが。それなのにライヤは一体何を恐れて身を隠しているというのだろう。そう怪訝に思ったオレは渋々ながら一旦口を閉じて、木陰の隙間から様子を伺ってみる。
木陰の僅かな間、ライヤの視線の先には……ゆらゆらとした、実体が無いように見える黒い影のようなものが数体いた。
あれはオレも知っている。夢の世界の『悪夢』だ。元々この世界にいる、管理者というか、徘徊者か原住民……にしては生き物らしくないが、とにかく夢の世界に生息する生物のような奴らだ。あいつらがどうかしたのか?
「数日前からあの『悪夢』達が私に襲いかかるようになってきたんです。だからこうして隠れているんです」
「は? 襲いかかるって……おかしくないか?」
夢の世界の『悪夢』はこの世界のエネルギーを調整するために妖精や精霊達に悪夢を見せたり、オレのようにこの世界に夢を通じて迷い込んできた者を元の世界に送り返す役割を持つ。
だがライヤは別。この世界には夢を通じてやって来たのではなく、実体を持ってこの世界に留まっている。だから『悪夢』の標的にはならない筈だが、ライヤは「襲いかかるようになった」と言っている……一体、どういうことだ?
「ルーザさん……あの悪夢から、僅かですけど『滅び』と同じ気配がします」
「……ッ‼︎」
って、ことは……もうここにも『滅び』が来ていたのかよ‼︎
くそ……ゴッドセプターはルージュのカバンの中だし、戦力もオレとライヤしかいない。手数もない、人数もいない、間違いなく力不足だ。
ここで『滅び』の影響を受けたあいつらに、オレとライヤだけで太刀打ち出来るのか……?
「だから私も数日前からずっと隠れてて……。変わらず、『あの精霊』は来ないし」
「あのさ……隠れるのはいいが、これ後ろから丸見えだぞ?」
「ええっ⁉︎」
オレの言葉に驚いてライヤはがばっと後ろを振り返る。そこにはゆらゆらと『悪夢』が頼りなさそうに、だが確かにオレらを襲おうとわらわら集まって来ていた。
「見えてたからオレも真っ直ぐ来れたからな。背中を襲わないなんて、あいつら意外と親切だなー」
「そんな呑気なこと言ってる場合じゃないです‼︎ わかってたなら早く言ってくださいよー⁉︎」
ライヤはあたふたとしてオレに文句を言ってくる。木陰とはいえ、そこまで草木が生い茂っていないのに、これで完璧に隠れろという方が難しい。
……だが、本当に呑気に隠れていられない。こいつらが『滅び』に侵されているならその元凶を見つけ出さないとマズイことになる。
いつもだったら隣にいるルージュも、なんだかんだ言っても頼りにしているオスクも、今はいない。他に頼れる奴もいない……ここは二人で乗り切らなくてはいけないんだ。
オレは鎌を、ライヤは愛用しているであろう杖をそれぞれ構える。まだ『悪夢』は攻撃してこない。まだ様子を伺っているのだろうか?
逆に好都合だ。ならばこっちから仕掛けさせてもらう!
「『ディザスター』ッ!」
「『ホーリーライト』!」
オレは鎌を振るって衝撃波を、ライヤは杖から光を浴びせる。
攻撃を食らって『悪夢』は恐れていたこととは真逆に、呆気なく散っていく。だが、いかんせん数が多すぎる。全てを倒しきるには時間がかかりそうだ。
チッ、こんな時にいつもの人数がいればな……。だがこの程度で怖気付いていられるかよ!
オレは鎌を握り直し、『悪夢』に攻撃する隙を与えまいとがむしゃらに刃を振るっていく。
5、10、20……と、いくら倒しても『悪夢』の数は減った気がしない。倒しても、倒しても、何処からかすぐに集まって来て群れを成す。数の暴力とはまさにこのことだ。
くっそ……一体、何処まで倒せばいいんだよ!
苛立ちで鎌を握る手に汗が滲んでくる。体力も削れて、息が苦しい。このままじゃ、こちらの体力が尽きるのも時間の問題だ。
一体ごとの強さは恐る程じゃなく、オレとライヤの身体に傷はないが精神的な傷は別の話。目には見えないそのダメージは確実にオレら二人に蓄積していっている。
「……ルーザさん、前っ‼︎」
「────あ」
疲労でオレは完全に集中が途切れていた。オレの死角から、真っ黒な影が飛びかかって来た!
「うぐっ⁉︎」
闇のように黒く、それでも感触もない『何か』がオレの顔に覆い被さる。視界が遮断され、オレは鎌を手放してしまった。
「ルーザさんっ! ルーザさ────ザさ────」
意識が暗闇に呑まれて消えかけていく。
景色が、声が、薄れてやがて遠のいて。心配そうに声をかけるライヤに早く反応を返してやりたいというのに、オレの身体は言うことを聞いてくれない。
何も、何も見えない。真っ暗だ……。
薄れていく意識の中、オレはそう呟いた。




