第62話 月の元で寄り添う者(1)
……鼓動が一瞬高鳴ると同時に熱が引いていく。
周りに取り巻いていた異様な熱さが私の中に入り込み、内側に何かが宿ったような……そんな感覚。経験がないことなのに、どう使えばいいのかも自然と理解出来た。
まるで、その血の主が私の頭の中で語りかけてくるように。
「おい、ルージュ……?」
「……どいて、二人共」
私でも驚くくらい、冷たい声が出た。二人もそんな私の冷ややかな声に少し驚いている表情が横目でも伺えた。
血を飲んだことの影響なのかもしれない。だとしても、今は構っていられなかった。折角、今の防戦一方の状況を変えられるかもしれない手段が出来たんだ、今はそれを実行するのみ!
辺りに蔓延する闇が身体に馴染む。飲んだ血が問題なく効力を発揮していることを確信し、私は羽根を目一杯に広げる。
オスクの障壁の向こうで、カグヤさんのレーザーが降り注いでいる光景が広がっているのがここからでもわかった。ぱっと見ただけではレーザーの間隔は狭く、逃げ道もないけれど……私には視えていた。僅かな隙間でも、被弾しない場所を。相手の急所、死角を狙えるルートを。出て行くタイミングは今しかない……!
広げていた羽根で虚空を切る。狙った獲物を仕留めるが如く、私は障壁を飛び出した。
「あっ、おい⁉︎」
「無茶だ、戻ってこい!」
二人の心配する声が背後から聞こえてくる。
それに反応を返せればどれだけ良かったか。それだけ、私には余裕も無かったし、唯一見つけ出せた突破口もシビアなもの。一瞬でも目を離せば、そこに待っているのは失敗────即ち、『敗北』だ。
カグヤさんに認めてもらうためにも、『滅び』に打ち勝つためにも、ここで膝をつくことは許されない。絶対に成し遂げるんだ────そんな思いを胸に、私は降り注ぐレーザーの雨に立ち向かう。
「正面からとは勇敢ですね。だからといって、わたくしは容赦しません!」
カグヤさんは言葉通りに容赦無しだ。私が向かってきていることから、さらにレーザーの密度を高める。レーザーの間隔は狭まるばかりだ。
それでもひるむわけにはいかない。右、直進、旋回……頭の中で響く声に従って、指し示してくれるレーザーの僅かな隙間を潜り抜ける。
レーザーは私を貫こうと迫ってくるこの状況、吸血鬼の血を飲んだ今でも怖いことには変わらない。正直いえば逃げ出してしまいたい……それでも、目を背けられなかった。何故って、声の主はちゃんと被弾しないルートを支持してくれているのだから。
今この場にはいないけれど、その仲間の一人である『彼』が寄り添ってくれているようで頼もしい。だからこそ、私は立ち向かっていけるんだ。
声に従ってとにかく前へ、前へと突き進む。後戻りは許されない。目の前の獲物に食らいつき、剣という牙を食い込ませるために────‼︎
「はあっ‼︎」
私の必死の一撃は、一瞬で、それでも高らかに。
ありったけの力を込めた剣は白く輝く軌跡を残し、この宇宙いっぱいに甲高い金属音を響かせた。
「くっ……⁉︎」
カグヤさんの身体がぐらりと傾く。空気の抵抗がないこの空間では踏ん張りは無駄に等しい。私の斬撃によってカグヤさんは完全に体勢を崩し、月の前から吹っ飛ばされる。
「とっ……」
通った……!
一か八かの勝負だっただけに、一瞬歓喜を覚えた。私がカグヤさんに確実にダメージを入れられたのはこれが初めてだったから。
緩みそうな顔を、今は戦いの真っ最中だと言い聞かせて引き締める。カグヤさんも超えられないと思っていた本気の攻撃を突破されて、表情には確かな動揺の色が浮かんでいた。
「……まさか、不死者の力を借り得るとは。意表を突かれましたね」
「持ち得る力を全てを使えと言われましたから。時にはこうして、状況を好転させるには手段を選ばないことも大切かと思って」
「流石です。わたくしを月から離せたわけですが、わたくしも大精霊の誇りがあります。簡単に勝利を譲らぬため、意地でも奪還させていただきます!」
カグヤさんは月から離れても尚、レーザーを撃ち込んでくる。本当に容赦が無い。
私だって退く選択肢はない。カグヤさんが離れた今のうちに、あの月をなんとかしなければ。
あの月がカグヤさんの力の源ならば、あの月の効力は絶大だ。その証拠に、月から離れたカグヤさんのレーザーの密度がさっきに比べて格段に少なくなっている。この状態を目の当たりにして初めて、改めて偽りの月の脅威を思い知らされた。
壊してでも充分にカグヤさんの力を削られるだろうけど、出来ることならこの月の力を私達に向けられれば大きく勝率が跳ね上がる。それに、偽りの月の大きさはかなりのものだ、全てを粉々に破壊するのは至難の技。ここは自分達に有利な効果を向ける方を選択するべきだ。
だけど……どうやって月の効力の向きを変えよう。吸血鬼の血を飲んだとはいえ、まだ全身に回っていないからだろうか、まだその力を充分に発揮出来ていない気がする。このままの力をカグヤさんにぶつけても、すぐに月を奪取されてしまいそうだ。
「おい、ルージュ!」
「……っ!」
私が月をどうしようか迷っていたその時、ルーザとオスクも障壁から出て近くに駆けつける。
……そうか。レーザーの標的が私にズレたから、さっきまでレーザーの的になっていた障壁から出てくることが出来たんだ。
「急に飛び出すからどうしたのかと思ったら……その牙を見れば一発か」
ルーザは私の顔を覗き込み、私の表情を伺ってくる。
私の口元にはアンブラ公国の時の一件と同じような、吸血鬼の牙が覗いている筈。身体は確かに吸血鬼化しているけれど、私の意識は確かにあった。操られていた時のことは記憶から抜け落ちているものの、あの時のような不快さは感じない。
「まっさか吸血鬼の血だったとはな。お前、いつそんなもの手に入れたのさ?」
「えっと、説明すると長くなるんだけど……」
「ならいいさ。それなら前見ろ、次が来るぞ!」
「……ッ!」
見ると、カグヤさんは再び私達にレーザーの照準を向けていた。今も戦いは続いている、余所見している時間は無いんだ。
また襲いかかるレーザーの嵐を潜り抜け、なんとかあの月をカグヤさんに力が流れ込む手段を探していく。
まだ血の力は万全じゃなく、魔力もそうは高まっていないだろう。これが全身に回るまでカグヤさんの攻撃をかわし続けなければならないなんて……私に出来るのだろうか────




