第57話 垣間見る空蝉(2)
「はーい、お待ちどうさま〜」
ゆっくりとした、いかにもマイペースな口調と共に女妖精が料理を運んで来た。
多分、この妖精がイブキのお母さんなんだろう。淡い水色の身体に、狐のような尖った耳がイブキにそっくりだから。親子なのだから当たり前なんだろうけど。
そんなマイペースな口調とは真逆に、イブキの母親はテキパキと料理を並べていく。小さなテーブルのような台の上に、料理が盛り付けられた皿や器が多く乗せられている。
一枚の皿の上に複数の料理を盛り付けるんじゃなくて、一つの皿に一種類だけ料理を入れるのか……。ここも私達とは違う部分だ。
「お口に合うといいのだけど〜。ごゆっくりね〜」
なんて、最後までマイペースな話し方で母親妖精は紙の扉を横に引いて、部屋を出て行った。性格はイブキとは正反対だな……と思いつつ、私は料理を改めて見てみる。
丸くて少し深めの器に盛られた白いライスと、同じ形の器に入れられた、薄茶色に濁ったスープが手前に置かれている。あとは……赤い何かの肉の切り身に、四角く切られた野菜と、ネバネバした茶色の豆というラインナップ。
調理法どころか、食材まで私達には見たことないものばかりだ。
「ありがとうございます、母上。遠慮せずに食べて欲しい」
イブキにそう言われるものの、私は初めて見る料理に戸惑って中々食べ始められない。みんなも同じく、料理とにらめっこして食べようとしておらず。それと、理由はもう一つ。
「えっと……フォークとか無いの? スプーンまで無いし……」
そう、並べられた台にはフォークもスプーンなどの道具が見当たらないんだ。まさか素手で食べるなんてことはないだろうし、どうやって食べろというのだろう。
「うん? なんや、箸なら出とるやろ?」
「ハシ? ……って、」
モミジさんが指差した先。そこには自分達の一番手前、そこに平行に並べられていた2本の棒だ。これってもしかして……
「えっ、まさかこれで食べるのかい⁉︎」
「シノノメって棒で突き刺して食べるのか……?」
ロウェンさんとイアは棒を見比べながら驚いたり、戸惑ったり。確かに、こんな2本の棒で食べられるなんて到底思えない。
モミジさんは2人の言葉に呆れた、というようにため息をつく。
「誰がそないなはしたないことをするんや。箸はこう使うんよ」
イブキとモミジさんはそのハシを私達に使ってみせる。
親指と人差し指を添えて、人差し指と中指で一本の棒を動かして、二人は器用に料理を掴む。見るからに難しそうで繊細な使用方法だ。出来るかな……。
「すまない、この他に道具がないんだ。その……ふぉーくというのも初めて聞いた」
「ま、仕方ないっしょ。大人しく棒使うだけだし?」
オスクもみんなも、イブキとモミジさんの持ち方を見本にしてハシを使ってみる。
……やっぱり、見るのと実際にやるのとでは感覚が違う。正しい持ち方でも力加減がわからなくて、上手く料理が掴めないし……。
でもフォークとかスプーン、ナイフを持ち替えて食べる今までの食事とは違ってハシしか無いのは、逆に言えばハシ一つでそれらの動作が出来るということ。実際に、イブキとモミジさんがハシを使っているところを見ると、ライスであれば一口程度の量を摘んだり、スープであれば器を口に当ててハシを添えて飲むことでこぼすのを防いでいる。
ハシ一つでこんなに出来るなんて。シノノメの妖精はみんな器用だな……。
そんなことを思いながら、私達も食べ始める。なんとかライスなら上手く掴めるようになってきた。
「シノノメ料理はどうだろうか? 味はお気に召すか?」
「うん。すっごく美味しい!」
「ああ。なんか見慣れないもんばっかだけど、美味いから別に気にしなくなったな」
エメラとイアも、プルプルと震えるハシでなんとか食べ進めている。
ハシの扱いはまだまだだけど、2人の言う通りとっても美味しい。味付けは塩が基本で、ケチャップやマスタードなどの濃い調味料を使わない素朴な味付けだけど、それが食材本来の味を引き出していて……初めての私でも温かみのある丁寧な料理に満足していた。
それと気になることが。この赤くて透き通った肉の切り身……。なんの肉なんだろう?
「ああ、それは刺身という。生の魚をそのまま切り出したものだ」
「え。な、生の魚⁉︎」
イブキの説明にびっくりして、そのサシミを皿に落としてしまった。
まさか魚だったなんて。しかも火を通さない、生のままでだなんて、大丈夫なのかな……?
そう慌てている私に、モミジさんがプッと吹き出す。
「慌てることないんよ。魚いうても新鮮なものなら大丈夫や。醤油につけて、ご飯で食べる。これがめっちゃ美味いんよ」
「へ、へえ」
最初はびっくりしたけど、私達のところもレアのステーキとかある。ものは違うけど、シノノメから見ればそれは驚くはずだ。正しい食べ方なら味わうことが出来る……そんな感じかな。
モミジさんに言われた通り、ショウユにそのサシミをつけて一かじり。……さっぱりした味で、なんだかクセになりそうだ。成る程、生でも料理に並べる理由も納得がいく。
「あ、そうだ。これも聞きたいんだけどさ……これってなんなんだい?」
ドラクが器の一つをイブキとモミジさんに見せる。
あ、あのやたらネバネバしていた茶色の豆だ。確かに私も気になる。
「あ、それは納豆やね」
「ナットウ……ってなんだい?」
「大豆を納豆菌という細菌を利用して発酵させたものだ。そうだな……言うなれば、カビと似ているやもしれん」
「え、カビ⁉︎」
「────ブッ‼︎ オレ、食っちまったんだけど⁉︎」
イブキの説明を聞いたイアは途端にナットウを吐き出す。そんな、腐ったも同然の食べ物をどうして並べている上に平気で食べられるのか……それを問いただす前に、イブキは慌てて首を振った。
「す、すまない。言葉たらずだった。似ているというだけでカビそのものではない。酒とも製法が似通っているものではあるが、納豆はむしろ血行を良くする健康に良い食品だ。若人が食べても問題はない」
「異国にはちーずってあるんやろ? それと一緒や」
「な、なんだ……。悪い、吐き出しちまって」
イアはお詫びなのか、ナットウを口にかき込んでいく。確かに、お酒もチーズも同じ発行させたもの。それぞれ匂いや味に癖があるものが多いけれど、それを味わうことを楽しむ妖精だって多い筈。実際に、ナットウも匂いに大分癖があるけど、そこまで激烈な味ではない。
「さっきから驚かされてばかりだね。シノノメ料理って凄いよ」
「それも文化の違いや。ま、納豆も元を辿れば馬の餌なんやけどね」
「……って、やっぱ動物の餌じゃねえか!」
こっそりとモミジさんのそんなカミングアウトを最後に、驚きつつも昼食を色んな意味で楽しんだ。




