第56話 村雨がやむ頃に(2)
店の中には多くの布が掛けられていた。赤、黄色、藍色に緑……と、色とりどりの大きな布が所狭しと並べられている。完成品はもちろん、作りかけのものなども置かれてていて、それらを見ているだけでも飽きない。
その布には一枚一枚、細かい模様の刺繍が施されている。木の枝に咲く見たことのない赤い花、金色に揺らめく稲穂に、川のせせらぎのような緩やかな曲線。その細かく繊細な作りに、作るのも簡単ではないことが察せた。
「どうや、ウチの着物は。綺麗なものやろ」
「あ、店主さん。えっと……」
「ウチは『モミジ』や。覚えといて!」
私の聞きたかったことを先回りして、その店主は腰に手を当て、茶目っ気たっぷりにウインク。そのモミジと名乗った店主は掛けてある着物に手を伸ばす。
「シノノメは手作業することに仕事の意味があると昔から言われてんや。自然の花で色を染めて、自分の手で模様を付ける。これ、一つ一つ丁寧に、な?」
「こ、これ全部⁉︎」
エメラが驚いて着物を見回す。
服も、装飾品も、私達のところじゃ面倒な作業はほとんど魔法頼りだ。着物は見ただけでも作業の工程が私達の服とは違って複雑かつ、熟練でもなければ詰みそうなのは一目瞭然。これを手作業でやるというのは相当な時間を要する筈だ。
「そうや。だからその分、値段も高いんよ。けど、それに見合った仕事をしてんのよ」
それはまるで子供をいたわる母親のように。モミジさんは着物を優しげな眼差しで見つめ、丁寧に手で表面を撫で付ける。仕事の大変さからも、着物がどれ程大事なものかはすぐにでもわかった。
少し、そんな着物が羨ましくも思えた。私には母親の記憶がない。顔も知らない。そこまで行けば、最早いないも同然だった。母親がいたら、こんな感じだったのかな……と。
家族はいるけど、あの過保護な姉だけだ。最近、そのせいで『シスコン』という言葉まで覚えてしまう始末だし……。
「それで話を簡単に飲み込めなかったってわけか。まあ、仕方ないが」
「そや。でも今回は例外や。シノノメの着物、存分に堪能してってな!」
モミジさんは早速、見立てるために私達をよく観察していく。
それぞれ似合いそうな柄と、自分の身体に合ったサイズを選ぶ必要があるためだろう。さっきよりも入念に私達を黄金色の瞳で私達のことをじっと見つめてきた。
「ふむふむ、この緑の子には花柄が似合いそうやな。同じ緑じゃ同化してしまうやろし、水色がいいんとちゃうか」
最初にエメラを見てモミジさんはぶつぶつ呟く。舞い上がっていた時とは違い、その瞳は真剣そのもの。いかにこの仕事に真面目に取り組んでいるか、それを証明するかのように。
「灰色の子には黒も合うな。金襴があるとより映えそうやね。それと……」
モミジさんはルーザの見立てを終え、次は私に目を向ける。いざ自分の番になると緊張するものだ。自然と身体が強張るのを感じた。
「珍しなぁ、紅の瞳の妖精なんて初めて見るわ。これは、着物もこの色を入れるべきやね。でも全部赤は無しやな……目立って身体が霞んでしまうわ」
モミジさんは掛けられた着物をごそごそして、見立てた着物があるかどうか確かめていく。そして見つけたらしい、三着の着物を取り出して私達に向き直った。
「さ、着付けを始めるわ! 3人とも、そこでじっとしててな」
着物の布は、裁断されている完成品でも大きなものだった。その扱いづらそうな大きな布を、モミジさんは引きずらないように持ち上げて着物を私達に着付ける準備を始める。
元の服を脱ぎ、その後に着物の布を腕に通された。薄く、軽く、それでいて柔らかく着心地がいい上質な一枚布。値段が張るというのも納得できる質感だ。
「この布を重ねてな、帯を締めるんよ。腰の上辺りに巻きつけるけど、苦しかったら言ってな」
モミジさんの言葉にうなずく余裕がなかった。
その、巻かれる帯が予想以上に強く締め付けられる。腹部に殴りつけられたような、とまではいかないものの、ぎゅうと縛り付けられて流石に苦しい……と言うか、最早通り越している。
「あ、あの。帯ってこんなに強く巻きつけるものなんですか?」
「うん? これが普通なんやけどねぇ。異国のお客さんには苦しいやろか」
「少し緩めてくれ。これじゃ落ち着かないったらねえよ」
ルーザもキツかったようだ。エメラも既に表情が苦しそうにしている。流石、異国の服。慣れないものなだけに驚くところも沢山だ。
やがてなんとか着付けも終わり、私達は他のみんなが終わるまで外に待たされることになっていた。
エメラの着物は水色の布地に、花柄が付けられた華やかなもの。ルーザのは黒の布の裾に、金で稲穂模様が刺繍されている、黒でもしっかり模様が映えている着物だ。
私のは白を基調に、紅い色で草花が描かれている着物。私達にそれぞれ似合う着物をモミジさんはちゃんと選んでくれていた。
「キモノって凄いね! 気に入っちゃった!」
「うん。服で嬉しいなんて、新鮮かも」
「あとは男共だが……」
ルーザがそう呟いた時、見計らったようにオスク達が店から出てきた。
オスク達の着物もまた違う形だ。胸辺りで交差させた形は変わらないけど、蛇腹のように折られたひだのある大きなズボンのようなものを履いている。
「ハカマっていうんだってさ。でっかいけど、意外と動きやすいぜ?」
「なんか胸の辺りがスースーするんだけど。これだったら元のローブの方がいいじゃん」
「このような時でもなければ、着る機会などそう無いことだろう。それに、服装で目立つのは色々と不利益を被る。少なくともここにいる間は素直に身につけることだ、オスク」
「はいはい。説教たれなんていいから」
着慣れない感じにオスクは不満そうだ。シルヴァートさんに釘を刺されて渋々着ている感じ。本人の意思に反して紫の色がオスクの雰囲気に合っていて、結構似合ってはいるのだけど。
だけど、気になることが一つ。イアにドラクとロウェンさん、オスクとシルヴァートさんはハカマを着ているのに……フリードだけ、何故か着物だ。
「なんでフリードだけ着物なのかな?」
「えと……僕もおかしいっていったんですけど」
「うん? あんた、女の子やろ。着物を着て変なことないやろうに」
「ぼ、僕は男ですーーーっ!」
きょとんとするモミジさんに、フリードは大声で叫ぶ。どうやらまた、フリードは女の子と間違われて今の状況に至るらしい。
「だが、オレらと離れてる時点でフリードが男って言ってるようなものだろ。……モミジ、確信犯だな?」
ルーザが呆れたようにじとーっと睨みつける。そんなルーザの非難の視線を浴びても、モミジさんは悪びれもせずに笑うばかり。
「何言うん、濡れ衣やわ。その子にウチはちゃんと似合う着物を見立てただけやん。それに着物に男物とか女物とか、はっきりした区別はあらへんのよ?」
「だとしても気になります! 今からでもハカマに変えていただけませんか⁉︎」
「慌てんぼやなぁ。ウチはタダで着物を貸し付けてんのや。それをやり直すってなら、料金いただかないと困るものやなぁ?」
「う……」
意地悪そうに黄金色の瞳を光らせ、悪人のようにフリードに迫るモミジさん。さっきまでの妖精が良さそうな笑顔が台無しだ。
「ったく、脅しつけるわ、こっちをどさくさに紛れて宣伝道具に使うわ。性根が疑われるな」
「それが商売ってもんよ。お嬢ちゃんも覚えとき!」
自信満々に宣言するモミジさんにルーザとフリードは盛大なため息をつく。結局、フリードの着物はこのままのようだ。……と、その時。
ぐうぅ〜。
間の抜けた、お腹の音。思い出したかのようにみんなから聞こえてきて、たちまち大合唱に。恥ずかしさで少し顔も熱くなる。
「そういや、オレ達昼飯食べ損ねたもんな……」
「どうしようか。今からでも食べに行く?」
みんなで食べ損ねた昼食をどうしようかとあれこれ相談していると、外で待っていたイブキがくすりと笑う。
「では、拙者の家でご馳走しよう。この機会にシノノメ料理を楽しんでほしい」
「え、いいの? そんないきなり……」
「遠慮は無用。是非食べていってほしい」
イブキはにっこり笑う。そんなイブキの言葉に私達は甘えることに。
慣れない服に、未知の食事。まだまだシノノメには驚くことが多いことを予感させた。




