第52話 夜はいつか明けて(1)
「う、うん……」
ぼやける視界がだんだん鮮明になってくる。
私はベッドの上にいた。柔らかい感触が頰に伝わり、ぼんやりとしていた頭が徐々に覚めてくる。
……辺りはまだ暗い。相変わらず、紅い月の光が差し込む以外は真っ暗な外の風景。ずっとこんな状態だと時間の感覚が狂ってくる。アンブラにいる時は時計の確認が欠かせない。
「六時半、か……」
いつもと変わらない起床時間だ。外も屋敷の中も静けさに包まれている現状で……とても記憶の世界で色々あったとは思えない。
記憶の世界、か……。ふと、さっきまでのことが蘇ってくる。
今回は記憶の世界で色々ありすぎて、今でも信じられないこともある。魔導人形に追いかけられたことも相当だけれど、それ以上に驚いたのはレシスが死の大精霊ということだ。記憶の世界でたまたま『契約』を交わした相手が大精霊だった……なんて。
あれ……? それだと疑問が一つ。
以前に見つけた大精霊について書かれた本にあった、特に印象に残っていること。少女のような姿の命と死の大精霊が翼を広げ、手を取り合っている挿絵だ。
……そう、少女だ。つまりレシスは────
「え、ええっ⁉︎」
レ、レシスって女だったの⁉︎
あまりの衝撃にまだ残っていた眠気と起き上がった拍子にかけていた毛布が吹っ飛ぶ。
慌てて毛布を捕まえて、とりあえず落ち着くように、胸に手を当てて深呼吸する。そうすると鼓動が早まっているのが手に伝わってきた。
……とりあえず、今までのことを考えてみる。
レシスが女だということ。あれは本からの情報だし、その本も百年前のものともあってかなり古い。本の情報が嘘で、レシスは今まで思ってきていたように男ということもあり得るけれど……。
────その可能性は低かった。他の大精霊の情報はほぼ合致していたし、なによりオスクもあの挿絵を否定しなかった。それならレシスが女ということはあり得そうだ。
あの短く見えた髪に、あの言葉遣いで、一人称も『オレ』。明らかに男に見えたけれど、思い返せばレシスもはっきり男と断言したことは一度もない。まあ、私からは記憶の世界に行けないし、本人から聞けない以上、憶測する他ないのだけれど……。
「でも……それなら」
レシスが女。これだけなら別になんともないのかもしれない。性別を逆と認識していた、それで終わりだ。
でも私にはレシスが女だということで引っかかっていたことにどうしても行き着いてしまう。
……ルーザと、レシスの関係だ。
最初から似ているとは思っていた。言葉遣いも、自分の意思を貫いていこうとする態度も。それでも今まで深く詮索しなかったのはレシスが男と思っていたから。
でもレシスが本当に女だとすれば……そう思うと、考えが止まらなくなる。
レシスとルーザの共通点が多すぎるんだ。性格も、態度も、レシスの鎌を使う手つきもルーザにそっくりだった……。それにレオンと話した時にオスクが言っていた、死の大精霊の居場所とこの屋敷が重なったというのは、もしかしたらルーザが────
「……朝っぱらから頭悩ませて、ご苦労様なこった」
「ひゃあっ⁉︎」
突然、背後から声が飛んできて、また身体が飛び上がりそうになった。
恐る恐る後ろを振り向くと、オスクが扉の前でいつものようにふわふわしているのが目に入った。
「お、オスク! 入るならノックしてよ!」
「別にいいっしょ? 別に変なことしないし」
「礼儀があるでしょ! ……もう、何か言いたいことがあるの?」
ノックもなしにいきなり入られたら、そりゃあ驚く。音もなく扉を開けて中に入るなんて、どうやったら出来るのやら。
そんなことは全く気にしていないらしい、悪びれもせずにオスクは私の言葉にニヤッと笑う。
……あからさまに何か言いたそうだ。勘が鋭いオスクのことだし、もしかしたら。
「ねえ、もしかしてオスクは私が今聞きたいことがわかって来たの?」
「だったらどうすんの? 聞くか聞かないかはお前次第なわけだし」
「うっ……」
そう言われると聞く決心が鈍る。
これはあくまで憶測でしかない。オスクに聞くのだとすればその考えを前提に聞くことになる。まだ確証もない、背中を押してくれる相手もいない今の状況。私一人じゃ聞く勇気がなかなか踏み出せない。
「オスクは……なんでも知ってるの? さっきまでの私の状況も、これから起こることも」
「さあ、どうだか。僕だって万能じゃないわけだし。大精霊とはいえど、不可能なことくらいいくらでもあるっての」
「そっか……」
オスクの態度は至って普通だ。動揺する様子もないし、嘘を言っているようには見えない。
それでもオスクが死の大精霊を知っていたことから、私が今聞きたいことを答えられないというわけでもなさそうだけれど……。
「随分悩んじゃって。思い詰めることなくない?」
「……え?」
「流れに身を任せるのも一つの手なわけじゃん? やってから後悔する方がいいともいうだろうけど、この場合はそれが逆。今、聞いたらお前は間違いなく戸惑って周りと距離を置くはめになるし」
「それは……そうかもしれないけど」
「ま、僕も近いうちに白状するわけだし。今は目の前に集中すれば?」
……確かに、それも一つの方法だ。色々悩んでいても仕方ない。気にはなるけど……まだレシスにちゃんと聞いたわけでもないし、レシスの『約束』を果たしてからでも遅くはないだろうけれど。
オスクも白状するとは言ってくれているし……今は、いいかな。
「じゃあそうするよ。ありがとう、オスク」
「礼を言われるようなことしてないけど。お前が納得したならいいんじゃない?」
オスクはぷいっと顔を背ける。そんなオスクの様子に私はクスッと笑った。
わかりやすい照れ隠しだ。オスクも最近はルーザと連携をとったりと、なんだかんだで私達に快く力を貸してくれている。初めは妖精だから、と見下されていたけれど、今はオスクも大切な仲間になっていた。
「あん? なに笑ってんのさ」
「ううん、別に。まあ……強いて言うなら、助言をくれた後で悪いけど、寝癖がついたままだよ?」
「……っ⁉︎ は、早く言えよ!」
私に言われて、オスクは慌てて髪を撫で付けて寝癖を直そうとした。でも、濡らしたりしていないんじゃ無駄な抵抗。すぐにオスクの黒い髪がピョンッと跳ね上がる。
実力は確かなのだけど、どこか締まらないところがある。出会った時とあまり変わらないオスクの様子になんだかさっきまで悩んでいたことがどうでもよくなってくる気がした。
実際はどうでもよくないことのだけれど……いつの間にか引きずる気持ちは無くなっていた。
「ほら、オスク。ブラシも貸すから。寝癖直して早く支度済ませよう」
「ハイハイ。やればいいんだろ?」
オスクが寝癖を直している間に、私も着替えて身支度を整える。
今日は『滅び』が起こした異変を解決したから、アンブラ公国を後にしようとしていた。……そう、カーミラさん達と別れる日だ。
カーミラさん達と別れたくない気持ちはもちろんある。せっかくカーミラさんやレオンとも仲良くなれたのに、離れるのはやはり寂しい。でも私達にはまだやらなければならないこともある。名残惜しいけれど、ずっと居るわけにはいかないんだ。
少しでもカーミラさん達と過ごせるよう、急いで支度を済ませる。オスクの寝癖も直った頃、朝食をとるために二人で食堂へと向かう。
この迷路のような黒い屋敷も今日で見納めだ。
食堂に入るとカーミラさんが作ってくれたらしい、朝食が既にテーブルに並べられていた。
パンに鮮やかな色のサラダ、まだ温かそうな湯気を立ちのぼらせているスープと少々のおかずといういかにも朝食らしい朝食。あまり吸血鬼らしくないメニューだ。
レオンがまた納得いかない、と思いそうな料理だけれど、これがまたカーミラさんらしい。
やがて集まったみんなと共に、その朝食を一緒になって口に運んだ。




