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幻精鏡界録  作者: 月夜瑠璃
第5章 交錯への序曲
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第50話 明けぬ夜の微睡み(2)

 

 ……今夜も、カーミラさんの屋敷で泊まらせてもらうことになった。

 一人一人に個室を貸してくれて、私は今日の疲れを取ろうとベッドの中に潜り込んで横になっていたのだけど……何故だか、目が冴えたままだった。


「眠れない……」


 疲れている筈なのに、寝付けない。

 身体に伝わるベッドの感触は勿体無いくらいに柔らかくて、身体を優しく包み込んでいるし、みんなも寝静まっているようで周りは静寂に包まれている。眠りを妨げる要素は一切ない筈なのに。


 ベッドに入ってからしばらくする。無理やり目を瞑ったせいでぼやけ気味の目をうっすら開ける。そして横にあった置き時計の針を確認すると……丁度、真上を指しているところだった。つまり、もう零時を指しているということ。

 もう真夜中だ。窓の外の景色も、全ての明かりが消えて暗闇に包まれている。当然、みんなは寝てしまっているだろう。


 ……しばらくなんとか眠ろうとしていたけれど、やっぱり眠れない。ずっとこうしていても眠れそうな気配がしないし……少し、夜風に当たって来ようかな。

 そう思って、思い切って身体を起こす。寝衣の上にローブの上着に腕を通して身体を冷やさない程度に。

 扉のドアノブを音を立てないように、そっと力を込めて押し下げる。みんなを起こさないように、息も潜めながら。そして記憶を頼りに屋敷の出口を目指していく。


 やがて屋敷の入り口である大扉を開けて庭に出てみて、芝生の上に腰を下ろす。

 庭といっても、公園並みに広い場所だ。赤い薔薇が咲き乱れた花壇があちこちに設置されているし、小さな丘まである。ミラーアイランド城の庭にも引けを取らない。

 丘に座っていると、夜風が頰を優しく撫でた。冷たいけれど、何処か涼しげで……火山にずっといたことで暑さをたっぷり味わった身体にはとても心地がいい風だ。


 空の紅い月はより一層強く輝いている。昼……といってもずっと暗かったけれど、その時までの血のような不気味な色とはまた違う。まるで巨大な紅い宝石がアンブラ公国全体を照らしているような……そんな神秘的でとても綺麗な光景だ。私はその月に思わず見惚れていた。


「……美しいな」


「ひあっ⁉︎」


 急に背後から声が聞こえてきて変な声が出てしまった。こんな時間ということも相まって、誰かが来るとは思わずにいたから、余計に驚く。

 恐る恐る振り向くと、後ろには黒いマントをなびかせたレオンが歩いてきているのが目に入ってきた。


「れ、レオンか……。びっくりした……」


「随分な驚きようだな。僕を負かしたとは思えない」


「だ、だって。こんな時間だし……。それに、起きてたの?」


 私がそう言うとレオンは肩をすくめる。まるで私が変なことを言ったというように。


「貴様ら妖精と一緒にするな。吸血鬼は夜こそ本来の住処、起きていなくてどうする」


「そうかもしれないけれど……。やっぱり、感覚が違うからどうしても……ね?」


 吸血鬼は夜に活動するから、こんな夜中でも起きていることは珍しくないのだろうけれど。種族も違うし、やっぱり不思議には思う。

 そんな私にレオンは構わない様子で、そのまま私の隣に腰を下ろした。そして私と同じく、空の紅い月を見上げる。……何故だか、盛大なため息をつきながら。


「吸血鬼たるもの、この月の下で生きることが本性だと言うのに、あの娘ときたら……!」


「それって、カーミラさんのこと?」


 私がポツリと漏らすとレオンは頷く。


「あの娘は吸血鬼という種族なのに、ベッドの上で寝ていた。挙げ句の果て、血が嫌いだと⁉︎ 恥を知れというのに!」


「ちょ、ちょっと……」


「吸血鬼は棺で朝が去るのを待つのが鉄則! 血を飲んで飢えを凌ぐことに誇りを待つ種族だ! あんな奴に負かされたのが信じられない‼︎」


 ……成る程。レオンはもはや吸血鬼失格みたいなカーミラさんに負けたことで相当プライドを傷つけられたようだ。

 確かにカーミラさんの吸血鬼らしいところって、コウモリの翼があることくらいだ。それがまたカーミラさんらしいといえばらしいのだけど。


「だったら、レオンはその吸血鬼の生き方を全うしていて凄いってことじゃないの?」


「……凄くも何もない。当たり前のことだ」


「当たり前をちゃんとやれるのって、意外と少ないと思うよ。みんな、生き方ってそれぞれだから」


 妖精も、吸血鬼も、精霊も。その生き方は様々だ。性格と同じように、生き方だって十人十色。当たり前を当たり前にこなせるのは中々いない。


「……全く、お前は本当に妖精らしくない」


「え? それってどういう……」


「お前の、血だ」


 レオンにいきなりそう言われて私は戸惑う。

 意味がよくわからない。血が妖精らしくないって……どういうことだろう。


「お前の血を飲んだ時に、違和感を感じた。種族によって血の味も異なるのだが、お前の味は精霊に近い」


「せ、精霊って……。私は妖精だよ?」


「確実に、か?」


 レオンが念を押して聞いてくる。真剣なその表情に私はたじろいで言葉が詰まった。


「ここは魔法が支配すると言っても過言ではない。それ故に、お前が妖精の姿を取繕われて、妖精と刷り込まれて育った……。その可能性も否定出来るのか?」


「そ、それは……」


 私は言い返せなかった。

 私は両親の顔を覚えていない。姉さんから私がまだ幼い頃に亡くなってしまったと聞いたから。今、残っているのは両親の顔を写した絵があるのみ。

 それがもしかしたら、以前にオスクが言った『抜け落ちた』ことかもしれないけれど、確証はなかった。


「僕はお前を追い詰めているわけじゃない。可能性を言っているだけだ。……そのことに、興味もある」


「きょ、興味?」


「お前が何者であるのかがな。だから、これを遣わしてやる」


 そう言ってレオンは私に小瓶を押し付けた。

 その小瓶には何かの液体が。赤くて不透明な。……少し黒い色も混じっている。


「これって……」


「僕の血だ」


「血⁉︎ 吸血鬼って、血を渡すものなの⁉︎」


「お前に興味があるから渡したんだ。適当な者に渡せるものか」


 レオンはそう言うけど、私はまだ戸惑うばかりだ。

 何故、自分の血を渡すのか。何故、私に興味があるのか。


「それを飲めば、一時的に吸血鬼の体質になれる。眷属とは違って、精神の支配は受けない」


「それ、何かのメリットってあるの?」


「物は使いようだろう。吸血鬼の体質を得るのは、肉体の強化も出来るということ。危機が迫った時にでも使えばいいだろう?」


「う、うーん……。まあ、好意で渡してくれたなら、貰っておくけど」


 血を渡されたことは、当たり前だけどびっくりする。でも危機が迫った時に使え、と言うのはそれを危惧してくれているとも捉えられる。だったら、受け取らないのはその気持ちを蔑ろにしてしまうような行為だ。

 血を飲むのは抵抗があるけど……一応、受け取っておこう。役に立つかもしれない。


 ────ザァ……、と風で芝生の草が音を立てる。少し、眠気が出てきた。

 これならベッドに戻れば眠れそうな気がする。


「じゃあレオン、私はそろそろ寝るね。レオンは残ってるの?」


「当たり前だ。本来は起きている時間だからな」


「……わかった。じゃあ、おやすみなさい」


 レオンにそう言ってから、私は屋敷の中に戻る。さっき通って来た道順を思い出しながら、私は個室に戻ってベッドに再び潜り込む。


 ……やっぱり、さっきよりは眠れそうだ。ベッドの柔らかい感触が身体に触れた途端に睡魔に襲われる。

 その睡魔に身を任せて、私は暗闇に意識を手放した。





 ……。

 …………。


「───おい、おき────」


 ……何処からか声が聞こえてくる。

 それと同時に、身体が横にぐらぐらと揺さぶられる。やっと寝付けたというのに、誰かが起こそうとしているようだ。


 うう、せっかく眠れそうなのに。やめてよ……。

 私はそんな声を無視しようと目を瞑る。その声に背を向けて、耳に入らないように。

 そんな私に、声の主は呆れたようにため息をついたかと思うと、


「────起きろってんだよ‼︎」


「ひゃあっ⁉︎」


 突然怒声を浴びせられ、私は飛び上がる。おかげで目が完全に冴えてしまった。

 目の前に写るのは、レンガ造りの壁。艶やかに磨かれた石のタイルが床に敷き詰められている、カーミラさんの屋敷とは似ても似つかぬ部屋の構造。


「えっ、あれ? 私、確か……」


「ったく、呼び出しに苦労するわ、中々起きないわ……。返事もないんじゃ、さらに不満なんだが?」


 背後から飛んで来たぶっきらぼうな声に、私はハッと振り向く。やれやれと言わんばかりに肩をすくめながら私を見下ろしている、剣士の姿をした男精霊……レシスだった。

 レシスがいるということ。いきなり場所が変わったということ。……それでようやく、またレシスに『記憶の世界』に飛ばされたことがわかった。


「えと……何か手伝ってほしいことがあるの?」


 レシスが私をここに呼び出すのは、以前に交わした『契約』のようなものでレシスが私の力を貸して欲しい時だ。

 聞いてみたところ、やはりそうだったようでレシスはすぐさま頷く。


「ああ。『夢の世界』を探していることは変わらないが……面倒なことに巻き込まれてな」


「面倒なこと?」


「……オレの視線の先を見てみろ。ただし、声は上げるなよ」


 私はレシスにそう言われてレシスの視線の先を辿っていく。────それを目にした瞬間、私は戦慄する。


 そこで私は、私の意識は、『それ』を見たことに対する今更ながらの後悔と恐怖に満たされた。

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