第47話 死を侮ることなかれ(3)
────その時、何か身体から熱いものを感じた。
身体の底から力が湧き上がってくるような感覚。得体の知れない、それでもどこか懐かしいような奇妙な感触。
「な、なんだ……?」
わけがわからず、戸惑うばかり。どうして今になってこんな力が湧いてきたのか。それも、こんな窮地に陥った時に。
まるで、それは『死』を予感してそれを必死に抵抗するかのようで────
「ルーザ、危ないっ!」
「────‼︎」
ルージュの声で我に返った。目の前にはヴリトラが再びオレに爪を立てている光景が嫌でも視界一杯に入ってきた。
そうだ、迷っている暇はない。とにかく今は抵抗しねえと!
「『カタストロフィ』!」
鎌を力一杯に振り下ろし、そこから衝撃波が放たれる。
そして衝撃波はヴリトラに向かって一直線に飛んでいき、その身体を吹き飛ばした。
『グオオアッ⁉︎』
ヴリトラの黒い巨体は悲鳴を上げながら、壁に派手に背を打ち付けた。
……攻撃が初めて通った。あれだけビクともしなかったヴリトラが、だ。自分でやったことだが、オレ自身も理解が追いつかずにその場に立ち尽くす。必死になっていたことは確かだが、だからといっていきなり出せるような力じゃない。原因と思われるのは、さっきの急に奥底から力が湧き上がってくるような感覚だが……。
「ル、ルーザ凄えよ!」
「ほ、本当です! どうやったんですか⁉︎」
「い、いや。どうと言われてもな」
イアとフリードが興奮しながらも褒め称え、他もオレに嬉しそうな眼差しを向けていたが、オレはそれが自分の功績だとは到底思えない。危機的な状況から脱したのは喜ばしいが、あれはどちらかというとオレ以外の誰かに手助けされたような感覚だった気がする。
「あいつめ、助太刀が遅いっしょ……。ま、いつものことか」
「ん、なんの話を」
「なんでも! とにかく今がチャンスなら、一気に畳み掛けるとしますか」
オスクは何かを誤魔化すと魔力を溜めて攻撃の準備をし始める。
オスクの魔力は凄まじく、空気すらも揺らいだ。ヴリトラはさっきの攻撃と、デカい体格が災いしてまだ体勢を立て直せていない。絶好のチャンスだ。
「『ゲーティア』‼︎」
オスクは最大まで高めた闇の魔力の塊をヴリトラに向かって放つ。
これまで力を温存していたのが功を奏したのだろう。限界まで集められた闇はヴリトラの全身を覆い尽くし、爆発すると同時にその巨体を大きく吹っ飛ばす。
『グオアッ⁉︎』
身体を派手に地面に叩きつけらるヴリトラ。元が馬鹿でかい図体をしている分、その振動がオレ達にも伝わってきた。
流石、オスクの本気だ。これならヴリトラも耐えられないんじゃないか……⁉︎
……一瞬そう期待したが、その希望を叩き起こすようにヴリトラは消滅していなかった。攻撃出来る体勢にまでは持ち込めていなものの、まだやれると言わんばかりにヴリトラは大地に爪を食い込ませていた。
「ま、マジかよ⁉︎ 耐え切りやがったぜ⁉︎」
「お、オスクさんの攻撃でも倒せないなんて……!」
「ハハッ……これだけやって耐えるとか。どんな体力してんのさ……」
オスクは力なく笑い、その場にへたり込んでしまった。オスクがそれだけの力をさっきの攻撃に注ぎ込んだというのに、ヴリトラはまだ倒せないとは。未だ白旗を上げる気配すら予感させないヴリトラのしぶとさに、オレらは唖然とするばかり。
まだ……まだ足りないのかよ。これだけやっておいて‼︎
「……いや、いい。あとは僕でなんとかする」
その声にオレらはうなだれていた顔をハッと上げる。そこにはレオンが前に踏み出していた。
「お前は言ったな。状況を変えたければ自分の行動で示せ、と」
「レオン、お前……何をする気だ?」
「行動で示してやるまでということだ。これくらいしか出来ないけどな……!」
レオンは自分の手首を見る。そして……手首をに牙を突き立てて、ガブッと噛り付いた⁉︎
「わーーーっ⁉︎」
「な、何やってるの⁉︎」
当然、オレらはそんな誰もが予想しなかったレオンの奇行に慌てふためく。こうしている間にもレオンの手首から血がダラダラと滴り落ち、足元を真っ赤に染め上げている。
……出血が酷い。レオンが再生能力の高い吸血鬼であることは分かっていても、その光景に流石にギョッとした。
「馬鹿なことすんな! 早く止血を……!」
「よ、余計なこと、するな……! これは僕の意思だ!」
「意思もなにもないわ! 早まらないでよ、自分を傷つけちゃ駄目!」
「……自分を傷つけるためにやったんじゃない。いいから見ていろ!」
レオンは痛みに表情を歪ませながらオレらの制止を振り払い、素早くヴリトラに向かっていく。そして、まだ体勢を戻せていないヴリトラの口に血が流れている手首を突っ込んだ。
「吸血鬼殺し……お前は今から僕の眷属だ‼︎」
『────ッ⁉︎』
レオンはヴリトラの口に自分の血を含ませると腕を引っ込めて口を抑えつける。ヴリトラもたまったものじゃないと言うように、ジタバタと暴れだした。
「おい、貴様らも手伝え! これが失敗すれば取り返しがつかない!」
「わ、わかった!」
レオンの真剣な表情と叫びに、オレらは反射的に頷いて急いでヴリトラを囲んで暴れている身体を抑え込む。この際、まだ信用しきれていないとか関係ない、とにかく必死になってヴリトラを抑えつけた。
やがて……その動きが収まり、ヴリトラは大人しくなった。尻尾をだらりと垂らし、抑え付けていた腕には一切の力が伝わってこなくなる。
「あ、あれ? なんか急に大人しくなったね……」
「……ふん、もういい。放せ」
レオンにそう指示されたことで、オレらはヴリトラを抑えつけていた腕を放す。ヴリトラはさっきまでの状態が嘘のように抵抗をやめていた。
「……お前は僕の眷属だ。僕がいいというまでここで大人しくしていろ」
『……』
ヴリトラはレオンの言葉に反応したように、その場でうずくまる。さっきまで全身から放たれていた殺気が嘘のように消え去っていて……オレも、他の仲間も、いきなりのヴリトラの変わり様にどういうことだと戸惑った。
「……吸血鬼は自分の血を与えることでも眷属にすることが出来る。こんなデカブツに、吸血鬼殺しとあろう怪物に効くまでかは確信はなかったが……上手くいったようだ」
「お前……そのために自分の手首を」
「これくらいしなければ信用は獲得出来ないのだろう? どうせ僕は不死の身、数分もすれば傷口などすぐに塞がる」
さっきのレオンの奇行……その真意がようやく分かった。こんなデカいバケモノ相手では少量の血じゃ眷属として従えられないと判断し、レオンは出血量が多くなりやすい手首を傷付けることを選んだのだろう。だが、不老不死の吸血鬼といえど、そこには痛みが確かにあった筈だ。その証拠に、さっきまで表情を苦痛で歪ませていたんだから。
ここまでされておいて、信用しないというのは残酷にも思えた。オレらは顔を見合わせ、頷く。
これならもう、充分だと。
「レオン……信じてやる。ここまでされておいて、無視なんか出来ないからな」
「……勝手にしろ」
レオンはオレらに顔を背けたまま、素っ気ない返事をする。
それでも……僅かに見えたその口角は、確かに上がっていた。
「……行くか」
ヴリトラをどうにか出来た今、オレらがやることは頂上を目指すことだ。
レオンを脅した精霊は、このヴリトラを一瞬で仕留めたらしいが。……その力のおぞましさを、今改めて実感した。大精霊でさえ仕留めきれなかった怪物を、そいつはたったの一撃で倒したんだ。
……そいつと対峙することになったらどうなるかはわからないが。
でも今は……レオンを受け入れたことを喜ぶか。
そう思いながら、10人全員で歩みを揃えて先へと進んで行った。




