第47話 死を侮ることなかれ(1)
目の前に対峙している暗黒の鱗に覆われた竜────ヴリトラを、オレらは緊張しながら見据えていた。
吸血鬼殺しとも呼ばれる強力な魔物だ。妖精が普通にかかって勝てる相手ではないことはとっくに知れている。オレらが束になったところで敵う相手なのかすらも分からない。そんな悪魔の様子を、今は遠くから伺うしかなかった。
「こ、こんなところにいるなんて……。アイツの後ろが唯一の通り道なのに……!」
「と、とにかく一発殴ってみたらどうだ⁉︎ まだ試しもしてないのに逃げることないだろ!」
「……やめておけ。吸血鬼でさえ傷一つ与えるのがやっとな相手だぞ。軟弱な妖精が生半可な覚悟で挑んだところで、結果など言わずとも分かるだろう?」
「ぐっ……」
イアがそう意気込むものの、レオンはそれを容赦なく切り捨てる。
言い方こそ素っ気ないものだが、その表情は至って真剣だだった。ヴリトラの恐ろしさをよく知っているから、そんなことを暗示するかのような表情だった。
「だがあのヴリトラ、通り道を塞いでいるんだろ? このままだと頂上に辿り着けないじゃないか」
「できるなら戦うのは避けたいけど……そうもいかないみたいだね」
ルージュの言う通り、現実というものはどこまでもオレらに試練を課したいようだ。ヴリトラは首を持ち上げ、その視界にオレらの姿を捉えたかと思うと、
『グルルル……』
己の縄張りに踏み込んできた異物に対して、唸って見せる。
それはまるで地の底から這い出してくるような、低くおぞましい唸り声。魔物……いや、それ以上に恐ろしい存在に思わせた。なにせ相手は吸血鬼殺しなんて異名がつく程の厄介者。正面からやりあって勝てる相手ではないのは充分承知している。
だが、それでもオレらは進まなくてはならない。レオンが脅されたという、『滅び』の元凶を掴むためにも。
レオンがどう言おうが構うものか。イアの言う通り、試してみないことにはわからない。
「『ディザスター』!」
鎌を大きく振るい、黒い衝撃波を飛ばす。
衝撃波はヴリトラに向かってまっすぐ飛んでいき、ドカン! と派手な音を立てて着弾する。砂煙がもうもうと舞い、敵の様子を見るためにそれが収まるのを待った。
僅かでもいい、ヤツにダメージを与えることができていれば……!
……だが、その砂煙が収まった時に見えたのは、煩わしそうに首を振っているヴリトラだった。仰け反るどころか見据えていた距離からちっとも動いていない。まるでさっきの攻撃が、虫に刺された程度というかのように。
チッ、やっぱそう簡単にはいかないか。でもまだ想定内。たった一発でビクともしないどころで驚いてはいけない。それに、ヴリトラに立ち向かおうとしているのはオレ一人だけではないんだ。
「お前ら、とにかく魔法を撃ち込め! 数を食らわせればそれなりになるだろ!」
「そ、そうですね!」
「オスク、本気でやるのは後にしてくれ。どのくらいの体力があるのかも見ておきたいからな」
「はいはい。ま、元々そのつもりだし。今は小さいのでもぶつけておくか」
オスクの本気の一撃は後にするよう頼んだ。
オスクが使う魔法で一番の威力を持つのは『ゲーティア』だろう。強力な闇の魔力の塊を、敵にぶつけるという大技。
怒ったオスクがロバーツのクルー達と戦った時に一度だけ見たことがあるが、あの威力は相当だった。ヴリトラの体力がどこまであるかはわからない今、いざという時にその魔法をぶつけてもらうのに限る。今はとにかくヴリトラの体力をできるだけ削るんだ。
オレを含めて、ここにいるのは10人。流石のバケモノだって、全員で一斉に攻撃を仕掛ければ深手を負わせることが出来るかもしれない。
「『イグニートフレア』!」
「『スラントウィンド』!」
「『ルミナスレイ』!」
イア、ロウェン、ルージュがそれぞれ炎と風、光の魔法をヴリトラに向かって次々と撃ち込んでいく。魔法が立て続けに着弾し、また砂煙が舞い上がった。
ヴリトラはオレらを舐めているのか、まだ攻撃してこない。だが、それを気にしている暇もない。3人に続いて他も攻撃していく。
「『ブルームミスト』!」
「『スカーレットレイ』!」
エメラ、カーミラもそれぞれ水と紅い閃光を間髪入れずに放つ。連続攻撃によって巻き起こった砂煙はヴリトラの身体を覆い隠して、今はその姿がすっかり隠れている状態となっていた。
レオンも乗り気じゃないながらも応戦している。かなりの魔法をくらわせたんだ、ヴリトラの体力も削れているはずだが……。
『グルアアッ‼︎』
「……ッ!」
砂煙が晴れる前に、前方から黒い炎が飛んでくる。
ヴリトラが放ったブレスか……!
「うわあっ⁉︎」
ドカンッ! と音を立てて炎が後ろの壁にぶつかった。そこからガラガラと岩が崩れる音が響く。
くそ……! なんなんだよ、この威力!
なんとか避けられたものの、風圧だけでも吹っ飛ばされる威力だ。あれが直撃していたら、どうなっていたことか。
一発だけの攻撃でこの力。このヴリトラ……今までに対峙した魔物とは比較にならない。下手すれば、『滅び』のガーディアンすら上回るかもしれない。
やがてさっきの攻撃で舞い上がった土煙も引いて、視界が鮮明になる。すかさずヴリトラの姿を確認してみたが……やはりさっきまでヤツがいた位置から全然動いていない。あれだけ魔法を撃ってもビクともしていないとは……。
「あ、あれだけの攻撃でちっとも動じてないぜ⁉︎」
「妖精じゃ、敵わないのかもしれないね……。勝てるのかい……?」
イアもドラクも未だピンピンしているヴリトラを見て弱気になってきている。
だが、いくら脳内でシミュレーションしても勝算が見えてこない。ガーディアンと戦ったときもこんなことにはならなかったというのに。弱気になることも仕方なかった。




