第35話 すれ違う双方(2)
「オレ一人じゃ流石に力不足でな。頼れるような奴が欲しいんだ。お前はここを出たい、オレは協力者が必要。……どういうことかわかるだろ?」
「それってつまり、契約みたいな?」
そう何気なく口にした言葉に、正解だと告げる代わりにレシスは不敵に笑って見せる。
「察しが良くて助かる。オレならお前を現実に引き戻せるんだ。これ以上ないってくらいの良い話だと思うんだがな」
……確かに、レシスが提示した条件と見返りは互いの目的を果たせるものだし、すぐにでも呑みたいものだ。
だけど、これは『契約』だ。慎重にいかないと痛い目を見ることになる。
「そもそもこの世界に『夢の世界』に行ける手立てがあるの? 今の話だけじゃ本当に行けるかどうか分からないんだけど……」
「おっと。それの説明を忘れてたか」
レシスはうっかりしてた、というように頭をかいた。
「この世界は記憶の狭間そのものだ。記憶が束ねられて世界のあちこちにこういった街のみたいな像を造る。だから『夢の世界』に通じるば場所が出来ることもあるってわけだ。……かなり低い可能性だが」
レシスは最後の言葉だけ濁した。表情もうんざりという感情が見て取れる。予想に過ぎないことだけど……私が来るずっと前からその通じる場所を探していたんだろう。だから私に協力を求めたのも納得がいく。
でもこれはあくまで『契約』。レシスの提案を断れば、私はここから出られない。選択肢を用意しておいて、私が選ぶのは一つしかないんだ。
……でも、協力したくないといえば嘘にはなる。
「わかった、協力させて。困っているところを見かけたら助けるんだ、って私の姉にも口酸っぱく言われているから」
「……! いいのか、本当に?」
「ふふっ、何それ。自分から持ちかけておいて」
「いや……だって、かなり胡散臭いだろ。戻せる証拠なんか無いのに」
私が笑うとレシスは気まずい様子で目を背ける。
確かにレシスの言うことは最もだ。信憑性も無い話を軽く引き受けるなんて、後になって仇になるか、ただのお人好しと思われることだろう。
でも、レシスのあの態度はデタラメを言っているようには思えないんだ。レシスが私に向けてきた視線は真っ直ぐで、何か信念があるように感じるものだったから。嘘をついているなら、あんな目は向けてこないだろう。
「それだけその『約束』とやらを果たしたいって思いが伝わったから。だから私は信じるよ」
「……そうかよ。ならオレはそれに応えなきゃいけないわけか。頼んでおいてなんだが、お人好しにもほどがあるぜ、お前」
「お人好しでいいよ。それを無くしたら私は私じゃなくなる気がするから」
私がそう言うとレシスは小馬鹿にするように鼻で笑う。……私としては、結構真面目に言ったつもりなのだけど。
でもこれで、ようやく契約成立だ。
「じゃあオレはお前を現実に戻さなきゃな。オレの要求はこの次だ」
「まるで自分の意思で私を『記憶の世界』に引き込めるみたいな言い方だけど……あっ!」
そこで私はあることに気づいた。
さっき戦う前に、レシスはこう言ったんだ。……『引き入れたつもりも無い』、と。
私の中である一本の線が繋がった。
「もしかして……その約束した人を引き入れるつもりが、私をここに来させたんじゃないの?」
「まあ、な。直接引き込むつもりだったんだが、手違いでお前を連れてきてしまったわけだ」
「それならすぐに私を元の世界に返して清算するのが普通でしょ⁉︎」
「……最悪なタイミングで気づいたな、お前」
あからさまに「しまった」という表情をするレシス。その反応に、私は思わずため息をついて頭を抱えた。先に気づいていれば良かったのに。
契約書なんか無いこの状況。さっきの話は普通に考えれば取り消しだ。だけど、ああ言ってしまったことだし、今更無かったことにするのはさっきの言葉を否定するようなものだ。私はやれやれと肩をすくめてから、レシスに向き直った。
「……あそこまで言っておいて今更無しにするのも後ろめたいから、今のは聞かなかったことにする。その代わり今後、理由とかは洗いざらい話してもらうから!」
「はいはい。善処するよ」
「私だったら良かったけど……私の友達なら確実に首持っていかれてたよ?」
「はん。ならお前のお人好しに感謝しないとな」
レシスはそう言いつつ、私に手をかざした。その手から淡い光が放たれる。
その光は徐々に私の身体を包み込んでいく。すると……私は眠気に襲われるように、意識がぼんやりし始めた。
これって……もしかして。
「今、お前に現実に戻すための術をかけた。しばらくしたら戻れるぞ」
見計らったようなタイミングでレシスが先に言ってくれた。
薄れていく意識の中、レシスの声がはっきりしないながらにも聞こえてくる。
やがて目の前がぼやけて、また眠りにつくかのように。現実に戻ることを暗示するように。だんだん風景が霧がかかって真っ白になっていった────
「う、うーん……」
目の前に光が差し込んでいる。下から感じるのはベッドの柔らかい感触。
……どうやら、戻ってこれたみたいだ。
「……大分派手にやったなあ?」
「わっ⁉︎」
目を開けると目の前にオスクの顔があってびっくりした。
驚いている私に対してオスクはいつも通りの様子で私を眺めていた。『記憶の世界』でも驚いて、現実でもこの調子。さっきから驚いてばかりな気がする。
「オ、オスク何やってるの? みんなは?」
「とっくに起きてるっての。お前がうなされてるから、随分そわそわしていたけど」
「そ、っか……」
オスクの言葉で大体自分に起きたことを理解した。やはりさっきまでの出来事は、私の意識が『記憶の世界』に飛ばされているだけで、現実にある身体は普通に眠っていたんだ。今思い出しても不思議な体験だ。
「ところで、オスク。派手にやった、ってなんのこと?」
「ククク。これ、なーんだ?」
「え……?」
オスクは妖しく笑いながら、布をひらひらさせる。
黒い、大きな布。ところどころに金の縁取りがしてあって、袖と裾には桃色のベールのような透ける布が付けられている。……って、
「そ、それ、私のローブ⁉︎」
確かに、私のローブなんだけれど……あちこち破れて傷だらけ。一目見ただけでボロボロなのは明白だ。
多分……いや、確実にレシスの戦闘の時にそうなってしまったんだろうけど、なんでこんなところだけ現実とリンクしているの⁉︎ 身体の傷はないのに‼︎
「ハハッ! 随分な落ち込みようじゃん。そんなに大事なわけ?」
「笑いごとじゃないよ……。帰ったら修繕しないと」
そうは言ったものの、かなり痛みが激しい。黒い布地なのに汚れが目立つし、縫い目はほつれている。これは元どおりにするのは厳しそうだ……。
とほほ……、折角気に入っていたのに。
「夢の中で随分暴れたようだけど。ご苦労なことで」
「えっ。オ、オスク、もしかして今までのこと知ってるの?」
「さあ、どうだかねえ?」
「……もう」
……またこれだ。オスクは重要なことだと思うことをいつもぼかしたようにしか言わない。今もこうやってはぐらかして……問い詰めても上手くかわされるだけだろう。
昨日の言葉通り、自分で掴むしかないのかな。
「ま、一ついうなら……きっかけを掴み始めたってことぐらいっしょ」
「え……」
待って。今、何かすごく重要なこと言わなかった⁉︎
聞き返そうにも、もう遅い。オスクは「それじゃ」とだけ告げて部屋を出て行ってしまっていた。さっきの言葉だけが、私の耳元で反響するばかり。
もう……本当に教える気あるのかな。
「色々どうしよう、これから……」
ボロボロになってしまった自分のローブを見つめながらため息をつく。
船はそんなことは知らずに波に揺られているのみ。私を励ましてくれる声はそこには無かった。




