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「おい、そいつを片付けろ」

 極龍丸がやや気だるげに告げた。それと同時に、髭面の男が雪克の眼前に仁王立ちで立ち塞がる。極龍丸様の仰せとあらば。髭面の男の言葉を耳に入れながら、雪克は男の額めがけて勢いよく刀身を振り下ろす。しかし、目標までほんの僅かというところで、鞘に覆われたままの雪克の刀身は相手の両手の平に受け止められた。

「へへっ。真剣を抜かない侍なぞ、ただいたずらに木刀を振り回す餓鬼とさして変わんねえやい」

 雪克の両手の先に力が篭る。だが、それに負けじと男も指先に力を入れて刀身を押し返す。そんな応酬をしばしの間繰り返している間に、極龍丸はさくらを連れて外へ出る。巨大な影がだんだんと薄くなる代わりに、冷たい空気が室内を満たしていく。

「極龍丸様の仰せだ。死ね、若侍がっ」

 そう吐き捨てた髭面の男は、雪克の脇腹目がけて片膝を伸ばす。だが、男の伸ばした片足の先は、一瞬早く身をかわした雪克のすぐそばの空を切った。そこに、伸びきった男の足に向けて雪克が右肘を突き出す。彼の肘の先は、男のすねに直撃し、男はその場で体勢を崩した。

 そして雪克は、うつ伏せになった男の額を狙って、鞘をつけたままの刀身の先を振り下ろした。刀身は、鈍い音を立てて狙い通りの場所へ赤い痕を残す。

 髭面の男は、白目を剥いた状態で気絶していた。荒い息を立てながら、雪克は眼下の男を見下ろす。こんな雑魚相手に刀を抜かずに済んでよかった。もし抜いていたら、きっとそのときの自分を終生恥じていたことだろう――心の内でそう感じながら、雪克は極龍丸が出て行った障子の方角を見やる。そして、両手で大刀を持ったまま外へ向かって駆けていった。



 外へ出ると同時に、強い日の光が雪克の瞳を刺激する。それに対し、思わず両目を細めた雪克の眼前に、一面の銀世界が広がった。

 降り注ぐ陽光を反射し、白い光を放つ地面をはじめ、周囲の山肌や木々に至るまで、地上のもの全てに分厚い雪化粧が施されている。唯一空だけは例外で、雲ひとつない青で統一されていた。

 雪克は、先ほど自身が出てきた家屋を振り返る。小ぢんまりとした古い木造の壁に反し、入母屋造をした茅葺(かやぶき)の屋根は一回りも大きい。おれはこんな所にいたのか――そう思うもつかの間、雪克はすぐさま辺りを見回す。すると、家屋からさほど離れていない場所に、一見すると熊と見紛うほどの巨大な影が移動しているのが見えた。特に急いでいる様子もなく、のろのろと歩を進めるそれに向かい、雪克は声を張り上げる。

「さくらを返せ、悪党!」

 雪克の声が耳に入ったのか、影はつと立ち止まり、雪克の方を振り返る。

 雪克は、影――極龍丸のいる場所へ駆けた。彼の唇から、短く白い息が漏れる。そんな雪克の様子にかまわず、極龍丸は野太い声で応じる。

「何だ、お前。あいつらを倒して来やがったのか。まあ、あいつら俺様よりよっぽど弱かったから、しょうがねえか」

 さくらを左手で抱えたまま、極龍丸が右手の指でこめかみを掻く。彼の眼前には、かすかに息を切らした若侍が立っていた。

「勘違いするな。お前の下っ端は、気を失ってるだけだ。そいつらは後でちゃんと片をつけてやる。それよりも、今はさくらを返すことが先決だ。観念しろ」

 極龍丸は、目と鼻の先に立っている雪克を鋭く睨む。すると、彼は突如さくらを抱えていた左腕を勢いよく伸ばし、彼女を空へ放り投げた。宙を舞い、ゆっくりと弧を描いたさくらの華奢な身体は、厚い雪の上へしとどに打ちつけられる。彼女の唇の端から、苦しげなうめき声が漏れた。

「何をする!」

 眼前の光景に、雪克が目を瞠る。そのままさくらへ駆け寄ろうとする彼の行く手を、極龍丸の巨大な体躯が遮った。雪克の目の前に立ちはだかる大男の右手は、腰にある大刀の柄を強く握り、灰色の刀身を陽光に反射させていた。

「偉そうに俺様に指図してんじゃねえよ、身の程知らずの若造が。俺様が自分の女をどうしようと、まあ俺様の勝手だろうが。だがいいさ、俺様がこの場で斬り殺してやる」

 極龍丸が怒りを湛えた口調で告げる。雪克は、怒気を含んだ彼の言葉にひるむ様子も見せずに、ゆっくりと抜刀した。自身の腕の長さほどもある大刀から、灰色の鋭い刀身が現れる。

「まあ、なかなか立派な大刀じゃねえか、若造。俺様、ますますそいつが欲しくなっちまったぜ」

 極龍丸は、黄色く汚れた歯を見せながら舌なめずりをする。太い舌で自らの唇を舐めた後、眼前の大男は大刀を大きく振りかぶる。雪克も、彼と同じように大刀を自らの身体の前で構えた。

 互いの荒い息遣いが、白い塊となって吐き出される。数瞬の間が、雪克にはとても長い時間に感じられた。

 そして――二人は同時に前へと走り出した。互いの刃が強く触れた瞬間、鈍い音が辺りに響く。

「ほう。若造、まあまあ良い太刀筋と見える。だが、どうにも力が足らねえみたいだな」

 極龍丸はそう言うと、目の前の相手の大刀を自らの大刀で押し返す。対する雪克の額には、玉状の汗が大量に付着していた。

 このまま押されては負ける。雪克の頭がそう警告するが、大柄な相手の振るう力任せの太刀筋を前に、次の一手を踏み切れずにいた。きっと刀身を一瞬離したが最後、自分の片腕は間違いなく切り落とされる――そう思わせる気迫が、眼前の男から感じられた。

「まあそれにしても、お前もなかなかの変わり者だな。あんな雪女まがいの娘一人に、こうも肩入れするとはな」

「どういう、意味だっ」

 雪克が必死で防ぐのを前に、極龍丸は半ば余裕の笑みを浮かべながら呟く。

「言葉通りの意味さ。あの娘は雪女じゃねえ。人間と雪女から生まれた、ただの物の怪の出来損ないだ」

「なぜ貴様が、そんなことを知っている」

 雪克が大刀を押し返しながら、弱々しい声で問いかける。既に極龍丸の顔と、彼の振るう刀身が目と鼻の先に迫っていた。対する極龍丸は、訝しげな口調で答える。

「そんなの、里の連中は全員知ってるぜ。何せ、この娘が雪山(ここ)に居つくようになったのは、元はといえば当の昔にあいつらが里から追い出したからさ。まあ確かに異形の外見はしているが、(つら)と身体は上物。まさに俺様の女に相応しい。だから俺様は、遥々ここまで来たというわけよ」

 極龍丸の太刀筋が、雪克の刀身の先を滑った。押し切られる――そう悟った雪克は、己の身体を素早く後退させる。程なくして、極龍丸の大刀の刃先が、空を袈裟がけに切り裂く。彼の瞳は、ぎらぎらと不気味な輝きを湛え、口角が三日月のように吊り上がっていた。

 外道。雪克は一言、誰に言うでもなく呟いた。そんな彼を前に、極龍丸はふん、と鼻で笑う。

「村八分にされた女を嫁に貰ったところで、まあ別に誰も損はなかろう。さあ、今ので力の差は思い知ったはずだ、若造。今この場で俺様に泣いて謝れば、まあ許してやらんでもないぞ。一生俺様の下働きとしてこき使ってはやるがな」

「断る。それに、おれはお前みたいに卑しい手段で女子を辱める奴を見ると、反吐が出る。そんな奴に背を向けるぐらいなら、いっそ腹を切った方がましだ」

 雪克の黒い瞳が、極龍丸の大きな顔をまっすぐに見据える。刹那、極龍丸の小さな瞳はかっと見開き、顔色が一気に紅潮した。

「下らねえ減らず口もほどほどにしろ、青二才!」

「お前こそ、口を開けばまあまあまあまあ。(しゃく)に障る!」

 そして、再び極龍丸が大刀を構える。両手を身体の脇へと持っていくと、そのまま雪克の方へ駆けていった。

 雪克は身体を右に逸らし、極龍丸の体当たりをかわす。大男の構えた鋭い刃先は、またも標的を捉えられずに、小さく震えた。そんな彼の隙を突き、雪克は極龍丸の大刀が起き上がるより前に、自らの持つ大刀で遮る。

 二度目になる刀身の押し合いは、互いに押しつ押されつのまま、拮抗した状態となった。双方ともに歯を食いしばりながら相対するのを前に、ふと極龍丸が口を開く。

「ああ、青二才。お前のその妙な格好、まあどこかで見たと思ったら」

 極龍丸の視線が、雪克の纏う衣服へと向けられる。いくつか金属の釦が付けられた大きな外套と、長い両足を覆い隠す洋袴。ともに黒一色で統一されたそれを凝視しながら、極龍丸は得意げに続ける。

「そいつは旧幕府軍の連中が着てたもんじゃねえか。まさかお前が旧幕府軍の奴だったとは。へへっ、忘れはしねえぜ。二か月前に、会津の殿様の城が薩長土肥の連中に穴ぼこだらけにされたと聞いた時は、笑いが止まらなかったぜ」

 その時、極龍丸の言葉を耳にした雪克の脳裏に、思いがけず(いや)な記憶が鮮明に蘇る。敵兵の前で散った同胞らの亡骸(なきがら)。怪我や病に苦しむ民たちの呻き声。周囲に蔓延る死。死、死――。

「しかもだ、若造。お前より若い奴らも大勢、薩長の前で犬死したって言うぜ。まあひどい話だぜ、まったく」

 極龍丸が、感情のこもっていない言葉でさらに続ける。むしろ彼の語気には、どこか嘲笑の意味合いも含まれているように、雪克には感じられた。

 青年の柄を握る手に力が入る。身体の奥底から湧き上がる感情を抑えるより前に、彼の鋭い瞳は大男を睨みつけていた。

「黙れ! お前ごとき下種野郎に、おれたちの何が分かると言うか! 分かるものか。分かってたまるか!」

 雪克は、力任せに極龍丸の刀身を押し出した。彼の顔と両手は真っ赤に染まり、加えて柄を握る手の隙間から、かすかに血も滲んでいる。対する極龍丸も、そんな雪克の気迫に思わず息を呑んだ。

 全体重をかけた雪克の足が、一歩前へ進む。その瞬間、彼の足は降り積もった雪に捕らわれ、一気に体勢が傾いた。しとどに腰を打ちつける雪克の前に、極龍丸が息を荒げながら迫ってくる。

「これで最期だ、若造! 死ねーっ!」

 極龍丸が両手に握る大刀の刃先が、倒れこんだ雪克を狙う。その刃は、まっすぐに雪克の身体を貫き、そのまま雪に覆われた地面を突き刺した。

 しばし静寂の時が訪れる。その間、二人は荒い息を繰り返し、白い塊が空で重なり消えていった。

 そこで最初に口火を切ったのは、極龍丸の低い呻き声だった。彼の口から、赤い花弁がぽつぽつと散り、雪克の頬へと落ちていく。

 雪克は己の左肩に突き刺さった刀身に抵抗するより早く、自らが突き立てた灰色の刃を極龍丸の心臓から抜き去った。白い雪の上に、赤い血だまりが見る見るうちに出来上がっていく。

 雪克の肩に刺した大刀の柄から手を離した極龍丸は、唇を小さく震わせながら(たちま)ち前のめりに倒れていった。既に事切れた巨体を押しのけ、雪克は半身を起こす。そして、右手で左肩を貫くものを抜き去った。彼の肩から全身へ、鋭い痛みが駆け巡る。

 身体に伸し掛かった極龍丸の骸を完全に退け、雪克がゆっくりと立ち上がったところで、さくらの家屋から出てくる二つの影があった。すぐにこちらに気づいた影は、真っ先に雪克の方へ駆け寄っていく。

「ひいっ、極龍丸様」

「ああっ、何ということだ」

 髭面の男たちは口々にそう言うと、自らの頭領の骸と、側にいる仲間の顔とを交互に見合わせた。そんな二人の様子を見て、雪克は持っていた大刀の先を地面へと突き刺す。

 その音に気づいた男たちは小さく悲鳴を上げ、雪克の方を見つめる。彼の顔と服には、かつての頭領の返り血が大量に付着し、刀身から流れ落ちる赤黒い血が、白い雪をその色に染めつつあった。

極龍丸(そいつ)の骸を持って、今すぐこの場を去れ!」

 息を荒げながら、雪克が低い声で告げる。青年の言葉を聞いた男たちは、見る間に顔色を青く染めたかと思うと、頭領の巨体を二人で抱えて一目散にその場を後にした。

 ひいっ、鬼だ。鬼だ、鬼だあ。去り際にそう叫ぶ男たちの言葉を軽く聞き流し、雪克はさくらが倒れた場所へと視線を移す。

 だが、そこにさくらの姿はなく、うっすらと足跡だけが残されていた。

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