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 爆音とともに、辺りに土煙が噴きあがる。傷つき、地面に伏せた同胞たちの悲鳴は、さらなる爆音によって呆気なくかき消される。

 正面から迫り来る二十人ほどの小部隊は、足元に転がった敵兵の(むくろ)を前に眉一つ動かすことなく、無表情のままただ進軍を続けていた。こいつらが、薩長(さっちょう)の官軍だというのか。初めて戦乱の最前線に立った青年にとって、眼前に立ちはだかる彼らは心が備わっていない人形のように見えた。

 青年が周囲を見渡すと、同胞たちは全員凶弾に(たお)れ、残ったのは自分ひとりだけだった。向かってくる小部隊は、西洋の最新式の銃を両手で構え、銃口を一斉に青年へと向ける。彼らの表情は、変わらず無表情のままだ。

 ついに、自分も覚悟を決める時が来たか――青年は目いっぱい息を吸い込み、吐き出す。そして、眼前の小部隊のみをはっきりと見据えた。大刀の柄を両手で握りしめ、刃先を空へと向ける。

 行くぞ。青年はそう呟くと、目の前の官軍へ向かって勢いよく走り出した。銃口は、変わらず青年の身体のみを狙っている。

 死ぬものか。おれは、簡単に討ち死にはしない。おれは――!



 雪克は、瞼を見開くと同時に、その場で素早く半身を起こした。

 彼の額には、冷たい汗が大量に流れている。今のは、夢か。そう自分に言い聞かせ、夢と(うつつ)の境をゆっくりと区別しながら、雪克は辺りを見回す。部屋全体は、障子紙をとおして入ってくる白い陽光でほんのりと照らし出され、肌寒い空気が漂っていた。どうやら、夜が明けたらしい。雪克はそう感じ取りながら、手近にあった外套(がいとう)を羽織る。

 上着の(ぼたん)を留めようとしたところで、雪克の視界の隅に少女――さくらが映る。身体を布団に(くる)みながら眠っている彼女は、気持ちよさそうに寝息を立てていた。さくらの穏やかな寝顔を眺めながら、雪克は昨日彼女が口にした言葉を思い返す。

――あたしはこの山を根城にして暮らす『雪女』さ。里の連中が噂してたろう。知らなかった、とは言わせないよ。

 雪女、か。さくらは自分のことをそう言ったが、果たしてどうなのだろう。雪克は心の内で自問する。

 彼女の外見や言動などは、紛いなく伝承で聞いた雪女の姿そのものだ。しかし、実際彼女がどれほど恐ろしい存在であるかは、雪克自身も図りかねていた。さくらは自分を、ゆっくり時間をかけて殺すとは言ったが、それならばいっそ昨夜のうちに凍らせ、動けなくさせてからでも良いことではないか。そうすれば、後はどうしようが彼女の好きにできるし、何より雪克自身がこうして自由に行動できるということは、いつでも逃げ出せる隙があることに他ならないのだ。

 では、さくらはどうしてわざわざそうしなかったのだろう。雪克はそこまで思案したところで、ゆっくりとかぶりを振る。

 やっぱり考えない方が良い。これはむしろ好機なのだ。こんな雪深い山で、みすみす死んでしまっては元も子もない。武士の恥だ。さっさとここを発って、蝦夷地へ向かおう――そう自分に言い聞かせながら、雪克は再びさくらの寝顔を見つめた。

「お前は、異形の髪と肌、そして瞳さえなければ、年頃の人間の女子とまったく変わらんではないか」

 さくらへの印象が思わず口をついてしまい、雪克は思わず口をつぐんだ。雪女と名乗る女子に同情する筋合いはない。雪克は再びさくらの顔を凝視するが、彼女は彼の言葉に反応することなく、眠り続けていた。そんなさくらを前に、雪克はほっと胸を撫で下ろす。よかった、聞かれてはいないみたいだ。心の内でそうぼやくと、雪克はすぐさま踵を返して部屋の中を見回した。

 大刀は、どこだ。大刀は。

 雪克はきょろきょろと部屋全体を見回すが、自らの大刀はおろか脇差の姿はどこにも見当たらない。さくらが言ったとおり、やはりすぐには見つけられない場所に隠されてしまったようだ。

 雪克は小さく溜息を吐いた。大刀なしで出歩くという手立てもなくはないが、それでは武士の誇りを捨てるも同然だ。大刀こそ武士の魂の象徴であり、己が武士たりうる唯一の資格だ――かつて聞いた父の言葉をぼんやりと思い返しながら、雪克はふと一つの考えに思い当たる。

 自分がいる板張りの間の隣にある土間はどうだろうか。昨夜さくらが鍋を取り出していた辺り、そこに大刀を紛れ込ませているのかもしれない。そう思い立った雪克は、足音を立てないように土間へと駆けていく。板張りの床から三寸ほどの段差を隔てた土間の床には、さくらが履いていた古い草鞋と、その近くに一回り大きな草鞋が置いてあった。

 雪克は、自分が昨日まで履いていた大きな草鞋を履き、土間を進んでいった。外へ通じる障子は目と鼻の先にあったが、今は何よりも大刀が最優先だ。土間のあちこちに目を通すが、大刀や脇差はどこにも見当たらない。土間は、板張りの間と同じ程度の広さだが、鍋や(たらい)など、日用品以外は目立ったものを置いていないようだ。

「ここにないなら、おれの大刀はいったい何処にあるってんだ、畜生が」

 雪克が、半ば苛立ち混じりの口調で独りごちる。土間の上で足を崩している彼の周りには、大刀を探す際に退けられた古い笠や(わら)などが乱雑に置かれていた。

「お侍さんお侍さん、そんなところにあんたの探してるもんはないよ。もっとよく目立つところさ」

 雪克の背後から澄んだ声が聞こえてきた。対する雪克は、振り返ることなく応じる。

「馬鹿言え、部屋中探して見当たらないんだ、そんな目立つところなどあるはずが――」

 途中まで言いかけたところで、雪克はふいに背後の声の主の正体に気づく。おそるおそる背後を振り返ると、そこにはさくらが満面の笑顔を浮かべて立っていた。

「あんた、たかが大刀一本程度でずいぶんと躍起になっちゃって。しかもこんなに散らかしちゃってさ。よっぽど命が惜しくないと見えるね」

 さくらは、笑顔のまま雪克へ向かって告げる。感情の篭っていない赤い瞳が、彼をじっと見下ろしていた。雪克は、額を流れる冷たい汗のいやな感触に耐えつつも、さくらへ向かって声を張り上げる。

「当たり前だ、おれにとって大刀は武士そのものだ。侍としての、おれの誇りだ。それこそ大刀におれの命を懸けていると言ってもいい。お前みたいに『たかが』で片付けられるものじゃあない」

「まあまあ、これだから男は。どうにもこだわりが強くて大変だこと。これじゃあ女にもてないよ、まったく。さて、どう調理してやろうかね、お侍さん」

 わざとらしく一段と高い声でそう言うと、さくらは自らの胸の中へ手を入れる。おい、何をやってるんだ。雪克が顔を赤らめながら尋ねるのも構わず、さくらは白装束の中から、ずしりと重みのある『それ』を抜き取った。黒色の長い(さや)、鞘と同じ色をした(つか)。雪克の腕ほどもあるそれは、まさしく彼の持っていた大刀そのものだった。

「さくら。お前、それは」

「なに、ずっとあたしが隠し持っていたのさ。肌身離さず持っておけば、いざって時に役に立つしね」

 両手で大刀を握り締めたさくらは、不敵な笑みを顔に貼り付けながら告げる。雪克はゆっくりと立ち上がり、さくらへとにじり寄る。対する彼女は、一歩も引くことなく雪克の顔を見つめていた。

「返せ。それはおれのものだぞ」

「嫌だ。返せって言われてはい分かりました、って返すものかい。どうせ返したら返したで、あたしを斬って捨てるつもりなんだろう」

「女子は斬らないと言ったろ。おれは大刀を取り返したら、すぐにここを発つつもりだ。さくらに危害を加えるつもりは断じてない。約束する」

「どうだか。上手いこと言ってあたしを(たぶら)かそうったって、そうはいかないよ。いざとなったら、この大刀であんたを斬ってやったっていいんだよ」

 さくら、お前は――。雪克がそう言いかけたところで、突如として外の障子が勢いよく開いた。さくらと雪克は、同時に障子の方へと顔を向ける。そこには、所どころが汚れた薄茶色の衣に痩せた体躯をした髭面の男が二人と、力士のように巨大な大男が立っていた。

「いましたぜ、極龍丸(きょくりゅうまる)様。あすこにいる娘っ子が、噂に聞く雪女ですぜ」

「ほほう、こりゃあなかなか見目麗しい娘ですぜ、極龍丸様。女郎として売ったら、二十。いや四十両の金になりそうだ、いひひ」

 髭面の男らが、さくらの全身を舐めるように観察しながらぶつぶつと呟く。男たちの言葉を受け、極龍丸と呼ばれた大男は、にやりと口角を吊り上げた。

「なるほど。よし、決めた。この女は今から俺様の女だ、連れて行け」

 極龍丸の言葉に、さくらは一瞬身体を大きく震わせる。そんな彼女の様子に構うことなく、極龍丸は髭面の男たちに一言、やれと命じた。彼の言葉を受け、二人の痩せた男は素早くさくらへと駆け寄ると、あっという間に彼女の両腕を掴む。

「何すんだい、あんたら! 痛い、はなせっ!」

 さくらが苦しげに叫ぶ。両腕と足を必死に捻り抵抗する彼女を尻目に、髭面の男たちは両手の指先に力を込めて、強引に押さえ込む。互いに行きつ戻りつを繰り返す彼らの間に、雪克が割って入る。

 雪克が男たちの腕を自らの腕に絡め、力強く握ると同時に、髭面の男たちは間抜けな悲鳴を上げてさくらの腕を放した。いてえ、いてえ。そう喚く男たちを鋭く睨みながら、さくらの前に立った雪克は思い切り声を張り上げる。

「女子の家にいきなり押しかけ、勝手にも妻として連れ去ろうなど、無礼にも程があろう。何者だお前ら。ここへ何をしに来た」

 雪克の問いかけに、極龍丸は部屋中に響き渡るほどの野太い声で応じる。

「何だ若造。別にオメーに用はねえが、まあいい。俺様は極龍丸ってんだ。ここいらの里じゃあ、それなりに名の知れた男さ。俺様はな、欲しいと思ったものは何が何でも手に入れねえと気が済まねえんだ。勾引(かどわ)かし、放火、殺人。まあいろいろとやって来たさ」

 そこまで口にしたところで、極龍丸は雪克を見下ろした。おそらく六尺以上はあるだろう、巨大な体躯より生み出された影が、雪克の全身を覆う。

「まあ、そんなわけだ、若造。俺様は今回、待ちに待った嫁を貰うのさ。まあ何せこいつは今までに寝たどの女よりも上物だからな。毎晩ちゃんと可愛がってやるさ」

 極龍丸はそう言うと、眼前に立つ雪克の頬を右のこぶしで殴りつけた。その場に崩れ落ちる雪克を前に、さくらは小さく悲鳴を上げる。

「あんた、大丈夫かい、あんた!」

 目の前の青年の無事を確認する前に、さくらの装束の襟を大きな手が鷲掴みにする。彼女の小さな両手は、抵抗するよりも前に極龍丸の左手に素早く掴まれた。暴れようとする彼女の小さな身体は、大男の右手で容易に動きを封じられる。

「逃げたりするんじゃねえぞ。俺様、まあそこそこ気は短けえ方だからな。あんまし怒らせようとするなよ」

 極龍丸は、さくらの顔に息をふうっと吐きかける。腐った肉と、わずかに酒が混じった口臭が直接鼻にかかり、さくらは思わず顔を逸らした。

「俺様から目逸らしてんじゃねえよ、おらぁ!」

 声を荒げる極龍丸の顔色はみるみるうちに紅潮する。心の底から湧き上がる怒りのままに、彼はさくらの頬を目いっぱい平手打ちする。頭を小さく左右に揺らし、そのまま気を失った彼女の白い手から、大刀が力なく零れ落ちた。

 ああっ、四十両の金が。極龍丸様、何もそこまでなさらなくとも。髭面の男たちが狼狽(ろうばい)するのを尻目に、極龍丸は感情を抑えるかのように小さく呟く。

「まあ、俺様の女になろうとしねえからこうなるんだ。人間の血が混じった雪女の分際で、まったく。おら、女は手に入った。とっととずらかるぞ」

「極龍丸様。そこの侍と、立派な大刀はどういたしますか」

 髭面の男の一人の進言を受け、極龍丸は足元で倒れ伏している雪克を見下ろす。しばし考え込んだ後、彼は部屋いっぱいに声を響かせた。

「大刀は金になる、持って行け。こいつは、そうだな。身包(みぐる)み全部剥いで、雪ん中にでも捨てちまえ」

 分かりました。極龍丸の指示を受けた髭面の男が、雪克の側にある大刀へと近寄る。その足取りは軽く、どことなく余裕すらも見て取れるほどだ。しかし、大刀の前で屈みこんだ男がそれを手にするより前に、別の手が先にその柄を握った。

 男が驚く間もなく、その手は刀身を抜いていない大刀を思い切り男の顔面へ勢いよく持っていく。男は一瞬うめき声を上げた後、その場に倒れこみ意識を失った。一方、柄を握った手の主は、ゆっくりと地面に手をつけ、やがて床からその身を起こした。

「待てよ。さくらを、放せ」

 雪克はそう言って、大刀の先を床に押し付けながら両足を起こす。彼の視界に、髭面の男と極龍丸、そして捕らわれたさくらの姿が映る。目の前の彼女は両方の瞼を閉じたまま、意識を失っていた。

 せめて今は、おれを信じろ。さくら。雪克は心の内でそう呟くと、極龍丸たちの方へと駆けて行った。

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