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 祭りの準備から解放されたのは、夜も更けた頃合いだった。村の男衆と別れ屋敷の使用人部屋へ戻る前に、アレクシスはいつもの日課を果たすためバルドゥルと別れてそこへ向かった。

 それはシャルロッテが過ごす部屋の窓を眺めることだった。

 時間も時間なだけあって会えるとは思えなかったが、それでもそこへ立ち寄らずにはいられなかったのだ。誰にも咎められることなく堂々と近寄れる時間帯でもある。もっともこの時間に部屋の主に会えたことは当然ないのだが。

 それでも、構わなかった。夜のとばりが下りた窓の向こうを覗くでもなく眺めるだけで、そこで眠るシャルロッテのことを思うと、邪魔する鉄格子を全力ではぎ取りたくなる。もちろんできやしないのだけど。

「シャル……」

 彼女のことを思うだけで心が焦がれる。姿を見たい、声を聞きたい、その手に触れたい。けれどそれは容易には許されないことなのだ。苦しくてたまらないのにやめてしまうこともできない。怖いくらいに思いが一方的に膨れ上がっていき、そのままだとやがて汚い欲望に全て飲まれてしまいそうになる。

 それでも愛しいシャルロッテは、この向こうにいるのだ。どこへも連れて行かれていない。憂いをたたえた目を閉じて、夢の中にいる。その夢だけはどうか、彼女の苦しみを解いてくれますようにと祈りを捧げ俯いたアレクシスは、ふと暗がりの中に光を見た気がして目を細めた。

 青い花を咲かせる野草の隙間に、暗闇にまぎれることのない白がうっすらと浮かび上がっている。丸めた紙のようだと思うや否や、彼はそれを拾い上げていた。胸が高鳴る。

 そして予想通り、それはシャルロッテからのメッセージであった。どうしても耐えられなくなったら彼に助けを求めてほしいと、以前に約束していた通り。

『私を連れてここから逃げて』 

 繊細なその文字を見た途端、アレクシスは紙をポケットに突っ込み、そして使用人部屋へと走り出した。父のいる部屋には戻らず、別の部屋の扉を細かく叩くと返事も待たずに部屋へ押し入った。ちょうど寝ようとしていたバルドゥルが、目を丸くして突然の侵入者に絶句している。

「あ? どうした?」

「お前、協力するって言ったよな」

 扉を閉めたことを確認すると、アレクシスは固いベッドの上のバルドゥルにのしかかるように迫る。本来部屋は二人で使用するのだが、馬番は現在彼一人しかいないため、他の者に聞かれる心配はなかったが、念のため声も潜める。

「協力って……忍び込む気になったのか?」

「いや、逆だ。けど、お前しかいない。頼めるか?」

 有無を言わさぬ気迫に、状況がつかめないながらもバルドゥルは気圧されたようだ。真意を測るようにアレクシスを見つめていたが、疑問を挟むことなく頷いた。

「任せとけ。それで、いつやるんだ?」

「明日だ」

「急だな。まあいいけど……、あ、ちょっと待て」

 用は済んだとばかりに出て行こうとするアレクシスを、ベッドから起き上がったバルドゥルが止める。

「お前さあ、魔女って知ってるか?」

「え」

 明日のことを何か言われるのかと思ったらまるで想像もしていなかったことだったので、アレクシスは束の間ぽかんとしてしまった。

「えっと……昔ちょっと習った……かな。ごめん、あんまり覚えてないんだ。俺、学校は途中までしか行ってなくて」

「そっか……」

「確か、昔、世界を支配していた恐怖の象徴だったっけ?」

「……ほんとに全然覚えてないんだな。まあ間違ってはねえけど」

 バルドゥルが笑ったのはアレクシスの学歴の低さをあざ笑うものではなかった。一般的な認識なんてそんなもんだよなという苦笑に、アレクシスには見えた。

「昔って程、前じゃないんだぜ。たった三百年前。それに伝説でもない、事実だ。なんでそんなこと言いだすって顔してるな。俺、魔女教徒なんだ」

 それはバルドゥルなりの告白だったが、それが何を意味するのかなどアレクシスには分からなかった。屋敷の主はシャーマンであるが、使用人に信仰の制限をしているわけでもない。王家が定めた聖母信仰こそ興起から貴族を中心に浸透しているが、ヴァイスハイト全体がそうであるように、誰がどんな宗教に傾倒していようと構わないように民は精神の自由を保障されているのだ。

「へえ、そういうのもあるんだな。うちはいいかげんな聖母信仰で熱心とは言い難いけど」

「……引かないのか?」

「なんで?」

「王都の方じゃあ一応、危険視されてるんだぞ。あからさまに排除したりとかはしないけど」

「でもお前別に、危険じゃないだろ? 俺、分かんねえし、それに言うなら俺は今、……シャルロッテ教徒だし」

 アレクシスとしては真面目に答えたつもりだったのだが、笑われた。恥ずかしくなって反論しようとしたが、髪をぐしゃぐしゃにされるのが先だった。

「ったく、これだから田舎モンはよー。まあお前だけじゃねえけどな、その危機感のなさ。俺は嫌いじゃないぜ、俺はな」

「なんだよ、離せよ」

「がんばれよ、シャルロッテ教徒。お前にかかってるんだからな」

 あっさりとどかされた手は、アレクシスの柔らかい頬をつんとついた。まだ冗談のつもりかと思ったが、バルドゥルは真剣な顔で彼を見下ろしていた。その通りなので、唇を引き締めて頷いた。彼しか彼女を助けられる者はいないのだ。


 何やら騒がしいと思ったら、兄が騒いでいるようだった。

「まあ、お兄様。今度はどうなさったのかしら?」

「姫様、よそ見はいけませんぞ」

「あら、御免あそばせ」

 家庭教師に諭されて、ハイデマリーは文字の羅列に目を落とす。今の科目は外国語だが、さして難しくない。兄のユリウスが早々に投げ出したというのもなかなか信じられなかった。こんなに簡単なのに。

「お兄様も遊んでいないで一緒に学べばいいですのに。先生もそう思いませんこと?」

「これは酷なことをおっしゃる。さすがに妹君と一緒というのは、プライドが許さないでしょう」

「そのプライドというもの、わたくしよく分かりませんわ」

「姫様はまだお若いですからな」

 その若いという言葉が幼いにつながることは、いくらハイデマリーでも分かる。だが馬鹿にされたと憤慨するほどではない。その通りだからだ。自分はまだ若干十三。何も知らない子供だ。それなのに兄は、怒るのだ。

「やはり、よく分かりません。プライドというものはそんなに大事なのかしら?」

「王子殿下には大切なのでしょう。そうでなければあのような邪教に傾倒しますまい……おっと失礼、今のはお忘れくださいませ」

「お気になさらないで、皆言ってるわ。それにこの騒ぎもきっと、それに関係したことに違いありませんわ。お忍びでどこかへ出ようとして見つかって、捕まったというところじゃございませんの?」

「おお、なんというご慧眼。さすが姫様」

「あら、当たってしまったのかしら?」

 放せ放せと言う声が遠ざかっていく。どうやら兄のもくろみは完全に潰えてしまったようだった。

「お兄様ったら、もう少し落ち着いてくださらないかしら? そんなことだから継承権がわたくしにもあるなんて勘違いが起こるのですわ。わたくしには政治など向いていませんのに。ねえ、先生もそう思いませんこと?」

「ほ……私めにはなんとも、申し上げにくいことでございますな」

 ため息をつく姫君に、「発音ははっきりと」が口癖の教師も断言できずにもごもごと口ごもってしまった。


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