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(どうしたのかしら……)

 夜になってもだるさは消えなかった。それどころか益々ひどくなっていく。どこがどうとは言えないのだが、全身にひどい倦怠感がまとわりついていた。まさかメイドに言われたことを気にしているわけでもないのに。

 否、それは嘘だ。彼女の悪意ある一言は、深く心に突き刺さっていた。ただだるさを感じ始めたのがそれより前なので、直接の原因だとは思えないというだけである。

 彼女が言ったことは正しい。自分でも、分かっていたことだ。けれどだからといって、無力な自分に何が出来よう。どれだけ進言しても、何もやらせてはもらえないのだ。その理由すら聞かせてもらえない。何が目的で飼い殺しにされているかも分からない。ただ血族だから、というには度を過ぎている。

「シャルロッテ様、今日はもうお休みになられた方が」

「いいえ、約束だもの。それにあの子にだって、それほど自由が許されているわけじゃあないわ」

「シャルお姉さま!」

 その約束相手であるローザリンデが、ノックもなしに扉を開けて飛び込んできた。いつものように飛びつこうとして、シャルロッテの様子が違うことに気づいた。

「まあ、お姉さま。どうなさったの? お加減が悪そうだわ」

「そんなことないわ。それよりあなたこそ、マクダはどうしたの?」

 いつも半泣きで従妹を追いかけている侍女の姿がなかった。とはいえマクダは護衛ではないので、屋敷内を移動する都度ついて回る必要はないのだが。ローザリンデはぺろりと舌を出して言う。

「小言がうるさいから置いてきちゃった。それにお姉さまとは内緒話がしたいの。ね?」

「私のことはお気になさらず」

 ローザリンデの意はレギーナにはくみ取られなかった。否、彼女は分かっているはずだった。それほど鈍くはない。その証拠に配慮して、扉の側まで下がっている。それでもローザリンデは不満そうだった。

「内緒話って何かしら? お茶飲む?」

「ううん。あのね……」

 ローザリンデはお茶どころではなさそうだった。もじもじして、シャルロッテの座るテーブルの正面に浮ついた様子で腰を下ろす。何かと脱走することもあるようだが、家督を継ぐための厳しい修行に日々縛られているため、こうして夜とはいえ会う時間を作ることもままならないのだ。彼女一人だけ、食事の時間をずらされることもある。

 それに何よりシャルロッテ自身が誰かと会ったりすることが容易でないから、先延べになどしたくなかったのだ。もちろん護衛付きで屋敷内を動き回ることだってできるけれど、あまり人目に付きたくないという気持ちが年々強くなっていくため、それもできればしたくない。何せ、役立たずの穀潰しなのだ。

 分かっているから服だって地味なものを選んで、なるべく目立たないようにしているのに。だが一方で、なんで私がこんなことしなくちゃならないの、という不満だって、抱かなくはないのだ。

 おまけに今は、ひどくだるい。ローザリンデは、否定したせいか全く気にしていないようだが。それより自分のことで精いっぱいのようだ。

「あのね、わたし……アレクシスのことが好きなんですの」

 頬をバラ色に染めて、ローザリンデは囁いた。なんとなくそうではないかと思っていたシャルロッテは驚かなかったが、次に告げられた言葉で一瞬固まってしまった。

「それでね、お姉さまにも協力していただきたいの」

「……私が?」

「だって、わたし一人じゃあどうしていいか分からないんですもの」

 仲良しなんだから容易だろうと言われたのかと思い、もしや二人で会っていることが知られてしまったのかとひやりとしたシャルロッテだったが、どうやらそれは杞憂に終わったようだ。

 確かにローザリンデにとってこれは初恋で、しかも相手は使用人で、どうしていいかなど分からないだろう。しかしシャルロッテに、何ができるのだろう。何ができると思っているのだろう。従妹には、目線をちょっと動かせば見えるはずの鉄格子が目に入らないのだろうか。シャルロッテがどういう扱いを受けているのか、知らないのだろうか。目の前にいるのは、初歩的な勉強しかさせてもらえず、あとはずっと本を読んで、飽きるほど読み返しているだけの女なのに。

 果たしてこれは、本当に「大切にされている」状態なのだろうか? 大仰な護衛をつけられて、外を出歩くことすら困難を極めているというのは。

 このまま歳を重ねていくのだろうか。それで彼女は本当に、「生きた」と言えるのだろうか?

「お願い、お姉さましかいないの。マクダもお父様も絶対駄目って言うに決まってるし、でもわたし、好きなの」

「分かったわ。だから泣かないで」

 はらはらと涙をこぼし始めた従妹を、シャルロッテは優しく慰める。泣きたいのはこっちだし、好きなのも同じ。おまけに相手まで。それでも求められた協力を拒むことはできなかった。例え何もできないとしても。

 だが、あるいはローザリンデなら、アレクシスと一緒になることもできるかもしれない。将来シャーマンとなることを約束されている身であり、あの厳格なテオバルトが許すとは思えないがそれでも彼女には、シャルロッテにはない行動の自由があるのだ。

 分かっている。例えどれほどアレクシスを思い、思われていたとしても、彼と一緒にはなれないことを。ここにはシャルロッテの自由になるものは、何一つないのだ。

「ま、まあ、お姉さままで泣かないでください」

「ふふ、もらい泣きしちゃったわ。あなたがあまりにも健気だから」

 シャルロッテの涙を拭おうと伸ばしてきたローザリンデの手を押し返して、彼女は自分で涙を拭った。本当はもっと声を上げて泣いてしまいたいのを、彼女はこらえていた。涙だって、まだ出足りない。だが我慢しなくてはいけない。シャルロッテ以上に何も知らない無垢な従妹の前で、醜態をさらすわけにはいかなかった。

 その時、部屋の扉がノックされた。応対したレギーナによって中に通されたのは、屋敷の主人たるテオバルトだった。堂々たる体躯に立派な髭のその姿はまるで武人のようだが、間違いなく現役のシャーマンである。

「まあ、お父様?」

「おやおや、淑女たちが内緒話かな? ……二人とも、どうしたんだ、その顔は」

「なんでもありませんわ。それではおやすみなさい、シャルお姉さま、お父様」

 ローザリンデは自分を追いかけて父親がここまでやってきたと思ったのだろう、淑女の礼もそこそこに、足早に部屋を出て行った。

「……本当に、なんでもないのか?」

「はい。ちょっと笑いすぎて涙が出てきたんです。ねえ、レギーナ?」

 適当に合せてくれればいいのに、女騎士は厳しい顔で主人に目礼しただけだった。テオバルトは何か言いたそうにしていたが、それでも自分の用を優先させたようだ。

「シャルロッテよ、不自由はないか?」

「……はい」

 不自由しているに決まっているが、そう答える以外にシャルロッテに選択権はない。彼女はどこへも行けない。ただ心だけは自由だ。誰かを思うことまでもを、禁止されているわけではないのだから。

「なぜドレスを返してしまったのだ。気に入らなかったか?」

「いえ、私には過ぎたものですから」

「今度こそ、似合うと思ったのだがな。……明日はお前の誕生日、お前もようやく、二十歳だ」

 叔父が感慨深げに言うのを聞きながら、そういえばそうだったと思い出す。特に祝われることもないから忘れてしまう。それにいつもこの時期はこうして体調を崩していたように思う。そして特に今年はひどいように思う。とはいえ年齢はさほど重要ではない。

 いくつになろうと籠の鳥である状況は変わらないのだ。

 しかし見れば、常に無表情のレギーナまでもが何かの想いを抱えるような表情をしていた。なぜ彼女までそんな顔をするのだろう。だが任務を解かれるわけではないのは、テオバルトの次の言葉を待つまでもなかった。

「これからもこの生活は、かわいそうだが続けなければならない。お前が苦しむことのないように、我々も力を絞っているが……いかんせん、足りぬのだ。ローザリンデがもう少し力をつければあるいは……いや、こんな話をしても仕方ないな。シャルロッテよ」

 テオバルトはシャルロッテの前で膝をつくと、力強く告げた。

「お前がこの生活を強いられる理由を、長く話さずにいてすまなかった。だが明日、祭りが終わったら必ず、話をしよう。二十歳になったとて、受け止めきれる話ではないかもしれぬが」

「理由……が? あるのですか?」

「うむ」

「では今すぐお話しください。明日でも今日でも同じではありませんか」

「それはならぬ。今のお前はまだ十九の子供だからな。明日、必ず」

 叔父にすがりついて懇願したかったが、だるさが最高潮に達していてそれだけ言うのが精いっぱいだった。しかもテオバルトに比べるとなんと細い声であったことか。そんな状態で叔父の決定を覆すことなどできようはずもない。

「それからな、シャルロッテ」

 立ち上がって部屋を出て行こうとしていたテオバルトは、思い出したように彼女を振り返った。

「アレクシスとは別れなさい。彼は父親共々、いい庭師だ。馘首にはしたくない」

 シャルロッテは何も言えなかった。凍りついたまま、座った椅子から立つことすらもできなかった。

 なぜテオバルトがそれを知っているのか。二人が思い合っていることは、彼らだけの秘密のはずだ。アレクシスが誰かに関係を仄めかしたのか。それとも。

 シャルロッテの視線を受け、レギーナは首を横に振った。

「私は何も言っておりません」

 つまり彼女も知っていたということだ。当然だろう、いくら目を盗んでとはいえ、完全にレギーナの監視から逃れきることは難しいのだ。ならば他にも気づいていた人がいて、その人が主人に告げたのか。しかしそれで、何の得があろうか? 彼らは忍んで会っていただけで、恋に狂って倫理を外れたわけでもないのに。

 否、外れていたのだろうか。幽閉状態とはいえ、そして養女であるとはいえ、シャルロッテは雇用主側、そしてアレクシスは使用人。その一線を、心ばかりとはいえ越えていたから。

「レギーナ。あなたも、別れるべきって、そう思ってる?」

 もはや涙すら出てこない。一緒になれる未来がないことが分かっていることと、それをあえて突きつけられる現実は、別物だ。無力感に打ちのめされてぐったりと椅子に身を沈めているだけで、もはや彼女は精一杯だった。

「私は……。何も、申せません」

 レギーナは一瞬、何か言おうとしたに違いない。だが立場を弁えて、言葉を飲み込んでしまった。そんな弁えなどいらないのに、こうなったらもう彼女は何を問うても答えないに違いない。

「もう嫌!」

 体は疲れ切っているのに、心は爆発寸前だった。その勢いで叫んでみたが、レギーナはただ静かに彼女を見ているだけだった。そんな護衛の姿にシャルロッテは罵詈雑言をぶつけたい衝動にかられたが、やめておいた。ひそかに決意したことがあり、それを実行するには暴れるのは得策ではないからだ。

「……寝るわ」

「は。ではお支度を」

 腰の剣を鳴らして、レギーナが近づいてくる。武骨な手が羽毛を扱うように優しくなる貴重な時間でもある。シャルロッテに触れることにそこまで慎重を課す意味が分からないが、それが明日、判明すると言う。

 だがもう、彼女にはそんなことは、どうでもよかった。

「お休みなさいませ」

「ええ、お休み、レギーナ」

 明りと共に護衛の女騎士が下がり、ようやくシャルロッテは一人になることができる。一度ベッドに横たえた体を起こすのは普段以上に難儀だったが、くじけるわけにはいかなかった。寝間着のまま裸足で棚に駆け寄り、インクと羽ペンと紙を一枚取り出す。こんな作業すら「怪我をしてはいけないから」と、いつもレギーナの仕事とされていた。紙やペンやらにどれほどの殺傷力があるか、分からないシャルロッテではないのに。

 取り出した道具を、彼女は窓辺のテーブルに並べた。そして月明かりを頼りに短い文章をしたためる。よほどのことがなければしないと決めていたことだったのに、よもや使う羽目になるなど提案された時は思いもしなかった。何故ならその頃はまだ彼女は彼のことをそこまで好きにはなっていなかったから。

 はしたない真似だと言う自覚もあった。

 だがもう今は、そんな段階ではないのだ。

 そっと音をたてないように窓を開けると、シャルロッテは丸めた紙を鉄格子の間から落とした。庭は綺麗に芝が整備されているが、窓のすぐ下には青い花をつける野草が咲いているため、そこだけ見逃されているのだ。紙はその間に転がり落ちた。アレクシスに気づいてもらえるといいのだが。

「お願い……」

 村では祭りの準備が進められているのだろう。少し遠いが丘の上にあるこの屋敷にまでささやかなざわめきが聞こえてくる。明日はもっと陽気で大きな声になるだろう。彼女のか細い声などかき消されてしまうほどの喧騒に。

 シャルロッテは祈りを込めて囁いた。もう他にできることはなかった。


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