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 王政府により魔女征伐の知らせが発布されて、幾日か経った日のことだった。シャルロッテは王宮に匿われていた。髪をバッサリ切って行動制限もなくなり雰囲気も変わっていたが、彼女が魔女として暴れ回っていたことを忘れるにはまだ時が去るのを待たねばならない。

 それに何より、彼女はニコラウス王のご落胤である。大々的に発表こそしなかったものの、ひそやかな噂話となってそれは瞬く間に宮廷内に広まった。誰もが彼女を見てひそひそするのが難点だが、魔女だと言われるよりは楽だった。

 魔女は多くの兵士を死に追いやっている。数多の家屋を壊し、人々の営みを蹂躙し、山や畑を焼き尽くし、一国以上を壊滅させ、歴史的建造物までも粉砕した。中には魔女自身によるものではなく眷属や魔物の仕業による被害もあったが、される方にはその違いはないに等しい。よしんばシャルロッテではなくクラウディアが行ったことだと言い張ったとしても、使われていたその体は紛れもなくシャルロッテのものなのだ。納得などしてもらえるはずもない。

 きれいなドレスを用意され、豪華な部屋まで与えられ、贅沢な食事が一日三回もできる。ハイデマリーに言わせるとこれでもまだ宮廷内の贅沢禁止令は解かれていないのだと言うことだが、ズィーケル家にいた時よりもよほど羽振りのいい暮らしをさせられていることは事実だった。あの家だって、貧乏とはかけ離れていたのに。

 明るい部屋は居心地が良いが、いつだって出て行けるように扉の開閉は自由になっている。その傍にドルフ村にいた時のようにレギーナが仕えているのは、侍女がつくのを断ったからだ。貴人としてはありえないだろうが、特例ということで許されている。それもひそひそされる要因の一つかもしれないが。

 部屋の明るさとは裏腹に、シャルロッテの心は暗く沈んでいた。暗雲垂れこめていた空には今や目に染みるような青が広がり、太陽もさんさんと降り注いでいる。人々は希望を取り戻し、復興への意欲を高めているというのに。

 だがシャルロッテは、顔を上げて自由な日々を謳歌することができない。彼女の心には人々の悲鳴や苦悶の表情が張り付いている。燃え盛る家屋や逃げ惑う人々の姿に苛まれ、うなされずに済む夜はない。魔女を通して彼女が目撃したことが、まるで彼女自身が犯した罪であるかのように、自責の念にかられるのだった。

「シャルロッテ様。今日はいい天気ですから、庭園を歩かれてはいかがでしょう。一見の価値はありますよ」

「そうね……」

 レギーナに勧められても気が乗らない。アレクシスと引き離されていることも、彼女を俯かせる原因の一つだった。彼はドルフ村に戻っているということだが、当然身分の差もあって容易に会うことは、前以上に阻まれていた。

 そういったこともあって、シャルロッテは部屋で過ごすことが多かった。それでも以前と違うのは、頻繁に誰かしらが訪ねてくるということだった。

 最初に訪れたのは多忙を極めているはずの国王ニコラウスその人だった。彼には謁見の間で引き合わされた時にも会っていたが、その時は交わした言葉は少なく、どちらもどう接していいかわからないという手探り状態だったのだ。

「急なことで済まぬ。何か不自由してはおらぬか? 何分、城下は騒がしくてな」

 その騒がしさは復興への意欲だけでなく秘されてきた王子の件なども露見してのことだった。今はまだ皆自分の生活で精いっぱいだが、その心配のない王都の民は盛んに不満と糾弾を王政府にぶつけているらしい。ただでさえ忙しいのにそれらへの対応にも追われて、官僚という官僚が城中を走り回っていた。当然王とてその例外ではない。

「いいえ、過分なご配慮、ありがとうごさいます」

「うむ……いや、こういうのはよそう。突然父と言っても実感はわかぬだろうが、楽にするといい」

 そう言われてもできるはずもない。何せ相手は貫録たっぷりの国王なのだ。かしこまらずにいろという方が無茶だった。ニコラウスの方も、ようやく会えたとはいえずっと秘密にしてきた隠し子にどう相対したらいいのか分からぬというのがありありと見て取れた。

「父は死んだと、母から聞かされていましたから、正直どうしていいのか。それに母のこともあまりよく覚えていなくて」

「そうか。そうだろうな。危篤にも間に合わず葬儀にも参列できなかったのが今でも悔やまれる……。何か聞きたいことはないか? なんでも聞きなさい」

「母とはどうやって知り合ったのですか?」

 シャルロッテの質問に、王は少し恥ずかしそうに語りだした。

「彼女とは、まだ王子だった頃に忍んで城外へ出た時に知り合った。互いに運命の出会いだと思ったよ。私は周囲の反対を押し切ってでも彼女と結婚するつもりだった。だが彼女は姿を消した……ズィーケル家のテオバルトから手紙をもらうまで、子供が生まれていたことも知らなかった。だがその手紙が届いたのは、ユリウスの母である女性との婚礼を済ませた後だったのだ。許してくれ」

「謝らないでくださいまし。私は叔父様のお屋敷で、何不自由なく過ごしてこられたのですから」

 その一部は嘘であるが、その環境の中で彼女という人格が形作られたことは確かだった。父が不在であることを悲しむ前に母が亡くなってしまったから、父性への憧れすらもない。ここへきて父親としての役目を果たそうとするニコラウスの必死さは理解するしありがたいとも思うが、受け止めきれずに困惑するしかなかった。

「他に聞きたいことはないか? 欲しいものがあればなんでも取り寄せるぞ」

「……贅沢禁止令は解かれていないと聞きましたけど?」

「何、特別じゃ。なんでも申してみよ」

 シャルロッテが欲しいものは一つだけだ。だがそれは、ここにいては絶対に叶わないことは分かっていた。だから彼女は、別のことを口にした。

「シュテルケやケントニスは、どうなったのでしょう」

「む……、うむ。どちらも王家が壊滅的打撃を受けたからな。我が国も支援をしているが、復興の兆しはまだ見えておらん。だがお前が気にすることはないのだよ、シャルロッテ。悪いのは全部、魔女なのだからな」

「はい」

 頷いたものの、納得などしているわけがなかった。しかし暗い顔をして困らせたくないとの一心で、彼女は無理に笑顔を浮かべてみせた。

 次に訪れたのは、王子であるユリウスだった。本当は真っ先に来たかったようだが、戻ってきてからはそれまで逃げていた勉強を必死でしているらしく、おいそれと時間は作れないようだった。

「姉上、その節は申し訳ありませんでした」

「ユリウス様、あなたが謝ることはありません。お顔をお上げください」

「いえ、いけません。どうぞ呼び捨てになさってください」

 ユリウスはそう厳しく言うが、本当は王子殿下と言いたいのを堪えているのだ。年下とは言っても雲上人。それはハイデマリーにも言えることだったが、二人はそろって姉扱いして呼び捨てを強要してくるから困っていた。

「魔女は僕を外へは出しませんでしたが、彼女がしていることを黙認していた僕も同罪なのでしょう……それから、その」

 同じような心境を抱えていることに共感を覚えたシャルロッテだったが、真っ赤になって続けた言葉に悪いとは思ったが思わず吹き出してしまい、越えがたかった壁はそこであっさりと瓦解した。

「キ、キスを、しようとして、申し訳ありませんでした……! 姉上だとは知らなかったものですから、えっとその、なんていうか……えっ、なんで笑うんですか、おかしいですか?」

「ごめんなさい、違うの。ユリウス様は結局できなかったけれど、魔女はあなたにキスしてるんですもの」

「え、ええ!?」

「大丈夫ですわ、姉が弟にするように、こうして額に……」

 シャルロッテとしては本当にするつもりはなかった。だが振りだけでもうユリウスは耳まで赤くしている。魔女に傾倒するだけしておいて、どうやらそちら方面は全く未発達であるらしい。

 そうして彼女が彼に近寄った段階で元気よく部屋に飛び込んできたのが、王女ハイデマリーであった。

「お姉様、乗馬をしに行きませんこと? あら? ……お兄様? 何をしてらっしゃるの?」

「ぼ、僕は何もしてないっ!」

 ハイデマリーの大きな目が半眼になって、涙目で反論する兄をじっとりと睨んだ。視線を外さないままに彼女はシャルロッテの方へすすすとにじり寄っていく。扉の前ではレギーナが笑いをこらえた顔をしていたが、女騎士は何も言わない。

「お姉様、お気を付けになった方がよろしいですわ。わたくし、お兄様からお姉様に対する感情に、怪しいものを感じますの」

「なんてこと言うんだ、ハイデマリー! 姉上、誤解ですからね!」

「そうやってお姉様を独り占めしようとしても駄目ですわ! さあお姉様行きましょう! 今日はいい天気ですのよ」

「待て、お前こそ姉上を独り占めするんじゃない!」

「まあ、お兄様には後継者としての大事なお勉強がありますでしょうに、ついてこないでくださいませ!」

 実はハイデマリーはこの部屋に入ってくることこそ初めてだが、部屋を出たところではしょっちゅう会っていて、あちこち引っ張り回されているのだった。探り探り近づいて来ようとするユリウスは父王によく似ていたが、初めから懐いているハイデマリーは果たして誰に似ているのか。シャルロッテは彼女の母という王妃には一切会ったことがない。食事も別であり、どうやら嫌われている様子だった。

 ぽっと出の田舎娘が王の血筋と言われてもにわかには受け入れられないのだろう。そのように思っているのは彼女だけではなく、聞こえよがしに囁かれたりもするのだ。囁くだけならまだしも、取り入ってこようとする野心に満ちた輩までうろついていて、隙あらば彼女とかかわりを持とうと執拗につけまわす。王女という肩書がついているだけで、宮廷内では一切の影響力を持っていないと説明しても懲りない連中だ。部屋の外になるべくなら出たくない理由は、そこにもあった。

 権力争いなどしたことも見たこともないシャルロッテにとって、全くの未知なる領域だ。その意味ではここは魔女の居住地クーデルベルグと大差なかった。人類共通の敵がいなくなり脅威が去った途端、人は人同士で争いだすのだということを、身を持って知った。知りたくもなかった。ユリウスもハイデマリーも、よくぞこんな魔窟で育って屈託ない顔をしているものだと感心する。王子の魔女教傾倒は屈託あってのことかもしれないが。

 とはいえ王子王女以外にも、血縁者は訪れた。叔父のテオバルトと従妹のローザリンデだった。

「ご機嫌麗しゅうシャルロッテ王女殿下。……すごいですわねお姉様、お姫様になられたんですの?」

 瘴気の影響も失せ元気になったローザリンデは無邪気にはしゃいでいたが、叔父の方は顔色が優れなかった。

「いろいろ、悪かった。つらかったろう」

「いいえ、叔父様。何もかも、仕方なかったのですわ」

 魔女の封印体として屋敷に閉じ込めるのも、アレクシスを死地へ追いやったのも必要に駆られてのことだ。非情な判断だったとはいえ、彼がそれを何も感じず提案し実行したとは思えないのだ。

「言えた義理ではないが、こうして王女の身分に治まったことで少し、報われたような気がするよ」

 身分が上がり生活レベルも向上したのだから当然というところなのだろうが、残念ながらシャルロッテはそれには賛同しかねた。普通の人なら喉から手が出るほど羨ましい環境であることは分かっていても、その代償が大きすぎるのだ。幾人もの命と引き換えに、豪奢なこの椅子に座っているような気分になる。座り心地がいいはずもない。

「村の様子はいかがです?」

「皆で力を合わせて復興に取り組んでいるよ。うちも何人かいなくなってしまったため使用人を補充したいのだが、村の者はそれぞれ忙しくてな」

 テオバルトは「死んだ」とは言わなかったが、死者が出ていることは明らかだった。シャルロッテに気を使っているのだ。だが分かっていても彼女は気に病んでしまうから、どうせなら言ってくれた方がいいとすら思っている。

「アレクシスは……」

「元気だし、真面目にやっている。まだうちの庭師だ。処刑を取り消されて安堵したのだろう、そろそろ薔薇園を任せると、彼の父が言っていた」

 つまりは彼の夢が叶ったのだ。喜ばしいことのはずなのに素直に言葉を受け取れないのは、傍でその姿を眺めていられないからに他ならない。さらに帰り際に従妹がこんなことを囁くから。

「シャルお姉様、お父様はああ言ったけれど、アレクシスは全然元気がないみたいなのですわ。薔薇園を任されるのに嬉しくないみたいですの。どうしたのかしら?」

 ローザリンデの言葉はシャルロッテを打ち据えた。と同時に、彼女はまだアレクシスのことを好きでいるのだろうかとも考えた。だがどれだけ他の女が彼を想おうと、それはシャルロッテの心に暗雲をもたらしたりしなかった。彼に想われているのは自分だからとうぬぼれていたわけではない。それよりも彼に会いたくて、会えないことが悲しくてつらいとばかり思っていたからだ。

(最低ね、私。自分のことばかり)

 人々はつらい復興の日々を生き抜こうとしているのに、彼女の心は遠くドルフ村へと飛んでいた。もう飽きて、忘れられてしまったかもしれない。好きじゃなくなったかもしれない。それでも構わなかった。それすら構わなかった。

 ズィーケル家のお屋敷の窓には鉄格子がはめられていたけれど、外を見れば彼の姿を見ることができた。けれど高い位置にある王宮の窓からは、蒼穹と田園風景が広がるばかりだ。そこにアレクシスはいない。大衆の目から隠され身分をもらい生活と自由を保障されても、少しも幸せなんかじゃない。

 窓際で項垂れていると、扉の方でレギーナが訪問者を追い返す声が聞こえた。

「またですか、女官長殿。いえ、お話は分かりますが今は、王女殿下はご気分がすぐれませんので、日を改めください。……分かりました、お伝えしますから」

「どうかしたの?」

 扉を閉めたレギーナが、やれやれというように肩をすくめながら近づいてくる。彼女はズィーケル家で護衛をしていた時より、表情豊かになり口数も増えたようだ。あの頃はシャルロッテを守ることに過敏になっていたということもあるだろうが、宮廷に不慣れな彼女に寄り添ってくれているようにも感じた。

「女官長がシャルロッテ様に教養を施したいそうです。王家にふさわしい振る舞いをと」

「……私、そんなに不作法だったかしら」

「足りないのでしょう、彼女からすると」

「それで教養を受けて……私、どの方に嫁がされるのかしら」

 レギーナの笑顔がこわばったが、シャルロッテは吐き出した言葉を撤回しなかった。

「仕方ないことなのは分かっているわ。だってハイデマリーだってそうなんだもの。それがこの煌びやかな生活の代償。でもね、レギーナ。私は……!」

 その先は続けられなかった。レギーナの指先がシャルロッテの唇の前に立てられていたからだ。彼女は分かっているというように、優しげな笑みを浮かべて微笑んだ。たまらずシャルロッテは、彼女に抱き着いた。

「この先の道は、つらいですよ。シャルロッテ様には茨の道も同然だ」

「茨なら、慣れているわ」

「そうですね、彼も慣れる頃でしょう」

 含み笑いをしたレギーナは、涙が滲みだしているシャルロッテの目じりを拭った。女だてらに武骨な勇者の手を持つ彼女のそれは、どこまでも優しかった。その優しさは最初から、持ち合わせていたものだ。シャルロッテが気づかなかっただけで。

「忘れないでください。あなたの幸せを誰より願ってきたのは、私だということを」

「ありがとう、レギーナ」

 シャルロッテは今一度、レギーナの抱擁に身をゆだねた。女騎士の背に回された彼女の手には、華やかなドレスには不似合いの銀のバングルが光っていた。


 そしてシャルロッテは、拭い去ったかのように王宮から姿を消した。


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