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 計画は入念に練り上げ、決行の準備は整った。後はタイミングだけだが、なかなかその時を迎えることができない。ハイデマリーは焦れながらも、悟られないように注意しながら辛抱強く待ち続けた。

「王女殿下、遠乗りは今日もまだ無理ですぞ」

 厩舎に訪れたハイデマリーは、馬番にそう言われて肩をすくめた。もう何度も聞いた言葉だ。

「分かっておりますわ。でもフロレンツィアの様子を見ておきたいんですの」

「運動場は生憎、兵士らが習練で使っておりますゆえ」

「気になさらないで」

 いつも乗馬服で現れる王女を馬番は、申し訳なさそうに中へと迎え入れた。厩特有の匂いが、いつも高価な香をたかれた部屋にいる彼女を包むのが、馬番には心底辛そうだった。侍女もこれが嫌でついてこない。だが馬に慣れているハイデマリーにとっては、それほど大したことではない。まっすぐ彼女の馬であるフロレンツィアのところへ向かう。

 彼女の白馬は既にきれいに毛並みを整えられていたが、自分の手でしたいからと無理を言ってブラシを使わせてもらい、慣れた手つきで改めて毛を整える。フロレンツィアはおとなしくされるがままになっていた。

 魔女出現による王政府発令の非常事態宣言はまだ取り下げられていない。ハイデマリーも同席した会議で話題に上がった銀の杖を使った作戦が実行されたというが、どうやら失敗に終わったらしい。今日も空は雨も降らさないのに曇天模様をさらしたまま、日光の必要な植物を枯らし腐らせ、人類を食糧危機の一途へと追いやっていた。

「魔物の数が急激に減っているらしいな」

「とはいえ、こちらもだいぶ数を減らされているからな……」

 不意に兵士の声が聞こえてきて、思わずハイデマリーは耳をそばだてた。どうやら彼らは彼女の存在に気づいていない様子だった。そのまま気づかれないようにと、ハイデマリーは息を殺す。馬も意を汲んで、彼女の手が止まっても静かにしていた。

「なんで減ったんだろうな」

「さあ。魔女が魔物を生み出すのに飽きたとか?」

「飽きるのか? 災厄の魔女だぞ。世界を破壊するのが目的の」

「その破壊も、最近じゃあ見ないって話じゃないか。専ら眷属や魔物が現れるばっかりで、魔女本人は現れていないらしいぞ」

「力をためているのか?」

「ためる必要があるか? 銀の杖作戦が失敗したって聞いて、てっきり怒り狂った魔女に殲滅させられるとすら思ってたんだぜ」

「急に来るのはやめてほしいよなあ」

「予告なんかしてくれるかよ。それに魔物が新たに増えなくたって、俺たちだって一進一退なんだ。いつまでもこんなこと、続けてられないぜ」

「士気ももたないしな。なあ……魔物や眷属は俺たちの武器で倒せるけど、魔女ってどうやって倒すんだ? 失敗した銀の杖って、魔封じの秘宝なんだろ?」

「……さあな。上が考えてるんだろう。俺たちは命令に従うだけだ」

 疲労感を滲ませて、兵士らは去って行った。彼らは王子については言及していなかった。末端の兵士にまではまだ秘されているだけで、奪還への士気が上がらないため話題にも上らなかったとは思いたくない。政府官僚からの支持はなくとも兵士や騎士からの人望はあったはずなのだ。残されたハイデマリーは未だ続く絶望的な世界を前に、けれど決して絶望だけは抱かないように自らを戒めながら、フロレンツィアの毛並みに頬を摺り寄せた。

「大丈夫ですわ。手はあります……きっと、まだ」

 白馬が心配そうにいなないた。その控えめな主張は、王女の中の微かな不安を感じ取ったかのようだった。

「その時は、頼りにしていますわよ。フロレンツィア」

 愛馬に告げて、ハイデマリーは厩舎から去る。『その時』が永遠に来なければいいと、彼女は願っていた。何もせずに終わってしまうのが一番いい。だが、そうはならない気がしていた。だからこそ秘密裏に準備を進めていたのだ。

 宮廷に戻ると、侍女が慌てて近寄ってきた。部屋へは戻らない彼女の後を、裾の長いドレスで必死に追いかけてくる。

「王女様、どちらへ?」

「お兄様のお部屋に行くわ」

「まあ……またですか? よろしいんですか、いくらご病気で伏せっておられるとはいえ。でもその前に、お着替えと、湯あみをされた方が……」

「いやですわね、そんなににおいませんわよ」

「そういうつもりでは……あの、でも王妃様が、あまり出歩かれない方がよろしいとおっしゃって……」

 その王妃たる母は、もうずっと部屋にこもったままだ。侍女が言った通りに城内では一応ユリウスは、病気で姿を見せていないことになっていた。腹違いの息子をもとよりかわいがったことのない母がその理由で引きこもっているのではないことは、娘の彼女が良く知っている。耳を塞いで嵐が去るのを待っているのだ。何もせず。

 侍女は何かごにょごにょと言い訳をしながらも、一定の距離を開けてついてくる。厩舎の後で兄の居室に寄るのが、最近の彼女の日課となっていた。主不在ながらも男性の部屋ということもあって、侍女はそこへも一緒には入ってこないのだ。王家の人間に使える侍従ともなれば貴族クラスの娘が普通であり、おいそれと淑女のそれから離れた行動はできない。秘密を抱えているハイデマリーが一人の時間を得るためには、実に都合がよかった。

 兄の部屋と言っても、彼はほとんどここにいたことがないとハイデマリーは記憶していた。勉強が嫌いで逃げてばかり、厩舎や運動場にいることの方が多かっただろう。それでも蔵書が多く残っているのは意外に読書家だったわけでもなく、魔女教にのめり込んでいたがゆえのことであった。魔女関係の本をユリウスは、権威に任せて収集していた。そのせいかただの本にも関わらず、部屋中に嫌な気配が満ちているように感じてしまう。侍女どころか誰もが率先しては近づきたがらない。家庭教師も理由をつけて遅れていたと聞いた。その遅れを利用して兄は逃亡を図っていたようだが、そのために集めているわけでないのは明白だった。

(お兄様はやはり、ご自分の意思で魔女に攫われたのではないかしら……)

 黒い背表紙の禍々しい本たちを見ていると、そんな邪推すらしてしまいたくなる。その中の一つ、まだ開いたことのないものを取り出して、ページをめくる。彼女がここに来るのは、敵たる魔女のことを少しでも多く知るためであった。魔女賛美の書物の中に弱点が記されているわけがないことは承知であるが、敵のことを一つでも多く知らなければなるまいと、ハイデマリーは強く思うのだ。

 それと同時に、兄のことも理解したかった。跡継ぎと目される彼がどうしてこれほどまでに邪教に傾倒したのか。それを知らねばたとえ魔女のもとから救出したとしても、また出奔してしまう気がしたのだ。

 文字を追うことは、王女にとって苦ではない。だがどれほど読み込んでも、日当たりのいい場所が好きなハイデマリーには、薄暗さを好む兄にも魔女にも近づけない。読めば読むほど混乱していくばかりだ。この部屋が重いカーテンを敷かれたまま明りをつけられないでいるのも、それに一役買っているのかもしれない。本当は開け放ってしまいたいが、あまり大々的にここに誰かいることを知らせる気は彼女にはなかった。

 だから隣の続き部屋で誰かがこそこそ話しているのが聞こえた時、王女は改めて息を潜めた。本日二回目の盗み聞きだが、はしたなさは思い出しても自分の意思で忘却する。

 会話の中心にいたのが、左大臣のタオベ卿だったからだ。彼も取り巻きも、隣の部屋で誰かが聞いているとは思ってもいない様子だ。

「ご覧になりましたか、ファルケ卿のお顔。げっそりとおやつれになって、おかわいそうなことだ」

「仕方あるまい。作戦が失敗した上、希望の王子殿下が魔女に攫われてしまったのだからな」

「我々にとっては幸運なことです。魔女に感謝せねば」

「これこれ、我々が魔女を目覚めさせたみたいな言い方はやめないか。純然たる偶然なのだから」

 ハイデマリーは笑い声さえ含むその会話を聞きながら呆れていた。人類の危機だと言うのに彼らは、自分たちの利益のことしか考えていない。タオベ卿が王女を次期後継者に掲げる一派だということは、彼女だとて知っている。そのライバルが王子不在で力を弱めていることを喜び、自らは盤石な土台の上にあると信じて疑わない。たとえもくろみ通りにハイデマリーが王位についたとしても、彼らだけには意地でも利権など手渡すものかという思いを固めるほどだった。

「まあよくおっしゃる。手の者を差向かわせたのは閣下でしょうに」

「奴らは何もしておらんよ。それに吾輩は別に魔女を解放しに向かわせたわけではないのだ。卿らも知っておろう。それにファルケ卿とて同じ手を取ろうとしていたのだからな。我らの方が一歩早かったが」

「本来の希望も、手を下さずにかないましたな」

「まったくだ。これ以上新たに後継者候補に出てこられても困るよ。陛下がお忍びで城外に出られたのはあの一度だけだからな、もういないだろうが」

 タオベ卿らの話はまだ続いていたが、ハイデマリーはそれ以上聞いていられなかった。聞き苦しいということではなく、聞き捨てならないことを聞いてしまったからだ。そっと本を閉じると棚に戻すことなく傍にあった机に置いて、音をたてないように部屋を出る。

「まあ、王女様、いかがされました。怖いお顔をされて……」

「ファルケ卿はどちらかしら?」

 侍女が驚いたように駆け寄るのを制して、ハイデマリーは小声で告げた。静かにしろというのが分からなかったのか、彼女は声を潜めることもなく至極普通に首をかしげた。

「え? さあ……会議室でしょうか」

「いいえ、会議はまだのはずですわ」

 侍女はどうして分かるのだと言う顔をしながらも、大股で歩きだした王女に必死でついて行く。だが会議室に辿り着く前に、向こうがこちらを探してやってきた。すぐ後ろには、見知らぬ背の高い騎士を従えている。タオベ卿の言うとおりにげっそりとやつれた顔をしていたが、目だけはぎらぎらと鋭く光り、侍女が先に怯えたように立ちすくんだ。

「お探し申し上げましたぞ、王女殿下。例のことでご報告がございます」

「そちらは後で聞きます。わたくしもお話がありますわ」

「なんでございましょう」

「ここでは少々さわりがありますわ」

 後ろに控える侍女だけでなく、宮廷中の他の誰にも聞かれたくない話だった。幼い顔を厳しくしている彼女の様子に気づいたファルケ卿は、ではと先導して歩き出す。

「会議室へ行きましょう。今は休憩中ですので、まだ誰もおりません」

「分かりましたわ。ところでその方は?」

「騎士隊長のレオンハルト・グライフと申します」

「まあ、随分とお若いんですのね」

「前の隊長と副隊長が相次いで殉職したため、繰り上がったのです。若いが腕は確かですぞ」

「そうですの……」

 まだ二十歳をいくらか過ぎたばかりの、兄とそう歳の変わらぬように見える青年は、優しげな瞳に冷たい復讐心を宿らせていた。長引く魔女との戦いで疲弊し士気も下がりつつある中では、ここまで意欲と闘志をみなぎらせている者は珍しい。どうやらファルケ卿も彼を買っているようだ。わざわざ連れてきたと言うことは例の報告に関係しているのだろうが、ハイデマリーの方の話の輪の中には入れられないことに変わりはない。

「でもわたくしがお話がありますのはファルケ卿だけですから、席を外してもらいますけれど、よろしいかしら?」

「構いません」

 きびきびと歩き出す二人の後を、騎士隊長が確固たる意志を持って歩く一方で、侍女が歩きにくそうにしながら追いかけてくる。そしてハイデマリーにだけ聞こえる声で囁いた。

「王女様、お二人きりになられるおつもりですか? それならお気を付けになった方がよろしいですわ。ファルケ卿は独身でいらっしゃいますから……」

「あなたは何の心配をしているの? 倍以上、年が違いますのよ。そういう憶測は失礼ですわよ」

 色恋に関する噂話が大好物の宮廷人らしい忠告に、ハイデマリーは少しだけ相好を緩めた。見目良く歳もまだ近いレオンハルトの方ではなく、地位と権力を持ち合わせた目つきの鋭い年かさの卿を相手として認定しているのもまた、それらしい。そんな甘ったるい展開には絶対にならないと断言できる。何しろ彼女は彼に、甘さなど皆無の厳しい尋問を行うつもりだからだ。


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