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 ヴィンフリーデは自分が生まれ変わったことを実感していた。体中に魔力が満ちている。それに髪の色や顔つきも変わったようだ。もう以前の冴えない田舎娘ではない。一度人として分解された後、魔の力で再構築され魔女の眷属として生まれ変わったことで、美しさまで手に入れたのだ。

 だからと言って、魔女のように何でもできるわけではない。淑女にはあり得ないいくらかきわどい今の衣装だって、魔女が作り出したものだった。だがヴィンフリーデはそれでも構わなかった。

 何せ魔法が使えるのだ。空だって飛べる。ヴィンフリーデはこれまでの鬱憤を晴らすように、近隣の村へ飛んで行っては破壊行為を繰り返した。逃げ惑う人々に電撃を浴びせ、もがきながら黒こげになっていくのを笑って楽しんだ。家々を焼き尽くし、特に歴史ある建造物を粉砕した。彼女は古臭いものが大嫌いだったからだ。

 そうしてひとしきり楽しんで魔女の城へと帰ってくると、今度はザシャを探して歩き回った。だいたい彼は魔女の傍にいたので見失うことはない。だが彼が彼女でもあると知った時は、衝撃だった。男だったり女だったりするのは日によって違うようだが、ヴィンフリーデは断然男の方が好ましく思う。最初に会ったのが男だったというのもあるが、追い回している理由もそのためだ。彼女は知らないが、魔女の性が確実に芽生えていた。

 その日のザシャは女性だった。廊下で魔女と話しをしていて、魔女の方はユリウスの元へ行くと言って去り、残されたザシャは傍目にもはっきりと分かるほどに落胆していた。

「お楽しみってどういう意味? 殺すの?」

 ヴィンフリーデが現れるや否や、ザシャは落胆を消し去り嫌そうに彼女を見た。だが女の姿を取っているせいか、ヴィンフリーデはひるまない。もし男の姿だったらすぐさまおもねる態度を取っただろう。たとえどちらの姿であれ、ザシャに変わりないと分かっていても。

「あなたと違って魔女様は、殺戮や人の苦しむさまを楽しむ趣味はございませんよ。単純に、夜伽のお相手としてご所望というだけです」

「ふうん? そのために攫ってきたの?」

 ユリウスの姿は、攫われてきた当初からヴィンフリーデも目にしていた。見てくれは決して悪くないのだが、彼女はどうしても彼を好きになれなかった。ザシャの方がいいと思う以上に、どこか虫が好かないのだ。言葉すら交わしたこともないのに、生理的嫌悪すら抱いた。そんな男に抱かれたいなんて、魔女の趣味も変わっている。

「彼は王子という立場ながら魔女教徒でしたので、私が進言したのです」

「後悔してるんだ?」

 ヴィンフリーデの軽々しい決めつけに、魔女の後姿を追うように廊下の奥へ目を向けていたザシャが、再びこちらを向いた。そのまなじりがむっとしたようにぴくりと動いたのを、彼女は見逃さなかった。

「だってそうでしょ。あいつが来るまであんたが魔女様のお相手してたわけでしょ? でも攫っちゃうほどオキニになっちゃって、あんたはお株を奪われたんだ」

 図星を当てたと思いつつも、ヴィンフリーデの口は滑らかに動き続けた。ザシャが女の姿をしている時は、容赦というものを忘れ去ってしまうのだ。ザシャの目にあからさまな嫌悪が浮かんだが、ヴィンフリーデは痛痒も感じない。

「彼には人質としての役目もありますから」

「人質ぃ? そんなもん取らなくたって、楽勝じゃない? あたしだってその気になればこんな国一つ簡単に滅ぼせちゃうわよ」

「あなたでは無理です」

 あまりにも容易く否定され、むっとするヴィンフリーデだったが、ここで引き下がりはしなかった。

「悔しいくせに。負け惜しみなんてかわいそうね。ねえ、あたしがあんたを慰めてあげようか?」

 女の姿の時は小柄で華奢なのが、ヴィンフリーデを優位に思わせることに一役買っている。ねちっこく近づく彼女と比べるとその差は歴然で、女のヴィンフリーデでも抱きしめたら抱き潰せそうなので、負けるわけがないと思わせ必要以上に煽られてしまうのだった。

 一方ザシャは少しも揺るがず、少し背の高いヴィンフリーデを冷めた目で見上げていた。

「あなたにこの姿の私を慰められる度量があるとは思えませんね」

「何よ。やってみなくちゃ分からないわよ」

「あなたが欲しがっているのは男の私でしょう?」

 言うなり、微笑んだザシャの姿が変わった。小柄な女の骨格を大きく超えた長身の男の姿が現れて、ヴィンフリーデはそれまでの強気な態度を保ち続けることができなくなった。見下ろしていた目線も上がらざるを得ない。ただ目に見える形が変わっただけなのに、鼓動が早くなり体が熱くなる。たまらず身を引こうとしたが、ザシャの方が近づいてきた。頬に指先を触れ、顎へとなでおろす。

「魔女様には私がどちらの姿をしていてもご満足いただけましたが、あなたはどうでしょうね?」

 ザシャの目にはもはや、新参にやり込められた屈辱はない。性別を変化させることでまるで自信まで身に着けたかのように、逆に動けなくなったヴィンフリーデを嘲弄する。

「眷属となり、魔の力を得たとはいえ、魔女様の足元にも及ぶべくもない矮小な存在、それがあなたですよ。性悪さのにじみ出た顔に変わっても本質は平凡で世間知らずな田舎娘のまま。いくら魔女様を真似て破壊行動にいそしもうと、私の言うがままに剣を隠し持ち、封印体たる女性を害したあの頃と、評価は僅かも変わっていません」

「そんなはず、ないわ」

「いいえ。同じです。誰もがあなたに無関心。疑うなら村へ戻ってごらんなさい。あなたが魔女様の眷属となったことなど誰も知らないはずです。それどころか封印を解くという、人類としては大罪に値する所業をやってのけたというのに、家族は弾劾もされていませんし、いなくなったあなたを探す素振りもない。仕方ないでしょうね、そうと知らないんですから。使用人仲間も同様です。雇い主は分かりませんが、少なくともあなたのための行動は起こしていないようですね。あなたなんて最初からいなかったかのような日常が続いていますよ、あの村ではね」

「嘘……、そんなの嘘よ!」

「そう思うなら教えてさしあげたらどうです? あなた自ら」

 すい、とザシャの体が離れた。彼は微笑を保ったまま身を翻すと、黒い霧となって消えた。一人残されたヴィンフリーデは震えていた。怒りとも絶望ともつかぬうすら寒い激情に支配され、思わず自らを抱きしめた。

「あたしに、無関心? そんなわけないわ……あたしのことをもう誰も気にもしてないなんてそんなこと……あるわけないじゃない!」

 彼女はあの村で生活していたのだ。村の誰かとだって会話も交わしている。隣家のおじいさんにだっていつも挨拶をしていた。向かいのおばさんだって、近所の子供とだって顔と名前を認識しあっていた。それなのに、誰もいなくなったことに疑問すら抱いていないなど、ありえない。

 家族だってそうだ。生意気な弟コルネリウスは彼女の言うことなど聞きもせず遊んでばかりいたけれど、たまの非番で帰れば笑い合っていた。父も母も、祖父も祖母も、雇用先が見つかったから次は結婚だねなんて冗談を言い合っていた。そうして将来を考える大事な娘だと思っていたはずなのに、理由を知らぬとはいえ消えたことに疑問を持たないなど、あるわけがない

 使用人仲間だってそうだ。同僚のティアナもマルグリッドも、家政婦長だって彼女を頼りにしていた。そうでなければああも彼女に仕事を振りはしないだろう。信頼していたからこそである。侍女や従僕とはそれほど仲良しではなかったが、同じ屋敷で働く仲間としての意識はあったはずだ。それに誰よりも、アレクシス。

 彼には現場を見られているのだ。誰よりも状況を詳しく知っているはず。それなのに、誰も彼女がやったことを知らない?

「そんなわけない」

 ヴィンフリーデはもう一度呟いた。口に出す度その思いは強くなっていった。アレクシスの目の前で眷属化したのだ。きっと心を痛めているはずだ。例えその前にヴィンフリーデが、彼の愛しい女を手にかけていたとしても。

「そうよ。アレクシス。彼は覚えているはずだわ。他の人だって、忘れてなんかいない。急に消えたからって、必死に探しているはずだわ」

 ヴィンフリーデは、すぐ横にあった窓に取りついた。もうこれ以上この場でうだうだ考えていることなどできない。彼女は窓から身を躍らせた。不思議の力が彼女を空中へと羽ばたかせる。向かう先はドルフ村だ。

「あたしは平凡な、とるにたらない、田舎娘なんかじゃない。いなくなっても探されないような、薄っぺらい存在じゃない……!」

 ドルフ村はクーデルベルグに負けないくらいの辺境地だ。ヴィンフリーデの力では、魔女のように一っ跳びでというわけにはいかない。彼女にはドラゴンを従えるほどの魔力はないのだ。だから休み休みながらも村に辿り着いたころには、夜も更けた時間帯だった。村は寝静まり、通りを歩く人の姿はない。

 ヴィンフリーデは人影を探して歩いた。明りの消えた家々は無視し、ひたすらに丘の上の屋敷を目指しながら歩を進める。誰でも、会えればよかった。そうすればこの、怒りとも怯えともつかない氷のような名状しがたい感情は消える。彼女を知っているという一言さえもらえれば。心配して探しているのだという証拠さえ得られれば。

 村の様子に変化はない。ところどころに掲示物が貼られているくらいだ。魔女は、彼女を封じた一族が住むこの村への特別な感情はないようで、手を出すにもまだ先だと考えている節があった。先に来てしまったヴィンフリーデに制裁が下されるかもしれない可能性については、今は考えない。

 彼女の実家はもう少し先にある。そこだけは明かりが消えていようがいまいが、絶対に寄ろうと思っていたところだった。だがその前に、人に会った。酔っ払って管を巻いている数人の酔客だ。すぐそこの酒場から出てきたばかりだった。最後の客だったのか、彼らが出るや否や店の明りも消えた。途端に薄暗い闇に包まれるが、酔っ払いたちは陽気に歌など歌っている。魔女が現れあらゆる場所が破壊の対象となっているのに、被害がまだ及ばぬこの村にあってはそんなものは対岸の火事にもならないらしい。

「ん? おい、誰かいるぞ」

 酔客の一人がヴィンフリーデに気づいた。へべれけになった男が彼女に近づいてくる。

「きわどい恰好のねえちゃんだな。都会の娼婦か?」

「お酌してくれよ」

「ばっかお前、酒がねえべ」

「―――あんたたち、ヴィンフリーデを知ってる?」

 見た目の奇抜さから彼女の正体を、酔っているが故の思考の緩みと、生産力に繋がらないとの理由で切り捨てた無学さから、結局悟れないままに終わる男たちは、質問の意図も理解できずに朴訥そうに首をひねった。

「知らねえなあ。誰だい、そいつは」

「……そう」

 ヴィンフリーデは彼らの顔に見覚えがなかった。だから彼らも当然彼女のことを知らなかったのだが、そんなことはどうでもよかった。

 少なくとも彼女は、国中の者から恨まれるほどのことをしてのけたはずなのに、小さなこの村の住人すら知らない。それだけで十分だった。

「じゃああんた、もういらない」

 ヴィンフリーデが、腕を掲げた。バヂッという不快な音がして、酔っぱらいの一人が急に背筋を伸ばした。仲間の男たちはそれをぼんやりと見ていた。こいつはどうしたんだろうという疑問が、次の瞬間には驚愕に変わりひっくり返る。背筋を伸ばした男はそのままあおむけに倒れた。その身からはアルコールどころか水分がたちどころに奪い去られ、丸焦げになって絶命していた。

「ひ、ひい……!」

「お前もしかして、魔女……!」

 腰を抜かしたまま這いずって逃げようとしていた二人の上にも、容赦のない稲光が降り注いだ。一人は電撃の餌食になり悲鳴を上げて動かなくなったが、もう一人は外れた。とどめを刺そうと近づき、俯せて必死で手足をうごめかせる男を幾本もの光の矢が突き刺した。今度は悲鳴すら上げられずに死に至ったようだった。

「違うのよ……あたしなんか、下位互換……。でも、知らないのよねぇ……」

「きゃあああっ」

 死体を踏みつけ虚ろに呟いていたヴィンフリーデは、騒ぎを聞きつけて起きだしてきた女に向かって走った。右手をつき出し女の顔を掴むと、そのまま雷の魔法を食らわせる。

「がっ、ががががっ」

 女は何もできないまま落命していたが、ヴィンフリーデはそれだけでは飽き足らず、死体を持ち上げたまま光をまとわりつかせた。意味なく放出される魔法によって、女の死体はひどい形で損傷していく。だがヴィンフリーデの表情は変わらない。

 以前は感じていた破壊による悦楽も、飢餓感にも似た衝動も湧き上らない。ただ純粋な怒りの波動が彼女を支配していた。

「どうしてあたしを知らないの。どうして最初からいなかったみたいに。あたしはここで十八年生きた、それなのにそれすらなかったことにするっていうの……そんなの許さない。あたしを無視するなら、みんな殺してやる」

 手の中の女の頭蓋骨が崩れた。あまりに激しい電撃に晒され続けて、ついには人体の形すら捨てて崩落するしかなくなってしまったのだった。だがヴィンフリーデは粉々になった残骸には一顧だにしない。彼女が暗く燃え上がる瞳で振り向いた先にあるのは、小高い丘の上の屋敷だった。

 歩き出した先で早くも、その内側で渦巻く感情を表すように、雷撃の奔流が音を立てて渦巻いた。彼女を後押しするように風が吹きすさび、糊がはがれた掲示物が舞い上がった。


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