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4章:姫様との三本勝負

 ザッザッザッザ。

 朝食を作っていると、外が妙に騒がしいのに気が付いた。

 またアーサーのいい友人となっている村人がやって来たのだろうかとため息をつきたくなるが、足音が家の中まで聞こえるぐらい大きい上、いつもと雰囲気が違う気がする。


「暗い森の魔女よ、出てきなさい!!」

 閉められた扉の向こうから、甲高い女性の大きな声が聞こえた。

 出てきなさいとは、何とも強引で強気な呼びかけだ。村の女性は私をあまり怯えなくなってきてはいたが、こんな高飛車な呼び出し方をされるほど私はまだ舐められたつもりはない。

 しかしここが、暗い森の魔女の家だと分かって来ているようなので、ただの旅人という事もないだろう。

 私は朝食を作る手を止めて家の扉を開けた。

 そして開いた扉の向こうの光景にかなり驚いたが、それでもそれを顔に出すような愚かな真似はせず、いつも通りの憮然とした表情で、問いかけた。

「何の用だ」

 

 扉の向こうには、予想以上に大量の人間がいた。全員が同じような詰襟の赤い服を着ており、それはこの国の軍隊が着る服だと記憶していた。そんな軍人達の、一歩前で小柄な女性が立っている。太陽のような金色の髪、青空を写しだしたような青い瞳をした美少女は、本来なら柔和な微笑みが似合うだろうが、今は瞳に青白い憎しみの炎を灯らせ私を睨みつけて来る。

 ドレスではなく、騎士が着るような白色の服をした少女を私が見るのは2度目だった。もっとも、その時は青い瞳を見ることはなかったが。

「アーサーがここにいるはずよ。彼を返しなさい!」

「……どうぞ」

「は?」

 正直な気持ちがぽろっと漏れて、少女はきつく睨んでいた表情から少しだけ困惑したような顔になった。

 まあ、そうだろうな。

 きっと彼女は、自分の最愛の人、しかも王子を使い魔として扱う危険な魔女から取り戻そうと強い決意をしてここまで来たに違いない。お姫様の足でここまでやって来るのはとても大変だっただろう。

 でも、ぶっちゃければ、私的には今すぐ彼を引き取ってほしいのだ。アイツの所為で、私の生活は乱されっぱなしなのだから。

「私としては、今すぐ連れて行ってもらいた――むがっ」

「シャル、来てはいけないと言ったじゃないか」

 私の口を大きな手がふさいでしまった為、言葉が途切れる。そして、私の代わりにアーサーがしゃべった。


「私は心配して――」

「僕はもうエルニカのものなんだ。それにこの森では魔物だって出るんだよ。いくら護衛として軍人を連れてきたとしても危ない場所なんだ。今すぐ帰りなさい」

 意外にアーサーの返答がまともだ。

 だけど、暗い森の魔女と取引をするほど、シャルの事が大切なはずなのに、少々冷たすぎる反応ではないだろうか。

「暗い森の魔女っ!! 貴方、一体何をしたの?!」

 案の定、私がアーサーに惚れ薬を飲ませ、無理やりアーサーの心を変えたと思ったのだろう。シャルは先ほどより更に憎しみが加わったような目で私を睨みつけた。その目には涙が浮かんでいる。

「エルニカは何もしていないんだからそんな怒鳴りつけないでくれないか? もしもここに居る軍人を使ってエルニカを傷つけるようなら、例え相手がシャルでも容赦しないよ」

 シャルの表情はこれで落ちない男はいないだろうと思うようなものなのに、アーサーはとても冷静だった。私が忘れているだけで、本当にアーサーに惚れ薬を飲ませてしまったのではないかと、心配になるぐらいだ。

「そんなっ……私……」

「いいから、帰りなさい。シャル、これが最後の忠告だ――うぐっ」

 私は背後にいるアーサーの鳩尾あたりに肘を力いっぱいぶつけてやった。まさか私からの攻撃があると思っていなかったらしく、腹筋に力を入れていなかったアーサーは鈍い悲鳴を上げて私の口から手を離した。

「ふざけるな。彼女はお前の為にここまで来たんだぞ? 私はお前に散々帰れと言っているよな。それなのに、何で一緒に帰らないんだ」

「何で僕を追い出そうとするんだい? 僕はエルニカを愛してるんだ。それなのに引き裂かれるだなんて耐えられないよ」

「戯言を言うな。私とお前は出会ってまだ1ヵ月も経っていないだろうが。それなのに、お前が私と取引をしてまで助けた少女を蔑ろにするなんてどういうつもりだ? お前の愛情はその程度のものなのか?」

「僕が恋愛として愛しているのはエルニカなんだよ?!」

 一体、何なんだ。

 どうしてそこまでして私を愛しているだなんていう嘘をつくんだ。私は振り返りアーサーの綺麗な顔を睨みつける。


「止めてっ!!」

 シャルが叫んだ為、私は再びシャルの方を振り返った。

 そこには顔を赤くしながらポロポロと泣くシャルの姿があった。綺麗な少女が、化粧が崩れるのも気にせず泣く姿は、正直胸が痛む。

 特に守ってあげたくなるような華奢な体をした、美しい少女なのだ。その涙を見ただけで、私の所為じゃないのに罪悪感でいっぱいになる。

「あの……」

「私と勝負しなさい!! 暗い森の魔女っ!!」

 守ってあげたい見た目の少女なのに、中身はどこまでも勝気なようだ。

「勝負?」

「そうじゃないと、私は貴方達の仲を認めないわ!!」

 いや、認められても困るんだが。

 私の中には、そもそも彼女に認められたい仲というのものがない。今までのアーサーとのやり取りでも、分かっただろうに。しかし何となく断る事ができないような雰囲気だ。

 彼女の背後に居る兵士たちも、全員私を憎しみの目で見ている。……一体私が何をしたというんだ。


「勝負方法はどうするんだい? シャルとエルニカは、得意とする事が違うと思うけれど」

「そうね。私が圧倒的有利なもので勝っては納得できないかもしれないものね。……貴方は何か得意な事はないの?」

 私が承諾したわけではないのに、勝手に話が進んでしまい、深くため息をついた。

「私がお姫様に敵うようなものなど何も――」

「エルニカは、料理が得意だよね。魔法勝負はシャルができないし、どうかな?」

 勝負するまでもなく、シャルの勝ちでいいですと言おうと思ったのに、アーサーの大きな声で私の声が消されてしまう。この野郎。嫌がらせか。

「なら、刺繍、料理、馬術対決にしましょう。私が勝ったら、お兄様を返してもらうわ!!」

「望むところだ。エルニカ、愛の力で頑張ろう!!」

「愛なんてないというか、お兄様?!」

 えっ? 婚約者か何かじゃなかったのか?!

 私はマジマジとシャルを見て、アーサーを見た。そう言えば、髪の色や瞳の色がまったく同じだ。

「貴方になんか絶対負けないわ」

 私の困惑に気が付いていないのか、アーサーの妹はそう宣言した。



◇◆◇◆◇◆◇◆



「ふっ。刺繍勝負は私の勝ちみたいね」

 私より早く、薔薇の刺繍を終えたシャルがそう言って私の作品を鼻で笑った。……まあ間違いないな。

 私は自分で言うのもなんだが、不器用な方だ。料理と薬は師匠にみっちり鍛えられて、条件反射でできるぐらい何度も何度も繰り返し練習したからできるだけである。

 なのでボタン付けや繕いぐらいはできるが、刺繍なんていう高度な技が私にできるはずもなかった。そもそも、刺繍なんてものが、この暗い森で何の役に立つのだと言いたくなるようなものなので、やった事もなかった。

「そうかな。エルニカの刺繍は、一針一針愛というか怨念というか、とにかく強い気持ちがこもっていると思うよよ」

「強い思いというかただ単に、手を針山と勘違いしてブスブス刺して血が付いているだけじゃないの。刺繍は気持ちだけじゃなくて、技術が大切だと思うわ」

「そうだな」

 まちがいなく、シャルの言い分の方が正しくて、私は深く頷いた。

「というわけで、私の負けだ。ささっ。アーサーを連れて帰ってくれ」

 私がずずいっとアーサーを差し出そうとすると、アーサーは私の傷だらけの手を握った。

「大丈夫だよエルニカ。次があるさ。ああ、それにしても、僕の為にこんなに傷ついて」

「別にお前の為じゃ――何する気だ」

 手をぐぐぐっとアーサーの顔の方へ持っていかれそうになり、私は渾身の力でそれを阻止した。どう考えても嫌な予感しかしない。

「傷からばい菌が入ったら大変だ。舐めて消毒しないと」

「舐めるなら自分で舐めるから問題ないし、ちゃんと消毒薬は常備してある。だから止めろ」

「僕が舐めたいんだ」

「気持ち悪いわっ」

 私は足に魔力を込め、力いっぱいアーサーを蹴り飛ばした。

 変態め。


「私の目の前でイチャイチャしないでちょうだい。私はまだ認めてないんですからね!」

「してないんだが」

 どこをどうみたら、イチャイチャになるんだ。私は憮然としてしまう。

「次の勝負は料理対決ね。負けないんだから。食材はそれぞれで用意して、お兄様が美味しいと思われた方を勝ちにするわよ」

 そう言って、シャルはすごい勢いで軍人達の方へ走っていってしまった。

 ……まったく。兄弟そろって人の話を聞かない奴らめ。アーサーは王子なのだから、彼女は王女。もしかすると、王族というものが、そういうものなのかもしれない。

「エルニカ、頑張って!」

 正直頑張りたくない。頑張りたくないが……料理は手を抜けない性分だ。

「アーサー。体調はどうだ?」

「体調? んー、とりあえず今のところは大丈夫だよ?」

「そうか」

 今のところ大丈夫だよという事は、やっぱりどこか悪いんだな。

 さっき私の口を塞いだアーサーの手が少し熱めだった。少しだけだが鼻声な気もするし、風邪気味なのだろう。

 まあ、慣れない環境で生活をしているのだ。わざわざ夜は服を脱いで寝るようだし、王都はどうかしらないが、ここでは寒いだろう。だとしたら風邪を引くのは当たり前の事だ。


 私はキッチンにやって来てから何を作ろうか考えて、最終的に卵粥という異国のレシピにした。

「エルニカは何を作っているの?」

 さっきまでどこかに遊びに行ってしまい居なかったのに、ひょっこりと戻ってきたチェロは私の肩に前足でつかまり、鍋を覗き込んだ。

「師匠の故郷の料理で【卵粥】というものだ。簡単に言えば柔らかく煮た米を卵でとじたものだ」

 私が熱を出した時に師匠が作ってくれたレシピで、師匠の故郷では病人が食べたりするらしい。アーサーは大病というわけではないが、今日は消化の良いものにした方がいいだろう。

「アーサーは肉が好きだから、肉の方が美味しいと言うだろうがな」

 きっとシャルは肉料理を持ってくるのではないだろうか。

 私としては負けていいし、むしろ負けたい。だからそれでいいと思う。ただシャルが肉料理を持ってくるなら、私は消化がいいものを用意した方が良いだろうと考えただけだ。

「あら。勝負は蓋を開けてみないと分からないわよ」

 そう言ってぴょんと飛び降りチェロは再びどこかへ行ってしまった。今日は家の周りに人が大勢いるから落ち着かないのかもしれない。

 とりあえず出来上がった料理を持って、外へ出ると、すでにシャルが居た。

 机の上にあるのはローストビーフ……うーん。時間的にこの短時間で作れるような料理ではないので、既にあるものを切り分けて皿に盛ったという所か。まあ、料理をしないだろうお姫様ができるのはこれぐらいかもしれない。

 ただ、あえてそれを指摘する気もないので黙っておく。

「何よそれ」

「卵粥だ」

 私が持ってきたものが何か分からなかったらしくシャルは眉をひそめた。


「簡単に説明すれば、米を煮て、溶き卵を落としたものだな」

「……貧相な料理ね。私は最高級の牛肉で作ったローストビーフよ。お兄様は、これが大好物なの」

 そうなのか。

 私はローストビーフを作る事はまずないので、知らなかった。

「エルニカ、食べさせて?」

「……何、甘えているんだ」

 椅子に座ったアーサーは上目づかいで私を見上げた。

「さっきは大丈夫って言ったけど、やっぱり風邪を引いたみたいなんだよね。あーんってしてくれたら治るかも」

「そんなものでは治らん」

「ねー、お願い」

 やっぱり熱が微妙にあるようで、目がうるんでおり……私はため息をついて粥をスプーンですくった。出来たてな為、湯気が立って熱そうだ。私はフーフーと息を吹きかけて冷ます。

「ほら」

 誰があーんなんて言ってやるかと思い、スプーンをアーサーに向けて突き出した。それをぱくりとアーサーはくわえた。何だか幼子にご飯を与えている様な気分になる。

「だから、イチャイチャしないでちょうだい!!」

 大声でシャルに怒鳴りつけられ、私は動揺した。

 こ、これはイチャイチャか。

 確かに言われてみるとかなり恥ずかしい気がする。私はスプーンを皿の上に戻し、アーサーに背を向けた。

「後は自分で食べろ」

 なんだか意識すると余計に恥ずかしくなってくる。


「えー、残念だなぁ。まあ、いいや。勝者はエルニカで」

「何で、そんな貧相な料理で?! お兄様は、贔屓されています」

「だって、シャルはこれ、作ってないだろ?」

「うっ」

 あ、分かっていたんだ。

 まあ、馬鹿じゃなければわかるか。

「それにエルニカは、僕が風邪気味だからこの料理を作ってくれたんだよね?」

「別に、お前の為じゃない。消化不良で吐かれたら、後の掃除が大変だからだ。だから、なんだその締まりのない顔は。いいか、私はお前の為じゃなくて、私の為に作ったに過ぎないんだからな」

 振り返ればアーサーの笑顔にぶつかって、私はそう強く伝える。

 というか、何でこの料理が風邪気味だからという事を知って――チェロか。どこかへフラフラ行ってしまったと思えば、アーサーに告げ口するという無駄な事をしていたらしい。もしかしたら、賄賂に何か魚を貰ったのかもしれないな。

「というわけだから、料理はエルニカの勝ちだよ」

「仕方ありませんわ。三本勝負は、最後の馬術対決で決着をつけるわよ」

 シャルは意外に聞き分けがいいらしい。

 それともアーサーの前だからだろうか。私は何とでもなれと、深くため息をついた。




◇◆◇◆◇◆◇◆




「馬はいいんだが、どう決着をつけるんだ?」

 久々にズボンにはきかえた私は、シャルに疑問投げかけた。

 馬自体は、師匠に一応乗れるようにしておけと言われたので、乗れなくはない。得意かと言われればそうでもないのだが。

「私の兵士を森の中に配置して順路を分かるようにしているから、先にここへ帰ってこれた方が勝ちとしましょう」

「兵士を配置? ここは暗い森で、魔物が出る場所なんだぞ?!」

「あら。私の兵士は優秀なのよ」

 無邪気に笑うシャルに私は頭痛がする。

 魔物は魔物なのだ。私が住んでいる周りは魔物除けをほどこし、あまり入っては来ないようにしているが、森の中はそういうわけにはいかない。

「とにかく始めるわよ。どうやら貴方は馬を持っていないみたいだから、私のを貸してあげるわ」

 シャルがそう言うと、兵士が1頭の馬を手綱をひいてやってきた。どうやらこの馬に乗れという事らしい。

「エルニカ、大丈夫かい?」

「私はな」

 勝負云々を無視すれば、馬から振り落とされない程度で走る事は出来る。

 左足を鐙にかけ一気に馬に乗ると、視界が高くなった。

「それじゃあ行くわよ」

 そう言って、シャルが馬で走り出す。

 私も馬の脇腹を圧迫して、馬に進む様に命令をした。トコトコと進み始めた馬にのりながら、シャルの背中を追う。

「早いな」

 私はドンドン姿が小さくなっていくシャルを見ながら、完璧な負けを悟る。まあ、仕方がない。

「とりあえず、ゴールまで頼むな」

 勝つのは無理でも最低限、勝負になっているようにしなければ、無効だのなんだのとアーサーが煩いかもしれない。

 ゆっくりだが走っていくと、ところどころに兵士がいた。一応、今のところ何もないようだが、これだけ人の気配があると、魔物が近寄ってくるかもしれない。

「魔物の餌になりたくなければ、今すぐ私の家の方へ戻れ」

 まだ私の家の庭の方が、森で1人で居るよりも安全性は高い。

 ただし馬に乗りながら忠告をしている為、どうしてもしっかりとした説明ができず兵士たちがキョトンとしている。それでも、伝えるだけ伝えておいた方が良いだろうと、私は家の方へ向かうように順番に伝えた。これで動かなかったとしたら、こいつらの責任だ。


 しばらく走っていると、悲鳴と馬の鳴き声が聞こえた。

 その声にぎょっとして、私は馬の腹を蹴ってさらに少しだけスピードを上げる。まさか――。

「シャル、来い。兵士も逃げろ」

 逃げろと言っても、逃げ切れるものじゃないが。

 馬で駆け抜けた先で見たのは、馬から落馬してしまったらしいシャルと、シャルを守るように立つ兵士。そして、狼の姿をした魔物だ。

 とっさに私は服の内側から薬瓶を取り出し魔物に投げつけた。魔物にぶつかりパリンと割れた瞬間、キャウンと言って魔物がもがく。魔物が嫌う薬草を濃縮したもので、あの薬の臭いをかけば、魔物の鼻はいかれる。

 手綱を上に引いて馬を止め、私は馬から降りた。

「これに乗ってシャルと一緒に逃げろ」

 兵士にそう伝えて、手綱を渡す。私は続いて、別の瓶を魔物に投げつけた。この魔物は鼻や耳がいいぶん、目は悪い。

 案の定再び私の投げつけた瓶を魔物はよけきれずに当たり、瓶中の液体がかかる。

「いいから、早く逃げろっ!!」

 私が怒鳴りつければ、兵士はシャルを抱えるような格好で馬に乗り、走り去っていった。

 それを見送りながら、私はマッチを取り出し火をつけると魔物に投げた。その瞬間、私が魔物にかけた油に火が付き、魔物から火だるまとなる。魔物は火を消そうと地面に体を押し付け転がり回った。

 それを見届け、私もその場から逃げる。魔物の体は丈夫だから、この程度で死ぬとは限らない。


 ただ意識を逸らしてしまえばこちらのものだ。私は離れた場所で茂みに隠れた。

 あの魔物の鼻は一週間は利かないだろうし、物音を立てなければ、あの魔物の目では私を見つけきれないはずだ。

「本当に嫌になる」

 私はただ静かに住んでいたいだけなのに。

 しばらくすると、何故か魔物の悲鳴が聞こえた。さらに何かと争っている様な音がする。……しまった、別の魔物がやって来てしまったか。

 私は息を殺しながら、自分の持っている薬で何か役立ちそうなものはあっただろうかと考える。

 しばらくすると、その争う音もなくなり、森は静まりかえった。どうやら何らかの決着が付いたようだ。普通に考えれば手負いの魔物が負け、新たに来た魔物が勝ったのだろう。魔物一匹で満足して立ち去ってくれればいいが、果たしてどうか。

 頼むから行ってくれと祈っていたが、ガサガサと何かがこちらへ近づいてくる音が聞こえた。先ほどの魔物なら私を探し出すことはできないので、やはり違う生き物だ。

 私は睡眠薬を握りしめながら、逃げる方法を考える。睡眠薬は一瞬で効くわけではないので、わずかな時間差がでてしまう。それをどうカバーするか。


 すく近くで音がした瞬間、私は覚悟をきめて立ち上がった。そして薬瓶を投げつけようと腕を振り上げる。

「待って、待って。僕だよ、僕っ!!」

「……アーサー?」

「そうだよ。だから、物騒なものをつかんだ手をおろして」

 近づいてきていたのはアーサーだった。周りに魔物の姿はない。

「魔物は?」

「金色の獣が追い払ったようだよ」

 金色の獣?

 あまり覚えがない魔物だが、偶然にも助かったらしい。ほっとすると体から力が抜けてしまい、私はその場に座り込んだ。

「大丈夫だよ。もう怖い魔物はいないから」

 アーサーに声をかけられて、私ははっと気が付いた。

「何で来た。もしかしたら、魔物にアーサーが襲われたかもしれないんだぞ」

「何で来たって、当たり前じゃないか。エルニカが魔物に襲われるかもしれないのにじっとしてられるはずがないだろ?」

 少し怒ったような、まっすぐな青い目を向けられて、私の体に雷でも走ったような衝撃が走る。さっきまで怖いのを我慢していたのに、ぶあっと涙腺が緩んだ。

「え、エルニカ。いや、怒ってるんじゃないんだよ。えっと、僕は君が心配だっただけで」

 慌てたように取り繕うアーサーを見て、胸が締め付けられるような苦しさを覚える。

 

 ああ。もう、限界だ。

 これ以上一緒に居たら、私が私でなくなってしまう。

「もう……沢山だ」

 アーサーが私を好きな理由なんてさっぱり思い当たらない。

 だとすれば彼のこの行動は全部演技なのだ。なのに、その演技を信じてしまいたくなる。信じて裏切られれば、傷つくのは私なのに。

 この森に賑やかさなんていらない。

 そうだ。はじめからこうすれば良かったんだ。

「暗い森の魔女……エルニカの名に置いて命ずる」

「エルニカ?」

「この森から、人間は全て立ち去れっ!!」

 私は呪いの言葉を叫んだ。

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