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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
かしわ餅
98/120

一‐小夜

 桜花爛漫、春たけなわの境内に当主とその側室が降り立つと、歓喜の桜吹雪が天へと舞い上がった。

 小鬼は花びらを団扇にして踊り、婆さまたちは笊いっぱいの花びらをまいている。小豆洗いは茶碗でちゃかぽこちゃかぽこ、腹づつみを打った。


「おかえんなさい!」

「おかえり!」

「おかえりなさいませ、鹿の子さん。旦那様」


 賽銭箱の前では、可愛らしい稚児ややこの久助がお出迎え。

 鹿の子と月明はにっこり顔を見合わせると、ふたり足並み揃えて拝殿へ上がった。


「お稲荷さま、ただいま戻りました」


 月明は頭を垂れると、珍しく賽銭箱へ銭を裸で投げ入れた。


「鹿の子さんとお花見できますように」


 なんとも微笑ましい願い事だ。ところがどっこい、向拝柱から小鬼が降りてきて、「足らん、足らん」「もっと出せ」と大騒ぎ。


「一弦では叶わぬということですか。どれ」


 弾んだ賽銭、丁銀一枚、千弦なり。

 それでも足りん、小判出しても叶わへん。小鬼は賽銭箱の縁に並んで座って、仲良く大合唱。

 どうやら花見してる暇なんぞ、この月明にはないらしい。

 月明は塩振った青菜のように萎れたが。


「すぐに仕込みに入りますからね」


 鹿の子が道々で摘んできた桜の葉を供物台にのせると、賽銭箱の小鬼が右往左往。その葉っぱ、菓子の材料ならば願い叶うやもしれん。

 さて二拍手を打って出た願い事は。


「可愛い御子さまに恵まれますように」


 ――ちゃりん。

 月明が浜床に落とした小判の音が、境内に鳴り渡った。

 それから三日後、お迎え御膳に上がった桜餅。お稲荷さまは目から血を流す想いで、お残しされたという。




 *




 その夜、建て直したばかりの小御門家側室邸北の院に黒い幕が下りた。月明が南の方の力を借り、結界を張らせたのだ。

 あか山で傷を負った北の方、桜華を月明が見舞ったところ、右手の甲にお目付役の呪印が刻み込まれていた。

 お目付役、雪は側室を束ねるための能力を備えている。そのひとつが九尾の呪印。捺された者は延々、呪に悩まされることとなる。つまみぐいの多い側室や毒吐きには口封じの呪を、逃亡癖のある側室には足枷の呪を。それぞれ厳しい呪であるが、そのなかでも最も重いのが、


「――離縁追放」


 血の気のない顔に汗を浮かせ、魘され続ける桜華へ長い睫毛を落としながら、月明ははっきりと言葉にした。

 離縁の呪印を捺された側室は小御門家どころか、お稲荷さまの加護にある、この風成の地を踏むことが許されない。ひとたび踏めば四肢五体に行き渡る血が拒み、息を吸えば毒となる。

 この呪印に当主の権限はない。つまりはお目付役の独断と偏見により離縁が成立してしまう。なにも月明が側室に世話焼きなのは性分だけではない。


「私が未熟者ですまない、桜華……」


 桜華が十数年ぶりに小御門家の門から出たのは月明を救うためだ。雪はその勇気を踏みにじるように、桜華の安息の地を奪った。

 護るべきものに護られ、助けられぬとは。

 月明は歯噛みで総身を震わせるほど自分を責めた。

 背後に控えていた南の方が遠慮がちに申し出る。


「この手の呪は結界で完全に退けることができませんし、そう長くは持ちません」

「……ええ直ぐにでも国の外へ出してやらねば。しかし」


 月明は顔を上げると一枚の帳を見据えた。

 奥からは傷みに悶え苦しむ男の声。 雪に深傷を負わせられたラクは数日経った今も、桜華と同じように魘されている。

 

「妖狐の爪にどのような毒が塗られていたのか。ラクさんはしばらく動かせぬ」


 傷は癒えるどころか酷くなるばかり。日に増してじくじくとただれ、肉を腐らせていく。ラクの腕に毒が回りきれば二度と、鍬をもつ力は戻らないだろう。

 

「お目付役の捌きがここまで重いとは。南の方、しばらくはふたりをお願いしますよ。何としてでもお目付役を捕まえなければ。それと」


 月明は膝を縁の方角へずらした。


「小薪さん――いや、西の方。気にかけたくなるのはわかりますが、この北の院は結界のなか。占術に支障をきたすのならば立ち入らぬように」


 南の方の隣で小薪は、ぷうとむくれた。それでも舌打ちはない。


「存じておりますが、この度は急ぎの用で参りました。旦那様のご不在時に阿倍野から申出でがございまして」

「申出でとは」


「ご縁談でございます」


 小薪は複雑な笑みを浮かべながら頭を垂れた。




「はーくしゅんっ」


 静寂に包まれた境内にしわがれた女のくしゃみが轟く。遠慮のないその音にたまげたのは夜なべしていた鹿の子ひとり、かまどの焚き口で頭を打った。


「くしゃみする妖しなんて、小御門に居てはります?」


 ひしゃげたお団子頭を撫でながら問うたが、久助がいない。さっきまで頬杖ついて上がり框に腰をかけていたのに。


「疲れてんのかなぁ……はくしょんっ」


 やれ、さっき聞こえたくしゃみも自分のではなかろうか。はよう寝所にあがるべきだが、今夜中に御饌飴を炊いておきたい。ぶるり、身震いした鹿の子は白湯をひと飲み、釜のおたまをつかみ直した。

 それはそうと、女のくしゃみは鹿の子の空耳ではない。


「はーくしゅんっ、――まったく人使いが荒い、いいかげん風邪ひくわ」


 小薪が北の院の結界に入ったのを見計らい、お目付役の雪が大きい顔して境内を跳梁していた。  

 白く尖った耳も尻尾も、露わにして――。


「どこいったんや。鬼ごっこしてる暇はないで」


 参道に捜しものは居らず、さては母家かと我が物顔で渡殿を渡る。


「小夜。小夜、どこや」


 神饌かまど、湯殿に寝所。雪の白い毛が湯気のように滑らかに彷徨う。雪が「小夜」と呼ぶ影は母家の奥の奥。今は当主以外立ち入りが許されぬ、北の対にてみつかった。

 白羅紗の袿に織られた蝶が闇に浮かぶ。


「小夜」


 名を呼ばれた方角へ振り向いた女は顔の半分を御髪で隠しているものの、誰しもが目を瞠る美しさだった。整った鼻筋や長い睫毛が深く影を刻む。唇は椿の花びら、瞳は宝玉のように澄み輝いている。しかし女は陰陽の激しさのなかに、憂いを潜ませていた。

 雪はその顔ばせに呆れた溜め息を溢した。


「身体が朽ちて尚、此処に止まるか」


 雪は小夜の細腕を引っつかむと、脱兎の如く家を出た。離したら手拭いみたいに飛んでいきそうな小夜を、しっかりと肩に背負い直して。


 小夜とは三年前に亡くなった、小御門月明の正室である。


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