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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
久助‐後章 / 小御門
93/120

九‐雪

 あか山の雪解けは始まったばかりだ。

 動物たちの眠りは深く、芽吹きの音も聴こえない。山頂に近付けば雪の踏みごたえが柔らかく、新雪であることを物語っている。

 どこまでも真っ白で耳が痛くなるほどの静寂に、北の方桜華は耐えきれず、人形の渇いた唇を開かせた。

 

「あなたはこんなに厳しい道のりを何度も行き来していたの?」


 桜華は手綱を牽くラクではなく、前に乗る鹿の子に尋ねた。

 桜華は十一歳を過ぎてから北の院にこもりきり、自然から成り立つ景色を知らない。緑とは境内の松であり、花とは花器に生けられた、開ききった花々。見上げれば薄暗い天井。

 桜華には旅の総てが新しく、初めてのことばかりで、どこまでも続く青空を見上げては、渡り鳥の行く先をうかがった。

 しかし旅を愉しんでいられたのは束の間のことだ。

 雪山に入り半刻経たずして、か弱い身体が芯まで冷え切ってしまった。綿入りの袴を何重に被ってもちっとも温まらない。顔や手足のかじかみはひどくなるばかり。落ちないようにと馬にしがみつく手は強張り、跨ぐ足は寒さで感覚がなくなった。

 馬に乗っているだけで、すっかり体力が奪われてしまった。こんな身体で久助を喚べるだろうかと不安も大きくなる。

 鹿の子はそんな心持ちを背中で汲み取り、明るく言葉を返した。


「しんどいですよ、なかなか慣れるもんではありません。この間なんて、行きの半分は気を失ってましたから。あの時は旦那様にご迷惑をおかけしました」


 糖堂で過ごした短くも温かな日々を思い出し、凍りついていた鹿の子の顔がふ、と緩んだ。懐をまさぐれば、月明の髪が入っていたお守り袋。


「んでもお腹があったまれば、どうにか持つものです。ラク、麒麟さんを止めてくれる?」


 先に合点がいった麒麟は腰掛けになる岩場をみつけると、手綱ごとラクを引っ張り導いた。よだれを垂らしながら尻尾で岩の雪を払う膳立てっぷり。

 鹿の子はからから笑うが、


「そろそろ旦那様と別れた場所です。一旦休憩しましょう。麒麟さんはこっちね、――うひゃあ!」


 風呂敷から人参の砂糖煮を取り出すやいなや、麒麟は首を曲げてかぶりついた。たかが人参、されど人参。巫女が煮るより鹿の子が煮た人参のほうが格別に美味いのだ。ふるい落とされた鹿の子は唐かさのような声を出し、雪の座布団に尻餅をついた。


「……へぇー」


 桜華はラクの腕のなか。

 鹿の子はわざとらしくお尻をぺんぺん叩き、ひとり岩に腰掛けた。

 桜華が慌ててラクの腕から下りる。


「ごめんなさい」

「す、すまん鹿の子!」

「お気になさらず、仲良うしてください」

「な、なんのことかしら。ねぇラクさん」

「は、はい、北の方」

「そんなかしこまって、名前だけで呼びあったらええやないですか」

「でも……」


 桜華はラクの手を離れると、おずおず鹿の子の隣に腰を据えた。

 ちなみにラクの座れる空間はない。

 鹿の子は立ちん坊のラクを知らんぷり。再び懐に手を入れると、すっかりお馴染みとなった菓子包みをお守り袋から取り出した。


「はい、どうぞ」


 包みから餅とり粉がほろほろと落ち、鹿の子の膝を汚す。丁寧に粉を払って出てきたのは、柔らかな褐色の四角い菓子。

 桜華は期待いっぱいに菓子の名を尋ねた。


「この菓子は?」

「くるみゆべし、です」


 ゆべしと聞いて、ラクが覗き込む。

 くるみゆべしは柚子ではなく、くるみを餅に混ぜ込み、じっくりと蒸した菓子だ。

 角を噛みちぎった桜華は二噛みで現れた「ごりっ」と強い歯触りに、幸福の溜め息を漏らした。


「うふふ」


 よう煎られたくるみは芳ばしく、味わい深い。にじみ出る木の実油に合わさる餅の美味いこと。

 もちもちと心地よい舌触りの餅には嫌味のない醤油のしょっぱさと、独特な甘味が沁みついている。落雁に似ていながら、より灰汁が強い。

 その甘味は桜華が初めて味わうものだった。


「御紋菓子に似てる……、けれど、もっと強い」

「この菓子に使われた砂糖を黒砂糖、といいます」

「黒砂糖? とっくに無くなったんやなかったか」

 ラクが涎を啜りながら尋ねる。

「また必要になって、糖堂から取り寄せました。家のでは足らんから、少しずつ村の人たちから集めてもらって……」


 感謝の気持ちを小豆顔に浮かべ、鹿の子もゆべしをかじった。黒砂糖の懐かしい香りはどんな砂糖より身体に染みる。ちなみにゆべしは一柵ぺろり食べられるほど、ラクの大好物だ。


「それで、俺のは」

「ない。ラクがついてくるなんて、聞いてなかったから」


 期待満面で尋ねたラクは雪に埋もれた。

 それも知らんぷりでおこじょのようにくるみをこりこり砕いていると、クラマが胸元でじっ、と鹿の子を見つめてくる。


「すんまへんお稲荷さま、お稲荷さまの身体にはくるみはきつすぎるんです」


 なんと、狐の身体では食えない菓子があるという。

 クラマは衝撃のあまり涙目になった。

 もっとも代わりにお稲荷さまのゆべしには贅沢にもあんこがくるまっているので、すぐに機嫌を直したが。

 狐には少々毒となるくるみ。しかし人間には良薬となる。

 くるみは腎を強くし身体を温めてくれる。


 ゆべしの半分も食べれば、桜華は身体の芯から温まった。


「ほんとう……! 身体があったまると、疲れも取れたみたい」


 雪駄を持ち上げる足が軽い。

 立ち上がり、こり固まっていた背骨を伸ばせば自分で歩けそうだ。桜華は残りの半分をラクに捧げた。


「はい、ラクさん」

「いいですよ、食べてしまってください」

「駄目よ。あなたもここで疲れを落としていって」 


 桜華がラクに席を譲るので、鹿の子はすっくと立ち上がり麒麟へひょいと飛び乗った。鹿の子の疲れもとれたらしい。


「ごゆっくり」


 そう小声で呟き、麒麟の背中から菓子を分け合うふたりを微笑ましく見守る。ラクと桜華が岩に座り直せば、もうひとり分の席が空いた。それほどくっつきあっているということだ。

 クラマはハラハラとしながら鹿の子を見上げるが。


「よかった。ふたりとも、しあわせそうで」


 鹿の子がお日さんのような、真っ直ぐな笑みを浮かべていたので、クラマは眩しくて目を細めた。



 山道から外れてからは桜華が麒麟を導いた。歳神に捧げた人形は人形師の桜華が創り上げ、魂を吹き込んだもの。ある程度距離が縮まると、人形の居る方角が解るゆえ、そちらに向かって足場に気をつけながら歩くだけである。道は獣も通らぬような緑の少ない、岩ばかりが入り組んだ坂であったが麒麟の四肢に不可能はない。一行がゆべしを食べた岩場から、歳神の住まいまで半刻もかからなかった。

 三畳もない掘っ建て小屋は岩場の傾斜そのままに首を傾げた状態で建っており、今にも倒れそうだ。

 麒麟の歩みが止まると、鹿の子は直ぐに飛び降りて小屋を目指したが。


「入り口はどこなんでしょうか」

「外からは入れないってわけじゃないと思うのだけれど……」


 はっきりとした戸口が見当たらない。

 腐った木で組み立てられた小屋は体当たりすれば壊れそうなものだが、ラクが継ぎ目を引いても薄皮一枚剥がれない。

 ラクは桜華を麒麟の背中から降ろそうと、手を差し出しながら尋ねた。


「結界でも張られているんでしょうか」

「どうかしら。そんな気配はない、けれ、ど――――――」


 そこで急に、桜華が抱いていた人形が声を発したまま固まってしまった。息継ぎなしで人形の口から「ど」が続く。その音は次第に大きくなり耳鳴りのように頭に響いた。

 ラクが桜華の腕を取る。


「桜華……?」


 その拍子に人形の頭が奥に倒れた。首がねじれ折れ、ようやく音が切れる。桜華の様子がおかしいことに気付いた鹿の子がそちらの方角へ振り返れば――。


「危ない……!」


 桜華はラクを巻き込みながら落馬した。その情景は重い岩が落石したように、勢いよく、雪に沈んだ。そして桜華の肌は雪に同化したように、蒼白としている。まるで血が通っていないように。

 異様な気配を感じて鹿の子は戻ろうとしたが。


「この直会泥棒なおらいどろぼうが」


 麒麟を挟んだ反対側で、誰よりも艶やかな衣裳が風になびいた。煌びやかだが髪のほとんどが白髪、扇子を持つ手は萎びている。

 なによりその嗄れた声は鹿の子をふるい上がらせた。


「お義母様……?」


 言葉にしてから、はっ、と口を押さえる。義母ではないことを月明から聞かされているし、雪は久助を食べた張本人、どうみても自分たちの邪魔をしに来ている。

 隠れようと雪駄をずらすがもう遅い。目が合うた瞬間、雪は気味が悪いほど眼窩にしわを集め、にたりと笑った。


「鹿の子、さん」


 嗄れた声が宙に弾む。

 桜華の下敷きになったラクは口に入ってくる雪を吐きながら、鹿の子へ叫んだ。


「ここは俺に任せて、鹿の子はどうにかして小屋ん中へ入れ!」


 鹿の子は力強く頷いた。逃げるも隠れるも、目的を果たさねば意味がない。足元に居たクラマを抱くと、大きく踵を返した。

 雪は寸の間、鹿の子に抱かれたクラマを見やったが素知らぬふり。

 一歩ずつ、雪をしっかりと踏みしめ、鹿の子の元へと向かう。焦った鹿の子は強く踏み込みすぎて、雪に足を取られ、クラマごところころと転がり落ちた。


「あらまあ、相変わらずどんくさいこと」


 頭の上から心底人を小馬鹿にした声がする。頭の上から――。


「ここは……?」


 鹿の子はちいさい身体を小屋の下に入れ込んでいた。雪に埋もれ側からわからなかったが、小屋は高床式だったようで、鹿の子の位置からかろうじて一本だけ雪に埋まる太い柱が見える。小屋はちろちろと流れる雪解け水を跨いでいて、鹿の子が落ちたのはまさにその通り道であったようだ。

 転げ落ちた鹿の子を笑うもその姿が見えなくなったので、しばらくして雪は金切声を上げ始めた。その声の震動でぴしぴしと雪に亀裂が入る。


「どないしよ、崩れたら生き埋めや。んでも出るに出られへんし……あ、あれ?」


 雪壁を崩さないよう腕をちぢこませ天井を見上げれば、水桶がやっと潜れる程度のちいさい扉があるではないか。

 雪解け水を汲む井戸のような役割だろう、大人の図体では入れそうもないがおこじょと狐一匹ずつならば造作もない。


「お願い、開いて……!」


 押しても駄目なら引いてみな。

 ――ぱかり。

 引いた扉は小気味いい音を奏で落ちてきた。

 

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