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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
久助‐後章 / 小御門
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八‐出立

 ようよう春の日差しが境内に降り注ぐ季節。

 ちいさな風呂敷荷物を背負った鹿の子の足元には、闘志を燃やした白狐が当然のように立っていた。


「ほんまに行くんですか」

「コン」


 小薪に尋ねられ、クラマは威勢良く返事を返した。小薪の見た未来に母がいるのだ、それもあか山、おとなしく留守番などしていられない。もちろん母会いたさではない、雪はきっと鹿の子や月明に悪さするに違いないから。 


「風成の外ではただの狐。ちっとも役に立ちませんよ」

「コン!(うるさい!)」 


 今日は如月の十二日。

 出立の朝に見送るもの、見送られるものが東門に詰めあっていた。 

 見送るものは小薪と南の方妃菜のみ。妃菜は相変わらずどす黒い箱を被っている。


「南の方、もうその箱いらんのちゃいますの」

「だってあの人ったら、私の顔を他の男に見せたくないって言うから」

「そうですか」


 聞かなきゃよかった。

 小薪は黒い箱から視線をはずし、尋ねる先を変えた。


「北の方、今更なんですけど久助さんを喚ぶんはこの小御門ではいかんのですか。なにもわざわざあか山へ登らんでもいいのでは」

「そうしたいのは山々なのだけれど、まずは直接旦那様とお話して、正気に戻っていただきたいの」


 無駄な説得だと分かってはいても、僅かな可能性にかけたいのだ。


「あの綺麗なお顔を殴ってみたいし」


 こちらも聞かなきゃよかった。

 小薪は不気味な笑みを浮かべる人形から視線をはずし、鹿の子に抱きついた。


「ほんなら、鹿の子さんだけでも残ってください!」

「わたしは行きます。足手まといなんはわかってます。んでも、行ってこの目で見届けたいんです。久助さんに、会いたいんです」


 これはこれはいじらしい鹿の子の、澄みきった瞳を見つめ、小薪は涙を汲んだ。

 

「ラクさん、鹿の子さんをお願いしますよ」

「はい」


 馬の手綱を牽くのはラクだ。

 もちろん馬は麒麟である。麒麟はすっかり小御門家の厩舎に居着いていたし、藤森――自分の主の失態が後ろめたく、素直に付き従った。でなきゃ女ふたりも背中に乗せない。

 麒麟はたてがみにしがみつくクラマの温もりを感じながら、不安げに確認した。


『お稲荷さま、また国を離れて本当に宜しいのですか?』


 二度共に国を離れているが、一度目はお稲荷さまの不在中に、二度目は不在を理由に神殿を襲われている。二度目のきっかけをつくった張本人が自分の主であるからして、麒麟の尻尾はロバのように垂れっぱなしである。


『大丈夫や。小御門には小薪に妃菜、みんなが居るからな』

『みんな、とは』

『みんなは、みんなや。わしが居らんでも、大丈夫や』


 クラマが存在を認めたゆえに、麒麟の目にもうっすらと映った。クラマの側で笑う公達の姿は浮世絵から脱け出てきたようだ。先代も先先代も馬の目に眩しすぎる。


『なんて綺麗なの。やっぱり私はここに残っ』

『はよ出せ』

「それではいってきます」 


 鹿の子のちいさいお団子頭がぺこりと垂れたのを合図に、手綱はゆっくりと牽かれていった。



 麒麟の豊かな尻尾が見えなくなると、小薪は桜華と入れ替わるように幣殿へ急いだ。 

 小薪が留守を預かるのは多くみてあと四日。

 なにがなんでも神殿を護りきらねばならないし、当主が戻ってばたばたする前に調べておきたいことがある。

 小薪の御用人、クマは式占に要する式盤と、もう片方の肩に妃菜をひょひょいと担いだ。


「あんた、なにすんのよ」

「南の方に一寸、付き合ってもらいます」

「内容による」

「私をほんの一寸、閉じ込めて欲しいんです」

「閉じ込める? それはいい気晴らしになりそうね」


 妃菜は幣殿の板間に足をつけると、愉しそうに箱をがくがく揺らした。慣れた小薪は両手で押さえ込み、厳しい口調で言う。


「わたしが見えへん未来、どうやらもうひとつあるようなんです」


 雪の封印が解かれる。

 そんな極めて厄介な未来が何故見えなかったのか。終始光らせていた目を掻い潜られ、小薪は地団駄を踏んだ。

 封印を解いたのは恐らく、いやまごうことなく、麗菜が謀反を働いた夜のこと。妃菜の結界のなかに閉じ篭っていた、僅か四半刻の間に違いない。


「結界の中では未来が見えない?」


 妃菜が問いかけながら、印を結び小薪を箱に閉じ込める。

 箱のなかで小薪はちっとも動かない式盤に溜め息を吐いた。


「そのようです。それにこの中に居る間のことは予知できません」

「それって、過去の小薪は今の小薪を読めないってこと?」

「自分だけではありません。このときに起こる、世界のすべてが読めないようです」


 誰かが封印を解く未来。

 過去の自分が見えなかったということは、結界のなかに居る間の未来はなにひとつ読めないということだ。今のように退屈そうに黒い壁を見つめる自分の姿も、憶えはない。小薪は壁に拳をぶつけ、歯噛みした。


「いっ、たぁ……」


 神殿へ侵入し、封印を解いて雪を連れ出す。

 自分が結界に居た四半刻にやられてしまえば、後に読みようがない。元より封印されていた雪の存在など、日頃にいちいち確かめようと思わないし、麗菜や藤森だけでなく、他の陰陽師の動向に気を取られていた点も否定できない。


「あー、もう……! 早く出してくださいよ!」

「あら、もういいの」


 黒い帳が上がると、南の方も被っていた箱を外していた。初めて見るその顔は口調と相反して側室らしい品格を漂わせているが、表情は深刻だ。


「神殿で内乱が起こることも、その時に小薪が結界に入ることまでも、犯人の術師にすべて読まれてたってことね」

「悔しながら……そういうことになります」


 封印は内から解くことができない。

 解いた人間が必ずいる。姿形、性別までもわからぬ誰かが。


「旦那様の封印を解くほどの術師だもの、驚くことじゃあないわ。あんたもよかったじゃない、またひとつ新しいことを学べた」

「んでも……!」

「悔しいならば、見つけ出しなさい。そして術師が何故お目付役の封印を解いたのか、理由を探すのよ。旦那様がお帰りになられる前に」

「お帰りになられる前に……、いや、それでは遅いんちゃいます」


 小薪が思うに、わざわざ自分の目を盗んで、慎重に雪を連れ出したのだから、一定の間は知られたくなかったのだろう。雪の能力を誰にも邪魔されず利用するために。


「雪様の能力は千里眼ですよね」

「あともうひとつ。お目付役は側室の自由を奪える」


 辛い修行から逃げ出そうとする側室を捕らえるため、御先祖さまが五家のお目付役全員に能えた力だ。


「側室の自由を?」


 まさかと思い小薪が幣殿を飛び出す。

 飛び出した小薪は程なくして母家の戸口から飛び込んできた。


「あんたなにしてんの」

「東門潜ったんですけど」

「あ、そう。それ」


 妃菜の円らな瞳が据わる。


「閉じ込められてるわね」


 間の抜けた空気が幣殿を漂い、屋根から小鬼がぽとん、と落ちた。


「えー! なんで!? 鹿の子さんたちはなんで出れたん!? 南の方、どうにかならんのですか!」 

「門の外に出た側室が元居た場所に戻されただけよ。結界ではないから、どうにもならないわね。鹿の子さんたちが出られたってことは、お目付け役にとって必要なんでしょう。そして私たちは邪魔者ってこと。あと一日気づくのが早かったらねえ」

「きぃ――!!!!!」


 小薪は艶やかなすだれ髪を掻きむしった。

 待っている間、常に苛々している自分は見えていたが、まさかこういうことだったとは。心に余裕をなんて考えていた自分が愚かしい。余裕など欠片もないではないか。

 妃菜はたけり狂う小薪を見据えながら、顎先に指を添え、考え込んだ。


「それにしても……、よくあの女狐を手懐けられたわね」


 封印を解いてもらったからと、恩返しするような鶴ではない。雪は解いてもらったついでに襲いかかって生き血をすすり、恩を仇で返す妖狐だ。 

 

「もしかして、封印前から契約を交わしていたのかしら」


 雪と術師がはじめから共犯であれば、雪が大きな抵抗もなく封じられたことに納得がいく。


「内乱の火種はお目付役の封印よね。術師が雪に久助を食べるよう促したのかもしれない。お目付役が術師に従う理由はなに?」

「弱みを握られているとか」

「それはないわ。あの女狐に弱みなど存在しない。自分に利益がなければ首を振らない」

「お稲荷さまは? 術師がお稲荷さまを元の姿に戻す方法を知ってるとか」

「いい線いってるけど、交換条件を飲むとは思えない……。なんかもっと、こう、自ら愉しめることでなくちゃ」

「愉しめること……側室いびり?」


 小薪と妃菜の額に同種の冷や汗が浮かび上がる。


「わたしら違います。鹿の子さんをいびり倒す気では」

「そうね。それで間違いないわね。私たちは出られないけど、調べることはできる。まずはあんたが見えるもの総てを書き出しましょう。協力するわ」

「お願いします」


 式盤の前に側室がふたり。

 月明や桜華と同じように立て籠もるので、巫女らは「お次はなあに」と浮き足立たせ、誰も居ない拝殿へ膳を運ぶのであった。


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