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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
久助‐後章 / 小御門
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六‐妃菜

 十年前――、小御門家へ輿入れした妃菜は十二、月明もまた十五、元服したばかりであった。桜華は幼い頃から北の院を住まいとしていたので、きちんとした初夜というのは、妃菜が初めてのこと。

 月明かりの下で、月明は震えて俯く妃菜に問うた。


 ――好きな人は、いる?


 妃菜は小御門家の、側室の習わしを思い出し、はっと顔を上げた。

 母、麗菜の口からはついぞ聞けなかったが、御用人からは耳にたこができるほど聞かされていた習わし。


 小御門家の側室は修行の末、当主に仕える陰陽師として、一生を捧げること。その対価は――自由。


 妃菜の御用人がこの習わしを知っていたのは小御門家先代の北の院の長男、つまりは側室の子であるから。

 御用人は才能に恵まれ賀茂乃家にて修行に励んでいたが、妃菜の輿入れが決まってからは「私を御用人にしろ」と「御輿にしがみついてでも行く」と煩かった。

 賀茂乃ではなく生家で務めたいのだろうと考え、妃菜は申し出を受け入れた。


 ――淡い期待を胸に抱いて。


 妃菜は月明の問いかけに、痘痕顔を露わにして頷いた。月明は「私もだ」とにっこり笑った。


 月明は周りの人のように気色悪がったりしなかった。そればかりか医師として、妃菜の身体をくまなく診た。

 月明はその場で薬を作り始め、その作業は夜半までかかった。その間、小御門家の習わしを喋り立てることも忘れない。自分が喋り終えると、今度は妃菜に喋らせた。


 ――これから南で紡ぐ、夢を教えて。


 しかし疱瘡で参っていた妃菜には夢も希望もなかった。輿入れの際、大好きな御用人に汚い顔を覗き見られて傷ついていたところだ。御用人はきっと、ついてきたことに後悔している。

 妃菜はしばらく間を空けて、「誰にも姿を見られないように、誰よりも強い結界師になりたい」と申し出た。

 月明は笑って応じた。

 ――それはいい。どうせ隠すなら、隠してる間にうんと綺麗になって、驚かしてやりなさい。

 それから捏ねたばかりの塗り薬を差し出した。

 不思議なことに、月明が一晩で作り上げた薬はよく効いた。痘痕は痘痕、疱瘡の痕は薬では消せない。どんな薬師もお手上げだったというのに。

 しかしその薬、毎夕塗らなくてはいけないし、治癒と引き換えに酷い傷みを伴った。おかげで毎晩、苦しい悲鳴をあげなくてはならなくなった。

 その悲鳴が嬌声だと間違われても妃菜は耐え、薬を塗り続けた。

 

「驚かしてやるために」


 妃菜の若さが功を奏したのだろう、十年という時をかけて、今ようやくに治療を終えたのだった。

 妃菜は御用人の魂消た顔を思い浮かべ、箱の中で笑った。


「見返してやる」


 すれ違った使い奴が魂消て転ぶ。

 明るい路をひとりで歩いて帰ってきた邸主に、今日も御用人は苦笑いで迎えた。


「おかえりなさいませ南の方。一日邸を空けるとは、初めてのことではないですか」

「あらそれは皮肉かしら」


 珍しく言葉を返してきたので、御用人は一歩退いた。このわざとらしさが心底憎たらしいと妃菜は思う。


「いえ。ただ身を案じておりました」

「そう、ありがとう」


 御用人が躊躇ったふりをしてる間に妃菜は御寝所へ滑り込んだ。御用人はいつものように追って几帳に語りかけてくる。


「まだ八つ時でございますが」

「昨夜、一晩中寝ていないの」

「舎人を呼びましょうか」

「もうその必要はないわ」


 妃菜は几帳の裾から風呂敷包みを転がした。鹿の子が包んだ小さい風呂敷には菓子がひとつ収まっている。


「これは」

「お八つよ。あんたにあげる」

「お八つ」


 御用人は大袈裟に喜んだ。

 まあ刻は正しいし、妃菜は以前から落雁やら千代結びの飴やら、よく菓子を分け与えてくれる。全くいつまでも子ども扱いかと文句を唱えながらも受け取る。椿餅を見た御用人はにんまり。

 こんなに美味そうな生菓子をいただくのは初めてのことだ。


「いただいていよろしいんですか」

「あんた、一度はちゃんとした御饌菓子を食べてみたいって、言ってたでしょう。それが今日の菓子よ」

「はぁ」


 御用人は首を傾げた。

 そういや飴を舐めたとき、そんなことばかり考えていたが、口に出していただろうか。

 遠慮なくかぶりつけば、なんと極上の甘味。夢中になって食べていると、几帳の奥から細々とした声が上がった。


「お餅の中」

「はい」

「金柑が、入っているの。美味しいでしょう」

「ああ、はい」


 なるほど、残り少ない噛み口を見れば見事な黄身色。


「あんた、ここんとこ風邪ひいてたでしょう。金柑は喉にいいから」

「はぁ、それはそれは。お気遣いいただき」


 今宵雨でも降るのではなかろうか。力なく笑えば、金柑の芳醇な香りが喉を潤す。


「ありがとうございます」

「こちらこそ、ありがとう」

「こちらこそ?」


 ここで御用人は無性に腹が立った。

 しっかり食べ終えると、内頰に残る餡を舌で拭い、膝を立てる。


「なんですか、いつもは使い奴のように扱うくせに。急にかしこまって、お役目御免ですか」

「そうよ」

「は?」

「賀茂乃の当主が謀反を起こしたの。人手が足りなくなるから、あんた帰って」

「当主が謀反……? 麗菜様が!? それゆえご不在でしたか。いやそんな、急に言われても!」

「晴れてお役目御免じゃない。引きこもり側室のお守りから離れられるのよ、嬉しいでしょう? 今までお疲れ様でした」


 しん、と音が消える。


「……本気で言ってますか」

「本当よ。しばらくばたばたすると思うわ。覚悟なさい」

「そうじゃなくて! ――もういい」


 御用人は立ち上がると、何を思ったか帳台に体当たりをした。しかし言わずもがな、妃菜は結界を張っている。跳ね返された御用人は板間に膝を擦りながらも、ぶつくさと何かを唱え始めた。


「ちょっとあんた、まさか」

「これでも陰陽師の端くれなんでねぇ、何が何でも破ってみせますよ」

「破ってどうする気よ! 一発殴ろうとでも言うの」

「そうですね、汚い痘痕顔を盛大に笑ってやりますよ」 


 そう言うと御用人が詠唱に入ったので、妃菜はしめしめと鏡を取り出した。この時を待っていたのだ。鏡に映る自分を眺め盛大に笑うがいい。二度見して言葉を詰まらせたら、こっちが笑ってやる。

 妃菜は顔に被せた黒い顔と帳台の結界を自ら解くとお稲荷さまにもらった神鏡を几帳の裾から滑らせた。


「見たいならこれで見なさい。あなたの気が済むまで、好きなだけ笑うがいいわ」


 詠唱が止む。

 妃菜は心の臓を跳ねさせながら、鏡に映る位置へ座った。

 急に心細くなる。

 鏡に映った顔をなんとも思わなかったら。

 素顔さえも可笑しかったら。

 恐る恐る覗き込んだ鏡はこっぱ微塵にされ、あべこべだ。それでも目をこらしつなぎ合わせれば、御用人は垂れ目をきゅっ、と結んで難しい顔をしていた。


「そ、それでどうなのよ」

「なんですかこの鏡は。割れすぎて、よう見えません」

「それしかないのよ、我慢しなさい」

「我慢できません」

「は?」


 ――ばさり。


 几帳が翻り、起こったひと吹きの風はあっさりと御用人の侵入を許す。妃菜に隠せるものは何もない。しおらしく袖で隠せば良いものの、印を結ぼうともたつくものだから、両手首をとられる始末。

 あまりに突然のことで、御用人を見上げてしまう。

 御用人は魂消なかった。

 曝け出された顔、十年ぶりに見る妃菜の素顔に、声を上げて笑った。


 それはそれは嬉しそうに。


「どうして……? どうして驚かないの」

「驚いてるよ。ここまで綺麗に治してるとは思わなかった」

「治してる?」

「旦那様から全部聞いてる。十年、よく頑張ったな。――妃菜」


 御用人は月明と行き合う度に聞かされた。

 治療薬は毎夕塗らなくてはならないし、酷く痛みを伴う。妃菜は御用人に綺麗な姿を見せるために頑張っているから、完治するまでは何も知らないふりをして、辛抱してやってくれと。

 御用人は恨めしそうに話しながら、妃菜から目を反らさない。十年ぶん、眺めてやろうと言わんばかりに。


「綺麗だ」

「う、嘘よ」


 痘痕は綺麗に治っている。しかし妃菜の顔は元々、京菜のように派手な顔立ちではない。


「嘘なものか。この十年、想像していたよりずっと、君は美しいよ」


 御用人は馬鹿正直に待った。

 妃菜は南の院の引きこもり。自分は外で女を作ろうと遊郭へ通おうと好き勝手出来る、知られることはないのに、ただ惚けえと几帳の外で待っていた。

 だって自分が選んだ道だ。

 大好きな姫君に一生付き従うと、自分が決めたのだから。

 妃菜が小御門家の側室候補と知ったとき、どれほど喜んだことか。自分こそが御用人であるとしつこく妃菜につきまとった。妃菜が疱瘡で倒れても、その気持ちは変わらなかった。その頃には痘痕などちっとも気にならないほど愛していた。

 しかし御用人も人間である。十年も待たされ鬱憤は溜まり溜まって、性格は多少なり捻れてしまった。

 皮肉な口調はしばらく正せそうもない。


「私が庭の虫と話してる間、妃菜は舎人に着物を脱がせていたとはね」

「そ、それは」

「知ってたさ。知ってはいても、妬かされたよ。舎人が君の素肌に触れていると思うと嫉妬で気が狂いそうだった」

「よく言うわ。一晩共にいることも我慢できないほど、私のこと嫌いなくせに」

「勘違いも甚だしいな。あれは君が当主に我慢ならなくて、御寝所から逃げてきたと思い言ったのだよ。私は嬉しくて、両手を広げて迎えたものさ」


 そういえば両手を広げていた気がする。

 初夜の途中で帰ってきたことがそんなに可笑しいかと嘆き、妃菜は帳台へ逃げ込んだ。

 妃菜に逃げられた御用人はしばらくその場で固まっていた。


「それでも完治したら会えると必死で耐えていたのに、離別を望むとは。傷付いたよ」

「だって、もう嫌なのよ。あんたをこんな北の端っこに閉じ込めておくなんて」


 妃菜は痘痕が治っても、見返して終わり。いつもの日常へ戻るつもりだった。御用人が嫁を娶ろうと、子を成そうと自分は何も変わらない。側で当主と、御用人の幸せを見届けながら、この南の院で身を沈めようと。

 妃菜を決心させたのは椿餅――。

 金柑の花言葉の「思い出、感謝」に気付いた妃菜は心を改めた。

 暇を出さない限り、御用人は自由になれない。ずるずるとくされ縁で御用人の人生を引きずってはならない。自分には思い出があるから大丈夫。この十年、几帳に影をつくってくれていたことを感謝して、別れを告げよう。甘酸っぱい餡を味わいながら、そう心に決めたのだった。


「だから、どうか言うことを聞いて。好きに生きて」 

「そうか、ありがとう。晴れて自由だ。感謝するよ」


 妃菜がほっとしたのは束の間。御用人は掴んだ手首をそのまま敷妙へとねじ込んだ。


「え……っ」

「今夜はひとりの男として、帳台を共にできる」

「ま、待って」

「十年も待ったんだ。これ以上待てない」

「命令よ!」

「残念。私はもう、君の御用人じゃない」


 御用人は一晩どころか、三日三晩入り浸り。御寝所を通りかかった舎人は「とんだ噛ませ犬だ」と泣いた。

 恋がひとつ実り、いくつか散ったのを知るのは、お稲荷さまと小薪だけである。

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