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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
すずし梅 / かくなわ
9/120

四‐久助

 妖しだらけの小御門総会を終えた久助は旦那様がお帰りになるまでの間、自身も少し暇をもらおうと東の院へ足を運んだ。

 いつもなら月明に付き従う久助であったが、この日は「お稲荷さま代理」に命じられた身分。朝から参拝客に耳を傾け酔っぱらいに付き合い、お稲荷さまの恋患い(簡略化しましたが、二刻)の加療に久助の耳はじんじんするほど疲れきっている。

 鹿の子さんの可愛いらしい声で癒されたい。

 そう思い、敷居をまたいだのだが。



「…………ご冗談でしょう」



 久助はきれいな弧を描き、あんぐり口を開けた。

 なんとまあ東の院のかまどから煙が上がっているではないか。釜を炊き続けて半年、今日は鹿の子にとってはじめての休み。常人なら黒い炭や土間の土など見たくもないだろうに、どうしてまた。まさかここでも面倒があるのかと目頭を押さえながら、久助は甘い煙の暖簾を潜った。


「あっ、久助さん。こんばんは」


 鹿の子は昨日と変わりなく煤汚れた顔をにっこりさせて、出迎えてくれた。

 変わっているとすれば、小豆顔を少しむくらせ、粒羅な目を泣き張らしている。痛ましいやら、甲斐甲斐しいやらで、久助はやんわりと苦笑いを溢した。

 昨夜、一つの勘違いと一つの罪がいっぺんに重なった鹿の子は、久助に付き添われながらも東の院へ帰る道すがら、わあわあ泣いた。

 一つの勘違いは、お稲荷さまに暇を出されたこと。

 鹿の子はお稲荷さまがお怒りなのだと思い込み、休みを罰と受け取った。御慈悲ですよ、と久助がどんなに言い聞かせても、鹿の子は「すんまへん」の一点張り。作り直す、釜を離れたくないと、夜道の中なんべんも踵を返そうとした。

 一つの罪は、旦那様のお顔を忘れてしまったこと。それを本人に告げてしまったのだから罪は二つといっていい。

 旦那様のお顔はとうさまより怖い般若になっとった。旦那様に嫌われた、一生恨まれる。自分には東の院へ帰る資格はないと、鹿の子はやっぱり釜へ戻るという。終いに久助は鹿の子を肩に担いで走った。

 罰というなら東の院で受けてくださいと、蔀という蔀を下ろし、結界を張ってまで閉じ込めたものである。ラクが忙しいのでぬりかべを見張り番においていったのだが、門を塞がせていた筈のぬりかべはかまどでよだれを流すばかり、てんで意味がなかったようだ。

 まあ一応、鹿の子は東の院で休まれたようだからよしとして、空高く昇るこの煙がお稲荷さまにみつかったら何を思うか。久助は優しく鹿の子へ言葉をかけながら、さっさと火消し壺へ炭を移していった。


「鹿の子さん、お稲荷さまは昨日の御饌菓子を寝込んでしまうほど、たいへんお気に入りなのですから、休みの日まで火をおこさなくてもよいのですよ」

「あい、でも……、暇で暇で」

「ここには大した材料もないでしょうに」

「それが、誰かがもち米を置いていってくれて」

「もち米?」


 米とぎ婆と小豆洗いが境内で集めたもち米を僅かな期待を胸にここへ持ってきたのだ。二人が洗ったのなら、まあ綺麗なのだろうが、そこまでして食べたいのかと久助は呆れ返る。期待通りに作ってしまう鹿の子に対してもだ。

 言わずともわかる久助の呆れ顔に、鹿の子は照れ笑いを溢した。


「ふっくらしたいいもち米なもんで、うずうずして……もち米と砂糖だけでも、美味しいお菓子作れるんですよ?」

「では、明日の御饌に」

「いいえ」


 ちょうど蒸しあがりましたからと、にこにこ釜の蓋を開ける。たちまち笹の香りがそこら中に広がった。


「今日は久助さんのために、作ったんです」


 今、お茶淹れますからと釜を離れる鹿の子。久助は途端に顔色をかえ、我先にと群がる妖しを蹴散らし、誰にもやらんと釜にしっかり蓋を被せた。




 かまどから五歩先にある東の院の縁には茶二つと、無造作に積み上げられた菓子がほどなくして調えられ、それらを挟んで二人は仲良く顔と膝を合わせた。


「どうぞ」

「では、ありがたく」


 鹿の子が久助に作った菓子は端午の節句によく食べられる、ちまきである。炊いたもち米と米粉を砂糖と練り合わせ、庭でとれた笹の葉で巻いて蒸しあげたもの。毎年、小御門でも皐月になると御饌に上がるので久助には見慣れた菓子だ。先代が生きていた頃は毎年いただいていたから、よく知っている。甘いだけの餅。

 まったく普通のちまきと何が違うのだと、期待せぬよう笹を広げ、一気に口へ放り込んだ。


「…………っ」

「ふふっ、びっくりしました?」


 鹿の子にしては珍しく若い娘さんらしい、したり顔で久助を見上げた。

 久助はといえば噛み砕く度に溢れ出す熱い蜜をどうしていいかわからず、口の中にやんや、やんや祭り囃子を上げた。

 火傷するほど熱いのに、どろっと舌に絡み付きなかなか溶けない。餅より甘くて、くどい蜜。それをまた、つるんとした餅がさらっていって、最後は不思議とすっきりと、果汁が舌に残る――。


「……懐かしい」


 何がどう懐かしいのかわからない。ただ、懐かしい。そして言わずもがなの、明明白白たる、美味さであった。

 鹿の子もまた、あつ、あつと自分の菓子を頬張りながら、美味そうに語る。


「この中の、黒蜜言うて、さとうきびの絞りかすで作った、黒砂糖が原料なんです。お客様にだされへんので、よう働いた百姓や身内に配るんですけどね、誰が考えたんか、水でのばすとどろっとして、寒天なんかにかけると美味しくて……ああ、懐かしいなぁっ」

「黒蜜……」


 鹿の子の小さな手にのる食べかけを覗くと、なるほどどろっとして黒い。


「売りもんにならん砂糖なんで、当然御饌には上げられません。でも私には一番美味しい、故郷の味。糖堂の味なんです」


 寂しなったらお食べなさいと、ばあさまが嫁入り道具にしのばせてくれた黒砂糖。それをほとんど使い果たして、鹿の子はちまきへ入れた。この後もお務めがあるであろう久助のために、腹持ちのいいちまきに、黒蜜には後味爽やかな夏蜜柑の皮をすって入れて。今まで味見ひとつできなかった久助のために。冷然ながらも優しくしてくれる久助のために。鹿の子は精一杯、菓子に想いを込めた。

 想いが伝わるように、短く、ゆっくりと鹿の子は言う。



「これがほんまの、久助です」



 久助には心読まずとも、鹿の子の想いが伝わった。

 風成で言うところの久助とは失敗作や、余った菓子の材料で作られた平民菓子を意味する。ここにいる久助という神もまた、御饌に上れなかった切り屑から生まれている。

 売り物にならない砂糖で例えないでくださいと、取上げてもよかったのだがこの久助、美味しくて美味しくて、怒る気がしない。なにより鹿の子が久助を、一番に好きだと言ってくれたことが、嬉しくて、嬉しくて幸せだった。



「今なら、お稲荷さまのお気持ちがわかります」



 涙はでない。涙の代わりに幸福感が、久助の凝りかたまった砂糖の心を溶かしていく。



「お稲荷さまの?」

「鹿の子さん、このちまき、よだれ垂らしてる妖し等にも分けていいですか」

「あい、もちろん……ん!?」


 久助がほい、ほい無造作にちまきを宙へ投げると、半弧描いたあたりを着地にぱっ、と消えた。まるで誰かが着地点に大口開けて待ってるみたいに。


「もち米を届けたのは、こちらの米とぎ婆と小豆洗い。ふたりはもち米を洗ってくれています。ですので、ひとつずつ」

「だから米一粒一粒に艶が……ありがとうございますっ」


 鹿の子が明後日におじぎしたものだから、久助はくすくすと声を上げて笑い、紹介を続ける。


「門番のぬりかべにも、ひとつ。そしていつも鹿の子さんを気にかけている、唐かさにも」

「唐かさ? 唐かさて、あの唐かさお化け?」

「はい。鹿の子さんに掛け衣するのはいいんですが、なんせ一本足。適当に掛けるから炭で燃やしてしまう、おっちょこちょいです」

「優しい誰かさん!」


 わたしが寝相悪いだけかと思てたと、からから無邪気に笑う。唐かさお化けって小さい頃絵巻で読んで、大好きやとまた明後日向いておじぎした。それを端でみていた唐かさは中軸に骨をきゅうきゅう締めて、うひゃあうひゃあと飛び上がって喜んだ。

 あのへんに居るのが家鳴りで、あのへんが小鬼ですと、久助が指差し、切ったちまきを鹿の子が投げる。一片残らず消えるので楽しくて嬉しくて、たまの休みもええもんやと鹿の子は思う。その優しい目の外で家鳴りがもっともっとと母屋を揺らすが、最後のひとつは私のですと、久助がぱくり口へ放り込んだ。

 ずるいずるいと、戦慄く屋根柱に鹿の子が驚き、今度は久助がしたり顔を浮かべる。

 笑い口の中では甘く温かい蜜が、どんどん、どんどん、久助を溶かしていく。


「あぁ、美味しい。どうしようもない酔っぱらいでも、こればかりは感謝せねば」

「酔っぱらい?」

「もち米を供物に持ってきた男ですよ」

「まあ。では、特別なご贔屓を?」

「まさか。あんな唐変木、母ちゃんに捨てられて当然」

「母ちゃん?」

「供物分はいままで苦労された、母ちゃんの懐へ納めました。山越えてすぐのお寺の御坊が寂しそうだったので、行き逢わせたんですけどね、これがまた銭もちで」


 世の中うまくまわるものですと、自慢気に鼻を鳴らした。

 いままで見たことない久助の、人間味溢れた表情に鹿の子は唐突に、ドキリと胸を射たれた。酒も肴もない、甘い菓子と渋いお茶しか口に入れてないのに、なんでか胸がいっぱいで顔がぽかぽかする。

 またきれいなお顔で真っ直ぐにこちらを見据えるものだから、どんどん顔の熱が上がっていった。


「鹿の子さん」

「は、はいな」

「私、この久助、一生忘れません」


 懐に手を添え、久助にそう言われた鹿の子は、胸をどくどくいわせながら作り手の喜びを感じた。やっぱり誰かに喜ばれるほど、喜ばしいことはない。

 

「ありがたき、幸せでございます」


 鹿の子は縁の板間に三つ指をついて、久助の言葉に応えた。


 この日この宵、鹿の子にも久助にも特別な、かけがえのない一時となった。みえなくとも鹿の子に知れる存在となった、妖し等にも。



 その夜、神饌を仕出しする広いかまどで、御饌菓子を盗み食いしようとする巫女を唐かさがみつけ、久助が取り上げている。


「旦那様の直会にお出ししてください」


 久助は主である月明に託した。

 主が鹿の子の菓子を一度食せば、神道に逆らってでもお稲荷さまの局勢を阻むだろう。主ならば、必ずや鹿の子を救う糸口をみつけてくださると。

 お稲荷さまが鹿の子を嫁にする。これすなわち、鹿の子の死を意味する。叡智なる式神と妖し等は道理をはずし、神より娘の前に立つことを誓った。


「この身を削ってでも、かまどの嫁をお守りしましょう」


 小御門総会が堅く契りを交わした夜――主に託した話し合いが随分とずれてしまったことは、明朝すぐに知ることとなる。




黒砂糖は後々風成で飛躍します。愛好家、製造業者ゆかりの方々、ご了承くださいませ。

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