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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
久助‐後章 / 小御門
88/120

四‐神器

「え? なんもしてない?」


 小薪が耳元で声を張り上げるので、火消し婆は天井まで吹っ飛んでしまった。声音に祝詞の調子が残っていたようだ。火消し婆はぺらぺらの布団のように屋根柱に干され、無残にもそこここに白髪が散った。

 臆病な小鬼たちは柱の陰で「うちらも知らん、知らん」と首を振っている。

 小薪は不安げに納戸を覗いた。

 小薪が居るのは妖し小鬼集まる御饌かまど。刻は夜半、鹿の子はかい巻きのなかですやすや眠っている。


「あとひと月もないのに……」


 納戸を隅から隅まで探すが、久助らしき菓子も、作っている形跡も何ひとつみつからない。あるのは米や砂糖の俵と、栗や杏子を漬けた蜜に、砂糖水。小薪は透き通った硝子瓶を見詰め、映る自分へ溜め息を吐いた。

 妖しらに訊いても先ほどの通り、なんも見ていないのだ。

 鹿の子が心に決めた菓子は、簡単に作られるものなのだろうか。菓子の寿命をできるだけ延ばそうと、直前に仕込もうと考えているのかもしれない。

 信じてはいるが、それにしても試作ひとつ作らないので、心配してしまう。味見したいという邪な理由はさておき。


「さて、お出ましかいな」


 小薪は指を鳴らすと臼の中の餅をひと舐め、勇ましく境内へ駆け出していった。


 

 *



 賀茂乃神殿が祀る兎の神獣、白拓はくたくは長い耳を伸ばし、京菜の腕に抱かれ事の成り行きを見守っていた。

 何の礼儀もなしに小御門神殿の東門を潜ったのは賀茂乃家紋が夜目に眩しい、艶やかな牛車。降り立ったのは当主の麗菜とその末娘である京菜、外に立つ従者を入れて四名と、数えられる人間のみである。奇襲をかけるにしても心細い人数やなぁと、白拓は呑気に思った。


「こちらでございます」

「うむ」


 藤森家の神職に導かれ、先頭の麗菜はその姿を隠そうともせず境内の砂利を蹴った。藤森家は留守中の警備を任されているのだから、これほど強い味方はいない。拝殿の御扉を開いたのは藤森当主自身。ご丁寧に灯りつきで、すんなりと敷居を跨ぐことができた。


「陰陽師家の、将来の、ため。風成の、未来のため」


 恐れ戦いていたのは京菜である。白拓が京菜の腕に顎をのせるとがくがく震え、前が見えなくなる。白拓にとって、幼さ残る純粋な京菜が唯一の救いだ。どうせこき使われるのなら京菜がいいと、まあるい尻尾を振った。

 小御門家の当主も当主である。穴を開けるにしても、正月を選ばなくともよかったではないか。神殿を分家に任せたりするからこんなことになるのだ。それも普段からあからさまに蔑視を向けている藤森家とは。

 ぶつぶつ文句をたれていると、幣殿へ繋がる渡殿で京菜の震えが止まった。

 白拓が顔を上げれば、麗菜の前に見目麗しい姫君が立ちはだかっている。


「かような夜更けにご参拝でございましょうか」


 誰しもがひと目で側室だとわかる立ち居振る舞い。満ち溢れる若さと気品が相まって、闇のなかでも輝きを隠せず、従者の目を釘付けにさせた。また艶やかな袿の下で影を作る、豊かなふたつの丘が印象的だ。


「おおきい……!」


 京菜の大きな感想は妬ましさを含んでいる。いたづらに背中に集中した白拓は明らかな侘しさを感じ、京菜の震えが止まった理由を悟った。

 白拓のいう見目麗しい姫君とは、小薪を指す。

 小薪は幣殿への御扉にへばりつくと、両手を腰にあて、ふんぞり返った。


「ええやろ、ええやろ」


 気品とは。 

 次の瞬間、麗菜は青筋を立て食ってかかり、白拓はその胸元を追った。また然り。

 

「側室風情が。傷付きたくなければ、おどきなさい」


 小薪はその艶かしい身体を御扉へぴったり付けている。たとえ結界を張り動きを止めたとして、先へは進めない。

 小薪は手出しできない結界師を嘲笑った。


「長老が偉そうに。ここは意地でも通さへんで」 

「ち、長老ですって? あなた、私が誰だかわかって言ってるのかしら」

「賀茂乃神殿の当主様ですよね。分家風情が」

「分家風情ですって!?」

「お言葉を返しただけですけど!?」


 白拓は京菜の腕に埋まり、目を瞑った。

 女の取っ組み合い、それも気位の高い奥方が衣裳を崩し、御髪を振り乱し暴れるのだから、とても見ていられない。

 見たくなくとも見えてしまうのが神獣。

 陰陽師の闘いとは思えぬほど稚拙な情景に、白拓はついに口を出した。


「京菜はん、力づくなら従者を使えばええ話では」

「はっ! え、ええ、そうね。あなたたち、あの側室を取り押さえて」


 京菜が命じれば、従者ふたりが小薪へにじり寄る。しかしその影は拝殿の外まで吹っ飛び、境内の砂利にあえなく沈んだ。


「力づくなら、こっちが上や」


 ラクとクマ、小御門きっての豪傑御用人だ。

 久しぶりに身体を動かせたラクは得意満面に指を鳴らせた。


「うん、まだ衰えてないな」

「いや肩が上がってなかったで」

「そうかあ」


 和気藹々とはしゃぐ屈強なふたりに白拓は「ほっ」と胸を撫で下ろした。吹っ飛ばされた憐れな従者ふたりはお日さん昇るまで目を覚まさないと、天は囁く。ラクとクマの二の腕を見る限り藤森家の人間が束になっても敵いそうにない。 

 これには麗菜もたじろぎ、京菜は片足を引いたが。


「ごきげんよう」


 短い挨拶を合図にして、渡殿に黒い帳が下りた。麗菜の爪先から向こう側が見えない。小薪やラク、クマごと幣殿への入り口が結界という名の壁で塞がれた。

 白拓が振り返れば拝殿と母家を繋ぐ渡殿に四角い箱を被った女が立っている。

 南の方、妃菜だ。

 麗菜は穢れにまみれた笑みを浮かべた。


「妃菜、遅かったじゃないの」

「お姉様? お、姉さまなのですか?」


 京菜が訝しむのも無理はない。妃菜の顔を最後に見たのは京菜が齢六つの頃の話である。十年ぶりに会った姉の顔は箱と化していた。怖い。

 妃菜は箱を外すことなく、やおらに手招きをした。怖い。


「お言葉ですがお母様、小娘の挑発に乗るようでは宗家の座を獲得することなど出来ませんよ」

「なっ、しかしこのままでは本殿へ渡れぬ」

「まさか本殿への入り口が幣殿ひとつだとでも? ご自身を顧みて恥じてくださいな」


 麗菜は娘の人を食ったような態度に目を吊り上げたが、しばらくして「あっ」と頓馬な声を出した。

 賀茂乃の神殿を頭に浮かべればわかることだ。幣殿の外回廊から直接本殿へ繋がっている。その外回廊は幣殿、拝殿それぞれ母家へ渡る渡殿が架けられており、何時でも神職や巫女が行き来できるようになっている。

 つまりは、幣殿の外回廊を使えば母家から本殿へ抜けられるのだ。

 風成に五つある神殿はほぼ同じ構造の寝殿造り、冷静に考えればわかることだった。


「西の方は私の結界を破ることはできません。こちらからどうぞ」


 妃菜は母家の闇へと溶け消え、白拓は「あーあ」と溜め息を吐いた。神獣は人間が選んだ道を邪魔立て出来ない。こうして見守るしかないのだ。

 妃菜を追いかけ母家へ渡る。そうすると横切るのが御饌かまど。刻は夜半だというのに火が点けられている。それもかまどに炭を焼べるのは火消し婆だ。火消し婆は火を消さず、雪婆とくっちゃべっていた。


「いやだわ、かまどに妖しを出入りさせているなんて先代そのものじゃない」 


 麗菜は「胸糞悪い」と吐き捨て、本殿へ足を急がせた。

 白拓はかまどでもたつく京菜の腕の中で、どんどん腹を空かせていった。

 かまどの火は焚くだけで甘い香りがする。これは千年、御饌菓子を絶やしていない証。

 小御門という家はお稲荷さまを尊み、時には掌中の珠とし、愛を注ぐ。ゆえにお稲荷さまは力衰えることなく、いつまでも風成を護っていけるのだ。

 あとお稲荷さまのご機嫌が良いと菓子のお恵みがある。

 白拓は知っている。

 御饌菓子を食べた翌朝は寝癖のない、さらさらの毛並みに生まれ変わる。

 対して賀茂乃という家は、ちょっとはしゃいだだけで夕餉も削るし、つまみぐいなどもってのほか。


『お腹空いたぁ』

「白拓、……しっ!」 


 白拓の嘆きは届かず、京菜は甘い煙を潜って母と姉を追いかけた。妃菜を船頭に渡殿を渡れば、間もなく本殿。

 妃菜は歩みを止めることなく階段を登る。本殿の御扉の向こうとは、本来ならば人間の立ち入ることの出来ない聖域である。ひと足踏み込めば祟られるか、本殿を眺めればその目、潰される。


「本当に、お稲荷さまは居らっしゃらないんでしょうね」


 麗菜の確認も虚しく御扉はいとも簡単に開かれた。


「ま、待ちなさい」


 妃菜は母の言葉を聞き捨て、躊躇うことなく中へ入っていく。遅れをとってはいけない、麗菜と京菜は薄目を開けつつ階段を上った。

 しかし本殿の中は、怯懦になっていた自分たちを恥じ入るほど何もない。久助のいない今、広い本殿にはお稲荷さまの御霊代みたましろである、まあるい鏡が寂しく祭られているだけだ。

 白拓は耳を垂れ、その時を待った。麗菜――小皺を伸ばし、かろうじて初老の肌を保つ当主は息を整えると、企みを瞳に染めた。

 なにが始まるというのか。

 尋ねたのは妃菜だった。


「ご覧の通り、本殿に入れたからといって、特別な魔法など起こりません。お母様は此処で一体何がしたかったのですか」

「……ふふ、惚けているのかしら。可愛い娘」

「惚けてなどおりません。まさか御霊代を破壊されるとでも仰るのですか。御霊代がなくなればお稲荷さまが御降臨されないだけ。風成の均衡が崩れるだけです」

「そんな馬鹿な真似はしないわ。いいえ、私はもっと馬鹿なことをしようとしているのかしら」


 麗菜が袿の中から刃身一尺七寸の刀を取り出す。鞘から抜き、表れたのは兎を形容した賀茂乃家の家紋。

 風成には神鏡の他に四本の刀が神器として祭られている。

 千年前、お稲荷さまを祀り風成を救った陰陽師はお稲荷さまの御霊代だけでなく、四躰の神獣の御霊代に刀を鍛えた。

 妃菜は母の振る舞いに心の底から笑った。


「御霊代を入れ替えれば神も代替えするとでも? 失礼ながら白拓様が国の柱に成られるのでしょうか」

 

 白拓は鼻を少しだけ上向かせたが、失礼だとは思わなかった。事実白拓の役はお稲荷さまの命に従う使役獣。国ひとつ任されても、可愛く首を傾げることしかできない。

 麗菜は負けじと声を高くして笑った。


「面白い冗談ね。私は神獣一匹に過信するほど愚かではないわ。しかし御霊代の入れ替えに関しては間違いではない。小御門家の神器はあなたにあげる」


 目は笑っていない。妃菜へ向けられた刀の切っ先は殺意を含んでいる。


「……私へ、神になれと」


 妃菜の冷ややかな声が本殿に轟いた。

 国を救った陰陽師は神器だけでなく、創始者として教典を五部遺している。陰陽師の血を引くものならば、その内容は一具一句頭に叩き込まれている。神獣である白拓も、頭のなかで教典を後ろから手繰った。

 お稲荷さまは半妖だ。

 人間とするならば身体が弱い少年で、妖しとするならばふさふさと豊かな尾があるだけだった。人間と同じ耳をしているから、遠くまで聞こえるわけでもない。瞳は紅いだけで、遠くまで見えるわけでもない。人間からも、妖しからも邪険に扱われ、果てには国のために命を絶てと、追いかけ回された。

 未成熟な身体に半妖の血。怨を秘めれば神になれず、悪鬼となる可能性が高い。悪鬼になれば滅する神器が必要となる。


 そのための御霊代。そのための、四本の刀である。


 お稲荷さまは見事、素晴らしい氏神へと生まれ変わったが何百年、何千年後、なにが起こっても不思議はない。陰陽師は教典の末尾へこう記した。


 ――御霊代から神が消滅する、もしくは神が国を見放し均衡が崩れた場合、四家の中から新たな神を選ばれよ。


「神器の刀で貫き、川へ身を沈めよ――ってね」


 麗菜は一気に間合いを詰め、相手の懐に入ると潔く刀を突き立てた。

 鈍い音と共に娘の断末魔が本殿に轟く。


「……何故、京菜を」


 麗菜が牙を剥いたのは最愛の娘――、京菜であった。


「私は嘘が嫌いよ。この神殿はあなたに任せるといったじゃない。あなたは生涯、当主としてこの娘を祀るのよ。この出来損ないの娘をね……!」


 白拓はゆっくりと崩れゆく京菜の腕の中で、心の底から溜め息を吐いた。

 京菜は六人いる異父兄妹の末娘であり、その力も底辺だ。異能を引き継がず、霊力も姉に遠く及ばない役立たず。良いのは器量ばかりで、磨けば磨くほど美しくなる京菜は麗菜に妬まれていた。

 京菜は純粋に母を愛し、尊んでいたというのに――。

 麗菜は手の震えを追い払うように刀を捨てた。


「やった……やったわ! 私は神の母となるのね? お目付役のように、不老長寿を得られるのかしら。出来るわよ、そうよね? 京菜、お母様の言うこと、聞けるわよね?」


 気味の悪い笑い声を発しながら動かぬ娘を揺さぶる。京菜の腕から抜け板間に足をつけた白拓に、妃菜は冷然と尋ねた。


「見届けられましたか、白拓様」

『……うん』


 そういや「白拓様」と呼んでくれるのは、妃菜だけやったなぁと、白拓はしみじみと思う。結局、筋書・・き通りになってしまった。白拓は眼窩いっぱいに目を見開き、紅い瞳を潤ませた。


『お稲荷さまもご覧の上』


 麗菜がぎょっ、と振り返る。

 白拓の目はお稲荷さまの目。決して良い目ではないが、部屋一周は見渡せる。

 麗菜は京菜から離れると、地に足をつかせたまま動かぬ神獣の首を掴み拾い上げた。


「お稲荷さまですって……?」

「コン」


 狐の鳴き声。

 白拓の股から覗く本殿の入り口に真っ白な毛を蓄えた狐がちょこん、と座っている。

 小御門の側室であった麗菜にはその狐が何者か、直感で理解した。

 

「ひぃいいい…………!」


 白拓を放り投げ、後ずさる。


「どうして! どうしているの!」 

 何かに躓き蹌踉よろめけば、京菜が転がっている。

「……はっ、そうよ、今更関係ないわ」


 麗菜は一閃の光が差し込んだように再び刀を握ると、奥の祭壇へ膝をのせ登り上がった。祭壇にはお稲荷さまの御霊代が祭られている。

 人の頭ひとつ分はある、その神鏡に自分を映し出すと、床へ落とし刀で追いかけた。


「こんな鏡、割ってしまえばいいのよ!」


 ――パリン。

 刀を突き立てられた鏡は儚く、蜘蛛の巣のように裂け目が拡がっていく。


「は、はは……! やった! やったわ! みて、妃菜――」


 妃菜は見ていた。

 見ているだけだった。

 白拓も。

 白い狐も。 


「コン」


 愚女を嘲るような狐の鳴き声が上がった。


「どうして……、御霊代を壊したのに!」

「まあ、今のお稲荷さまに御霊代は要りませんからねぇ」


 妃菜が冷然と月明の口真似をする。

 晩秋より狐にとり憑いているお稲荷さまは御霊代に用ないどころか、本殿にも菓子を摘みにくる程度にしか現れない。

 

「妃菜、あなた、まさかこの私を裏切ったというの」

「お稲荷さまを裏切ったのはお母様でしょうに。京菜、これでよくわかったでしょう」

「はい」


 麗菜は目を疑った。

 京菜がいつとはなしに妃菜の隣に立っているではないか。肌を貫く手応えは確かにあったのに。 

 麗菜は手首を震わせながら自分が握る刃身を見た。ぎとぎとと刀を汚しているのは血ではなく――


 餅。


 麗菜が感じた手応えとは、鹿の子が晩に搗いたばかりの餅の感触であった。京菜がかまどの臼から、くすねてきた餅だ。


「信じていたのに……」


 震えた声音は憐れみではなく蔑み。

 京菜は進み出ると、はっきりと声高らかに言明した。


「小御門神殿にて謀反あり。お稲荷さまの御霊代である神鏡を破壊し、実子を殺めかけたその罪、追ってお稲荷さまが下す。罪人、賀茂乃麗菜を牢に捕らえよ」


 ぞろぞろと現れたのは賀茂乃家、藤森家を除く三家の陰陽師面々。

 普段、足蹴にしていた長老ふたりに引きずられ、麗菜は小御門家から姿を消した。


最後までお読みいただきありがとうございます。

大変お待たせ致しました。

更新再開しました。

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