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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
久助‐後章 / 小御門
86/120

二‐君しぐれ

萌黄もえぎの黄身しぐれ

君しぐれ


こし餡で餡玉をこしらえておく。

白こし餡を釜に入れ、暖める。

柔らかくなったら火を止めて、お玉ひと掬い分を卵の黄身と混ぜる。

白こし餡と黄身がよう混ざったら釜に戻し、残っている白こし餡と合わせる。

全体が混ざり合ったら、小さい火で水分を飛ばしていく。

生地を手の甲に付けて、くっつかなくなったら黄身餡の出来上がり。

黄身餡が冷めたら、こね鉢で餅粉といっしょに混ぜていく。

生地を少しだけ取り分け、抹茶を混ぜ入れ抹茶生地を作る。

餡玉を薄く伸ばした抹茶生地で包む。

その上から抹茶を入れてない生地で更に包む。

蒸篭に入れたら、米研ぎ婆さんに米を研いでもらうこと。研がれた米の笊が三つ上がったら、蒸し上がり。

しっかり膨らんで、冷めてから取り出すこと。




 *




 納戸の菓子棚に入っていた、手をつけられていない菓子は寿命の短い生菓子だ。美味しくいただけるのは今日まで。

 鹿の子はクラマへひとつ恵もうと御寝所へ運ぶと、その足で二冊の菓子手帖を持ち出し、茶室に戻った。

 客座には既に菓子皿が並んでいる。

 出てもおかきか干し芋だろうと踏んでいた北の方は、目の前の美味そうな生菓子にびっくりして人形を畳へ叩き落としてしまいそうになった。

 

「こんなに美しい菓子、お稲荷さまのお許しがないのに、いただいて良いのかしら」

「良いみたいですよ」


 小薪が御寝所を見やる。白狐は几帳の向こうであごひげを真っ黄っきにしながら、「こん!(おかわり)」と鳴いた。


「鹿の子さん、明日も同じ菓子を御饌に上げてください」


 お稲荷さまのおかわりには、そういった意味合いがある。


「んでも、お稲荷さまはこの菓子は……」

「お稲荷さまはこの菓子を選り好みした譯ではありませんよ。ここ数日、神饌総て手をつけられておりませんから」 

「手をつけてない?」

「もう食べられるようですよ」


 手をつけていないということは、お腹を壊しておられるのだろうか。かまどに降らせた淡雪が綺麗になっているのを思い出し、食べ過ぎかと鹿の子は納得した。

 では茶会が終わったら直ぐ様、腕によりをかけて作ろうと皿の菓子を見つめる。


「それで、この菓子はなあに?」

 北の方が急かす。鹿の子はにっこり。

「黄身しぐれ、でございます」


 黄身しぐれとは、黄身餡を蒸した生菓子を指す。卵白だけを使う淡雪作りには、必ずといっていいほど黄身しぐれの仕込みが付いてくる。黄身しぐれ作りには淡雪が。ばあさまに教えられた鹿の子であったが、御饌かまどでも先代の代からこうして卵を使い切っていた。

 手の中にある、先代の菓子手帖を握る。

 この黄身しぐれ、ふっくらと膨らんだ生地に亀裂が入り、その模様が時雨しぐれに似ていることから、秋から冬にかけて出される菓子だ。鹿の子は春の時雨を表し、ちょっとした細工を施した。

 菓子を真上から覗き込んだ北の方は温かな笑みを浮かべた。


「なんて綺麗な萌黄色」


 時雨の割れ目から緑が見え隠れ。

 餡玉を包んだ抹茶生地は新緑の如し。猛々しいその色は黄身餡が見事に和らげている。まるで木々から溢れる木漏れ日のようだ。

 食めば溢れるのは、溜め息。


「はぁ……」


 日が経ったほうが黄身餡とあんこがしっとり馴染んで美味しい。ふっくら膨らんでいた黄身餡は口に入れた途端にあんこと一体となった。割れ目からは想像もつかない、なめらかな舌触り。黄身餡はきめ細かく、豊かな黄身の風味が特徴的だ。舌で餡を潜れば、抹茶の微かな苦味と香りが通り抜け、中にはどっしりと重腰を据えるこし餡。

 固めに炊かれたこし餡は小豆の味わいが深く、黄身餡によく合う。

 北の方は飴玉のように充分に口に転がしてから、名残惜しむように飲み込んだ。


「なんて美味しいの」


 追いかけて抹茶をいただく。

 内頬に残っていた黄身餡を新緑がすっきりと洗い流していくようだ。自分でも不思議なほど冷静さを取り戻している。 

 次客の小薪も抹茶を啜り切ると、乾いた瞳で巻物をしっかりと見据えた。


「それで、計画とは」

「はっ、そ、そうね」


 北の方は先月陰陽寮にて立てられたばかりの暦の巻物を広げ、如月で手を止めた。


「鹿の子さん、旦那様はあなたの誕生日には帰ると仰られたのよね。訊いてもいいかしら」

「十四日です」

 暦を指で辿る。

「如月の十四日は神送りからちょうどひと月――(まんげつ)。月の加護のある旦那様のお力が最も強まる日だわ。どうやらこの日で間違いなさそうね」

 小薪は北の方へ目配せをすると、そのまま目を瞑り集中し始めた。

 北の方は鹿の子にわかりやすいよう、暦に指を走らせながら話を続ける。

「いい? 旦那様はずっとこのまま身を清められる。その間、十五日の神送りには歳神さまが天界へ上がられ、久助さんに現世への道をお示しになられるわ。そしてまた月が一回りした望――、旦那様が久助さんに命を下される」


 ――主を依り代にこの世を生きろ、と。


「式の神にとって、主の命は絶対。それに逆らわせこちらに引き寄せるには強力な陰陽師と依り代が必要となる」

「逆らわせる……そんなこと、可能なんでしょうか」


 月明、そして久助の未来がみえぬ小薪が不安げに尋ねる。

 月明は滅した魂から式の神を生むという、歴代の陰陽師のなかでも最も使役術に長けた異能の持ち主だ。


「やるしかないでしょう」


 桜華は太刀打ちするならば自分しかいないと自負していた。

 そう、強力な陰陽師とは桜華自身のことを指す。


「逆らわせてやるわ。絶対に」


 人形師如きの自分が月の恩恵を受けた当主に敵うはずもないのだが、負ける気もしない。許せないのだ、式の神が主の身体を依り代にする、そんな道理から外れたことは。

 生真面目な幼馴染みがそれを望むなら、尚更。春の加護を受ける自分が正しい道へ導いてくれようと思う。


「私はこれから幣殿へ上がり禊に入ります。小薪はその間、神殿を護って」

「簡単に言いますね」


 残念ながら神殿には頭を悩ませる未来が見える。

 しかしここは力の見せ所。前回の雷神さまの時のように、決して邸を焼かせたりはしない。小薪は桜華を睨みつけながら、愉しそうに笑った。


「仰せつかりました」

「なによ、仰々しいわね」

「いえ、なんも」


 笑ったまま念仏のような呪文を唱え始めた。何が起こるか不安ではあるが笑っているから、まあどうにかなるのだろう。桜華は隣から視線を外し、正面を見据えた。 

 あとは鹿の子だ。

 ぽかんと口を開け聞いていた亭主に手を振った。


「鹿の子さん、鹿の子さんはいつも通り御饌をお出しながら、久助さんの依り代を作らなければならない。誕生日の前日までに、必ず間に合うように。いいわね?」

「どんな菓子でも、ええんですよね?」


 鹿の子という娘、自分のことになると目に炎をたぎらせる。二冊の手帖を握りしめ、今にもかまどへ飛び込んで行きそうだ。

 桜華は少し戸惑いをみせた。

 どんな菓子がいいか、こと細かに尋ねてくるかと思いきや、鹿の子にはこれと心に決めた菓子があるようだ。

 崩れにくいもの、日持ちがするもの、いくらでも注意はできるが。


「……そうね。久助さんに似合う菓子ならば」

  

 桜華はそれだけ言うと巻物を巻き戻し、一通の文と貝殻を縁の向こうへ差し出した。


「さあ、小薪。いくわよ」

「は、はい」


 ひとくちに神殿を護れとは言ったが、教示しなければならないことは山ほどある。桜華は小薪を連れ出し、境内へ向かった。


「気張りなさい。――鹿の子さん」


 孤独な試練を課せられた御饌巫女を憐れみながら。




 *



 

 鹿の子が畳に残された一通の文を開くまで、四半刻はかかった。共に添えられた貝殻から文の差出人が思い当たり、なかなか踏み切れずにいたのだ。

 文は月明が久助へ命じたみことのりであった。

 その内容は単純なものだ、教え通りにお稲荷さまを祀り、執務をこなすこと。五年間、月明の身代わりとなり働いてきた久助には容易なことが墨でつらつらと並べられていた。


「北の院へは人形の材料。南の院へは薬の処方を……? 側室への決まりも、こんなに細かく」


 ただ、中ほどから、目新しい命が続く。


 ――糖堂家に神祠を建立し産土神、炉の神を祀ること。神主として小御門から北の院御用人落雁を遣わす。

 ――年に二回、節分には麒麟を連れ糖堂家へ下ること。その折、三川酒造の味醂をふた瓶土産に持つこと。


「あの味醂は……旦那様が」


 台所にあった風成のみりんは月明が持ってきたものだった。鹿の子が愛用するのだから、きっとご実家でも喜ばれるだろうと。

 糖堂の神祠は小御門家御用達の宮大工に発注されている。旦那の名前の菓子をお供えするという、糖堂の習わしや日々の供物、神拝作法など決まりごとは目が滑るほど書かれていたが、外装は糖堂家がご納得されるようにと、久助に託している。

 実家への心配りに鹿の子は胸を熱くした。


 ――糖堂外郎の祝儀には風成小豆を一升、風成芋を五十石贈ること。列席の際にはお稲荷さまと共に、縁結びを取り仕切る。

 ――東の院鹿の子を正室として迎えること。衣裳は小花があしらわれた袿を誂えること。

 ――浮気はご法度。


「浮気は、ご法度? ふふ」


 声に出して笑みを溢し、涙を落とした。

 茶器の中の抹茶に朝露のような雫が浮かぶ。


 詔の末尾には貝殻の蜜蝋が仕入れられる紅屋の名前の下にさりげなく、こう結ばれていた。


 ――よき当主である前に、よき夫であること。


「皮肉なものですね、旦那様。わたし、旦那様を夫だと、一度も思ったことありません」


 鹿の子の袖は時雨れ、しばらく止むことはなかった。



 *



 ――見てアカツキ。菓子に下られることもあるのね。


 久助が御饌かまどの御出し台に乗ったのは、月明が二十歳の年の、晩春のことだ。アカツキとは月明の幼名である。元服しようが正室を迎えようが、月明の母だけはそう呼び続けていた。

 この日も変わらず「アカツキ」と呼ばれ月明は、本当にその頃へ時が戻せたらいいのに、と思ったものだ。 

 床にふせているはずの母がかまどに立っていると、巫女からの報せに朝廷の務めを放り出して帰ってみれば、青白い顔を煤だらけにして笑っていた。


「久しぶりに青雲を作ったらね、みーんな喜んでくれて。お稲荷さまやみんなの喜びがお天道様にも届いたのかしら、ほら、ほら」


 折れそうな細腕を辿れば、切り分けられる前の「青雲」が横柄に横たわっている。この時は作りたてで瑞々しく、回りの雲平にも艶があった。あまりに美味そうなので、たまさかに手を伸ばせば、母は弱々しくその甲をぺちんと叩く。

 あなたには見えないの、と。

 少しむっとして、よくよく見詰めてみれば、その体躯からは嬉しそうに巣を探る霊の躍動が感じられた。


「ねぇ、アカツキ。切ってみない?」

「私が、ですか」

「切って従わせたらどう? お菓子から生まれた式の神。素敵じゃない? あら私、酷いことを言っているかしら」

「そうですね」

「父上に似て正直者!」


 月明は自らが手にかけた御霊を式の神として操ることができる。つまりは下ったばかりの精霊を今すぐ殺めろと言っているのだから、なるほど酷い。

 しかし菓子の精霊を使役という、甘い魅惑に負けて、庖丁を取る手に躊躇いはなかった。気をつけたことといえば、なるべく分厚く切ろうと欲張ったくらいだ。お陰で精霊は端に逃げ込み、久助が依り代となってしまった。

 月明はこの異能を持つばかり、特定の式の神を無闇に従えてこなかった。喚べても喚ばず、側に居るのはいつも妖し。

 しかし改めて見る、羊羹の端切れはあまりにも美しく、いつまでも愛でていたくなる。またこの時に口に入れられた、切れ端ではない青雲が美味くて美味くて、ずっといっしょに居ることができたらいいのにと、素直に望めた。

 月明はその時の母の笑みを頭に浮かべる度、確信を強めていった。

 久助は母が私へ遺した形見であったのだと。

 父と母がこの世から一寸で塵のように消えてから、何度しつこく本殿の御扉を叩いたことか。どんなに訊ねてもお稲荷さまは首を振ったが、母は未熟な息子を支えて欲しいと、自分への最後の贈り物に、久助を願ったのだ。

 残り僅かな命を対価に――。

 ふたりの死後、月明はそう思うことで自分を冷静に追い込めることができた。

 久助が隣で微かでも笑っていれば、自分を捨てられる。無になれる。魂を分けた分身が、鏡合わせの自分が輝いている。

 それだけで自分は黙々と務めに専念できた。


「だが私はお前なしでは、自分でいられない」


 一人で立っていられない。

 母の形見は月明を当主へと上向かせたが、いつまでも深い悲しみの淵を残し、弱さとなった。

 母が願ったように、お稲荷さまへ頼み込み、再び菓子へと神霊を宿してもらおうか。しかし久助は久助なのだ。式札から同じような式の神を使役しても、似るのは表っ面だけ。この五年分かち合ってきた記憶も、菓子の甘い香りも、どこにもない。

 久助と共に心を失った月明は空っぽで、実に滑稽だ。そしてその苦しみを分かち合える者こそ愛してやまない側室であり、その苦しみを与えしまったのは自分であることが、より許せなかった。



 ――一生私を憶えていてくれるなら、……喜んでその恨み、頂戴したのに。



「我ながら、妙案」


 煤がかぶったお飾りの火桶。かびのように薄い霜が蔓延る壁。屋敷とは言えない掘っ建て小屋で月明は自分が遺した言葉を思い返し、気付けば声を上げて笑っていた。差し向かいに座る女童めのわらわがピシリと扇子を膝をに打つ。


「失礼、気が乱れましたね」

「月明殿に訊きたいことがある。少し話さんか」


 女童に並ぶ歳神がふたつの湯呑みに茶湯を注ぎ入れる。


「いえ、このままで」


 月明が断ると歳神は湯呑みのひとつを女童へ滑らせた。湯呑みを受け取った女童は困った顔をしている。


「ふむ。茶を嗜む力も残っていないか」


 こくり、頷く女童の首に節目が現れた。これは歳神の力が衰えている証。自然の摂理に伴い源の人形へ形を戻そうとしている。

 歳神は自分の茶を一気に飲み干すと、女童の手から湯呑みを奪った。


「そろそろ暇せんといかん」

「はい。とうにまんげつに入っております」

「急かすとはつれないのう。最後の別れだというのに」


 またひとくち啜っては、喉に通る単調な苦味を感じ、かまどの嫁を思い出した。甘い菓子が食べたい。きんとんのような餡をたんまりと。

 

「主、残りの寿命で稲荷に何を願うた」

「……存じ上げていらっしゃるようなので、答える必要はないかと」

「それはいかん。今、発つ前に本人の口から訊かねばならぬ」

「…………」


 月明が腰まで浸るあか山の水は鏡になるほど清らかで静かだったが今初めて、水面に波紋を拡げた。自分に失望した溜め息を吐きながら、歳神の問いに答える。


「小御門鹿の子の延命でございます」


 歳神もまた溜め息を吐き、湯呑みにちいさい波紋を拡げた。

 妻のためとはいえ、自分の命を引き換えにして寿命を延ばすとは。短いろうそくに長いろうそくが繋ぎ合わさる景を頭に浮かべた。鹿の子という娘は御饌かまどに居る限り、天寿を全うする。


「主、徳を積みすぎたな」


 疫病と悪鬼から何千、何万人という人々の命を救い、国を救い、最期は自分の命を犠牲に娘の命を延ばせた。

 歳神は徳を積んだ人間の命を野放しにできない。


「 友になるか」


 歳神は板間に寝ていたひげが浮くほど笑った。

 歳神の言う友とは「神」を指す。

 月明もまた、嬉しそうに笑った。

 あまりの美しさに水面に朱が射したようにみえた。


「では、かまどを所望致します」

「ほう、かまどの神か。稲荷を祀る、小御門の血に相応しいな。憶えておこう」


 そう言うと歳神は膝を立てながら霧雪のように消えた。歳神が消えると共に人形がごとり、と板間に沈む。

 ひとりになった月明はしばらく子どもみたいに笑っていた。


 神様になったら、私を見てくれる? お嫁さんに、なってくれるだろうかと、あえかに。


「また、名前だけでいいから」


 ――かまどの嫁。

 月明は胸の中で、たった一度だけ、鹿の子をその名で呼んだ。 

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