九‐海辺
外郎
炉の神さまの御饌菓子
作り方
こね鉢に餅粉と、その半倍の黒砂糖を入れ、よく手ですり混ぜる。
さらさらになったら、砂糖と同量の水を用意して、だまにならないよう三回くらいに分けて混ぜ入れていく。あまり細かく入れて練りすぎると、固くなるので注意。
均一に混ざったら釜にあけ、火を入れていく。生地は釜の底から固まり始め、つるんとした塊ができてくる。負けじと底をこそぎながら混ぜ続けると、だんだんと塊が均一になって、全体が重くなっていく。ふつふつ溶岩みたいに沸いて、生地がぽってりしたら焚き上がり。
あつあつのあいだに外郎の型へ流し込む。
蒸篭に型を置いたあと、おつゆが垂れんように濡れふきんをかまして蓋をする。
半刻、蒸していく。
粗熱がとれたら氷水で充分に冷やし、包丁で切り分ける。
炉さまはきんきんに冷えた外郎がお好み。
御饌皿には氷を添えること。
お稲荷さまには熱々がお好み。
柵のまま、どでんとお出しすること。
*
「さあ、お出ししよ――あれ!?」
濡れ包丁で美しく切り分けられた外郎。どんな皿に飾ろうかと選んでいた寸の間に、切れ端がひとつなくなっている。
ここは妖し集まる御饌かまどではないのにどうしたことか。
切れ端をいただくのは作り手の特権だ。とられてなるものかと、鹿の子が慌ててもう片方の切れ端を口に含むと、うなじの後れ毛がさわさわと靡いた。
「唐かさ、さん?」
呼んでみたものの、唐かさの住み処は小御門家側室東の院別邸、茶室の奥の、水屋の更に奥の、納戸の片隅。
他に風を吹かす妖しとは、いったんもめんであろうか。
いや、ここは風ある南の村。
ほんまの隙間風だろう、切れ端をもっていったのは、女中が連れてきた童子かもしれない。
そんな風に納得して土間から上がる鹿の子を、唐かさは安堵のため息で見送る。
先ほどの風は盗み食いした外郎のあまりの美味さに、ついつい吐いた至福のため息であった。
「これはこれは、美味しそうな外郎だ」
「うふふ、そうでしょう」
鹿の子が外郎をもっていった先は砂糖蔵の神棚ではなく、月明が寝込んでいた別邸だ。三日三晩でようやく息を吹き返した月明のため、口当たりの良いものをと思い、外郎を作ったのであった。
今日の外郎はくず粉入り。
冷やっこい外郎がつるんと喉に滑り、心地よい。
月明は飲み込むたびに嬉しい吐息をこぼした。
「ああ、体に沁み渡るようだ」
「うふふ、よかった」
「喉ごしも素晴らしいけれど、この黒砂糖の風味がなんとも」
「そうでしょう、そうでしょう。旦那様ならわかってくださると思いました」
真っ白な外郎も上品で良いけれど、褐色に蒸し上がった外郎は黒砂糖にしかない風味が生地とよく噛み合う。元より黒砂糖は蒸し菓子と相性が良いが、外郎はその美味しさが顕著に表れる。
鹿の子は恐る恐る、月明へある提案を試みた。
「実は神送りに、外郎を使った繭玉が村の子どもたちに振る舞われるんです。今年は黒砂糖を使った繭玉も少し加えてみよう思てまして、その、……旦那様の療養も兼ねて、それまで実家に居れませんでしょうか」
「神送り……と、申しますと、十五日ですか」
「はい。実は、弟の外郎が――」
お萩ちゃんに求婚しまして。
はにかんだ笑顔で話を続ける。
外郎は幼い頃から、姉に似た性格や背格好でもって、美しい萩に憧れていた。自分は砂糖売りの若旦那となる身分だ、将来には萩をお嫁さんにと淡い夢を抱き、村の男衆には奪われるもんかと常日頃から目を光らせていた。それでなくとも萩は帳場で毎日を忙しくしており、外へ出掛けることが少ない。安心しきって、ぼうと過ごしていたところに舞い込んだ縁談が今回の件であった。さすがに一商人が貴族に勝てる道理はない。
外郎は萩へ想いも伝えられず、一度は諦めた。
それが姉の薮入りでころん、と好転。
この機会を逃せぬ外郎はあれから萩へ「神送りの日までに返事が欲しい」と押し切ったのだった。
姉としては是非居合わせたいものである。
月明の顔色を窺うが――。
「いけません」
月明はやっぱりすぱん、と峻拒した。
少しは慣れたものである、鹿の子はすぐに引かず、踏ん張り粘った。
「んでも、旦那様もまだ本調子ではないですし、明日の出立は難しいかと」
「明朝に出立。これだけは変えられません」
「朝……!?」
「五日間の約束ですよ」
「そんな……!」
まだあれ(・・)が漬かっていない。
あと二日、いや一日だけでも延ばせないだろうか。ひしゃげた小豆顔で言い淀む鹿の子に、月明はやわらかく申し出た。
「外の風に当たりたい。少し歩きませんか」
糖堂の邸を午の方角へ出ると、外塀に沿ってなだらかな下り坂がある。道なりにまっすぐ下り、松林を抜ければ百歩足らずで海岸へ出ることができる。
村の童子は夏になると、一日の半分を海で過ごす。鹿の子も子どもの頃には肌を真っ赤に焼いては、泣いて。その度にばあさまが白砂糖をもってきて、肌にすりこんでくれたものだ。荒療治ではあったが不思議と鹿の子の肌にはシミひとつなく、白肌を保っている。
月明は花の蜜に誘われる蝶のように、海を目指す鹿の子の、白いうなじを追いかけた。
「海は潮の香りがすると聞きますが、しませんね」
「それは漁港の磯の香りですよ。この村にはさとうきび畑しかありませんから」
「なるほど。それにしても――」
鹿の子の着物の袂をたぐり、引き寄せる。近付けばうっすらと香る、甘い匂い。
「お砂糖の香りがするのは恐らくこの現世で、あなたと久助だけでしょうね」
冬の凍てつくような海風がその香りをさらっていく。雪駄の裏に感じる土が滑らかになれば、海はもうすぐそこだ。
鹿の子はじんわりと涙をためて目をそらし、先を急いだ。
村には砂浜海岸がふたつみっつとあるが、どれも誰か人の手で整えられることもなく、不思議と美しい砂浜を保っている。なかでも糖堂の邸下にある砂浜は広く、豊かな砂はちいさな砂丘を造っていた。
鹿の子は雪駄を松の木の木陰に置いて裸足になると、着物の裾を帯に挟み、準備万端。ひとり駆け出した。
月明は袍に浅沓を合わせている。沓の砂が入ってしまうので砂浜には立ち入らないだろう。
そう思って、鹿の子は少し距離を置いたつもりだった。
「これは心地よいな。日の光でしょうね、砂のなかはあたたかい」
しっかりと足並みをそろえているではないか。
袴の裾が汚れることなど気にもとめず、素足で砂を掻いていた。木陰を見やれば、沓と足袋は仲良く鹿の子の雪駄と並べてある。
はじめて浜辺を歩く月明は感触を楽しむようにくっ、くっ、と砂を鳴らせ、自分の足跡を振り返っては、嬉しそうに笑った。
まるで子どものようなはしゃぎっぷりだ。
鹿の子は月明のそんな姿をもっと見たくなって、今度は砂丘を崩しながら走り出した。
「あ、待って!」
思った通り追いかけてくる。
砂に足を取られ、まごつく月明を見ながらきゃっきゃと声をあげて逃げ回った。
楽しい。
楽しい。
鹿の子の足はどんどん軽やかになっていく。
無礼だとは頭でわかっていても、笑い声はとまらない。月明を気にかけ振り返っては、その姿に吹き出した。
――楽しそうじゃな。
「うん!」
語りかけてくる炉に、素直に応える。
だって、もうなにも怖くない。
自分の頼りない体も、砂糖を舐めれば元通り。
震え上がっていた旦那様のはんにゃ顔も、お面を外せばこの通り。
追いかけてくる月明の顔は、少年のようにくだけている。
久助さんもきっとなにくわぬ顔で帰ってくる。
だから、だから――。
「一日だけでも延ばせませんか。どうしても駄目ですか」
鈴の音の声を張り上げる。
もう少しだけ観ていたい。
幣殿の上の冷たい顔ではなく、お天道さまに照らされた、暖かな旦那様のお顔を。
しかし日は陰り、沈む。
「……ごめんなさい。どうしても、明日には発たねば」
「ご出仕ですか」
「いえ、しかし一日でも遅らせば、歳神さまの力が衰えられてしまう」
「歳神さま……?」
「みなさんが十五日に送られる、神様のことですよ」
神送りにはそれこそ、歳神は現世での力を失ってしまう。
「鹿の子さん。久助を甦らせるには、歳神さまのお力が要るのです」
「久助さんの……?」
では旦那様は久助さんを助けるために急いでいるのか。
鹿の子は心苦しく、ちいさい身をいっそう縮めた。
「ほとんど寝込んで、休まれてないのに」
「おや。あなたを傷付けずに三日も夜伽ができたのですから、寝込んでいた方が幸せでしたよ」
「よ、夜伽ではありません」
「おやおや。三夜とも膝枕をしてくれたではありませんか」
「な――っ」
おどけた顔でずいと歩み寄るので、鹿の子はまた逃げだした。
砂の上は走り慣れている、調子にのって前も後ろも顧みず、砂山を登っていることも気付かずに。登りはなだらかだが、下りはそり立つ脆い崖。てっぺんで砂といっしょに崩れ落ちた。
「あぶない!」
ぶわり。
砂を巻き、風が下から吹き上げる。
あまりに強い風に、鹿の子の体が少しだけ浮いた気がした。浮いているというよりは、なにか、屏風や障子のようなやわらかい紙にぼん、とお尻を乗せた感覚だ。例えば傘の上みたいな。
「唐かさ、さん……?」
「つかまえた」
月明に手を握られると、そのまますとんと着地した。
「あれ?」
「追いかけっこは危ないから、もうお終い。あの岩山まで歩いたら、戻りましょう」
「は、はい、え、えと」
何事もなかったかのように歩き出す。
今度は月明が先導となり、砂浜の端から浅瀬につながる岩の群れを目指した。
狐につままれたように頭がうまく働かず、鹿の子はおとなしく、手を引かれるままついて行ったが、しかし。
砂浜も半ば、握り直された手のなかの違和感に、焦慮の表情を浮かべた。
「あ、あの、旦那様。お願いです」
「はい、なんでしょう」
「手を、お手を離してください」
「…………少しも、いけない?」
一寸間を置いて、悲しそうに尋ねてくる。
別に嫌じゃない。
鹿の子は首をぶんぶん振りながら、鈴音の声を高くして言った。
「旦那様の美しいお手を、傷付けてしまいます」
忙しい師走を走りきり、正月が明けて鹿の子の手はひどくあかぎれている。
冷たい水で芋を洗い、熱い釜の湯気にあたり、乾いた冬の空に晒し続けた手は、手拭いが血で染まるほど傷が深い。目を背けたくなる手のひらには、尖ったささくれがいくつも飛び出していた。
月明の透き通る肌など、簡単に突き破ってしまう。
鹿の子は自ら手を離すと、隠すように胸元でぎゅ、と結んだ。
「そんなことを気にしていたの」
「そんなことっ、て……」
手が汚い女など、触れたくもないだろうに。惨めになってうつむく。
「みせて」
「え」
「手のひら、みせて」
月明は追い討ちをかけて鹿の子の惨めな心に踏み込んできた。
当主の命には背けない。
恐る恐る開いた手は、ぎしぎしと音をたて傷を開かせた。
しかし月明は目を細めた程度で、不快感など決して表さず、自らの懐を探った。
菓子でも恵んでくれるのだろうか。そんな訳はない。
「気休めですが」
懐から出てきたのは煌びやかに装飾された貝殻だった。蓋をあければ紅ではなく、軟膏のような粘りのある半透明の固形が入れられている。それを指にのせると、鹿の子の手のひらへ優しく、薄くのばしていった。
「これは……?」
「蜜蝋ですよ。母がよく塗っていました」
「お義母さまが?」
「はい」
鹿の子は雪の手を思い浮かべた。
皺はあっても粉はふかず、綺麗な手をしていたように思う。
月明はやわらかく笑うと、鹿の子へ伝えていなかった小御門家の事情をついに明かした。
「あなたの知る雪、という女は私の実母ではありません。お目付役の女狐です」
「お義母さまが、狐!?」
「はい」
「お目付役とは、では小御門家のお世継ぎ作りの――」
「その通り。故に側室である貴女に厳しかったのですよ」
厳しかった。
過去を示す言葉のくくりに疑問を感じたが、それよりずっと気にかかることがある。
「では、旦那様の本当のお母様は……」
蜜蝋を塗り終えると、月明は鹿の子の手に自分の手を重ね、こう言った。
「私の母は、御饌巫女でした」
おくびをみせていた鹿の子の目がきらきらと輝き出す。
「旦那様のお母様が、御饌巫女……! 先代の」
「はい、先代の御饌巫女が母ですよ」
しかし、またすぐに新たな疑念を抱いた。
「では今は、お母様はどちらに?」
「亡くなっております。……父と、共に五年前、不慮の事故でね」
「そう、……でしたか」
小御門家に姿がないということは、そういうことだ。
誠の義母を知ることができたというのに、この世にいないとは。同時に先代の御饌巫女に会うという夢が儚く散ってしまい、言い知れぬ喪失感が鹿の子を襲った。
「なに、もう五年も前のことです」
月明はそう明るく言い放つと、再びしっかりと手を握り、歩き出した。
「母も毎年冬になると、鹿の子さんと同じようにあかぎれた手をしていました。蜜蝋を塗らせてもすぐ水で落ちてしまうし、寝る前なんて疲れて塗り忘れるでしょう。手を握るたびにちくちくと、痛くて痛くて」
月明の手のなかでぴくり、鹿の子の手が遠慮がちに動く。
「でもね。私はその手が、大好きでしたよ」
振り返った月明の顔は眩しいほどに笑顔で、
「大好きです」
握られた手は砂のなかとちょうど同じくらい、あたたかかった。




