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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
久助‐前章 / 糖堂
81/120

七‐雷神

 神憑りは糖堂家と萩の家族の許諾を得て、計画的に行われたものだ。予定通りの刻限に蔵の扉は開かれ、萩の身は糖堂の男衆によって奥座敷へと運ばれた。

 鹿の子は月明に横抱きにされたまま別邸へ。意識のあった鹿の子は布団に下ろされたものだから、膝に足を入れて身構える。月明は苦笑いひとつ、几帳の向こう側、敷居の外へと退いていった。


「旦那様、待ってください!」

「そんな大きな声を出されなくても、ここに居ますよ。あなたの体はあなたが思っている以上に消耗が激しい。今日一日はお布団からでないように」


 存在を示すためか、几帳の裾からわずかに月明の煌びやかな衣裳が覗いている。横にならないと話を聞いてくれなさそうだ、鹿の子は大人しくかい巻きに総身を滑らせた。


「わたしはこの通り大丈夫ですから、お萩ちゃんを診たってください」

「お萩さんこそ無事ですよ」

「どうしてそうはっきり言えるんですか」

「だって、何もしてませんから」


 淡々とした声が几帳に籠る。


「何もできませんでしたから」


 かえって不甲斐なさがにじみ出ている。

 鹿の子は複雑な気持ちになって、かい巻きの薄闇の中へと潜り込んだ。


 煎じ詰めれば、失敗。

 

 萩という依り代に霊気を集めたり浄めたり、炉をいちから産土神として祀ったり、長いこと準備に時をかけたというのに、いざ神憑りの神事となると、失敗。


 炉は萩めがけ一度は鹿の子から離れられたが、まるで竜巻に吸い寄せられるかのように元の穴ぐら、鹿の子の体へと戻ってしまった。


「神事を終えられなかった代償を荷なうとすれば鹿の子さん、もしくは炉様でしょう」

「わたしはなんともありません」

「まだわかりません」


 わからない。そして何もできなかった。

 月明はじくじたる思いで儀式を振り返った。

 神憑りの神事とは本来、巫女を依り代に神託をいただく儀式だ。そもそも神を現世に長居させるためのものではない。五穀豊穣の祈りを捧げたところで、託宣が終われば依り代にとどまる理合いはないのだ。

 だからといって一寸も離れることができないとはこの呪い、なんと強い枷であろうか。無理に引きちぎろうとした炉はその反動でひどく傷ついているはずだ。助言が欲しくともしばらくは表へ出て来てはくれないだろう。

 

「私には時がないのに――」


 一途に思い詰め、独り言をこぼす。

 几帳越しにもその低語の声を聴きとらえた鹿の子は、あっけらかんとこう言った。


「また来年、と言いたいところですけど、もういいですよ」

「もう、いい? とは」

 月明が耳を疑う。

「炉様ご自身でも無理やったってことは、よくわかりましたから。もういいです。ずっとこのままで」

「このまま……? ではあなたは依り代のまま、生死と隣り合わせで余生を過ごすとでも!」


 子供のようにまくし立てるので、鹿の子は宥めるように明るく喋った。


「不便や言うても、糖堂の砂糖を舐めとけばええんでしょう? かまどに居ればいやでも味見しますし、このきなこ飴だって、黒みつがあればいつでも作れます。それに」


 きなこ飴を口に放り込み、片頬を膨らませながら、にっこり。


「儀式が失敗してなかったら、お萩ちゃんが神憑りになっていたらわたし、旦那様のこと一生恨んでましたよ」


 これには月明も、「鹿の子さんらしいな」と笑うしかなかった。月明とて鹿の子と炉の共存の道を考えていなかったわけではない。


「この道だけは避けたかったのですが、為方ないですね」

「ただわたしが心配なのは、村に産土神さまがご不在になられることと」

「お萩さんの縁談の件でしょう」

「はい」

「なに、お萩さんのお相手は従六位下、私が邪魔立てすれば退きますよ。村には陰陽寮として神祠を造営し、早々にラクさんに来てもらいましょう」

「ラクに……?」


 鹿の子の頭にうっすらと、北の院桜華の顔が思い浮かぶ。


「今までは小さい神棚に供物を捧げるだけ、炉様の落ち着ける拠り所がありませんでした。神祠に奉り祝詞をあげれば、炉様は鹿の子さんに憑く前程度には力を取り戻せるでしょう。炉様が産土様でよかった、産土様ならば力あれば、風成だろうとどこへ行こうと村の加護はできる」


 産土は天界で造られし神であるが故、その魂は下界の土地に縛られることはない。

 人から生まれた氏神はそうはいかない。

 氏神はその土地に居る、その血筋の人間しか加護ができない。風成を一歩外に出れば、自分も無力となるのだ。いくら陰陽師がお稲荷さまを奉ろうと、外ではただのキツネ。

 庭先で人知れず、クラマがきゅうん、とひれ伏した。


「この通り、村やお萩さんの心配は要りません。しかし鹿の子さん、あなたはそれでよろしいんですか」

「もちろんです。旦那様のおかげで心配事がなくなって、地に足がついた気分です」

「あなたがそう言うなら、私は念入りに後ろだてを固めましょう。決してあなたの寿命を縮めさせない。あなたの命は誰にも渡さない」


 鹿の子の魂は自分のものだとでも云うような言いぐさだ。あまりに熱のこもった瞳に、鹿の子は焼け焦げそうになった。


「い、いやですよ、後ろだてなんて御大層な」

「なに、目には見えませんから。そうと決まればまずは腹ごしらえから」


 そう言って几帳の裾から滑り込んできたのは、懐紙に乗った――きんつば。


「旦那様、これ!」


 きんつばは神棚のお供え物だ。かあさま以外に食べてはいけない。真面目な鹿の子は几帳を翻し、きんつばごと敷居を出たが。


「まさか旦那様、この廊下で寝ていらしたんですか」


 四つん這いの格好のまま、鹿の子は目を瞠った。

 廊下にはいかにも枕代わりにされた振り分け荷物と座布団一枚、角には着替えの下衣がきちんと揃えられている。


「ずっとこちらに? 昨夜なんて、雨降って寒かったのに……!」


 南の村とはいえ、まだ海風は冬の香りをのせているというのに。別部屋かもしくは萩と逢引していると思われていた月明はすぐそばで、こうして息を潜めていたのだった。


「なに、吹きさらしの幣殿に比べればずっと暖かい」

「んでも!」

「んでも、鹿の子さんに冷えは大敵です」


 おどけた様子で鹿の子の口真似をすると、ひょいと鹿の子を拾い上げ、また布団へ下ろした。

 

「そうそう鹿の子さん、神憑りが成功していれば、私を一生恨むと仰られましたね」

「は、はい」


 うわあ、今更お説教かと鹿の子は正座で身構えるが。


「一生私を憶えていてくれるなら、……喜んでその恨み、頂戴したのに」

「え……?」

「はい、あーん」

「え? んぐ」


 ちいさい口にきんつばを目一杯詰め込まれ、頰に角がでた。

 その愉快な顔を見た月明は思い切りぶ、と吹き出し、遠慮なしに腹を抱えて笑いだした。


「んぐんぐ、そんなに笑わんでも――」


 あれ。

 このくだり、前にも一度あったような。

 鹿の子はきんつばを頰にため込んだまま、しばし過去を遡った。


 たしか、お夜食にかくなわを食べたとき。

 でもいっしょやったんは……。


 そのとき、ぐるぐる巡る鹿の子の頭にまた、炉の声が聞こえてきた。


 ――また、つまみぐいしおって。


「炉様?」

「ぶははは……っ、は、炉様? 炉様のお声が聞こえるのですか」

「は、はい。つまみぐいが、なんとか」

「つまみぐい?」


 ――これ鹿の子。今更、様などつけるな。炉でよい。


「は、はい」


 憎たらしそうな声が頭にがんがん響く。


 ――こいつ、神棚見に行くたびにつまみぐいしよるんじゃ。それも小豆の生菓子ばかり、贅沢もんが。


「つまみぐいって、お供え物をですか」


 ――そうや。放っておいたら全部食べてしまいそうやから、その日の分は巾着に入れさせてもらったで。


 つまりは鹿の子の巾着にきんつばを入れた犯人は祀られし神様本人であったわけだ。

 鹿の子はへなへなと背骨をゆるめ、足を崩した。


「つまみぐいって、ほんまのつまみぐい……」


 この虚脱感はどこからくるのか、悪いものではない。

 月明の座る方を見やれば右手にかじりかけ、左手に新しいきんつばをもって、それを口に運んでいた。不思議なことに行儀悪いようにはみえない。鹿の子の頰の形を変えたきんつばを美しく噛みこなしていく。

 それがかえって可笑しく映り、鹿の子はやんわりと笑った。


「ふふふ」

「どうされました。炉様が、なにか」

「いえ炉様――、炉さんは変わらずお元気なようです」

「それはよかった」


 月明はほっとした様子で最後の一口をごくり飲み込むと、菓子が乗っていた懐紙で唇を拭い、膝を立てた。


「しかしあなたは本調子ではないのだから、今日一日はゆっくり体を温めて、休んで」


 そわそわと落ち着きなく、敷居の外へと出ようと几帳の裾を手繰る。その右袖の袂を鹿の子はちいさい手できゅ、と握った。


「ほんなら旦那様も、今夜はお部屋で寝てください」


 こんどはぴくりとも動かない。

 綺麗な顔もこちらに向かないので辛抱きらした鹿の子は袂を離し、


「お抹茶点てますね」


 さっさと布団を片付け、茶炉と向かい合った。




 *




 月明が鹿の子を抱き部屋へ戻ってからしばらく、どちらも出てくる気配がない。クラマはやきもきしながら庭の茂みで考え込んでいた。

 炉の神事の失敗。もしくは狐に憑依する自分のこと。

 神憑りが成功すれば鹿の子が助かる。自分も元の姿に戻れると進んで手伝ったのに。

 未来への失望と不安、それとやきもちがごちゃ混ぜに絡み合う。やがて疲れて眠り込んだ狐は夢をみた。

 それは元旦に終えたばかりの神議りの巻き戻し。本殿の御扉が開く少し前のことだ。



 だだっ広い本殿の板間。歳神は神々が造る大きな円陣の中心部で胡座をかいていた。


「狐から出られん、とな」


お稲荷さまの問いかけを短く復唱すると、応えをもったいぶるように、滝の流るる白ひげの奥へと栗を詰めた。歳神の口まわりは見事に明るい芋色に染まっている。


「うん、美味しいなあ」

『歳神さま、味わってないでお教えください』


 かく言うお稲荷さまのちいさいほお袋にも栗が詰まっている。

 周りの神々は若輩者が歳神に何を問うかと見守っていたが、これがなかなか面白い。


「なにも歳神さまに訊かんでもわかってることやろ」


 うねうねと胴をよじり蛇神が横口を挟めば、


『それしか方法はないんか、訊いてるんやないか』

 

 その腹にたまった伊達巻を蹴って、お稲荷さまがこんこん吠える。


『ずっとこのままじゃあ、何百年、いや何千年と狐から出られん!』

「ぐぇ」


 蛇の唸り声と、お稲荷さまの一途な吠えに、辺り一帯は火の輪をあげるように、どっと大爆笑に包まれた。


「惚れた病に薬なしとはこのことやなあ」

「陰陽師に祀られるだけあって、青春やのう」

「新春だけに」

「青いぞ少年」


 こちとら真面目に訊ねているのに。お稲荷さまは尻尾を逆立て威嚇する。


「はて。何百年、何千年かけて何が悪いのかな」


 しかし歳神はお稲荷さまへ優しく穏やかに、声をかけた。


「人には人の人生があり、神には神の時の刻みがある。稲荷、そなたの若さは氏神としての威厳の欠落とも言えるが、人と共に学びに徹することができる、尊さでもあるのだ。わかるか」

『わからん』

「はっはっは、そうかいそうかい。まぁ、薬がないのは(まこと)、百年でも千年でも足掻きなさい。いずれ、その時の刻みがそなたの強みとなろう」


 歳神が「ない」というのだから、この世には「ない」のだろう。

 このとき、お稲荷さまはくぅんと可愛らしい鼻息ひとつ、尻尾に顔を埋めた。そしてその尻尾の向こうに見えた菓子皿が、空っぽであるのをみつけてしまった。


「しかし、問題は炉の神だ」


 だから、歳神のこの言葉が耳に入らなかった。


「炉は稲荷とは違い、猶予がない」


 周りの神々がざわめき立つ。今度は笑いではなく、穏やかではない、禍々しい火輪だ。


「ああ、炉の神か」

「最近見かけんと思うたら、娘に憑きよったとはの」

「それも、小御門神殿の御饌巫女とは」


 海神が一の重の隅に残った最後の豆をつつきながら、名残惜しそうに呟く。


「残念だ」


 周りの神々も歳神も、みな揃って首肯した。


「これは神という類に課せられた宿命じゃからの。皆、一度は通る道じゃ。しかし炉の場合、稲荷のように狐ならなんでもいいという訳ではなく、娘、個への強い執着。このまま放っておけば、娘の肉体が朽ちたその時――」


 歳神は口ん中の栗をようやく飲み下すと、ひげについたきんとんを指で拭った。


「炉は娘の魂まで食い尽くしてしまうであろう」


 拭い取ったきんとんを味わい、名残惜し気に呟く。


「それは実に惜しい」


 歳神を唸らせたこのきんとん。作った娘の魂が危ういとは、誠に残念でならない。

 神々の騒めきに本殿を支える柱が震える。


「娘の寿命はあと何年じゃ」

「誰かろうそく見てこい」


 何度も言うが、お稲荷さまはこのとき空っぽの菓子皿で頭がいっぱいだった。

 このうつし世で何が起きているのか。

 これから何が起きようとしているのか。

 久助はどこや。

 久助の菓子はどこいった。

 氏神の目で探る度に悪いほうへ、悪いほうへと疑念を積もらせていった。

 だから皆の話にはとうとう、入れなかった。

 ただ、はらはらと、歳神が本殿の扉を開けるのを待ちわびたのだった。


 そして今、三白眼を見開き、夢から目覚める。


『炉の神……』


 今になって、人の夢のなかで出しゃばってきた生意気な荒神。その面影を追うがなんとも朧げで頼りない。果たして、どのような様相であっただろうか。引きこもりのお稲荷さま――クラマにとってよその国の神ほど関心がなかった。

 よくは知らないが鹿の子から出ようと自ら神憑りを考え出したのだ、いいやつだと思っていたのに。夢の通りならば、鹿の子の魂まで喰らい尽くす憎き荒神。クラマは夢と記憶を行ったり来たり、必死になって神議りの一幕を思い返した。

 自分はいい。何百年、何千年と狐でも。でも、鹿の子は違う。鹿の子の魂だけは、救ってやらねばならない。

 でもこの病に、薬はない。


『どうしたらいい、どうしたら鹿の子を救える』


 やはり妖しにするしかないのか。炉が憑いたまま妖しになれるのか。悩みに悩むクラマの耳を甲高い声がつんざく。


「稲荷!? 稲荷ではないか!」


 目覚めに飛び込んで来たのは、雷神のふくよかな胸元だった。

 ふよふよ風にそよぐ白い毛玉。

 クラマの可愛らしい形相は、さて手始めにどこへ春雷を落とそうか、彷徨ついていた雷神の鷹の目にあっさりと捕まった。


「よしよーし、よしよーし」

『ううっ、くるしいっ、やめんか!』

「奇遇じゃなあ、年明け早々に良いことあるもんじゃ」

『やめんかと、言うて――』


 雷神の深い谷間をもじょもじょかき分け、ぴこんぴこん両耳を出すと。


「いやああああああ――――!」


 別邸のなかから鹿の子の悲鳴があがったではないか。


「なんや、まるで男に襲われとるような声じゃな」

『――雷神、やれ』

「ようわからんが、稲荷の頼みとあらば」


 間髪入れず、雷神が太鼓にバチを当てる。

 罰が当たった月明は雷鳴に悩まされ、残りの三日寝込んで過ごすこととなった。

 

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