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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
すずし梅 / かくなわ
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三‐横やり

「…………ぇえっ」

 

 やはりと言うべきか。

 さすが永遠の十五歳、ぬけている。

 お考えではなかったらしい、そんな馬鹿なと尻尾を縦に戦慄かせた。

 御饌菓子はお稲荷さまの命。源。

 鹿の子の菓子がない毎日。想像し、お稲荷さまは頭の中が真っ白になった。傍に鹿の子がいても、鹿の子の菓子は食べられへんやなんて。まるで奈落に落ちたような面持ちのお稲荷さまへ月明が追い討ちをかける。


「あと一月もすれば、栗の季節ですねぇ。栗鹿の子ですか」

「栗の……鹿の子やとぉっ!」

「私も是非食べてみたいものです。特別に隣国からいい栗と小豆を取り寄せますか。特選小豆を」

「と、特選……ごくり」

「ああ、しかし鹿の子さんがいなくて美味く作れますかね」

「あ……、あう、あ」


 鹿の子の作る菓子は誰よりも美味い。米と砂糖で簡単に作れる菓子も何故か、特別に。なによりも鹿の子の作る鹿の子は千年かけてようやく出逢った、運命の菓子。鹿の子が作らなければ意味がないのだ。それがもう二度と、食せないとは。

 鹿の子の顔を思い出し、小粒でまあるい小豆が重なる。旬のふっくらした小豆で作った鹿の子が食べたい。しかし鹿の子は鹿の子しか作られへん。


「…………わしは、どうしたらいいんやぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 頭の中が真っ白からごちゃ混ぜになり、お稲荷さまは胡座をかいたまま、ぱたりと仰向けに倒れ童子みたいに泣き出してしまった。その喚き声に聞き耳たててていた家鳴りが失神し、ぽとぽと屋根から落ちてくる。

 ほいほい家鳴りを受け止めながらも、月明はお稲荷さまへは冷徹である。


「精々お悩みください。私はその間、遠慮なく着手します」

「ちゃ……? そ、そんなん許すか!」

「おや、お稲荷さまともあろう御方が、なんと狭量な。私へ命じられるほどの決意ですから、当然心は通わせているのでしょう」

「も、もちろんや。鹿の子が嫁にしてくれと、せがんできたんやから」

「……ほう、なんと相思相愛」


 表情は変わらぬものの、月明の声色は僅かに下がった。


「ならば過度の束縛はいらないでしょう。私とて何もとって食おうなどと言っているわけではありません。あなた様がお悩みの間、夫として鹿の子さんを幸せにしてあげたいだけです。昨夜はじめてかまどを拝見しましたが、あれは人の住むところではありません。牢獄に居るようなもの」


 せめて温かい布団とかい巻き、最低限の家具を調えるように下女へこと細かく伝えたはずが、納戸にはどこから引っ張り出してきたのかわからないような虫食い布団一枚に米、粉、砂糖。

 しかしお稲荷さまにはどこが牢獄なのかさっぱりわからない。むしろ菓子の原料に囲まれ眠れるのだから幸せではないかと思う。本殿に引きこもり千年、布団で眠っていないお稲荷さまには、まるで理解できぬことだった。


「それに鹿の子さんはあなた様のように不死ではありません。身体を休めなければ過労で倒れてしまいます」

「だ、だからわしの飯をわけてるやないか」

「その通り。神饌を食しているから立っていられるのであって、常人ならばとうに身罷られています。あなた様はそれほどの過労働を、鹿の子さんに強いたげているのですよ。こういった神が計れない思慮を、私が与えてあげたいのです」

「そ、そんな……、そうやったんか」


 お稲荷さまにはまさに目からウロコであった。

 鹿の子は「美味い」と言われる度に幸せそうに笑う。釜が空になる度に手を叩いて喜ぶ。よかれと思て日夜働かし、妖し等に振る舞っていたのに、それが死をもたらすほどであったとは。

 もちろん、決してそのような悲劇が訪れぬよう、お稲荷さまはお残しにありったけの霊力を込めている。それでも、それを半年続けても、鹿の子は家鳴りひとつ見えやしない。霊力を得たら得た分だけ、消費しているからなのか。それほどの過労働を、好いた娘に課していると。

 昨夜みた鹿の子の姿を思い浮かべる。よう思い浮かべれば、笊にのった年寄り小豆みたいに貧相な身体であった。

 お稲荷さまは苦悩の涙を、謝意の涙に変え月明へ請うた。

 

「わしはどうしたらいい」

「まずは結界を解いてもらいましょう。鹿の子さんの御寝所は私が調えます」

「よ、よし、わかった」

「夕拝の後は釜の火を落とせるように妖の皆さんには我慢してもらって、三日に一度は休みを」

「御安いご用や」


 家鳴りが月明の手のなかで「そんなあ」と跳ね上がる。


「それに神饌を与えるだけでは、ただ餌をまいているのと同じ。労働を強いたげた償いに鹿の子さんにはなにか特別な褒美が必要かと」

「な、なるほど。せやけど、何がいいんか、わしにはさっぱり」

「ならば、街で選ばせてあげましょう。私が付き添います」

「おおっ、それがええ」

「鹿の子さんが喜べば、休日はそうして気晴らしに、街を歩かせてあげたいですね。もちろん用心に私が付き添って」

「まあ、わしには出来んことやからな」


 くるくる丸め込まれるお稲荷さまであったが、それを末座で見守っていた男が突然、月明の機先を削いだ。

 待ったとばかりに、鍛え上げた手を上げて。


「私も、まぜてください」


 東の院、御用人の落雁である。

 これには月明の整った眉がひくと歪んだ。

 驚嘆したのはお稲荷さまだ。


「ラクお前……もう、わしが見えるんか」

「はい」


 月明に格別に贔負され、神職見習いに直会を始めたのは昨日今日の話だ。粗削りながらも鋭い霊気に、お稲荷さまは垂れていた涙を止めた。


「不躾ながら、申し上げます」


 ラクという男、まことに不躾にどんと、右にならい胡座をかいては憎たらしい顔でお稲荷さまを責め立てた。


「旦那様に嫁げば鹿の子は幸せになれる。そう思て私は身を引き、見守る決意で王都へあがったんです。それが何ですか? 側室とはいえん、奴隷のような扱い。鹿の子は着物が好きなんです。小遣い自分で貯めて買うくらい好きなんですよ。それやのに、針も通されてないような白い着物で、幽霊みたいに、寝る暇もなくかまど番。白妙を煤で染め替え、肌も髪も真っ黒にして。どこの誰がみたって、今の鹿の子は幸せにみえません。一用人である私の方が、旦那様より、お稲荷さまよりは絶対、幸せにできる自信があります!」

「絶対てなんや、絶対て!」


 なんとなく月明の下をいく言葉に、先じてお稲荷さまが食ってかかった。


「みたらわかるでしょうっ、神様にはわからんか! あんな汚いかまどに糖堂のお嬢さんを閉じ込めて……そんなんやったらまだ、実家におったほうが幸せやった!」

「んぁあああああ!? 呪い殺したろかぁああああ!?」

「望むところや。俺はこの風成で、たった一人の鹿の子の昔馴染み。鹿の子はさぞ泣いて悲しむやろ」

「はんっ、兄弟にしか思われてないくせに、何をえらそうにっ」

「兄弟? 他人とは思えんという証しやないか、兄弟殺されたらそれこそ鹿の子はお稲荷さまを恨むかもしれんなぁっ!」

「んぁあああああ!?」


 お稲荷さま相手に腹心を布く、そんな無礼を働く人間はこの小御門において存在し得ない。気持ちいいほどの蛮声に、蚊帳の外である月明は内心、小さく笑っていた。


「一番たちが悪いんは、旦那様や」

「え」


 風向きが変わり、暖気ではいられなくなったが。


「なぁにが戦いましょうや、半年も鹿の子を放ったらかして、お稲荷さまの下僕が。ほんまに好いてるんやったら死ぬ気で助けることくらい、できたやろ! それがなんや? 自分は他の奥方と仲良うして、金もばらまいて、それをあろうことか鹿の子に見せつけて……人間ちゃうわ!」

「ええー」


 月明は家督の立場上、お稲荷さまに背くことはできない。朝廷では主上の側近とはいえ執政の主軸。政を蔑ろに死に急いでは国の情勢が綻ぶ。側室の件は右へおいといて、助けたくとも助けられなかったのだ。なんせ月明の唇から「かま」や「かの」が発せられるだけで、お稲荷さまの手から手裏剣と化した御饌皿が飛んでくるのだから。

 しかし下僕とは理にかなっているやもしれん。昨朝行き逢った唐かさの慟哭が目に浮かぶ。鹿の子が過酷な日常を強いたげられていることは、みえずとも理解できたことである。

 月明が悩ましげに唇を結んでいると、言いたいことを言い終えたのかラクは息継ぎの後、堂々とした面持ちのまま尻に足を引っ込めた。


「お二人とも許せません。ですが、私も指くわえてた身分。自分が自分で許せません……だからこそ、もう指しゃぶんのはやめます。仕事は精進します、修行も。だから、まぜてください」


 直向きな情熱に、お稲荷さまがほだされる。


「鹿の子が兄弟に会われへんのは、確かに可哀想や……ええやろ」

「ちょと待てください、お稲荷さま?」

「ありがとうございます。では旦那様、鹿の子の休みに付き合うのは交代ごうたいっちゅうことで」

「いきなりがっつりですね、ラクさん」

「御寝所を調えると仰いますが、鹿の子には東の院があります。夕拝終わったら東の院へ帰すようにしてください」

「待ちなさい、当主を差し置いて夜は駄目でしょう、夜は」

「勘違いされては困りますわ。あくまで私は御用人として申し上げとるんです」

「ならば、均等に私は朝を。直会を鹿の子さんとおともしましょう」

「お、おいお前ら、調子に乗りすぎやぞ」


 さすがのお稲荷さまも許容を超え、苦言を呈するが。


「相思相愛が五月蝿い」


 二人に言い返される始末。


 鹿の子を生かすか殺すか、そんな難題を据え置いたまま神様と、他人夫に兄弟は、お日様が東から昇るまで愚かしい口論に徹した。



 同じ頃、賭博屋では半ばかりの目が揃い、酔っぱらいは全財産を失った。同じ刻、勝とうが負けようがもう知らんと、酔っぱらいの母ちゃんは大きな家出荷物背負って朱雀山を越えていったという。

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