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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
久助‐前章 / 糖堂
78/120

四‐こんぺいとう

 狐につままれたように客が帰り、宴会が終わると寄り道するなと言わんばかりに雨が降り出し、糖堂の篝火も消えた。本屋(もとや)の内からぽつん、ぽつんとやわらかい灯りが灯るだけの侘しい情景。しかし少し離れた別邸からは雨音を愉快にするほど明るい笑い声が響き渡っていた。


「いやぁ、おったまげた! 義兄さまがあんなこと言うなんて」


 笑い声の主は外郎だ。膝を打って笑い転げている。鹿の子は床の前で黙々と茶を点て心を鎮めていた。

 宵五つには別邸へ上がったというのに、外郎がいつまでも居座るから湯殿へも足を運べずにいる。

 

「しかし、今年の宴会は面白かったなあ」

「面白かったのは外郎だけでしょう」

「そんなことありません。あねさまを心配してたのは翁だけと違います。村のみんなが気にかけてたんですよ」


 外郎は転げ回していた腰を畳に据えると、鹿の子が嫁入りしたあとの一年を振り返った。

 鹿の子が消えた糖堂はかまどの焚き口を掃除したみたいに、がらりと変わったものだ。新しい炭が馴染まずいつまでもくすぶっているみたいに、人間もうまくかみ合わず心に隙間風が吹いて、気付けば村人たちはつぶやいていた。

 ああ、お嬢さんは、鹿の子さんは元気やろうかと。

 山を越え嫁いだ鹿の子の現況を知る人間は御用人として都へ上がったラクしかいない。ラクの手紙をみんなで回し読みしては、鹿の子の身を案じていた。


「陰陽師家の側室として優雅な暮らしをしてる。そんな期待はすぐに裏切られた。まさか朝から晩まで煤汚れ、かまど暮らしやなんて」


 鹿の子自身、まさかお稲荷さまに気に入られ、かまどに閉じ込められるとは思ってもみなかった。そんな裏事情を明かすことはできず、茶筅を振り続ける。

 糖堂の厩では白い狐がくちゅん、とくしゃみをした。


「なんやあねさまの厳しい花嫁修行は、嫁入り先で働かすためやったんかって、みんなうちを、とうさまを責めた」

「とうさまを?」


 それはそれは苦労をかけたことだろう、鹿の子は申し訳なく思い、ようやく頭を上げた。

 外郎の顔は笑ったままだ。


「んでも、とうさまはあねさまの幸せのためやの一点張り。うちらは信じるしかなかったし、どうやらその言葉に間違いはなかった。今日の義兄さまの様子を見る限り、翁以外のみんなは安心して寝れる」

「お、翁以外ってなんですか」

「ふふ。翁はあねさまのこと好きやったから」

「兄弟みたいなもんやからでしょう」

「あら、ほんまのことです。嫁入りのときも顔だせへんかったでしょう。今頃泣いてますよ。この雨みたいに」


 ひとどころ上げた几帳の隙間から、外郎が手を差し出す。風成よか幾分生ぬるい冷気が鹿の子の肌を刺した。


「それで、あねさまはいったい何杯点てるんですか」


 外郎が振り返れば、畳に無数の茶器が点々と並べられ、それぞれ湯気が立っている。


「わたしが飲むんよ!」


 そう言って適当な茶器を選び、口に運ぶ鹿の子。


「あ、そう。まあ今回、翁をけしかけたんは僕ですがね」

「んん!? げほ、ごほっ」


 盛大に抹茶を噴きだした鹿の子と膝を揃え、外郎はふふんと得意げに鼻を鳴らした。


「あねさまは修業で忙しいだけや。野分のあとに見舞いに行った時も、大層なかったって。とうさまから何度も聞かされても、ずっと気に食わんかったんです。それでほんまに幸せなんかって、ずっと不安でした」

「外郎……」

「義兄さまの言葉を聞いて、ようやく安心できた」


 外郎もまた並べられた茶器のなかから手頃なのを選ぶと、ずっと啜り、にっこりと笑った。


「小御門に嫁げて、よかったね」

「……うん」


 改めて、心から放たれた言葉に小さな針がちくんと胸に刺さったが、鹿の子は懸命に笑い返した。


「それにしても義兄さま、遅いですねえ。とうさまと呑み直してるんでしょうか」

「こっちの邸には来ないでしょう。昨日だって同じ部屋違いましたよ」

「まさか。昨日は着いてすぐ、あねさまはひどく疲れてるからて、挨拶もなしにこの部屋に閉じこもりでしたよ。顔だけでもって願い出ても、部屋に通してもらえんかったし、本屋でも見てません。それじゃあどこで寝て――」


 外郎が怪訝な顔をして、几帳の隙間から頭を突き出す。

 些細な違和感は、修羅場を招くものだ。

 外郎の目はすぐに本屋の正門をくぐるひとつの唐傘をとらえた。

 唐傘のなかには、男女ふたり。

 そのひとりが抱える行燈の明かりで、部屋の中に居る鹿の子にも、そのふたりが誰かわかった。

 月明と萩である。


「お萩さん……」


 外郎が信じられないといった様子で呟く。

 ふたりは傘のなかで肩を寄せ合い門の外、砂糖蔵の方角へと出ていった。


「前言撤回や」


 外郎はとうさまそっくりのはんにゃ顔で向き直ると、手前の抹茶を一気に啜りきった。



 *



 茶ぶくれした腹では眠れない。

 鹿の子はうんうん唸りを上げて飛び起きた。

 つむじ風のように出ていった外郎を見送ると、一日の疲れがどっと肩にのしかかり、間もなくかい巻きのなかへ滑り込んだものの寝返りを打つたびにちゃぽんちゃぽん腹が鳴る。

 刻限は変わっていない。

 今なら宴会の片付けに追われた女中が湯殿を使い終わったころ、釜の湯はまだ温かいだろう。垢を落として軽くなろうと廊下へ出る。


「うう、さぶい」


 さすがに夜衣一枚では冷える、鹿の子はお気に入りの紅い半纏を羽織って本屋へ渡った。

 この時代には在郷商人ほどの位になると、周りの百姓と格差をつけるため邸に風呂を設ける。糖堂では砂糖蔵で汗かいて働く下男への、ひとつの娯楽として先代に建てられた。一度に入れるようにと、簡素ではあるがその広さは小御門の湯殿と大差ない。薪をぎょうさん使うし、残り湯が洗い物に便利だと、そんな理由からお火焚き場の奥にあった。

 ついついいつもの癖で、鹿の子がかまどを覗けば、ぱちぱち。

 かまどから火花が散っている。

 この刻なら夜食に違いない。宴会の残り物ならばより期待できそうだ。鹿の子は茶ぶくれした腹をすっきり忘れて、焚き口に頭突っ込む人影に声をかけた。


「こんばんは、どんな美味しいもん作ってるんですか」

「嫁行くもんには、関係ない。あっちいき」

「あら、ずいぶんと冷たいこと」


 女中にしちゃあ、えらそうだし、腰が曲がっている。なによりしわがれたその声が耳に愛しい。鹿の子は厳しい言葉をはがにもかけず、湯具を上がり框に放っ散らかして、土間へ下りた。


「ばあさま、こんばんは」

「なんや、鹿の子か! その半纏羽織っとるから、お萩かと思うたわ」

「ああ、そっか。これお揃いやもんねぇ」


 鹿の子が今着ている半纏はちょうど一年前、嫁入り前にと萩といっしょに縫ったものだ。お互いどんな遠くに嫁いでも、藪入りに実家へ帰って来たときには、この半纏を着て語り合おうと、約束して。

 この半纏を羽織っていると、同じ背格好のふたりは明るい昼間でもよく間違われたものだ。鹿の子は少し鬱つにはにかむと、抱きつくようにばあさまのまあるい肩へ手を置いた。

 新年の挨拶は宴会前に済ませていたが、すれ違い程度でゆっくりとは話せていない。


「こんな夜遅くに、なに作ってるんですか」


 老いた体を気遣いながらも、たずね直した鹿の子の声は弾んでいる。だって昔っから、ばあさまが自ら進んで炭を入れ、作るもんに外れはない。


「ああ、これか。こんぺいとうや」


 じゃっ、と音を立ててばあさまが重い鉄鍋を傾ける。骨ばった腕は皺をぎこちなく震わせているので、鹿の子が支えようと手を伸ばしたが「さわるな」と煙たがれた。


「ほれ」


 ばあさまは得意げにみせてくれたが、なべ底にあるのは二十粒程度の小さいかたまり。鹿の子の爪の先ほどもない、半透明の集まりで、飴、というよりは砂利石で鍋を洗っているように見える。

 

「これが、こんぺいとう?」

「せや、みとき。ちょうど今日で出来上がる」


 そう言って手元に置かれていた急須を持ち上げると、鍋をゆっくりとまわし、なかの砂利石を転がしながら少しずつ、少しずつ、急須の中身を鍋に注ぎ込んでいった。

 

「え!? ばあさま、なにかけてるんですか!」


 鹿の子はつまみ食いに出していた手を引っ込めた。

 だって、ばあさまが鍋肌に落とした急須の中身は真っ赤な血の色。それでいてもったりと砂利石にかかるから、よりおどろおどろしくみえる。

 それにしわしわのばあさまが血に染まる鍋を抱えている姿は、なかなかの恐ろしさだ。

 気がふれたんかぼけたんか、鹿の子は意味もなくあわあわと辺りを見回す。鍋から目を離したのはこの寸の間だけだった。


「かあさま呼んできたほうがええやろか」

「できたで、ほれ」

「あむ!?」


 あわあわ波打っていた口にぽそんと放り込まれた砂利石はほんのりとあたたかく、甘い。

 そしてほのかに梅の香りが鼻をぬけていった。

 改めて鍋の中を覗き込む。

 そこには血の跡はどこにもなく、ただ美しく、梅色の宝石が爛漫に咲き誇っていた。


「これは……」


 鍋の中の小石を一粒拾い上げ、まじまじと見つめながら口のなかでも味わい転がす。

 手の中の小石はよくよく見ると、まあるく、それでいてちいさなとげがいくつも飛び出ている。

 甘い。そのやわらかな甘味は鹿の子のよく知るものだった。

 

「こおり、ざとう?」

「遅い」


 ぴしゃり、と言い跳ねられ、苦笑い。

 鹿の子はここでようやく、とうさまがくれた異国の菓子手帖を頭のなかでめくった。

 こんぺいとう。

 それは同じ原料を使ったお稲荷さまの恋結び、「ありへいとう」よりもずっと前の頁に書かれている。


「旦那が氷砂糖作るんはいいけど、綺麗にできたもん以外は好きに使えばええとこっちに寄こしよる。料理に使うのももったいないから、菓子にしてみよう思うてな」

「それで、こんぺいとう……。んでも甘いだけじゃなくて、味も香りもようついてる」


 鹿の子が覚えているのはとげとげした同じ砂糖菓子、色は赤白黄色と色とりどりけれどクチナシを使った着色だけ。しかし口のなかのこんぺいとうは、はっきりと梅の甘酸っぱさが、香りが舌に転がるのだ。

 はて、味のつけ方まで書かれていただろうかと首を捻る。


「色だけではおもしろないからな」


 ばあさまはかまどから離れると、よっこらと腰掛け用の樽に腰を預け、隣の壺をぽんぽんと叩いた。

 毎年、ばあさまが漬けている梅干しの壺だ。

 なるほどと目をきらきらと輝かせる鹿の子に、ばあさまはいちから口で教えていった。


「まずはこんぺいとうの核なるものを準備する。蜜をからめて丸くするにはこの核が必要や。口んなかのこんぺいとうを割ってみい、でてくるやろ」

「うん」 危うく飲み込んでしまいそうになったが、なんとか舌でせき止めた。人差し指の腹で拾えば、

「胡麻?」

「せや。この胡麻つぶに氷砂糖を溶かした蜜をかけて、あっためた鍋で均一に、まあるく絡まるように転がす。それを繰り返して少しずつ、少しずつ大きくしていく」

「胡麻つぶから、この大きさまで……」


 手の中のこんぺいとうと、指先にちょこんと乗っかった胡麻を見比べる。薄い糖蜜を根気よくかける作業を考えると気が遠くなりそうだ。


「まあ氷砂糖作るんに半月、こんぺいとう作るんに半月。こりゃあ、砂糖売りだけができる、贅沢な道楽やな」


 ばあさまはまたすぐに腰をあげると、鍋の中のこんぺいとうを笊にあげ、満足げに笑った。

 しゃらしゃらと音を鳴らして輝く紅いお星様、立ち昇る梅の芳しい香り。とうさまが作る芸術的な氷砂糖とは違うけれど、これもまた風成の貴族が飛びつきそうな代物だ。しかしばあさまのことだから、このこんぺいとうも梅干しと同じように「散歩しにいってくる」なんて言いながら昼休みにでも、百姓へ配り歩くのだろう。

 ここにも砂糖の病を負うもんが居ったわと鹿の子も、ふふと誇らしげに笑った。


 かまどに残った灰で暖をとり、ふたりで昔話に花を咲かせばあっという間に迫る夜半。片付けは任せてと、樽の上で舟をこぎ始めたばあさまを見送る。

 焚き口に残った灰を掻き出していると、頭上から声をかけられた。


「こちらにいらっしゃったんですか」


 月明だ。

 鹿の子は焚き口に頭を突っ込んだまま、様子を窺った。どうせ萩と間違えてる。そう思って。


「さすがに板間では寝つけず、ちらりと覗いたらあなたがいなかったから。探しましたよ」


 ほれみたことか。

 火消し壺を抱き抱え、鹿の子は歯を食いしばった。

 月明と萩が相合傘で向かった方角には砂糖蔵だけでなく奉公人が使う休み処がある。砂糖の精製で汗をかいた奉公人が体を冷やすために一面、板が張られただけの広間だ。

 この正月休みは伽藍洞。逢引にはちょうどいい。

 鹿の子は静かに瞼を伏せたが。


「ああ、あったかい」

「――――!」


 なんと月明は土間に降りると土に汚れることも気にせず、膝をつき鹿の子の赤い半纏に覆い被さった。しかし拒もうにも鹿の子をすっぽり包み込んだ袍のなかは、氷室のように冷え冷えとしている。

 こんなに冷えきっていたら、そりゃあ眠れない。

 鹿の子は当主に暖をとらせるため、じっとこらえた。


「ああ、……愛しいな」


 たとえ人違いでも。


「離れたくないけれど」


 耐えねばならない時は、そう長くはなかった。

 月明は上がり框に置かれた湯具に目を向けると、耳元で忠言をこぼし、すぐに立ち上がった。


「あまり根を詰めすぎないでくださいね。湯上がりのあとはすぐに部屋へ戻ってきて」


 案外、安々と引き下がるものだ。鹿の子はほっとしたがそのため息を吐くとき、灰を吸い込んだのかひどく胸がひりひりした。


「ああ、そうだ」


 刃を研ぐような衣擦れが止まる。


「明日も今日と同じ刻限に、砂糖蔵でお待ちしてます」


 最後にそう言い残し、月明はひとりかまどを後にした。

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