三‐田楽
糖堂家にはその名も「さとう雲」と札をつけられた宴会場がある。毎年、お火焚きや年忘れに村のもんを集め、ご馳走や酒で労う憩いの場だ。
糖堂の仕事はじめはまだちょいと先だが百姓に休みはない。そこで三が日の夜に、今年もよろしくと百姓を呼んで新年を祝う。収穫高の順番に席が並べられるため、糖堂家は末席。貴族といえど陰陽師も例外ではない。
外郎に背中を押され鹿の子が宴会場に足を踏み入れると、月明は遠く遠くの端っこで背筋をのばしていた。
「うわぁ」
鹿の子が近づくにつれ、月明はただでさえ恐ろしい顔をひくひくと引きつらせる。上座でないことがよほど屈辱的なのだろうか。鹿の子の顔も恐怖で引きつった。
しかし後手では外郎がにまにまと誇らしげにしている。
「どうです、義兄さま。格好つくもんでしょう」
「外郎さん、鹿の子さんになんてことをしてくれたんですか」
「へへぇ、ちょっと結んでやって、うすく紅塗っただけなんですけどね」
そう言っては、べたべたと鹿の子にひっつき、恋人のように肩を抱いた。見せびらかされた月明は至宝ともいえるおおきな瞳を、ぽろりと落としそうなほど目を瞠らせている。
鹿の子はとにかくお酒でも注いでご機嫌とろうと、隣席にちいさい花を咲かすため、外郎の手を払いのけた。その際に左耳にかけていた鬢そぎが月明の目先へ垂れる。
鏡台の前で外郎にほどかれた髪は鹿の子の、もとい月明の要望通りにひっつめられていたが、こうして顔まわりに鬢そぎを作られ、鹿の子の見えぬ位置で可愛いらしい蝶々結びが結われていた。
「か、鹿の子さん、ああもう」
月明おきまりの苛立った声が鹿の子の耳をつんざく。
こりゃ間違いなく小言が待っている。恐る恐る見下ろすが、鹿の子は袂のなかへと引き込まれ、視界は真っ暗に包まれた。
「はやく座って。少しでも見られたくない」
「うわぁ! 義兄さまって、やきもちやき!」
「外郎さん、姉上で遊ぶのはよしてください」
「はぁい」
でもそんな見せ付けたら余計にみんなの目を集めますよと口を出して、外郎は自分の席へと収まった。
「恐ろしい……」
月明がつぶやく。
鹿の子はすくみ上がった。
恐ろしいのはこっちだ。怖いもの見たさでちらり、今度は見上げる。
月明はきれいな顔を林檎のように真っ赤に張らせて、唇をぎゅっと結んでいた。
さてそろそろ刻限は新春の宴。
鹿の子が座って間もなく客がなだれ込んできた。百姓の集まりなんだから、入ってくる人間は日焼けした武骨な男ばかりだ。抜きん出て美しい月明に視線が注がれるのは当然のことなのだが、当の本人は極めて冷顔を通し、いかにも居心地悪そうにしている。鹿の子に手を振る輩が現れれば、冷たいどころか燃えるような目でねめつけた。
これでは小御門の家紋に傷がつくと、焦った鹿の子は慣れない手つきで瓶子をとる。
「だ、旦那様、おつぎいたします」
「鹿の子さんが!?」
なつみ燗でも注いでもらったことないのに?
余計なことを口から滑らせながら月明も盃をとる。
心なしか、月明の右隣に座るとうさまの顔がこわい。
「注いだことないやて……? まあいいわ、はじめますか」
席は埋まっている。
月明の盃が満たされたのを合図に、とうさまが短い乾杯の音頭をとった。
「さあさあ、また甘ったるい一年が始まりますが、気張っていきましょう。みなさん、今年も宜しくお願いします」
盃を啜るわずかな静寂の後、わっ、と歓声が怒濤のごとく押し寄せた。来年もまたこの席に呼ばれようと気勢を上げる者。ただ、ただ目の前の箱膳に夢中になる者。
月明も例外ではない。
乾杯の盃を味わい束の間酔いしれた後、そっと蓋を開けると、おせちに負けじとぎっしり詰められた色とりどりのおかずに目を輝かせた。
今朝海で採ったであろう、烏賊の身を食む。
「ああ、私は幸せだ。最後にこんな美味しい料理やお酒が愉しめるなんて」
月明は色香たっぷりに美味しいため息をこぼした。
まあ甘辛く煮た烏賊は小御門家の御膳に上がらないが、一商人の振る舞える酒など、なつみ燗よりずっと劣るだろう。
鹿の子は瓶子を傾けながら、月明に尋ねた。
「最後やなんて、年の瀬みたいなことを。それにこのお酒、くせが強くないですか」
村で造られている酒は米だけではなく粟などの雑穀を混ぜているし、何より匂いがきつい。見た目にも小御門家のお神酒のように澄みきっていない。
しかし月明は盃を瓶子の口に近づけながら、首を振った。
「このくせのある味わいこそが、この村で造られた証。その土地の酒を味わえるのが旅の醍醐味というものです。それに」
ぎこちない手つきで満たされていく盃を眺めながら、にっこりと笑う。
「鹿の子さんが注いでくれるお酒は、どんなお酒より美味しい」
酒より澄んだ声が鹿の子の胸に響き渡る。
注いでくれる女にはみんなそう言う礼儀なのだと、言い聞かせながらも顔を真っ赤にした。
とうさまは意味なく天井見上げ、またその隣の外郎はやれやれと目を座らせる。
広間は騒がしく末席の一場面を気に留めるものはいなかったが、ひとりだけ妬ましく見詰める人間がいた。
それから半刻ほど、鹿の子と月明は仲睦まじい様子で宴会を過ごした。鹿の子が必死になってお酌をしていただけなのだが、月明は終始上機嫌。その者が痺れを切らし騒ぎ立てたのは、箱膳と空の瓶子が一斉に下げられ、手元に茶が配られた頃だった。
寄り合った若者が宴会場のど真ん中、太鼓と三線に合わせて踊りだす。
聞いたことのない音色と調子に心惹かれ、月明がとうさまに尋ねた。
「村に伝わる伝統芸能でしょうか」
「そんな大層なもんと違いますよ」
とうさまがからからと笑いとばす。
「田楽言いましてね。豊穣を祝う踊りとこの辺の百姓には伝えられておりますが、なんてことない、田遊びから生まれた暇潰し、道楽ですよ」
「楽が道楽とは、なんと妙妙たる」
風成でいう道楽といえば、博打か遊興。道の解き方が大違いである。こうした百姓独特の、畑から生まれた風習ひとつひとつが月明には目映く映った。
「まあ、うちの自慢はこっからですわ」
「ほう」
そうこう言うてる間に手拭いをほっかむりにした踊り手が席と平行に一列に並ぶ。いつの間に整えたのか、みんな揃って手に盆が抱えられていた。
盆の上には一目でわかる美味いもん。
「これは……、田楽?」
「田楽、に似せた菓子、田楽餅です」
皿には豆腐でもこんにゃくでもない、白い餅がたっぷりと味噌を塗られ乗っている。
「さあ踊った後は舌でも豊穣を祈りましょう。そんな意味合いをかけたんですがね、毎年代わり映えのない最後の一皿です」
そう言って、とうさまが手前の若者から皿を受け取った。代わり映えしないと言うが、周りを見渡せば客はみんな、踊り手にぱちぱちと拍手を送りながら、目の前の皿によだれを垂らしている。
どうやらみんなこの一皿目当てに、一年気張って働くようだ。
月明もまた、目の前に立つ若者から皿を差し出され、期待たっぷりに手を伸ばしたが。
「貴族に食わす餅はない」
皿は月明の手に渡る前に強く傾けられ、するりと落ちた。
――べちゃり。
鈍い音を立てて、月明の袍を汚す。
「ああっ、なんてこと」
鹿の子が慌てて拾い手元の酒で拭ったが、月明の右袖は高尚な雲立涌の模様にくっきり、味噌が染まってしまった。きっ、と息んで見上げた先にいたのは、
「翁!」
ラクの弟、翁だ。
こりゃあ一大事だ、百姓の次男坊が陰陽師様の着物を汚した。周りはかしましく翁に飛びつき、自由を奪った。しかし翁は働き盛りの十五歳。何人もの輩が山積みになり、下敷きになった翁はぷはぁと隙間から顔をだすと、そのまま偉そうに喋り立てた。
「にいちゃんから聞いた! 鹿の子は側室なんて形ばっかりで、毎日かまどでこきつかわれてるて。寝る暇もなく煤だらけ、みすぼらしい身なりで姑や奉公人にいじめられてるて!」
寸の間みんなが月明へ目をやり、しんと場が静まった。しかしすぐに取り直され、やれ口を塞げ、頭を押さえろと、村民が束になって翁へかかっていく。何度も言うが、翁は畑の働き盛り。ラクが村を去ってから、村一番の力持ちに認められるほどの逞しい青年だ。男衆の山の下敷きになりながら、力を振り絞って存分に怒鳴った。
「鹿の子は砂糖を安く手に入れるために選ばれただけで、ちっとも旦那様に相手されてないって!」
ふたたびやってきた沈黙と共に波紋を広げるように、月明の周りから客が退いていく。
そばでうつむく鹿の子。
その様子を見守るとうさま。
餅を食む月明。
餅を、はむ――
「えっ、その田楽餅は」
いの一番にとっぴな声をあげたのは、外郎であった。
だって月明が波紋の中心で、袖で受けた田楽餅を、涼しい顔をして食べているのだから。
それも大層美味そうに。
「んむ、これは」
若僧に衣裳を汚され、罵倒されたというのに、和やかに餅を引き伸ばす月明に、周りはあんぐり口を開けて見守る。
月明はその口に田楽餅の串をもっていくような素振りを見せ、こう言った。
「みなさんも、まずは召し上がってはいかがですか。熱いうちが格別ですよ」
はっ、と我に返った外郎が追って、みんなに勧める。
「この餅ね、うちのかあさまとばあさまが席を外してまで、丹念に仕上げた菓子なんです。それにこの餅はまた来年、それも豊作やった畑の人間の口にしか入りません。みなさんどうかお気を静めて、月明様の仰るように、熱いうちに食べてください」
ほらほら散ったと、翁の上に乗った人山を崩し、ひっくり返った膳を整える。
みんなも田楽餅目当てで寄り合ったのだ、素直に席へ戻ると、遠慮なしに開けた口へと餅を詰め込んだ。畳に這い蹲り、置き去りにされた翁にも、何事もなかったかのように皿がやってきた。
そわそわ落ち着かない腰も田楽餅をひと噛みすれば、ほっぺたといっしょに緩む。
和やかに戻っていく宴席を素知らぬふりで月明は、のんびりと咀嚼を繰り返しながら外郎へ尋ねた。
「しかし外郎さん。この餅、お義母さまではなく、鹿の子さんが作っていませんか。この味噌も」
舌でうち顎を拭いながら、よく味わう。
そんな馬鹿なと、とうさまも一口ぱくり。
「これを、鹿の子が?」
「よく煎られた胡桃に絡む味噌は、お焦げに合うよう甘めに炊かれて絶妙。辛味のあるお酒にぴったりだ。そしてこの甘みが実に私の舌に馴染んでくる。――そう、これは風波の味醂」
紅のように口角についた味噌をぺろり、艶めかしくぬぐい取る。
鹿の子は「はぁ」と感心して、惚けるばかりであった。
どんくさい鹿の子は翁が餅を落としたあたりから、頭がついていかない。しかしみりんについてなら話は別だ。
繁華街で買い占め、月明に持たせた重い思い出ではあるが、みたらしのたれからおかきまで、あれから随分と重宝している。糖堂の調理棚でみつけた鹿の子は迷わず、惜しみなく味噌に練りこんだ。
だってみりんと餅はもち米どうし、特に何年も熟成された風波のみりんはこしのある餅にしっかりと合うのだ。その味が舌に馴染んでいるというのだから、さすが甘いもん好きの神様を祀る、小御門神殿の当主である。
ごくり、その餅を丁寧に喉に落とし、月明が言う。
「なによりこの餅は、鹿の子さんの手がこねた餅の味です」
なんや、この陰陽師様は嫁がこねた餅の味がわかるんか。いっしょになってもちもち、餅を食みながら村人の視線は鹿の子へ移る。
「あ、えと、はい。焼いたんは、かあさまやばあさまですけど、餅と味噌はわたしが仕込みました」
おどおどと鹿の子が言葉を返せば、
「ふふ、やはり」
月明は柔らかく微笑んだ。愛しげに鹿の子を見詰め、また口の端に味噌をつけて。その味噌をぺろりと舌で艶めかしく拭うと「ごちそうさま」と一言、放ったらかしの翁へ膝を向けた。
「ラクさんの仰る通りです。鹿の子さんには御饌巫女として日夜厳しく務めてもらっています。私の配慮が足りず奉公人に虐げられることもあり、詫びなければならないことは数えきれぬほど」
畳に手をつき、頭を短く垂れる。
「しかし」
間もなく上がった月明の顔は娘のように恥じらいを含ませ、おどけていた。
「私はできることなら毎日でも相手したいほど、鹿の子さんを愛しておりますよ」
とうさまの小豆の目はこぼれそうになるほど飛び出し、外郎は両手で自分の口を塞ぐ。
周りはといえば、
――からん、からんからん。
ちゃっかり食べ終わった串が皿に落ちる音が無数に、虚しく広間に響き渡った。
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