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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
久助
73/120

四‐淡雪

 冬の生菓子‐淡雪かん


 狐のお好み



 作り方


 釜に水と寒天を入れて、ぐらぐら透き通るまで沸かし、寒天液を作る。

 笊に漉した寒天液に白砂糖、水飴の順番にしっかりと煮溶かしていく。溶けたら火から下ろして、人肌まで冷ます。

 その間に卵白を捏ね鉢にあけ、茶筅で泡立てていく。何回かに分けて砂糖を入れながら、ツノが立つまで。

 冷めた寒天液を、泡立てた卵白へ少しずつ混ぜ込んでいく。完璧に混ざり生地に艶がでたら、型に流して冷やし固める。

 冬場はすぐに固まるけど、家鳴りが足跡つけんように、かならず蓋をしておくこと。

 しゅわしゅわ溶ける淡雪は、お腹にいくらでも入るから食べすぎ注意。

 クラマは一日三切れまで。

 




 *





 小御門家側室西の方、小薪には穏やかな年明けにみえた。

 平凡な町娘であった小薪も今では立派な占術師。しかしながらこの新年に凶は一欠片もみえない。鼻に付くのはぶつくさ文句を言いながら境内をうろつく藤森家の男衆だけで、神殿は厳かに佇み、厩舎はうんと静かだ。


 だからその様子は一枚の屏風絵のように非現実なものだった。


「鹿の子、さん?」


 ほんの小さな種火しかないかまどは篝火が焚かれた境内より冷え切っていた。

 しかしいつもの煙たいかまどを表すように、土間の三和土から上がる熱気で霧が濛々と立ち込めている。小薪はその霧をかき分け、かまどに映る小さい影へと声をかけた。


「鹿の子さん」

「あら小薪ちゃん」

「鹿の子さん、これは」

「あけましておめでとうございます」

「雪?」


 かまどには、雪が降っていた。

 いや正確には雪ではないのだが、白くてふわふわしたものが、まるで綿雲みたいに御出し台に、かまどに水瓶に、土間に積もっている。

 小薪は屋根でも抜けたんかと天井を見上げたが、屋根柱にはびくびく震える家鳴りばかり。

 一面真っ白なかまどは夜霧に包まれ、雪景色より寂しく映った。


「こんなにたんまり仕込んでんのに」


 鹿の子の小さい背中が笑う。


「お稲荷さまも、クラマも、けえへん」


 鹿の子の鈴音の声は忙しなく動く右手に合わせ躍動していた。すり鉢のなかで踊る茶筅。中身は真っ白な淡雪。


「鹿の子さん、こんな作ってどうするんですか」

「だって、久助さんが」

「久助さん?」

「久助さんが、帰ったら、私も食べたいって。だから」


 すり鉢の中身を足元へひっくり返す。 

 ついに雪は鹿の子の膝まで積もった。

 まるで雪が鹿の子の自由を奪うように。


「もっと、もっと作らな」


 そう言うた尻から新しい鉢に卵を割り入れ、卵白だけを泡立てていく。釜にはたっぷりの寒天液。そのふたつが合わさった菓子が、その名も淡雪。

 鹿の子が正月明け、クラマに整えていた菓子だ。 

 きっかけは伊達巻作りに残ってまわってきた卵白。それを一目みた鹿の子の頭には寒さに丸まったクラマと皿にこんもり乗る淡雪が重なった。

 誰にもとられんようにと、こっそりと納戸の菓子棚に忍ばせていた淡雪。

 それが今では、妖しらが食べても久助の分が無くならんようにと、かまどにたんまりと作られ続けている。

 妖しらは鹿の子の異常な様子を恐れ、また久助を惜しみ触れることすらできなんだが、鹿の子の手はとまらなかった。


「もっと」


 淡雪はかまどの寒さに耐え切れず、すり鉢から出たしりから固まっていく。

 小薪は御出し台に積もった出来たての雪をひとすくい、口へ含んだ。


「……美味しい。けど、これは」


 その味わいはまさに淡雪のように、はらはらと心に冷たく染み込んでいった。





 *





「たべ、た?」


 神殿の片隅に建つ小さな社、広い邸の入り口で、月明は自分でもたまげるほど間の抜けた声を出した。


「せや? 食べられたもんじゃなかったけどな。先代はあんなまずい菓子を御饌に出して、鼻を高くしてたんか」


 雪は火桶の前で手をこすりながら、呑気に網で餅を焼いている。ぱちぱちと針を爆ぜるような音が邸の天井高く鋭く響いた。

 神々がおやすみの元旦に藤森家の目を盗み本殿へ忍び込める者など、一人しかいない。

 月明は久助を返してもらおうといつものごとく小社の御扉を打ち破り、雪に詰め寄っていた。それが盗んだばかりか、食べたという。


「目は盗んでないで。藤森のあの気色悪い当主が開けてくれたんやから」

「藤森が……?」

「本殿に祀られている御饌菓子がなくなれば、御饌巫女の鹿の子さんは泣いて困る。そう言うたら、あっさり」


 雪はしれっとそう言うと、口直しとばかりにふくらんだ餅をひび割れた唇へともっていった。


「ふうふう、対価や」

「たい、か?」

「髪も凍る寒さの夜に、わざわざ外へ出てお前さんを呼びに行ったんやで。菓子のひとつでも貰わにゃ割に合わんやろ」


 大晦日のことを話している。


「お前さんが鹿の子さんと世継ぎ作りができるのは一年のうち大晦日の一度きり、それやのに下町で酒呑んでるもんやから親切に教えてやったんやないか」

「その、対価に久助を食べた、と?」

「せや? 好いた女を抱けるんや、それ相応の対価となれば久助しかないやろ。しかし鹿の子さんは無傷、もろた菓子はまずいわ、全くの無価値やったけどな」


 あつ、あつと喉元で餅を伸ばしながらせせら笑う。


「久助も無駄死にやな、月明」


 月明は久助の死を見届けるように、餅が雪の腹に収まっていく様子をただ、ただ虚ろな瞳で見続けた。

 雪の言うとおり、月明は鹿の子の処女を散らしてはいない。

 月明は鹿の子の御寝所へ足を踏み入れる際、ひとつ決意を固めていた。自分は久助の影。久助と鹿の子がふたり過ごした前夜、この日に交わりがなければ、自分もよそうと。

 久助と共に生きようと、そのために一生をかまどに捧げようと心に決めた鹿の子への情けであり、希望でもあった。

 そして鹿の子の肌を暴きながら、強く思った。久助は菓子に宿る精霊、低位ながらも神のひとりなのだから、交えば子を宿せるのではないかと、浅はかにも、淡く――。



 なんとなく踵を返せば、草履の裏に初雪。

 境内には雪が降り、うっすらと積もり始めていた。



「鹿の子さん、ごめんなさい」



 積もりたての新雪をく、く、と踏み固め、一筋の足跡を残す。月明はなんとなく、なんとなくかまどの戸口に立っていた。



「ごめんなさい」



 からからと力なく開けた戸の先に鹿の子はいない。鹿の子は小薪がかまどへ顔を出してすぐに倒れ、御寝所へと運ばれている。

 ただ、そこには道の続きのように、淡雪が積もっていた。


「ごめんなさい」


 月明は冷たくないその雪を手のひらいっぱいにすくうと、口へ押し込んだ。


「ごめん、なさい」


 何度も、何度も。



 *



「ええんかなぁ」


 それから半刻。

 おずおずと言いながらも、顔じゅう真っ白にして淡雪を食らうは唐かさ。戸口に立っていた唐かさは自分に積もったもんくらいは許されるかと、べろんべろん長い舌で傘の骨をねぶった。


「当主が食うてるんや、ええやろ」


 小豆洗いが手いっぱいの淡雪を頬張る。

 屋根から下りてきた家鳴りはきゅいきゅいとあちらこちらで虫食い穴を作った。

 月明はもうずっと、淡雪を食らっている。その様相は土間に膝をつき、両腕でかき集め、妖しもたまげる食べっぷりだ。

 これにはお稲荷さまも一歩ひいて眺めていた。

 もうずっと、涙をこらえて見守っていた。



「当主よ、私と共に来るか」



 そう柔らかく声をかけたのは、歳神だった。

 

「いやなに、元旦にこの神殿で素晴らしい供物を貰うての。その対価にまぁ、手伝うことくらいはできる」


 月明は歳神の声に一寸手を止めたが返事なく、自分にも顧みず、泥に汚れた淡雪を食べ続けた。

 そんなに美味いんかと、クラマがごくり喉を鳴らす。歳神も然り。

 婆さま連中が淡雪を遠慮なしに風呂敷に包んでいく姿を見詰めながら、この家の守り神はみんな、かまどに食わしてもろうているのかと、歳神は呆れた。


「そのかまどに息を吹く御饌巫女。その娘を支えた式神が菓子の精霊とは、また」


 面白い。そして自分もこの小御門の菓子に魅せられた神の一人。来年の栗きんとんのためにもここは重い腰を上げようと思う。

 

「その久助とやらを、再びこのうつし世へ降ろす手伝いくらいは」


 神妖、人の手が止まる。

 

「手伝いじゃ。当主よ、のちのすべてはそなたの命に関わることぞ」

「構いません」


 月明はすっくと立ち上がり、雪にまみれたままの姿を歳神へ晒した。


「では、私と来なさい」

「あか山ですね、承知いたしました」


 ほう、と歳神が嘆声をあげる。

 歳神の住み処は気の向くまま、毎年のように転々としているので親しい神も知らぬこと。それを一発で言い当てるとは。


「冬のあか山は厳しいぞ」

「造作もなきこと。しかしひとつお許しいただけるのなら、山へこもる前に寄り道をさせていただきたいのですが」

「ああ、娘のことか」


 鹿の子をこのまま小御門家に放っておいたら何も口にせず、やがて霊力を絶やしてしまう。ならば予定通り実家の糖堂に帰し、休ませるべきだ。しかし険しいあか山の雪道を従者一人つけずに登らせるわけにはいかない。それに月明には果たすべき約束があった。


「お願いいたします」


 正気に戻った月明の顔の、美しいこと美しいこと。歳神は許しを与えざるを得ない。


「いいでしょう、送ってやりなさい。その様子なら私の処へ道案内はいらぬようだ」

「ありがとうございます」 


 月明は片膝を立て一度、深く頭を下げると、最後に大きな雪の塊にかぶりつき戸口へ踵を返した。

 

「悪いが藤森、麒麟をふたたび貸してもらうぞ」 


 そして格子窓にへばりついていた覗きへ声をかける。

 その男は藤森。びっくりたまげ、腰を浮かせた。


「い、いやしかしこれ以上神獣さまを藤森の神殿から離しておくわけには」

「貴様が招いた結果だ」


 鋭い冷眼で貫かれた藤森はそのままぺたんと尻餅をついて、正月の役目を終えた。

 月明は差し置き自分でつけた足跡を辿り、神殿へと戻っていく。

 その跡を追いかけるのはキツネ。

 歳神は引き止めようと手を伸ばしたが、言って聞く相手ではないなと思い直しため息ひとつ、もう片方の手を引いた。


「では、私らは先に参りますか」


 歳神の手のなかにはふた回り小さい手がひとつ。その先で可愛らしい女の子がにっこりと笑い、紅い草履で足並みをそろえた。



 少し間が空いて、境内のなか。

 神殿の片隅で氏神と当主が足を止める。

 そのつま先には雪を被る真っ黒な小社。

 月明は淡々とクラマへ尋ねた。


「これから私が犯す禁忌はいかほどの対価を払えばお許しいただけますか」

「こん」


 いらん。白いお耳を左右に揺らす。

 何十年。いや何百年、何千年でも自分の気がすむまで眠ってもらおう。黒い小社の前に降りるとクラマは憎しみにたてがみを逆立てた。

 好いた女をここまで苦しめられては、実母であろうと見過ごすことなどできない。

 程なくして境内に、耳を塞ぎたくなる壊滅音が響きわたる。

 クラマは月明の情け容赦ない動作すべてを黙殺した。


「出立は予定通り、明朝に」


 やがて月明の草履は母家へ向かう。


「お稲荷さまはお留守番を。といっても、聞かないでしょう」

「こん」


 こっぱ微塵に砕け散った小社は欠片ひとつ残さず砂利に埋もれ建っていた位置もわからない。狐の毛一本通らぬ封印を一瞥すると、クラマもまた茶室へと駆け走っていった。


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