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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
久助
72/120

三‐久助

 鹿の子と皇后が語り合っていたのは半刻ほどだったろうか、茶のことになるとなつめひとつにとっても話が盛り上がる。主上がねちねちと御饌飴を舐めながら声をかけるまでふたりの話はつきず、終始和やかな茶の間であった。一行を送り出しお天道さまを見上げれば、西に紅く移ろうている。


「おや、ちょうど本殿が開きそうですね」


 そう言うと月明は再び夢へ誘われぬよう境内で鹿の子と別れ、神殿へと足を運んだ。



 一年に一度の神議りは無事事なきを得たようで、月明が弊殿の御扉の前に立ってすぐ、がやがやとした雑踏と共にその扉が開かれた。

 神々の雑談はもっぱらおせちの話でもちきりだ。

 そのなかでひときわ目をひくご老体が、進んで月明に声をかけた。

 白く長い髪は後ろでひとつに総髪しているが、顔のほとんどを髭で隠し、それをまた床まで蓄えている。衣裳も映えばえとした白妙の道着を身にまとい、装いはまるで雪の精霊のようだ。

 平民が可視できたならば道化師かと小馬鹿にしているところだが、月明には老人が何者であるかひと目で明らかだった。

 主上の御前よりも腰を低く、頭を膝へ入れる。


「歳神さま、お初にお目にかかります」

「これはこれは小御門の当主よ。素晴らしい迎え御膳であった。腹が喜んでおるわ」


 おせちのことを言っている。

 歳神の開口一番がこれだ、周りの神々も横から口を出し、去年を引き合いに出しておせちを褒めた。


「そうそう、あの煮しめ」

「風成独特の濃い根野菜の味がしたな。塩気の多いうちの土壌ではああはいかぬ」


 そう口にしたのは桃李にお社を構える海神だ。海神と毎年同じおせちを食べる桃李の山神は口惜し気な顔をした。


「ふん、上手いのは味付けだ。にしんは桃李の海のものだが、今年の昆布巻きは格別であった」

「にしんといえば、数の子だな」


 海神がじゅるりと舌なめずり。


「あのほんのりした甘味、味醂か。風成の味醂は極上だ」

「味醂といえば、伊達巻がなぁ」

「何百年と食べているが、あんな美味い伊達巻はじめてや」


 うっとりと首を伸ばすは糖堂に近い南の荒神。卵が大好きな蛇神ははじめ、おせちは村人に作らせる伊達巻だけでいいと小御門のお重を突き返したが、味見にもらった伊達巻の美味さに開眼し、結局はごまめひとつ残さずさらえた。


「あんたが卵以外のもん食べるなんてなあ」

「五月蝿いわ」

「うちはやっぱり、黒豆やな。砂糖がええと豆も喜ぶわ」

  

 ふくよかなほっぺた押さえて、豆みたいな顔をしたおかめがにたりと笑う。

青龍山の麓、佐伯に根をはる亥の神はおかめの言葉にこくこく、ぶひぶひと鼻先を頷かせた。


「わしゃぁ、佐伯の豆を誇らしく思う。あれほど美味い煮豆に生まれ変わるとは」

「驚いた。煮豆の美味さに亥の神が喋ったぞ」


 雷神がふざけてその背に跨る。暴れまわる亥の神の上で、雷神はきれいにさらえたお重の中身を思い返した。

 世界中で祀られても、ひとところに腰を据えることのない雷神や風神は毎年、歳神のおせちにあやかる。

 歳神のおせちはどこの誰が作っているのかわからないが、世界中から選りすぐりの具材を集めて詰め合わせたような、文句のつけどころのないおせちだ。しかし今年の小御門のおせちは文句どころか、いちいち嬉しい悲鳴をあげ、ほっぺた落とす極上の重箱であった。これは材料ひとつ妥協せずに集めに走った月明の功名であるが、楽しそうにおせちを仕込む鹿の子にあてられて、巫女が負けてられんと気張った結果でもある。


「こりゃあ、来年のおせちも小御門じゃなあ」


 雷神のこの言葉に、月明はあからさまにうんざりとこう答えた。


「それだけはご勘弁を。毎年お出ししていたらこの小御門、潰れてしまいます」

「ではそのぶんの徳をこの神殿と家系に与えるぞ」


 ぴくり、月明の整った耳が動く。


「それは、神議りでお決めになられたことで?」


 歳神へとじかに尋ねる。


「いや本来、産土や氏神はその土地のおせちをいただくべきであるし、私も豊饒の土地を知るには以前の方が好ましい。故にだ」


 月明がほっとしたのは束の間。


「栗きんとん。これだけは毎年、ここに居るみんなの分をこしらえてもらおうと思う」

「栗きんとん、ですか」

「うむ。あれは格別であったし、この風成の芋が土台であろう」


 神々があちらこちらでうむ、うむ頷く。


「いやしかし、栗は」


 この度もっとも集めるのに苦労した材料だ。風成より遥か南、桜狩の名産品であり人気が高く、正月前にはあか山を越える前に南で売り切れてしまう。今年は周りの土地から少しずつ、芋と交換して貰えたものの、毎年となると難しい。

 しかし歳神は口髭を引き吊ってまで笑い、


「栗きんとん。来年も楽しみにしていますよ」


 可愛らしく期待するので、月明は「はい」と潔く返事する他ないのであった。

 では解散、と散り散りに消える神々。手を振ってその場で胡坐をかき神酒に口をつける神もいれば、居眠りをはじめる神も居るなか、月明は懐から式札を取り出すと、喚び慣れた名前を呼んだ。久助だ。  

 栗きんとんの御饌は来年の話であるが、今明かしておかねば自分の腰が落ち着かない。それに久助の役職は東の御用人であるのだから、今すぐにでも彼女に伝えて欲しかった。東の院側室であり、栗きんとんの被害被る御饌巫女の鹿の子に。


「ん?」

「なんや、なんや」

「当主も二日酔いか」


 居残り組の神々が月明へと関心を寄せる。

 小御門の当主が式の神の使役に手間取っているのだ。不思議そうに首をかしげるもの、嘲るもので弊殿の柱がざわざわと揺れた。

 当の本人はそんな周りを気にもとめず、ただ、ただ、その名を喚び続ける。


「久助……?」

「こん」

「久助、久助!」

「こん、こん!」


 月明をとめたのは、白い毛玉の寄り代へと戻ったお稲荷さまだった。


「お稲荷さま、久助は。久助はどこに」

「こん」

「お稲荷さま……?」


 狐の口にくわえられたもの。

 それは血が滲んだように懐紙に餡子の蜜が沁みた、空っぽの菓子皿だった。




 *




 茶会が終われば鹿の子はお役目御免、今日日仕込みはない。明日の朝にはかまどを離れ糖堂へ藪入り、十日ほどの菓子の蓄えは暮れに作り終えている。思えば暮れはおせち作りに御饌菓子作りでてんてこ舞い、おまけに今朝のこともあり、鹿の子のちいさい背中にどっと疲れがのしかかり、ぎっこぎっこと舟を漕いでいた。

 舟には向かいに皇后が座り、優雅に扇子を扇いでいる。


 ――正室におなりなさい。


 皇后は扇子のなかで、にたりと笑った。

 鹿の子の頭に、茶会で言われた言葉がしんしんと流れる。

 自惚れるでない、正室は寵愛を受ける女だけが務めるものではないのだから。しかし誇りには思っていい。主人の操り糸をもてる女は世にそういない。それもあの月明をたくみに操るあなたは正室になるべくして小御門家に嫁いだのであろう、と――。


 正室。

 この世で最も縁のない役だと思っていた。

 だって清々しいほどの霊力なし、器量も自慢じゃないが側室のなかで自分はべったこだ。

 しかし大晦日を過ごしたあとでは、自分でも怖いくらいずうずうしく、十分にあり得る話だとも思った。月明に愛を語られ腕のなかで眠ったあとでは。

 空を仰げば、青い雲。

 久助の顔形に浮かび上がる。


 ――会いたいなぁ。


 実家へ帰る前に、一目でいい。久助さんに会いたい。そんなことを夢のなかで思いながら鹿の子が目を覚ましたのは、すっかりお日さんが陰ってからだった。


「茶を点てとくれ」


 耳に馴染みのある声に尻が跳ね上がった。

 どこまで深い居眠りをしていたのか、いつの間にやら姑の雪が上座に腰を据えている。

 雪が茶室に上がったのは初めてのことだ、鹿の子は主上の前さながらに肩をちぢこまし、白くなった炉の炭を替えにかまどへと走った。

 まずは茶菓子で時間を潰してもらおうと、すずし梅を運び入れるが敷居を跨ぐ前に断られる。


「そんな季節外れな菓子はいらん。安心せえ、自分で持ってきた」

「はあ」


 客が暮れに置いていった正月菓子だろうか、雪は大層にも紅いふくさにくるまれた菓子をおもむろに懐から取り出した。実のところ、雪には未だに御饌菓子ひとつ、味見してもらったことがない。それはとても残念なことだったが、雪が機嫌良く包みを解きはじめたので、鹿の子はせめて雪のお望みの茶を懸命に点てようと炉に向かった。

 それから時はそんなに過ぎていない。鹿の子が茶器に湯をそそぎ入れ、踊る抹茶を見詰めた、束の間のことだった。


「まずっ」


 御饌巫女にとって、なにより怖い言葉が雪の口から放たれた。

 鹿の子はそれはそれは驚いて、右肩越しに覗いてみれば、雪は口もとを両手で覆い、目をぎょろぎょろとあちこちに動かしている。よほど不味かったのか、隠してはいるが口の中でもごもごと菓子を持て余している様子は手に取るようにわかった。

 飲み込むことも難しくなったのか、最後にはちいさい欠片をぷっ、と畳に吐き捨てる始末。


「げほっ、げほっ、なんやこの菓子、かすかす、ざらざら。食べられたもんじゃない」


 咳き込みながら手をぱたぱたと振り茶を催促するので、鹿の子も慌てて茶筅を振る。

 雪は点てたてあつあつの抹茶を一気に啜ると、苦味で口をゆすいで、はあと一息。


「これがかの青雲か。あいにく私の口には合わんかったな」

「青雲……?」


 その菓子の名は、鹿の子も知っている。

 おそらく、多分、一生忘れることがないであろう菓子の名前。

 月明の沈欝とした表情が頭に浮かぶ。


 ──先代が作り上げた創作菓子、名を青雲といいます。


 もうこの世にふたつとない、本殿に祀られし、そして何よりも、愛おしい──。


 ──はい。これが、久助です。


 恐る恐る、視線を運ぶ。

 畳の隅に転ぶ、ちいさなちいさな欠片。

 ぽろぽろと砕けた雲平。食べ頃をとおに過ぎ砂糖の抜けた、練り羊羹。

 あでやかな青雲柄の着物が目の前を過る。

 雪は鹿の子の青ざめた顔を甘味にと言わんばかりに満足げな様子で抹茶をひと啜り、こう言った。


「こりゃあ、対価や」

「たいか?」


 おちょぼ口を震わせ、鹿の子が尋ねる。


「鹿の子さん。あんたにいくら霊力がなくても、鈍いいうても、自分がお稲荷さまに好かれてることくらい、知ってるやろ。お稲荷さまはな、あんたが誰の手にも穢れんようにずっと見張ってた。しかしや、そのお稲荷さまがこの小御門から居なくなる日が一日だけある。それが昨日の大晦日や」

「お稲荷、さまが、居なくなる」

「聞いてないんかえ? 大晦日は一年で一日だけ、神様みんなが眠る日や。お稲荷さまも、あんたの大好きな久助もな」


 ――よいお年を。

 大晦日、日暮れと共に境内から消えた久助の影を追う。あれから一度も顔を見ていない。その着物も影も、甘い香りも。


「あんたと月明にとっちゃ一年に一度しかない、夜伽の機会。その小さい腹に子種ひとつでも残さな損、損」


 さも姑らしい言葉を吐いて、にたりと笑った


「月明へ教えてやった代わりに貰うたんや。対価を。久助をな」


 ひどい目にあったけどなぁ、最後の一口をずっ、と啜る。


「ごちそうさん、なかなかのお点前でしたえ」


 形だけの礼を述べ、雪が退く。

 その声は鹿の子の耳に届かない。

 頭の中から爽やかな青色が消え去り、この世の全てが真っ白になっていくのを感じた。

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