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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
久助
71/120

二‐初釜

 客が茶室のにじり口を潜ったのはちょうどお天道さまがてっぺんに差しかかる頃だった。

 歳は三十半ばといったところだろうか、ずいぶんと大層な束帯に身を包んでおり、本人も着心地悪そうに膝を折々、かさばる裾を踏んで上座へと落ち着いた。続いて現れたのは気の強そうな年増の女。整った顔立ちをしているが、眼尻に薄く刻んでいる皺を隠しきれていない。これまた重そうな狩衣に豪華絢爛な袿を引きずって入ってきた。

 朝廷の貴族様はみんな正月になるとこのように着飾るのだろうか。鹿の子はそんなことをぼんやりと考えながら、月明が現れるのを待った。

 しばらくして顔を出した月明はやれやれとひと汗かいたような面持ちだ。


「御迎えに参りますと、あれほど申しましたのに。元旦から百人の近衛を働かせないでくださいよ。何事かと寝正月を過ごしている町民まで顔を出すではありませんか」

「おせちは飽きた。朕が腹を空かせているのにちっとも姿を現さないげっつが悪い」

「げっつ?」


 思わず口をつき、慌てて向き直る。

 上座の男は興味深そうに亭主である鹿の子をまじまじと見詰めた。


「これ、げっつ。朕にわかるようにこの女子を紹介せよ」

「お稲荷さまへ捧げる御饌菓子を作る、御饌巫女でございます。茶の心得がありますゆえ、本日は皇后さまにもお楽しみいただけるかと」

「まあ、それは楽しみだこと」


 扇子のなかで次席の女が笑う。

 鹿の子は月明の発した「皇后さま」の一言を聞き逃しはしなかったし、女が広げた扇子は生まれて初めて見るような金銀爛漫な柄模様。では皇后の上座に座る男の地位はひとつしかない。鹿の子はこちらから尋ねるのは無礼にあたるだろうと、懸命に素知らぬふりをして頭を垂れた。


「本日、亭主を務めさせていただきます、鹿の子と申します。よろしくお願いいたします」


 丁寧な総礼は肩が強張り、心なしか腰が浮いている。

 そんな人間を何百人と見てきた正客ふたりは気にも止めず、月明へ話をふった。


「正月五日は席を空けると聞いたけれど、誠のことなの」

「はい。畏れ多くもこの度の遠征にて疲労が激しく、しばし休養にと、お許しをいただきました」

「まあげっつはこの五年ほど休みなしやったからなあ。構わぬが何処まで足をのばす」

「あか山を越え八里、側室の生まれ故郷でございます」

「へぇ、側室」 皇后の片眉がわずかに上がる。

「出立は」

「明日の朝には」

「ふむ。ではこの席を最後に、しばしの別れであるな」


 最後の言葉には、このあとの出廷を拒む意味合いが含まれている。つまりは月明の侍従職は今日から正月休みというわけだ。

 寛大すぎる主上に皇后は片眉を完全に吊り上げた。小言でも言おうかと考えたのであろうが、すぐにもう片方の眉も上がることになる。

 いつのまにやら席を離れていた鹿の子が、菓子を運び入れたからだ。


「お待たせいたしました。本日の菓子でございます」

「おお、おお、待っていた、待っていた。なんせげっつは小御門の御饌菓子を食わしてくれんからの」

「朝廷にむしり取られては困りますからね。今後もお稲荷さまの手前、お控え願いたい」

「ほれきっぱりいいおる。まあいい、さあ、女子よ、朕にわかるよう、菓子の説明いたせ」

「かしこまりました」


 月明が膝を前にだそうとするが、鹿の子はつぶらな瞳でそれを制した。

 亭主としての矜持か、はたまた御饌巫女の根性か。どちらにしても月明にはたいへん心強く、目映いほどに輝いてみえた。

 言葉のない甘いやりとりに一瞬、皇后は目を細めたが、菓子の誘惑に打ち勝てず、すぐに前へと向き直る。無理もない、畳の縁の向こうに置かれた黒塗りの菓子皿には、まるで初雪をまとったように淡くてまあるい菓子が乗っていた。

 鹿の子が凛と応える。


「千年かわらない松の(みどり)を現しました、永久不変の常盤饅頭でございます」

「松の翠? どこにも翠はみえんぞ」

「雪を被っておりますので。是非、菓子楊枝で雪かきしてみてください」


 これはまたずいぶんと奥ゆかしい菓子だ、主上はすすんで皿をとる。下座で後に続いた月明は菓子に楊枝を入れた次の瞬間、真っ赤な歯茎をみせるほど大きく笑った。

 菓子は薯蕷饅頭。

 餡は、生え映えと萌える翠色。

 鹿の子は月明が口に入れる前にと、柄杓の柄を取りながら説明を続けた。


「残念ながら、旦那様の大好きな青大豆は使っておりません。この寒い季節に手に入りませんので、白餡をお抹茶とクチナシで翠に着色しております」

「なんと、白餡」


 月明は寸の間しょんぼりしたものの、正客ふたりのだんまりに再び期待を膨らませた。口五月蠅い主上が静かなのは、美味いものにありつけたときだけ。

 半分に割った菓子を口に入れる分、更に切り分ける。もちもちとした外皮に楊枝を深く突き刺し、ひとくち。


「ああ、これはまた」


 月明は饅頭を口に転がし、唸りを上げた。

 雪に見立てた外皮は熱に溶け、淡く儚く口内へと広がっていく。雪解けを待ちかねていたのか、そこへ現れたのは、抹茶の緑々しい香り。滑らかな白餡特有の優しい舌触りに苦味を足し、なんとも言えぬ深い味わいを生み出していた。

 こぼれ萩の青臭い餡とは全く異なる、高級感。

 薄化粧をまとった立派な松を彷彿とさせる、初釜にふさわしい饅頭だ。

 皇后は目に涙を浮かべ、舌で感じたままに呟いた。


「永久不変に、……いつまでも鮮やかに翠に色づく。まるで風成そのものを食しているような菓子」


 主上も文句なし、褒め言葉を一言で鹿の子を讃えた。


「あっぱれであるぞ」

「この身に余るお言葉を賜り、ありがたき幸せでございます」


 しかしここで鹿の子がすかさず出したお茶は、下女が飲んでる番茶より薄い色をしていた。抹茶の濃さもなければ泡立ちもない、出がらしに見える。

 今日の皇后の眉毛はいつにも増してよく動く。これでもかというほど吊り上げると、きっぱりとこう言った。


「茶室でいただくお抹茶ではない」

「こちらは新年にいただく皇福茶でございます」

「皇福茶?」

「はい。皇福茶とは、今年の年男が汲んできた水で淹れた、新年を祝福するにふさわしい縁起の良いお茶です」

「水だけの問題なら、こうはならないでしょう」

「まあそう宣わられず。このあと新たにお抹茶をお点ていたしますので、先ずはこちらをひとくちお召し上がりください」

「こんな小さい湯のみ、ひとくちやないか。飲んでやれ」


 業を煮やし、主上が差し出口をするので、


「後に、必ずや点てなさい」


 皇后は渋々と茶器をとった。

 皇后と鹿の子のやり取りをはらはらと見守っていた月明も、口に残った抹茶の餡を名残惜しみながら、もったいないなと思っていた。

 美味い菓子の残り香は豊かな茶葉で洗い流したいというもの――。


「これは……」


 皇福茶とやらを渋々すすった月明は、鹿の子が出したものを未だ疑おうとする自分を責めた。

 ぶわり、攻め寄る茶葉の香り。

 白い茶器を満たす中身はどうみても湯を申し訳程度に濁した出がらしだ。しかしひとくち口にふくんでみれば、生々しい深みと甘み。そして、


「うま味?」

 

 例えるなら、だし汁を飲んでいるような旨味が舌に沁みる。

 鹿の子は月明を仰ぎ見て、こう言った。


「さすが旦那様。こちらの皇福茶、縁起担ぎに結び昆布を入れております」

「こんぶ?」


 三人揃って茶器を覗き込む。

 よくよく見れば、千代結びに結われた可愛らしい昆布が底で泳いでいる。


「茶葉は今日のために、若芽を釜で煎じたものだけを使っているのですが、昆布を入れるとどうしても色が濁ってしまって。本来の若葉色が愉しめないのが、皇福茶の難点でございます」


 鹿の子の話を聞きながら、もう一度ふちに口をつける。

 なるほど苦味が少なく甘かったのは、若芽だけを使っていたからだ。抹茶の濃い餡に更に苦い抹茶をかぶせたら、くどかったろう。

 常盤饅頭のために皇福茶があるのか、はたまたこの茶に合わせて饅頭を作ったのか。

 菓子と茶の抜群の相性に、三人揃って美味いため息を吐いた。

 主上は茶のなかの昆布までしっかりしがむと、


「よき点前であった」


 声を張り上げ、褒め言葉で締めた。

 天子を招いた初釜はこれにて幕を閉じ、成功を収めたと月明が胸を撫で下ろしたのは寸の間。


「ときにげっつ、御饌飴はどこじゃ」

「は?」

「お稲荷さまの大好物ときく。わしも食しておくべきではないか」


 野放図な申し出に大汗をかいた。

 夢の中で呟いた戯言が本当になってしまった。鹿の子へ目配せを送るが、苦笑い。釜の底にへばりついた御饌飴は一滴残らず、家鳴り小鬼がさらえている。


「仕方ありません……私の備蓄がありますので、いまお持ちしましょう」


 あっ、やっぱり持ってはった。鹿の子が「ふふ」と声を出して笑う。

 その笑い声に決まりが悪そうに腰を上げたのは月明。そんな月明を皇后は驚いた目で見送った。上座にいた主上までが膝を退き、また驚く。


「主上、どちらへ」

「朕も行く。茶室は狭くてどうも苦手じゃ、少し外の空気を吸いたい」


 主上が苦手なのは正座、足の痺れが限界であった。


「あらあら、仔馬のよう」

「くっ、ふふふ」


 女達の笑い声で見送られ、主上とその侍従は茶室を後にした。



 主上と二人きりになることは、侍従長の月明でもそうあることではない。私室へ行き着くまで堪えきれず、人気のなくなった母家の回廊で、月明は口火を切った。


「皇后様をお連れとは、珍しいことで」


 寵妃いじめが趣味の皇后だ、主上の口から出る皇后の悪口は侍従長に任命されて五年、毎日のように聞いている。後宮を精算し皇后ひとりへ寵愛をそそぐことは、表向きばかりだと思っていた。それが今日になって、揃っての親拝である。茶室のなかでも、とりわけ仲睦まじいというわけでもないが、ごく自然に年を重ねてきた夫婦そのものであった。

 主上は月明の憎たらしい声がけに、足を止めて笑った。


「あれは、いい女だ」


 中庭なら降り注ぐ新春の日の光に手を伸ばし、しみじみと語る。月明がずさっと退()さり、耳を疑うような素振りを見せるので、主上は笑みを浮かべたまま過去を掘り返していった。


「あれは、ちょうどげっつが遠征から帰ってきた日の話だ」 


 風成の大勝の報せがあった朝、執務に追われる前に春宮(とうぐう)と遊んでやろうと、主上は皇后の住まいである萬寿宮(まんじゅのみや)へ足を運んでいた。朝のうちでなければ間に合わなかったであろう、皇后は春宮を乳母へ預け、自分は従者ひとりつけず、後宮を去ろうとしていた。


「愛想が尽きたなど、間男がいるなど、有りもしない言葉を連ねてな」

「有りもしないと思い込める自信はどこから」

「皇后の朕への忠義は揺るぎないものぞ」


 機嫌を悪くし大臣達を振り回していれば、明らかとなった太政大臣の謀反。皇后は太政大臣の娘にあたる、事を収めた後、主上は再び後宮へ下った。


「げっつ、お主なら皇后の朝の行動をどう考える」

「太政大臣の謀反を知られる前に、逃亡を計ったと推測すべきかと――いえ」


 一寸置いて考えてみる。

 天子の妻として育てられた皇后ならば肉親の謀反は受け入れがたい。むしろその血で後宮を汚すまいと自ら命を絶つだろう。


「宮内から離れた土地で自害なさるおつもりだったのですね」

「ああ、そうだ」


 皇后の手には毒薬が容れられた小瓶が握られていた。


「しかし、それだけではなかった」


 皇后の局からはもう一種類の毒薬がみつかった。みつかったというより予めみつかるように、盆と懐紙の上に整えられていた。


「その毒薬は死を招くものではない、飲み込んだ際に、喉を痛める程度の弱い毒だ。これを桐乃に飲ませ、じわじわと声を潰させていた」


 桐乃とは主上の寵愛を一身に受けていたが、後に怒りを買い後宮から追い出されたとされる参寿舎の更衣である。その実、皇后や他の女御からのいじめが酷く、もはや庇いきれないと判断した主上が自らの意志で実家へ下がらせていたのだが、桐乃は後宮を退き三月経った今も喉の病が治らず、美声を発することができない。


「桐乃はつい最近まで投薬されていた」

「ではお付きの命婦、もしくはご親族に裏切りが」

「いいや、裏切りはない。しかし誰も投薬を拒まなかった。……その毒薬、桐乃を救うために投じられていたのだからな」


 桐乃は主上の寵妃としてばかりではなく、その歌声が名声高く、国を超え広まっていた。当然、砂崩にいた先帝の耳にも届いているだろう、そう危惧した皇后は桐乃が先帝の目にとまる前にと、その美声を潰し、後宮から退けようとしたのだった。


「春宮を玉座へ上がらせ、先帝を呼び戻すなどという実父の戯言を前々から聞かされていたのだろう」

「では主上の寵愛を妬んでいたのではなく、一側室である桐乃様を守ろうと」

「それだけではない。皇后は朕に後宮を清算させるよう、導いた」


 宮内で育てられた皇后は先帝時代の後宮を知っている。その穢れた巣窟は幼い目には耐え難いものだった。決して繰り返してはならない、皇后は自ら悪役を演じ後宮を守った。最後は父と共に命を散らせる覚悟を持って。


「げっつ。皇后というのは、どこまでも皇后であるな」


 手のなかに馴染んだ光は目に慣れてしまったが、ぼんやりと温かい。

 人間らしく生きるこの方が好きだと、月明は改めて思った。


「しかし皇后様は春宮様を道連れにはなさらなかった」


 穢れた血で玉座を汚したくないのなら、自分の血を引く春宮に毒を盛るべきだ。その発想すら湧かず乳母へ預けたのだから、彼女は皇后であるが前に、母であったというわけだ。

 主上は下ろした手を腹に添え、声を出して笑った。

 

「故に、あれはいい女だ。十年連れ添い、やっと気付いた」


 主上の晴れ晴れとした玉顔に、月明は朝廷の新たなる年明けを感じ入った。





 同じ頃、鹿の子は心新たに茶筅をふりふり、噂の皇后はばりばりと煎餅をかじっていた。


「これ、まだある? 主上にも召し上がっていただかなくちゃ」

「はい。後ほど包ませていただきます」

「よかった」


 ほっとした様子で二枚目へと手を伸ばした。

 皇后が夢中になって食しているのは、米粉ではなく小麦粉を薄焼きしたものだ。二枚重ねになっていて、間に味噌が挟まっている。

 生菓子がこってりとした抹茶餡であったが故に、煎餅のしょっぱさと軽い食感に舌が喜ぶ。

 皇后は口を動かしたまま鹿の子の手先を見張った。

 先ほどまで固まっていた肩は緩みすっかり緊張が解けた様子で、流麗にお点前を運んでいる。いや緊張が解けたというよりは、この空気を愉しんでいるようにもみえた。どんな来客であれ一期一会を慈しむ、立派な茶人の志し。


「あなた、この小御門家の側室でしょう。どちらの家系かしら、家紋は、ご出身は?」


 貧相な顔に貧相な御饌装束に身を包んだ鹿の子は誰がどうみても奉公人。側室なんてきっぱりと言われたのは初めてのことで、鹿の子は目を皿にしながら、皇后の膝元へ茶器を出した。


「恐れ入りながら、わたしは糖堂という南の商家の生まれでございまして、公家ではありません」

「あらそう。でも側室なのね。否定はしなかったから」


 返答に困る鹿の子を前に、抹茶を啜る。

 今度は皇后が目を皿にする番だ。

 泡のきめ細かさ。苦味、香り、何より煎餅の後味が茶葉の深みを引き立たせている。まるで煎餅がこの抹茶のために整えられたみたいだ。


「朝廷で点てるお茶より、ずっと美味しい……!」


 皇后は宮中の茶人に暇を出そうか寸の間悩んだ。鹿の子を後宮へ上げ、毎日この茶を、空気を愉しみたい。しかしそれは難しいだろうと、時を移さず思い直す。


「月明があなたを離してはくれないわね」


 皇后は今日、この茶室で月明の愛らしい顔を初めて目の当たりにした。その顔は間違いなく鹿の子がもたらしたものであり、出仕中の月明を知る皇后には信じられぬ光景でもあった。

 カッと小豆顔を真っ赤に茹でた鹿の子を器越しに眺める。

 たまに来て飲むくらいが長生きの楽しみになるし、あてられず丁度いいかもしれない。


「あなた、正室におなりなさい」


 そう言って、最後の一滴を飲み干した。

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