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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
栗鹿の子
64/120

十六‐朱雀焼き(月明)

 久助が北の方桜華に従い小御門へたどり着く頃には黄昏(こうこん)を過ぎ、お日さんはすっかり暮れきっていた。

 直接北の院へ牛車を入れた久助は唖然としたものだ。


「この惨状は一体……」


 辺りの煙たさに違和感を抱いたものの、道々の雑木林はひと葉も変わりはない。

 しかし、北の院は邸を囲う塀を残し、すべてが焼け落ちていた。

 人形が並んで座った縁も、その奥にあった桜色の御寝所も跡形なく、薄っぺらい灰がちりちりと舞うだけ。面影はひとつとてない。


 久助は物見から桜華へ語りかけようとしたが、内から泣き声に似た嗚咽が聞こえ、口を閉じた。

 桜華は二十五にして実家より長く、嫁ぎ先である小御門家に身を置いている。先帝にさらわれた後には北の院に閉じこもり、思い出はすべて邸にあったと言っていいだろう。

 それが今、総て消え去ってしまった。

 四季に合わせ彩りを加えていった中庭も、指一本から自分で削り作り上げ、愛した人形たちも。何もかも。


「…………」


 鼻に付く焦げ臭さのなか、探せど言葉がみつからない。久助は手綱を強く握りしめ、やるせなさに目を伏せた。

 桜華を思い遣る度に言葉が詰まる。


 しばらくしてから、のらりくらりと、牛の足が母家へ向かった。



 *



「では桜華は今、母家の御寝所にいるのですね」

「はい」

 

 時同じくして弊殿へ上がった月明であったが、戦の疲れを癒す暇はなく奉公人達の統括に追われていた。朝廷の害虫駆除が終わったかと思えば、我が家がこの有様である。雷神の雷に穴を開けられた屋根は十三ヶ所。雨が降られては困る程度の傷であるが、その困る雨が今夜、夜通し降る。この小薪の先読みにより、小さな使い奴までがはしごによじ登って石を積んでいた。

 何より困ったのが北の院の全壊である。

 桜華はあの邸で育ち、その身を養ってきたのだ、人形以上に大切な心の拠り所であった。

 それを今、この機に失くしたとなれば――。


「あの雌狐、わざと北へ導きよったか」


 月明はこの上なく恐ろしいはんにゃ顔を久助だけに見せた。


「うわあああ、やっぱりまだお怒りやないですかぁ」

「どんなお咎めもお受けいたします」


 つもりが側室二人、頭を垂れて居座っている。


「貴女達、まだ居たのですか」


 早々に下がらせてから半刻が経っているというのに。小薪が板間に涙を落としながら、許しを乞う。


「どうか、どうかお許しくださいい」

「許すもなにもこの件、小薪さんが私の髪を売って稼いだ賽銭を邸の修繕費に回すことで解決したでしょう」

「ちっ」


 泣いてもそこは譲ってくれへんのかい、と舌打ち。


「聞こえていますよ小薪さん、境内のお掃除ひと月追加」

「そんな殺生な!」


 じたばた暴れ出す小薪を袖に隠し、南の方が願い出る。


「どうか小薪をお許しください。結界師として、私に至らない点がございました。どうか私にお咎めを」

「しかしですね、貴女に境内を彷徨かれても困ります」


 黒い四角い箱を被った女が雑草でも抜いてみなさい、妖怪賽銭拾いが出たと街で噂になります。

 月明が遠慮のない断りを入れる。

 

「それに今件、お稲荷さまが不在のなかで雷神さまを相手取り、よく堪えたものです。被害が邸ひとつで済んだのは貴女のおかげですよ」


 雷神が荒んだ半日あまりのあいだ、全壊した邸は北の院ひとつ。あちこちの屋根に開けられた雨漏り穴には困ったものだが、火が広がるようなかまどや厩舎は無傷である。これは雷神が遠慮したのではなく、雷神の怒りに触れない程度に、南の方が護っていたからだ。


「しかし、私は……」


 南の方が箱のなかで口籠る。霊力を養うためとはいえ、神殿を離れ北の院を消滅させてしまった。


「結界師とは、その術に集中することが総てであり、集中力が途切れたのなら養うべきです。貴女は私の教えに従ったまで。しかし小薪さん、貴女は占術師だ。その教えを忘れてはいけません」


 矛先が戻り、小薪は乱していた居住まいを正した。


「はい。占術師は星の下、時には当主より上に立つべき先導者であること」

「そうです。この世の誰よりも未来を読む貴女は私や皆を先導する権限を持っている。故に今日のような火急の事態、しっかりして貰わねば困ります」


 再び、月明の視線が南の方へ移ろう。


「そういった理合いでは、貴女は小薪さんに指示を仰ぎ、従うべきでしたね」

「旦那様の仰る通りでございます」

「お分かり頂けたのなら充分ですよ、二人とも下がりなさい」


 またいらぬ差し出口を挿んでしまった。

 月明は自分を戒めるようにまたはんにゃ顔を造り込んだ。

 静々と退く二人を見送り、自らも高座を下りる。


「どちらへ」


 久助が尋ねる。


「御饌かまどへ」


 月明は去り際、久助の冷淡な顔がわずかに緩んだのを、見逃しはしなかった。




 *




 かまどは轟々と火が焚かれ、ぱちぱちと炭が踊る。正味三日さぼった鹿の子は朱雀焼きをこしらえた後も、息つく暇もなく働いていた。

 飴を練って餡子を炊けば、汗と湯気に煤を被って髪も衣裳も真っ黒け。

 煙たいのは落雷でこりごりの巫女らであったが、かまどが騒がしいといつもの日常が戻ってきたようでほっとしている。家出のことや、当主と帰りがいっしょやったこと、聞きたいことは山ほどあるが、日課のいびりもなく、みんな黙って暖だけをとっていった。

 その様子を遠巻きに眺めていた月明は、素知らぬふりで拝殿の方角から現れると、いつもの冷顔で巫女らを追い払った。水羊羹が氷水に放たれた頃合いに咳払いひとつ、御出し台から声をかける。


「鹿の子さん」

「はいな」


 冷えきった爪先を手ぬぐいで温めながら、振り返った鹿の子は満面の笑みで月明を迎えた。

 それはそれは可愛いらしく。

 額から落ちた汗を慌てて、炭で汚した手の甲で拭い、ほっぺたを真っ黒にしている。

 ああ久しぶりに会う久助と間違えているのですね、月明は重たい頬をあげ、笑みを返した。


「忙しいところ申し訳ないのですが、実はかまどにひとつ仕事が増えましてね」

「あら、またお客さまですか?」

「お察しの通り」


 この後すぐ、回廊の奥も騒がしくなるだろう。

 ちらりとそちらへ目をやり、早々と本題を切り出そうとするが、


「よかったら、どうぞ」


 鹿の子は上がり框をささっと手拭いで拭くと、そこへ座るようにぽんぽん叩き、納戸へ消えた。

 間もなくして現れたのは茶釜と布巾がかぶさったこね鉢。

 鹿の子はそれらを御出し台に乗せると、まずは茶釜から直に湯呑みへ、茶色い液体を注いでくれた。

 水屋の炉でとろとろと火を入れていたのだろう、鹿の子が湯呑みに淹れてくれたのは、あつあつの濃ゆい、ほうじ茶。

 一口飲めば、幣殿で冷えきった身体が芯からあったまった。


「ふぅ――、ではなくて、鹿の子さん」

「すぐ、できますからね」  


 口火を切れば、鹿の子はこね鉢もって御出し台を離れる。今度は月明へたわんだ帯を向けふりふり振って、かまどで何かを焼きだした。

 久助はいつもこうして、こしらえてもらっているのかと思うと、じりじりと胸が妬ける。

 しかし音が鳴ったのは、月明の胸の中だけではなかった。


 じゅわ、じゅわり。ぺたん、ぺた。


 かまどから美味しそうな音が鳴る。

 音だけでも腹が減るというのに、あがった湯気は妬いてつり上がっていた眉目がゆるむほど、甘い甘い蜂蜜の香りがした。

 甘いもん好きの月明はこの香りを知っていても、うまいこと活かした菓子を、もう何年も食べていない。母が作るそれを思い出し、ごくり、生唾を飲み込んだ。

 皿に乗って出てきたのは、まさにその色艶、かたち。


「これは!」


 月明は腰を浮かせて出迎えた。


「本日、お稲荷さまのお客さまにお出しした、朱雀焼きというものです」

「朱雀焼き、とは初めて耳にしますが」

「はい。おこがましいことに、先代の手帖には名前がなかったので、わたしがつけさせていただきました」


 手帖に名がない、そりゃそうだ。

 この菓子は正月だけ、家族にだけ、母が振る舞ったものだった。

 皿には拳くらいの平べったい生地が何枚も乗っていて、お行儀よく座っていると、それを一枚、母が自分の手のひらにのせてくれる。そして優しく尋ねる。


 ――さぁ、どのくらい?


 とにかくいっぱい。

 欲張りに言えば、本当にいっぱい、きんとんを乗せてくれる。お節に残ったきんとん。最後は生地で蓋をして、溢れ出たきんとんを、慌てて舌ですくい取る――。


 目の前の皿には、まさに先代と同じように、平べったい生地が並んでいる。それも焼きたてだ。

 鹿の子は一枚つまんでふぅふぅ息を吹きかけると、月明の胸元へもっていった。

 手のひらを広げれば、ぺたり。生温かい生地が肌にはりつく。


「さぁ、どのくらいのせましょう」


 鹿の子の優しい問いかけに、月明は目頭が熱くなるのを感じた。

 

「とにかく、……いっぱい」

 

 ひとつしかない答えを喉から搾り出す。

 鹿の子さんの栗きんとんが食べられる、近付く匙に目をこらすが、こんもりのっているのは――、


「はいっ」


 あんこ。

 

「えっ」


 追ってきた生地で蓋される。

 押しつぶされて出てきたのはやっぱり赤茶色のあんこ。


「中の具で生地が盛り上がってほら、お山みたいやなぁと、思いまして。だから、朱雀焼き」

「はぁ。なるほど」

「お気に召しませんか」

「いえ、そういうわけでは――、とと」


 考える暇もなく、溢れたあんこが落ちてくる。

 月明は端っこのあんこを舐めとりながら「いただきます」と、がぶり、かぶりついた。


「…………っ」


 口ん中いっぱいに広がる、小豆の香り。


「これが、……あんこ?」


 月明はあまりの美味しさに、頰に手を添えた。

 あんこは好きだ。もう何年も食べ続けている。良い小豆に古い小豆、上手く炊けたあんこに焦げたあんこ程度の違いならわかる。しかしこの炊きたてにしかない、ほくほくとした歯ざわりは初めてだった。それでいて沫雪のように、消えてなくなる。

 そしてこの極上のこし餡がねっとりとのさばるのはあったかい、ふかふかの生地。指で押して跳ねた生地は、舌にしっとりとへばりついた。

 出来たての美味さに驚くばかり。

 噛みしめるたびにじわじわと滲み出てくる蜂蜜、この蜂蜜にあんこが合うこと、合うこと。


「美味しい、美味しい!」


 月明は二口、三口目で平らげると、頬を膨らましたままおかわりを要求した。

 鹿の子は喜んで頷くと、今度は自分の小さい手のひらのなかで作っていく。


「よかった、あんこ避けといて」


 手の中を見詰めながら、独り言を呟く。

 この口の中が喜ぶあんこ。

 月明はここでようやく梅水羊羹、すずし梅のために炊かれたあんこなのだと知った。ならば、このあんこも生地も、久助のためにわざわざ整えられたもの。

 久助に申し訳なさを感じながらも、濃ゆいほうじ茶で口ん中のあんこを洗い流し、償いとばかりに用件を切り出した。


「実はお客様が大晦日まで小御門神殿に滞在することになりましてね。なんでもこの朱雀焼きをいたく気に入られたとか」

「あらまあ、嬉しいことで」


 鹿の子は本当に嬉しそうに顔をほころばせる。


「かまどは忙しくなりますよ。なんせ神々のおせちをこの小御門で作ることになったのですから」

「おせち?」

「はい、おせち。おせちを食べに世界中の神々が、この小御門神殿に集うのです。もちろん名誉あることなのですが、神々のお迎えにはその分の供物が要ります。雷神さまは是非、お節には今日食べたきんとんをと、申されているのですよ」


 この世界では年初め、神の父と呼ばれる年神を囲い、神議り(かむはかり)と言われる神様同士の会議を行う。次の年の農業や土地どちの縁結びを話し合うというものだ。

 神々はこの神議りのために、大晦日の日没から元旦まで眠りに入る。起きたら起きたで戦前の腹ごしらえとばかりに、御節料理をたらふく食す。

 そのおせち作りを、小御門神殿へ任せたいと、雷神は言っているのだ。

 おせちと一言で済ませたが、この世界には何百万という神々が存在する。もっとも食される神は高位に座する雷神や風神、土地を護る氏神や産土神に限られるわけだが、それにしたって風成の人口を超える数だ。階級や土地に分けて配っても百、二百重のおせちを要する。神饌かまどに居る巫女らに話せば、悲鳴をあげる大事であろう。

 しかし鹿の子はまあるい生地にあんこをせっせと乗せながら、目を爛々と輝かせた。


「お節……! もしかして田作りや、煮豆も入れますか? わたし、作りたいです!」

「なっ、ひとりふたり分の話ではないんですよ? きんとんだけでも風成の蔵をいくつ潰すことになることか」


 考えただけでも恐ろしい。小御門の資金繰りが。


「まだ日にちはあります、わたし頑張りますから!」


 なんでそんなに気張るのか。

 月明は嬉しいため息しかこぼせなかった。

 断る理由が思いつかない、なんせ鹿の子が作った煮豆が食べられるのだから。月明の出来ることといえば極上の黒豆や鹿の子豆を取り寄せ、妖し等にかまどを手伝わせることくらいだ。


「ではお節の一の重、ただし甘いもんだけ。鹿の子さんに頼みましたよ」

「はい!」


 鹿の子は威勢よく返事をすると、あんこを挟み終わった朱雀焼きを月明の口元へと差し出した。

 月明はどきりとしながら手で受け取る。

 まさか久助、いつも鹿の子さんに食べさせてもらってるのではあるまいな、などともやもやしながら。


「お節といえば、この――朱雀焼き。きんとんではなく、どうしてあんこを」

「だってあんこ、美味しくありません? そりゃあきんとんも美味しいですけど、この生地やったら絶対にあんこが合うと思います。仕込んでる間に気付いたんですけど、あんこを炊いていては、お客様をお待たせしてしまいますんで。すずし梅の仕込みの時に試してみようかと――」

「すごく合います」


 月明は口一杯に頬張りながら、即答した。

 何故なら試すという言葉が馬鹿馬鹿しいほど合うし、これ以上美味い組み合わせはないと思う。

 返しが早すぎたのか、鹿の子は目をまんまるにして月明を見た。


「そんなに?」

「は、はい」


 月明は膨らませたままの頬が、かっと熱くなるのを感じた。目を閉じて、最後の一口を温くなったほうじ茶で流し込む。


「ふふ、旦那様はほんまに、あんこがお好きですねぇ」


 それは真っ暗な瞼の裏。

 寸の間のひとりの世界に、ころころと鈴が鳴った。


 ――旦那様。


 確かにそう、聞こえた。

 恐る恐る瞼を開ければ、こんもりと山なりの朱雀焼き。


「では、もひとつどうぞ」

「……久助、ではなく」

「旦那様?」

「は、はい。いただきます」


 ――旦那様。


 小御門の人間なら誰もがそう呼ぶというのに、月明の胸の中で何度も、何度もいったりきたり。

 この時食べた三つ目の朱雀焼きは味がしなくて、後々勿体ないことをしたと、月明は酷く悔やむことになる。


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