十五‐朱雀焼き
朱雀焼き=どら焼きを思い浮かべて、お読みください。
みんなに謝ってまわらな。
三日務めをさぼったのだ、きついお咎めや虐めは覚悟して踏み出した足は砂利に沈む間もなく止められた。
「お稲荷さまにお客様がいらっしゃった?」
牛車の下から鹿の子を見上げ、こくり頷く小薪の顔は厳しい。当主の月明が留守の間に、予期せぬ訪問者といったところか。鹿の子はまだ幼さ残る銀髪のお稲荷さまを思い浮かべ、気にかけた。古い木材が燃える煙臭さは門をくぐる前から牛車のなかを侵している。空を見上げれば小御門の敷地で何本も上がる煙、客が空きっ腹には違いない。
「すぐに仕込みに入ります」
「お願いします。お手伝いしますから」
鹿の子は神殿へは一度も体を向けずに、境内を横切っていった。
しばらくは帰らないと、心に誓ったかまどであったが、ためらいを捨てて力いっぱい戸口を引き、土間の土を踏む。
しん、と静まり返った一畳一間。離れて三日しか経っていないというのにひどく懐かしい。冷え固まった三和土を草鞋の裏でなで、磨かれた御出し台をなぞった。振り返れば、まあるいかまど。
「ただいま、すぐにあっためたるからね」
冷たいかまど石にぽつりと呟き、すぐに炭をくべていった。
「小薪ちゃん、手伝ってくれるっていうたよね」
「はい?」
どんな菓子ができあがるんやろかと、よだれを垂らして突っ立っていた小薪は御出し台にどんっ、と乗った笊に目を丸くした。鹿の子が納戸から運び出してきたのは、てんこもりのさつまいも。
「まさか」
「その、まさか。お客様に風成の土を味わってもらうなら、これしかない」
芋洗いとはこのことだ、小薪は流し台に隙間なく投げ込まれた泥芋にはやくも「うへぇ」と不満をこぼした。なんてったって、冬深いこの季節のあか山の湧き水はきんきんに冷たい。「こればっかりはちょいと堪忍」と鹿の子に助けを求めても、なんやこね鉢に一生懸命で、こっちには目もくれない。仕方なしに手を真っ赤にして、芋をごしごし綺麗にしていった。
小薪が洗った芋はひとつ仕込みが終わった鹿の子にとんとん、とんとん刻まれていく。ちょっと水に晒したら、砂糖といっしょに釜でぐらぐら。
「芋茹でるんに、何を入れてるんですか」
「隠し味」
小薪がかじかんだ手を釜から立つ湯気で温めにいくと、芋といっしょに橙色の果物がふよふよと泳いでいた。
甘酸っぱい匂いに酔いしれ、ぽかんと口を開ける。
「ふふっ、そんなに口開けてたら虫入るよ」
鹿の子が小薪の口に指をさして、からかう。
しかし入ってきたのは虫ではなく、ゴロリと大きなかたまり。
「もご!?」
「冷たかったでしょう、ご褒美」
なんと、栗だ。歯で砕けばねっとりと吸いつく蜜のねばり。
小薪は嬉しい悲鳴をあげた。
「さて、芋は煮るのに時間かかるんで、先にこれを出しといてくれますか」
今度は温もった手に皿を持たされた。いつの間にこさえたのか、芋とは関係のなさそうな芳ばしい香りが鼻にツンとくる。口ん中でごろごろ栗を転がしながら覗いた大きな干菓子皿は目を瞠る見た目であったが「鹿の子さんなら間違いないやろ」と、小薪はいそいそ本殿へと運びに消えた。
鹿の子は納戸へ。
「さてさて、わたしは煮てる間に――」
新たな材料を御出し台に広げる。
ついでに懐から小瓶を取り出しにんまり。
「とびっきり美味しい菓子をお作りいたしますからね」
銀髪に隠れたお稲荷さまの緩んだ顔を思い浮かべながら、鹿の子は菜箸を忙しなく動かしていった。
*
幣殿の御柱に雷のような蛮声がこだまする。
「ほんとうに稲荷かあ? 時間稼ぎなら許さんぞ」
「こん、こん」
「かわいい……」
「こん(きもちわるい)」
「いま、気持ち悪いって顔したぞ!」
「こん(かえれ)」
「帰れって顔したぞ! この無礼きつね、煮て食ったろか!」
「こん(やってみろ)」
「くそう、かわいくてできん、供物はまだか」
雷神が鎮座するのはいつも月明が温めている弊殿の高座。手に収まる狐を膝の上でこねくりまわし、暇を持て余していた。
弊殿には拝殿より豪奢な供物台が備わっている。小薪はとばっちりを食わんようにとびくびくしながら物陰から照準を合わせ、静かに御饌皿を運び入れたがしかし。
「待て」
あっさりと捕まった。
小薪は鳩が豆鉄砲を食らったように飛び上がり、おずおずと供物台まで戻る。
「仰せごとでございましょうか」
「ただで出ていけると思ったか、なんじゃこれ」
「なにて、きな粉ですけど」
「この砂を舐めとけとでもいいたいのか、ああ?」
きな粉あれば、なかに菓子あり。
なにをわがまま言うとんねんと突っかかろうとするものの、皿のなかをよくよく見ればきな粉の海にあるべき膨らみがみえない。
しまった、肝心の菓子の中身を聞いてくるのを忘れてしまった。
あわあわとうろたえる小薪を雷神がきっ、と睨みつける。
「下げろ。次はない」
「はい。――あっ」
しかし鹿の子の菓子を食べ慣れているクラマは好奇心がくすぐられるばかりだ。
逃すまいと、そこらじゅうにきな粉をまき散らし、わふわふ鼻をうずめた。真っ白な毛が黄色に染まって狐らしくなっていく。
「こんっ」
みつけたと言わんばかりに上がったクラマの顔は爛々と輝いた。
「なるほどっ、お待ちを」
小薪はすかさず懐から懐紙と矢立を取り出すと「美味しい」「美味しくない」を書きしたため、クラマの顔面へ突き出した。クラマは迷うことなくきな粉が詰まった鼻面をこすりつける。もちろん「美味しい」に花まるじるしだ。
小薪は自分にもらったかのように喜んだ。
「こん、こん(これ、これ)」
クラマは雷神にくれてやろうと再び皿に顔を埋めるが、歯に咥えて面をあげ――雷神の方へ顔を向ける頃には口の中。咥えても咥えても、どうしても我慢ができない。
「こん、こ(これ、あ)」
「なんじゃ」
「こ(あ)」
「なんじゃ!」
何度もそれを繰り返すうちに雷神がしびれを切らし、クラマから皿をひったくった。
「そんなに美味しいなら自分で探すわっ、もう!」
きな粉に指をくぐらせる。
親指ほどしかないそれは、すぐにみつかった。
「どれ」
きな粉のふわふわとした感触を楽しみながら、ぱくり。
「なんじゃこれ」
感情のない問いかけが弊殿の厳かな空気に波紋を広げる。
小薪は不安げにクラマへ助けを乞うたが、クラマはにんまりと雷神の様子を愉しみながら余韻に浸るだけだった。
なに、答えは雷神の舌の上にしかない。
「うっまぁ……」
雷神はとろんと瞼を伏せ、まどろむように首を傾けた。
どっしり、舌にのっかるまあるい飴。きな粉を剥ごうと歯でこそげばねっちり、その柔らかさに驚く。
そしてじわりと溢れた蜜が、雷神の心をあっさりと奪ってしまった。
何千年という歴史を刻んできた雷神がこの日初めて食す味。
それは黒蜜そのものの素朴な甘味であった。
鹿の子が御饌菓子の前座に作ったのは、夢にでてきたきな粉飴。
黒蜜ときな粉を練ってまとめるだけの即席菓子だ。
きな粉で隠せば少しでも戯れになるかと思い、どっさりまぶして出した。
だってこのきな粉飴、一個食べれば手が止まらなくなる。
「もう、もういっこ」
『あかんっ、やれへんっ』
「探したもん勝ちじゃ」
雷神は手のひらいっぱいにきな粉をすくうと飴を振るい出し、得意げに口へ放り込んだ。
しがめばしがむほど、溢れるきな粉の芳ばしさ。
気づけばしゅん、と黒蜜が舌に染みて、消えてなくなる。
寂しくなって、手が延びる。
クラマと雷神は取り合い、競い合い、あっという間に平らげてしまった。
そろそろと幣殿の敷居まで退いていた小薪の背に無情の声。
「待て」
「ま、まだ何か」
「これで終わりか」
「まさか、これからお出しする菓子こそが――」
「こそが?」
こそが、何であったか。
栗の後味を噛みしめても頭には何も浮かんできやしない。芋を洗っただけでぼんやり出てきた自分が憎たらしくなった。それも芋から連想される菓子が貧相にもふかし芋やてんぷらばかりで、勧めようがない。
小薪が雷神の羨望の眼差しに耐え切れず、視線を落したその時だった。
「お待たせしました」
鈴を縦に振ったように、凛とした声。
「鹿の子さん!」
視線を落とした先で小豆顔を誇らし気に、鹿の子が御饌菓子を両手に抱え立っていた。
「妖しさんに食べられませんでしたよ」
自分なりに頑張って走ってきたのだろう、息を切らし、上気した頬を笑みで吊る。
「はい、どうぞ。お客様とお稲荷さまに」
小薪のふくよかな胸元に突き出された御饌皿には、懐紙に湯気が滲む出来立てのほやほやがのっていた。
鼻をつく甘美な香り。
小薪はじゅるりと涎を啜りながら、鹿の子の説明に聴き入った。菓子の正体が明らかになる度に、じゅるじゅる、ごくり。終いには神様二人を恨めしそうな目で見上げながら、高座へと進んだ。
鹿の子に言われたことそのままそっくり、読み上げる。
「これからお出しする菓子こそが、朱雀焼き。どうぞ前方を望む朱雀山を望みながら、ごゆっくりお召し上がりください」
「朱雀焼き、とな」
御饌皿を出された雷神はクラマといっしょになってきらきらと目を輝かせた。
懐紙からはみ出るほど大きく焼かれたその菓子は褐色に焼け、まあるく膨らんだお山のよう。まさにでん、と目の前に聳えるあか山、朱雀山そのものだ。
小薪が愚痴をこぼすようにすらすらと説明を施す。
「浮き粉(小麦粉)と卵を使った滋養のある生地に、栗きんとんをたっぷりと挟んでおります」
「栗きんとん!」
雷神とクラマが顔を突き合せる。
正月のおせちに入れられる栗きんとんは神様の大好物だ。
大好物の栗きんとんが何とも柔らかそうなお布団に挟まれているなんて、腰が浮くほど魅力的だ。
クラマも尻尾を振って雷神をせかす。
「い、いただこうじゃないか」
「こん」
息を吸うだけで口に甘みが広がる、濃厚な香り。
指で拾えばことのほか重く、雷神はしっかりと手を添え、口元へ運んだ。
あまりあるご馳走には神様も遠慮がちになる。
まずはお布団の味見から。
茶色い生地の端っこを啄んだ。
「しっ……、とり」
なんという滑らかな歯触り。噛めば儚く溶け、ふわりと口に蜜が広がる。
雷神は強張らせていた顔をだらしなく緩ませた。
気をとらえ、小薪が妬ましげに言う。
「今雷神さまがお召し上がりになられた生地には、風成のみりんと山口の蜂蜜が入れられております」
「みりんと、蜂蜜! このなんとも言えん香りの正体は蜂蜜であったか」
「さすが雷神さま、よくご存知で」
栗きんとんを挟むまあるい生地は、カステラに似た生地を鉄板で薄く焼いたものだ。この生地は一気に火を入れると卵の油が膨らまずに蜜に馴染み、薄くても硬くならず、滑らかで柔らかい仕上がりになる。
「これだけでも、美味いのに……」
これだけでも、極上の菓子だというのに。まだ先に栗きんとんがあるのかと、雷神は喜びに胸を踊らせた。
菓子に指を沈ませれば、じわりと蜜が浮き上がる。それを舐めとり、たまらずガブリ。
「…………」
雷神は声を発することができなくなった。
鼻にぬける濃厚な芋の香り。
ねっとりと現れたきんとんに心をすべて奪われていく。
風成で採れた芋は生でも食べられる、それほど美味いのを忘れていた。
口に広がる芋、芋、芋。
芋のふくよかな味わいをより一層引き立てる酸味。
「酸味?」
「本日のきんとんには風成の干しあんずをお入れしています」
「なんと、あんずを」
口を開けば、すう、と爽やかにあんずの酸味が舌を通り過ぎていく。きんとん特有の甘ったるさが拭われ、また次の一口が欲しくなる。
大地に恵まれた風成そのものを味わっているかのようだ。
望む朱雀山。
麓に生えるあんずの木々を思い出す。最後に残るのは朱雀焼きの蜜の味。
さあお次は栗を愉しませてもらおうかと、真ん中まで歯型を入れるが。
「ん? あんず?」
きんとんに包まれ、ごろっと出てきたのは干しあんず。
小薪が白々しく口を挟む。
「あら、雷神さまのお皿はあんずでございましたか。栗とあんず、二種をご用意しておりましたので」
「あんずも美味いが」
実の半分ある干しあんずは程よくお湯でもどされ、ねっちりとした果肉が水々しい。あんず特有の酸っぱさときんとんの甘ったるさは見事な共演を果たしている。
しかし栗きんとんというからには、栗も味わいたいではないか。
「なら、仲よう半分こして、食べてください」
小薪はにっこりと笑い、颯と幣殿を退いた。
雷神が膝元へ視線を移せば夢中になってがふがふ食べる狐の姿が目に入る。
「おいお前、半分残しときなさいよ」
「こん」
クラマは誰がやるもんかと言わんばかりに、きんとんついた鼻をつん、とよそへ向けた。
雷神はむっとしたがそれ以上に、狐があんず好きの稲荷であるならば、手元のこれを食べずに後悔しないか気にかかった。
ご丁寧にもクラマの鼻先へと、朱雀焼きの断面をもっていく。
「まあ待て。よく見てみなさい、こっちはあんずじゃ、あんず。ほれ」
「こんん……? こん!」
クラマはあんずの橙色を端目に捉えた途端、とろんとさせていた三白眼を見開き、雷神の手ごとがぶり食らいついた。
「いったーーーー!」
しかしその下方で、クラマはちゃんと前足で自分の皿を雷神の膝元へ滑らせた。
その朱雀焼き、ちょうど半分。
「半分こ、か」
「こん」
「うん、美味いな」
「こん」
一人と一匹、見合わせた顔のほころんだこと。
私に一歩も引けを取らんとは、やはりこの狐は稲荷に違いない。
雷神は内頬にためた栗を転がしながら、さてどないしよか、明日の行く末を探った。




