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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
栗鹿の子
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十四‐小薪

 朝廷の井の中でひとつ歴史が刻まれたこの日、小御門家側室西の方、小薪は「孫だけじゃなくひ孫の手も借りたい」と切に願いながら空をみていた。

 どこまでも黒く厚い雲。

 その狭間で龍の如く波打ついかづち。

 頬を撫でる、真冬らしからぬ生暖かい空気が、異常な空間なのだと物語る。雲はこの空気を逃がさぬように、風成の土地すべてを蓋していた。

 

「どうかこれ以上は」


 焦りを滲ませ顔を下ろすと、走り回る奉公人を川に挟み、一人の来客が拝殿の浜床に腰を据えて居る。

 実に横柄な態度で胡座をかくその客人は、小薪の視線に気付くなり、あちらから睨みつけてきた。金毛の髪は顎にかからない程度に短く切られているが、女には違いなく、しぐさはしなやかなものだ。両手にもつ太鼓のバチを胸元に重ねると、浜床につけていた太鼓の輪を腰まで浮かせた。攻撃的な構えであることには違いない。その証拠に客人は額にわかりやすく青筋を立たせている。

 客人は酒焼けしたがらがら声で、小薪に尋ねた。

 

「どこじゃ。稲荷を、どこに隠したのじゃ」

「だから、いないんですってば!」

「嘘をつけ、稲荷はこの千年で一度だって、この家から離れたことはないはずじゃ」


 稲荷とは、お稲荷さまのことだ。

 客人はより険しく小薪を睨みつけると、太鼓のバチをくるると回した。


「ここか」


 ――どどーん、ぱりぱり!


 腰の太鼓がひとつ、叩かれる。

 途端に上空に走っていた一筋の雷がぴしゃーんと東の院へ落ちた。


「いやぁあああああ! 鹿の子さんのお邸がぁあああああ!」


 母家に水をまいていた使い奴が一斉にそちらへ顔を向ければ、東からもうもうと煙がたっている。


「消してぇえ、はやく、はやく消してぇええ!」


 小薪の扇子一振りで、使い奴は水桶担いだまま東へと下っていった。こうした火の手は明け方にはじまり二刻経った今、小御門家の屋根という屋根に穴を空けている。なんせ小薪の先読みが通じる相手ではない。それでも小薪は未来の人の動きから次の一手を読み取ろうと、修繕費にかかる銭を数える傍らで、占術を繰り返していた。


「小判が飛んでく。次は、次はどこや」


 小薪は目ん玉に血柱を走らせ、ぎょろぎょろと動かした。

 お稲荷さまが家出してからというもの、小御門神殿では願いが叶えへん、金返せと参拝客が不平不満に暴れるし、妖し等はだらけ放題、悪さし放題。夜が明ければ今度は北の方の家出ときた。「ああ、もう」と空を仰げば雷雲が、この乱暴な客人を連れてやってきたではないか。

 仕事はこなせど、減るどころか増えるばかり。

 砂利の音が消えたのを見計らい、小薪の背後にいた四角い箱がぼそり呟いた。


「お腹すいた」


 もう一人の小御門家側室、南の方だ。


「ちょっとご飯いただいてくる」

「ご、ご飯!? ま、待ってくださいよ! 神殿の結界どうするんですか!」

「だって、お腹すいて力がでないんですもの。適当に取り繕っといて」

「と、とりつくろ!? て、どないしたらええの!」


 あちこちから火の手が上がる小御門の敷地で、唯一無傷を保つ本殿、幣殿、拝殿。いわゆる神殿内は結界師、南の方の結界で守られていた。

 しかし今はもうない。

 結界は南の方が一歩去るごとに見事にぼんやりと、徐々に消えた。

 小薪は客人に気付かれる前にと、頭のはじっこから修行の欠片を引っ張り出し、それらしいものを生み出したが。


「相手は雷神さまやで。そんなへなちょこ、すぐに破られてしまうわ」


 小薪の手にしわでたるんだ手が重さなった。

 姑の雪だ。

 雪が何か奇妙な気を送るだけで、南の方が張っていた強固な結界が甦った。

 

「やっぱりこの中なんじゃろ? ちょっとー、開けなさいよー」


 雷神――雪にそう呼ばれた客人はしびれを切らし、拝殿の御扉をがつがつ叩くが、びくともしない。

 小薪は狼狽え、後ろへ首を回した。

 占術師の修行を終える頃には誰に尋ねずとも、雪が何者かくらいは推測ができた。境内に住み着く妖怪とは比べものにならない、別格の妖力をまとい、人とは根っこから違う血の匂いがする。姑として扱われているのは、雪がこの小御門家の御目付け役ゆえであろう。改めて見据える雪は狐の面を被ったような顔立ちだ。

 

「お義母さま、どうして?」


 御目付け役といえば、側室いじめ。

 今立っている五級(ごしな)の階段から突き落とされても、手を添えられるとは思っちゃいない。

 不信感たっぷりの小薪に、雪は狐顔をより吊り上げた。

 

「どうしてとはなんや、どうしてとは。人聞きの悪い、私はこれでも歴とした小御門家の守護者やで。神殿はお稲荷さまの御住まいや、ひとつも傷をつけたらあかん」


 そうか、さすが小御門家の御目付け役。小薪が感心したのも寸の間。


「事の発端は私やし」


 雪の呟きに目がすわった。


「やっぱりかいな!」

「家出すんのは鹿の子さん一人でよかったんやけどなぁ、お稲荷さまがあれほどの情熱家とは」


 うっとりと目を細める雪に、小薪はいきり立つ。


「なんで鹿の子さんを追い出すようなことを言うたんですか」

「あの娘はいじめがいがあるからな。色々と我慢ならんし」

「我慢ならん? 鹿の子さんは側室のなかで誰よりも務めにまじめな、立派な御饌巫女やないですか!」

「あの娘には、側室の務めだけでは足らんのです。それより小薪、もっと集中しい」


 与太話は終わり。そんな面持ちで前を見据える。

 

「私も自分の責任くらいはとる。しかし雷神さま相手じゃあ、こうして二人の力をもってしても神殿だけで精一杯や」


 苦笑いを浮かべる雪の手に、しわが深く刻まれていく。


「まったく、南の力には恐れ入る」


 南の方は小御門家の側室にふさわしく、風成一の結界師。それも神の手を塞ぐ力は千年生きてきた雪も知らない。

 妖力を奪われどんどん枯れ枝になっていく腕をみて、小薪はやっと前を向き直した。

 二人のやりとりに聞き入っていたのか、雷神は興味深そうにじっとりとこちらをみている。


「なんじゃ、雪か。一目でわからんほど老けこみおってからに」


 雷神は雪の姿を目端に捉えると、にやりほくそ笑んだ。雪の眉間がぴくぴく動く。

 

「お久しぶりでございます雷神さま。生憎ですがお稲荷さまはほんまに留守してるんです」


 なんとか耐えたが、怪しさ満点の棒読みだ。


「久しぶりだと、去年も会うたではないか、白々しい。さては稲荷の尻尾を三つ編みにして帰したことを恨んで、隠しているな」

「あれはひどかった」

「可愛いじゃろが」

「どこが可愛いねん、つるつるさらさらの毛をげじげじにしおって、治るのに一月かかったんやでこのげじげじあたま!」

「げ!? なんだとお!」


 実際、雷神の短い髪がげじげじと逆立つ。

 どこどーん!

 激しく太鼓を打ち鳴らしたが、拝殿に落ちた太い雷は辺りに火花を散らして消えた。


「おのれ、こうなったら」


 人の世で神力が敵わぬとは顔に泥を塗られる思い。雪は雷神を本気で怒らせてしまった。

 雷神はよりびりびりと髪を波立たせ、バチを握る手に骨を浮き立たせる。


 ――どろどろどろ。


 力強く、軽快に。

 輪になる総ての太鼓が叩かれる。

 雷神の舞は麗しく不気味だ。

 血がふつふつと沸くようなその音は、やがて空一点に光を集めた。


「……え?」


 小薪がその眩しさに目を瞑った一寸のこと。

 神殿の奥が一面火の海へと化し、総身には熱風が打ち付けた。

 方角は――北。


「ああ……っ、そんな、北の院が」


 神殿から真っ直ぐ奥深くに位置する邸は北の方、桜華の邸。

 小薪の目には「邸があった」と言い切れてしまうほどの、絶望的な光景が広がっていた。

 屋根瓦ひとつ見えない、林から覗くのは何本もの火柱。


 雷神は炎の灯りに照らされながら、満足げにこう言った。


「結界を解け。さもなくば、総ての邸を焼き尽くすぞ」


 小薪は茫然と立ち尽くしたまま、雪へ指示を仰ぐ。


「お義母さま。わたしらは、どうしたら」

「どうもこうも、結界は解けへん」

「んでも、このままでは……!」


 クマとの愛の巣が焼き消される。やっとこさ手に入れたばかりなのに!

 小薪の馬鹿正直な訴えに、雪もそれなりに応えた。


「それを言うなら私かてあの黒い小社(じぶんち)、気に入ってるから譲られへん」

「本殿じゃなくて? それも歴史的大不評のあの小社!?」


 可愛らしい牡丹色の小社は縁結びの神様として町娘に人気があったが、月明が黒く塗り潰してからは藁人形が納められることはあっても、賽銭はちっとも納められなくなった。なくても困らないし、小社ならば少ない銭で建て直せる。

 小薪に名案が浮かんだ。

 元はと言えば、雷神の逆鱗に触れた原因は雪だ。真っ先に小社を壊してもらって、怒りを鎮めてもらおう。

 

「さっ、結界解きましょう」

「小薪、あんたの悪い癖はその銭勘定や。銭は勝敗を狂わせる、いつか足元みられるぞ」

「そんなん言うても、被害が酷なって旦那様に叱られるのは、うちら側室なんですよ」

「それでも結界解くまえにやることあるやろ。次に焼かれるとしたらどこの邸や、この新米占術師!」

「ええ、え――……と」


 まあ言われてみれば、やって損はない。

 神の一手は人の運命を揺り動かす。それも邸まるごと焼滅したとなれば、この小御門の運命は大きく変わっていることだろう。

 小薪は集中してすぐに、目を瞠った。


「南……、南の院、みんな南の院の方角を見てます」

「よし、運が味方しよったな。西の院は無事やないか」

「でも南の院が!」

「よう頭を働かし」


 雷神が躊躇いなく次の一手に向かうが、


「南はな、小御門の誰よりも、自分んちに愛着もってんねん」


 南へ落ちた雷は弧を描き、辺りへ閃光を撒き散らした。まるで花火のように火の粉が色とりどりにはじけ、みんな空に魅入っている。

 つい先ほど小薪がみた未来だ。


「そんな、北の院を焼き落とした雷を、防いだ?」

「昼飯食べていようが、やっぱり自分の邸だけは護っとったな」


 特大の雷を跳ね返すほどの結界が張れるなら、ついでに神殿も護っておいて欲しかったと小薪は思う。というより、神殿のついで感が甚だしい。


「南の方はお家大好きなんですね!」

「しかしこれで刻は稼げた」

「んでも、余計に雷神さまのご気分、逆撫でするんやないですか」


 おずおずとそちらを見れば、果せる哉、どろどろと次の太鼓を打っている。


「おのれぇ、この私を馬鹿にして!」


 それも一度穴を開けた邸を完全に焼き尽くそうと、雷の龍は東の方角へと雲を編んでいる。

 しかし雪はこの耳障りな音を心地良さそうにして、目を細めるだけだった。


「小薪、お前は確かに私の見えん未来を読む力がある。せやけどな、私には今を見渡す千里眼がある。神様やろうが、爪の先までしっかりとな。よう覚えとき」


 それからすんすん鼻を動かし、うっとりと目を輝かせた。



「ああ、息子が帰ってきおった」



 小薪が東門へ顔を向ければ、そこには一台の牛車と一頭の馬の影。


「むす、こ?」


 馬の頭にしがみつく白い毛玉は、東に浮かぶ雷をみて、喧々と吠えた。

 

『こぉらぁあああ、雷おんな! 鹿の子の邸を焼くとは何事やぁああああ!』

「ああ? なんじゃあの犬ころ、灰にしたろか」


 雷神は取り合わない。

 雪はちょいと仲立ちがいるな、と腕を離すと階段を下り、馬の方へと草履を向かわせた。


「そや、小薪。すぐ鹿の子さんをかまどに立たせ」


 振り向きざまに小薪へ忠言をこぼす雪は、


「怒りを鎮めるには、甘いもんが一番や」


 逝き際の婆さんみたいにしわくちゃな笑みを浮かべ、馬にまたがる狐はその笑い顔を見るなり、つるりと落馬した。

いつもお読みいただきありがとうございます。

次話からまた定期更新に戻ります、よろしくお願いします。

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