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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
栗鹿の子
61/120

十三‐桜華


 刻は少し遡る。

 場所は朝廷よりはるか()の方角へ下ったあか川のほとり。近衛大将別邸は穏やかな川のせせらぎに包まれながら慎ましげに景色に溶け込んでいた。十日前に建てられたばかりの邸は戸を開け放っても、新築特有の木とい草の香りが鼻をくすぐる。

 縁に降り注ぐ涼やかな冬の陽射しの下、小御門家側室、北の方桜華はひとり、その香りを愉しんでいた。


「とてもいいところね」


 人形と顔合わせに、自分が頷いてみせる。

 

「ここなら、やっていけそうだわ」


 人目につかないこの隠れ邸ならば、気兼ねなく過ごすことができるだろう。人形たちを移せば今まで通り、下女も舎人もいらない。ふとラクの濃い顔が思い浮かぶが、外へ追い出すように目を瞑り、首を振った。


「もう、忘れなくては」


 再び川景色へと向き直り、水面の光に目を細めた。明るいあちら側とは対照的に邸のなかは薄暗く、冷たい川風が吹き込んでくる。慣れない風に長い時間あたり身体が冷えきってしまったようだ。桜華は暖を取ろうと何気なく、予め炭をくべておいた火桶の側へ身をよじった。

 微かに揺れる屏風。

 

「……どなた?」


 桜華は袖に手を隠し、警戒した。

 桜華からみて左手に立てられた屏風は僅かではあったものの風ではなく、人為的に動いたのだ。

 この邸には牛車につけてきた舎人しかいない。それも牛に餌をやっている頃だ。来訪者として思い浮かぶ人物はひとりしかいない。


「お父さまなの?」


 桜華は父である近衛大将がこの邸に来ることを知っていた。遠征帰りに立ち寄られると、本邸の人間から聞いていたのだ。そしてこの別邸は自分の為に建てられたものだということも。

 桜華はそんな父の優しさに浸りきっていた。

 ――父に甘えるには、小御門家から離れるには、今しかない。

 別邸とはいえ武官の最高位にあたる近衛大将の邸、掃除が行き届いていることくらいはわかっているが、桜華はこの邸の勝手が知りたい。疲れて帰ってきた父を温かく迎え入れるため、またいつでも速やかにお給仕ができるよう、人一倍健気な桜華は一日早く訪れていた。

 それを知るものは本邸にはいない。知っていたら名前を覚えきれないほどの数の侍女を寄越してくることだろう。

 そして今、屏風の向こうに感じる気配はただひとり。

 父でなければ賊であろう。風成の辺境には盗賊の類がちらほら出ると聞く。

 桜華はそこらじゅうの戸を開けっぱなした自分の無用心さに悔いながら、今一度屏風へ語りかけた。


「お父さまなら、声をきかせて」


 腕に抱かれた人形から、玉を転がすような可愛いらしい声が発せられる。

 例えば賊がどんな姫君かと顔を覗かせれば、年増の女が抱えた人形がニタリ笑っているのだから、当然肝が冷える。恐れおののく、その寸の間に隙をつける。

 しかし返ってきたのは、こだまだった。



「お父さまなら、声をきかせて」



 桜華の胸に鋭いものが突き刺さる、そんな衝撃が走った。

 屏風裏から聞こえてきたのは、桜華が人形に喋らせる声とまったく同じ、声音――。狼狽を隠しきれず言葉を漏らす。


「どうして」

「どうして」


 返ってくるのはこだま。


「誰なの?」

「覚えていないの?」


 屏風の奥で影が戯れる。桜華をよりからかおうと、影は出し抜けに姿を現し、そして嬉しそうに言った。

 

「君が人形師として小御門家に仕えているとは聞いていたが、まさか人形にこの素晴らしい美声を宿していたとはね」


 現れたのは声に程遠い――喪装の公達。

 貴族にとって誉れ高い、紋模様の入った仄黒い直垂を身にまとっているが、年齢がわからない。裾から覗く指先は幼子のように紅く潤い、襟にのった皮膚はたるみ、死んだように黒ずんでいる。顔は酷く、色の違う皮膚が何枚もつなぎ合わされ、まるで継ぎ接ぎされた人形のようだ。

 しかし紛うことなく、声はこの公達の喉から発せられている。


「あなたは、誰……? どうして、私と同じ声をしているの」

「おや、その物言いはいささか無礼ではないか。私はこの風成の先帝であるぞ」


 先帝――。その名に呪われているかのごとく、桜華はぴたりと固まった。自らが木偶の人形のように、節々の潤滑油を枯らせたように、固まってしまった。

 先帝を名乗る公達は桜華のその様子をみて、喜びに打ち震えた。更なる絶望を味合わせようと、喉の皮を自分で引き伸ばしては、美しい細指で指し示す。


「それから同じ声、という表現は間違いだ。君の声は記憶から引き出される仮初めの声、言わば複製音だけど、私のこの声は――」


 先帝が指を離すと、たるんだ喉がヒキガエルのように膨らみ、ころころと美しい笑い声を奏でた。


「桜華。君の声そのものなんだから」


 桜華の目にはつぎはぎの顔がにたり、笑ったようにみえた。


「感謝してもらいたいなぁ、十四年前、君の声は最も美しい盛りだった。醜く衰えいく花を私が摘んでやったんだ、この美しさを、永遠に生かすために。私のなかで……!」


 さぞ羨ましかろう、喉から手がでるほど欲しかろうと桜華に歩み寄る。顔は目を逸らしたくなるほど醜いのに、声だけは曇りひとつない、深く澄んだ声。

 まるでこちら側が真似事のように、桜華の人形はか細い声で鳴いた。


「私はあなたに、声を奪われたの……?」

「残念。声だけではないよ」


 くすり、小気味好い声が通る。

 桜華に声があれば悲鳴をあげていた。声の代わりに嗚咽を吐き、後ずさる。その一歩の僅かな動作に気を取られ、大切な人形を落としてしまった。凍てつく板間にことり、虚しく音が響く。

 先帝は人形を拾い上げると、あたかも人形に喋らせるようにその首を振った。


「本当に覚えてないの? 苦労したんだよ君を攫ってくるの。なんせ君は私が目かけてから、すぐに小御門へ囲われてしまったから」


 そしてその時の幼き桜華を愛でるように、人形の御髪を撫で、語った。


「君があまりにも美しく哭くものだから、この声、欲しくなっちゃったんだ。本当に忘れちゃったの? あんなに、あんなに可愛いがってあげたのに――でも大丈夫。なくした時間は取り戻せる。

 君のお父さまにはそのために戦争の犠牲になってもらったんだけどね」


 父の死を匂わせる言動に、桜華は耳を疑う。


「お父さまを、……犠牲に?」

「なぁに、心配することはない。ちゃんと生け捕りにしているはずだ。なんせ君のお父さまはこの私の所有物なのだから。君から声をもらったように、君のお父さまから顔を貰うだけ。まあ皮膚をはげば大抵の人間はその傷みに耐え切れず死ぬと聞くけど。明日からはこの私が、君であり、君のお父さまなんだ。これからはずっと、この邸で、二人きり。またたくさん可愛いがってあげるからね……!」


 桜華はここにきてはじめて気付いた。 

 先帝が身にまとう喪装は他でもない近衛大将である父だけが袖を通すことを許される西園寺家紋、三つ巴紋様――。

 桜華はついに身がすくみ上がり、一寸も動けなくなってしまった。

 遠慮なく先帝のきき手がぬらりと、桜華の頬へとのびるが、もはや抵抗はない。


「ああ、この手かい。元は砂崩の姫君のものだ、美しいだろう」


 それは先帝の指が桜華の頬に触れる手前のことだった。

 前触れもなく。何の前触れもなく、その音は部屋を支配した。


 ことん。


 虚しい音。人形が板間に落ちた時と、同じ音。

 桜華の黒い瞳は微動だにしていない。

 その視線の先では先帝の白い手首が、消え失せていた。


「え?」


 可愛らしい先帝の問いかけに答えたのは――近衛大将、西園寺貞成。


「娘に触るな。穢らわしい」


 幼女の悲鳴が邸に轟く。世人ならば涙ぐむほど痛々しい声であったが、父娘には耳障りなだけ。近衛大将は投げ捨てられた人形を拾うと桜華へ手渡し、ごろごろと板間に転がり苦しむ目の前の肉塊へ、太刀をあてがった。


「何故、何故だ、何故お前が生きてここにいる!」

「はて、私はこの新居にて勝利の美酒に酔いに来ただけ」


 そういえば道なりで、目くじらを立て馬を追いかける賊三十人ほどとすれ違いましたが。

 明るくとぼけるが、太刀は殺意に満ちている。

 先帝は腕を斬られた傷みにもがき苦しみながら、必死で抗った。


「まて……! ここは風成の領地であろう、この地で私の首を落とせば皇族が黙っていない、氏神に祟られるぞ!」


 太刀は緩まず、よくぞ聞いてくれたと刃身が笑うばかり。近衛大将は桜華へあごを向け、言い放った。


「今ここでこのうじ虫を殺せる理由。

 その一、うじ虫に氏神の加護はない。

 その二、味方する皇族もいない。

 その三、ここは、風成の領地ではない」


 桜華は虚ろな瞳で縁を望んだ。

 たおやかに流れるあか川。桜華はこの川を渡り、邸へ入ったのだった。

 向こう岸には陰陽師家五家のひとつ、藤森家の鳥居が小さくみえる。あか川は風成領地の境界線だ、向こう岸が風成ならば、川を挟んだこちら側は、あか山の土地。

 そう、ここは風成ではないのだよと言わんばかりに、川風が桜華の頬を撫でた。

 先帝の醜い顔が絶望に染まる。

 

「まさか……、私がここへ来ることまで、読んでいたというのか」


 返事はない。代わりに凍てついた太刀の感触が一筋、首に這う。

 とどめを刺す手前、近衛大将は桜華へ一言詫びた。


「すまない。お前の声は、私が摘む」


 お父さまに摘まれたい。桜華の心の声が届いたのか、大将は太刀の奥でにんまりと笑った。





 *





 ところ移り朝廷内裏、朝所。

 この場にいた主上、左大臣と右大臣、後方から覗く近衛中将藤宮左近は露わになった首袋の中身を、目をまんまるにして見詰めた。

 

「う、馬?」

「馬、だな」

「馬だ」


 みんなが口を揃えて言うように、首袋の正体は一頭の馬の首であった。


「まさむ、ね」


 縄のなか、ひとり前のめりに下唇を戦慄かせる太政大臣へ、月明は冷徹な笑みをこぼした。


「ああ、あなたの愛馬の名はまさむねと言うのですね」


 大臣はしわがれた声を震わせ、月明に問うた。


「な、ぜだ」


 何故ゆえ愛馬の首が切られ、目の前にあるのか。 

 月明は笑みを浮かべたまま応じた。


「言ったでしょう、あなたの最後の味方だと。万が一あなたに逃げられた時のために、足になるこの馬を厩舎から放しておいたのです。――馬が近衛大将に見える暗示を、戦場にいた遠征兵全員にかけてね」


 近衛大将が馬にみえる暗示は、かりんとうの袋から生まれた月明の式の神、五百躰の鬼神がかけた術であり、あの山にいた人間総てに通ずる妖術だ。


「そして近衛大将へは馬に見える暗示を」


 種明かしは実に単純である。

 近衛大将は迷い馬として遠征兵に紛れ込み、太政大臣の愛馬は暗殺兵の標的となっただけのこと。

 近衛大将は野営の中を悠々と闊歩した後、満足げに一人山を下った。その一方では、縄を放たれた馬が餌を探し宮中を彷徨っていた。暗殺兵にはひとり無防備に奏上へ向かう近衛大将にみえたことだろう、無残にも首を切られた馬の血はまだ新しい。

 月明は馬の頭から目をそらし、日の位置を確かめた。


「そろそろ迷い馬が着く頃ですか」

「あっ、お前、あんときの馬っころ、ぐはっ」


 扉の方角へ体を向ければ、左近が馬の後ろ足――ではなく、近衛大将の浅沓に見事蹴り飛ばされている。


「おや、まだ術が解けていませんでしたか」

「月明、はやくこの馬鹿左近の目を醒まさせろ。まったくお前が馬に化けりゃあよかったんだ!」

「左近はもとより馬面ですが。そして騙されやすく、物分りが悪いので、より馬向きです」

「五月蝿いよっ! あ、大将」

「あ、ではないわっ」

 

 近衛大将は気が済むまで左近の馬面をげしげしと踏み荒らしてから、主上の御前に膝をつけ、首を垂れた。


「到着が遅れましたことを、どうかお許しくださいませ」

「そなたが無事ならばそれでよい。それより朕にもわかるよう、説明いたせ」

「私が説明できることは少ないですが」


 近衛大将は山を下った後に、自身の別邸へ向かったことを主上へ告げた。


「別邸? 何故ゆえに」

「先帝を討つためだけに建てた私邸でございますよ。総ては月明の(はかりごと)

「私一人に責を負わせる気ですか」


 使命を果たした月明の顔は明るい。

 月明はこの十年、ただのらりくらりと政に携わっていたわけではない。堕落した内裏に潜む謀反者の影を追いかけていた。

 先帝が再起を図り、また太政大臣がその駒であることに確信を得た矢先の災害。


「不帰峠の崩落は先帝にとってまさに好機。ではその策謀にのってやりましょうという、策ですよ」


 まずは近衛大将とふたり、砂崩への遠征と先帝への報復をほのめかし、朝廷内へ広めた。

 さあ、恐れを成した先帝はどこへ逃げようか。

 先帝は逃げるどころか、追えば返り討ちを好む器であるし、それも相手は近衛大将、砂崩へ追放された過去の恨みは強い。愚かにも暗殺や乗っ取りを一番に考えてくるだろうと月明ははなから読んでいた。近衛大将が年末に別邸に下ることをわざわざ朝所の前でひけらかしたのは、その邸に先帝を誘導させるためである。風成の辺境に位置する別邸は格好の隠れ家だ。――その上っ面を剥がせば、豪華な墓標。


「娘が居たのは想定外だったがな。月明が計画を早めてくれて助かった」


 近衛大将が苦笑いをこぼす。


「桜華が?」

「なに、邸の場所を本邸の人間に聞いたのだろう。私を喜ばせようと先入りしていた」


 本来の別邸は風成の領地に建てている。桜華の隠れ邸となるのだ、本邸どころか月明にもその場所を知らせてはいない。この度、それが仇となってしまった。


「桜華は先帝と顔を合わせた上に、敵討ちに居合わせてしまった。邸へ置いて行くのは忍びなくて困っていたところにちょうど久助が現れたから、桜華に従わせ小御門へ向かわせているぞ」

「そうでしたか。無事ならばよいのですが」


 なるほど。小薪に貸し出した久助はそこで役立ったかと合点がいく。


「しかし心配だ、早く帰ってやって欲しい。畏くも主上、この戦果を手前に、今日のところはお許しくださいましょう」


 無作法に差し出された近衛大将の左手には、先ほどと同じ首袋が掴まれている。

 その袋が剥がれると、目の下にいた太政大臣はがっくりと肩を落とした。

 月明がうす笑う。


「果たして盤上であなたが私に勝てたことがありましたかな。足掻いたところでこの私に勝てる道理はないのですよ。まったく見くびられたものです」


 太政大臣の深紫の肩へ、白髪が花びらのように一本、はらりと落ちる。

 老人の残り少ない末路に興味はない。月明は主上へ断りを入れると、謀反者へは一瞥もくれずに朝所を離れ、小御門へと下った。


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