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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
すずし梅 / かくなわ
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一‐昔ばなし

 その酔っぱらいは昼上がりにやってきた。子持縞(こもちじま)(あわせ)を着た職人風情で、まるめた頭にところどころ傷をつけて。普通にしていれば堅気にみえるが千鳥足、背中の籠に穴が空いているのか、もち米を足跡にして、雀がちゅんちゅん集うものだから、それを最初にみた神職がうへぇと鳴いた。境内が汚れるだけではない、菓子の材料をばらまけばお稲荷さまがお怒りになるだろう。困った神職は久助を呼び、拝殿でひたすら拝む酔っぱらいと引き合わせた。

 拝むというよりは恨み言を連ねている、なるほど触れば拳がとんできそうな輩だ。久助は眉をひそめながら酔っぱらいに笊を差し出した。


「供物を、こちらへ」


 なんや神様も前払かいなと酔っぱらいは唾を溜めたが、吐き出そうとした顔があんまり綺麗なもんでゴクリ飲み込んでしまった。久助の着る若草色の小袖袴を舐めるように眺め、女やったらとまた唾を溜める。

 久助はない毛が総毛立つのを感じた。

 

「一応訊いておきますが、願い事は何でしょうね」

「丁……丁や、丁半の丁。頼んます、丁を出してください。次勝たな、母ちゃんが出ていってしまうんですわ」


 これまた想像通りの答えにうんざりと、久助は無言でその場を立ち去った。しかし境内をこのままにはしておけない。直ぐにもち米を掃除させようと、米とぎ婆と小豆洗いを呼ぶが、呼んだのはこちらだというのに、皺も枯れたような二人の妖しは久助の袖をひきかまどへ連れていこうとする。

 今日は半年ぶりのかまど休み。

 誰もいないだろうに。


「何事ですか」

「お稲荷さまが、病気して寝込んではるんです」

「そんな馬鹿な」


 神が病に侵されるなど聞いたことがない。私でさえひいたことがないのにと、久助は耳を疑った。百聞は一見にしかず、かまどを見透してみれば――。

 寝込んでいる。

 虫が食ったような納戸の煎餅布団に横たわり、何やら苦しそうに悶えている。時折、「鹿の子、鹿の子ぉ」食べたそうに呟いて。

 物見からその様子を覗いていた唐かさが、うひゃあと久助に飛び付いた。唐かさに飛び付かれると骨が刺さって痛いのですかさず足首をとり、遠慮なしに石突をガツンと地に下ろす。唐かさも慣れたもので逆さのまま話し始めた。


「昨日の夜からずっとああしてはるんです。寝転んでも、なにか悪いもんに魘されて」

「ご自身で暇をとられたとは聞いていましたが、まさか寝込んでおられるとは」

「はい。昨日、お望みの鹿の子が食べられへんかったんが、よほど悔しかったんでしょう。御膳に手をつけず、菓子まで私らに譲るんですよ」


 唐かさは、あれから切れ端どころか一棹の水羊羹をいただいている。


「菓子まで? それは深刻な、美味しくないんでしょうか」

「それが、もうびっくりするほど美味しいんです。今までも驚かされましたが、ぴか一に」


 その味を思い出し唐かさが、米とぎ婆が小豆洗いが生唾を飲み込む。食べていない久助まで、想像してごくり喉をならした。

 しかしそう悠長に詮索はしていられない。このまま放っておいては風成の仕事が滞るだけでなく、神饌を食さないお稲荷さまの力までが弱ってしまう。ご自身から理由を聞き出そうと意気込んでかまどの敷居を跨いだ久助であったが、お稲荷さまの姿を間近に気勢が削がれ、目も座った。

 よう見たら鹿の子菓子ではなく、鹿の子の枕と着物に顔を埋め、はあはあ息を荒くしていらっしゃる。


「…………恋患いですか」

「なっ、なんや久助っ、勝手にはいってくんなっ」


 そう言われてもですね、結界ゆるゆるに緩んでおります。


「この身捧げる神様が変態とはこれ如何に」

「五月蝿いっ、五月蝿いっ」

「はーい、そんなちいさい(しゅ)、ききませんよー」


 金平糖みたいに色とりどりの可愛らしい呪をぽんぽん放り投げるお稲荷さまを見物しに、わらわらと小鬼や家鳴りが集まってくる。いい機会ですと久助は目を座らせたまま納戸の畳で居住まいを正した。


「はーい、これにて小御門総会を開きまーす」


 恋患いには話を聞いてあげるのが一番の薬効だ。巫女がそう話していたのを思い出し、久助は小御門に住み着く神妖しを隅々から集めた。皆お稲荷さまと甘味話に花が咲き、ここに居着いた者ばかり。無類の菓子好きがせまいかまどに溢れるほど詰め寄った。

 親しい仲間から羨望の眼差しを注がれ、お稲荷さまはもじもじと膝を擦らせながらも実に流暢に語り始めたものである。


「あれは千年前のことやった」

「そこからですか」




 *




 風成盆地は朱雀山に流れるあか川に形成された河岸段丘からなる龍穴である。龍穴とは栄えるべき土地のこと。地味に恵まれたことで農作が盛んであり、民は山を越えずとも自給で生活ができたため、自然と鎖国的な、独自性のある文化が根付いていった。外交に門を開けたのはちょうど千年前、風成がまだ名もなき国だった頃の話だ。

 その年、世界が生まれはじめて、大飢饉が国を襲った。風雷の神様がお通りの際、ちょうど国が山の影に隠れてしまい、気付かずに行ってしまわれたのだ。

 国は雨風を失いその年の夏、稲畑は朽果て、街では疫病が流行り、それはそれは酷い有り様であった。これはいけない、ようよう外の力を貸してもらわなければ。決めた時にはもう誰にも山を登る力がなく、できることといえば、重い門を開けることだけだった。閉ざされた国に来訪者など現れるわけがない。民は待つことをあきらめ、黄泉の扉が開かれる音に、ただ耳をすませていた。

 助けはひょっこり現れた。

 時の陰陽師である。

 悶え苦しむ民を前に、顔色ひとつ変えず、こう言い放った。

 

「この国には半妖がおります。その子を神に祀りなさい」


 それが、蔵馬(くらま)であった。

 蔵馬は朱雀山の麓にすみついた、おんな妖狐を母にもつ。しのびやかに暮らしていたので、見つけられるまでに半年かかった。みつかったのは、なんてことない畦道。枯れた芋畑を耕し、家に帰るところを網に捕らえられた。

 人柱ならぬ半妖柱として川に流されたのは、十五歳の春のことだ。

 蔵馬は辛くも悲しくもなかった。

 この地に身を沈めれば国の氏神になれる。氏神になれば豪華な飯が食える。心残りは母であったが、共に祀ろうと陰陽師が約束してくれた。不死になれば妖狐である母と共に道を歩める。中途半端に半妖でいるよりはずっと、永く。

 国は救われた。

 土に残る根から若葉が生まれ、緑には実がつき、稲は黄金色に輝いた。

 それから千年、蔵馬は氏神として風成を護っている。自分を生け贄にした陰陽師家と共に。


 大飢饉の時代に生きた蔵馬は、何よりも甘いもんが好きだ。好みのおかずに出逢っても百年もすれば飽きるが、菓子は違う。甘い餅や酒は千年飲み食いしても飽きない。やがて蔵馬を祀る宗家には御饌菓子専用のかまどが作られ、最上位の巫女が仕えるようになった。

 然して、現代。

 蔵馬お気に入りの御饌巫女が消え五年、雪や若輩者が作る、その場しのぎの菓子に不貞腐れていた二月のこと。

 新たに嫁入りした側室をおちょくろうと御寝所を覗いた蔵馬は、甘い砂糖の香りにうっとりとしたものだ。

 ついに財が底をつき砂糖売りに手を出したかと笑うも、畳で縮こまる娘を訝しんだ。

 霊力がない。てんで、まるでない。

 月明は何故、世界に数ある砂糖売りの中からこの娘を選んだ。娘についてきた男が目当てか。いやそれ以前に、生に必要な霊力すら見えない。死に際かと怪しむがそうでもなさそうだ。

 なんや考えてたら腹がへってきた。腹ごしらえが先やと、狙っていた菓子箱を開けた。


「美味っ」


 なんとなしに口に放り込んだ蔵馬は、ない心臓を跳ね上げた。

 鹿の子は蔵馬が千年生きてきて、はじめて出逢った美味さの菓子だった。

 一口噛めば蜜煮の豆が歯に心地よく応え、舌でほぐせば、ぶわりと甘みが引っ付いてくる。噛めば噛むほどねちねちと絡んでくる餅。だが噛んでいるうちに豆の甘みは中の餅でくるまれすっきりと消え、最後に残るのは小豆の深味――。


「こんな美味い菓子食ったことあらへん」


 素直に、言葉が滑りでた。

 その瞬間、娘は肩を竦めてこちらを向いた。

 蔵馬は、ひっと息をひいた。

 生きることさえ難しい霊力、当然娘には自身が見えていないと決め付けていたからだ。

 手の中にある菓子箱へ目を落とす。

 無意識に舌がこれを御饌と認めたというのだろうか。これが御饌菓子であり、例えば娘が味見に食していれば、直会(なおらい)は成立する。だが霊力の欠片もない娘が一度同じものを口にしただけで、果して成立できるものなのか。

 この世の(ことわり)を知る蔵馬にも、全く解せぬことだった。

 ただ目の前の娘と菓子箱の菓子に、運命を感じた。


「どこの、なんちゅう菓子や」


 答えが返ってきた時にはもう、蔵馬は鹿の子に惚れていた。




 *




「惚れた菓子と同じ名前の娘て、そりゃ惚れるやろ」


 うん、うん、わかりますでぇと子鬼等が一斉に厳つい頭を垂らす。鹿の子の菓子を知らず先代の御饌菓子を知る久助は、なにがどう違うのだと一人苛立った。ましてや小豆顔の鹿の子。


 小豆みたいな顔してるから惚れたんやと、お稲荷さまは細い目をさらに細めた。噛み締める度に美味しいでしょうと、舌にこびる小豆。それと同じ顔をした鹿の子は同年にみえながら妙に妖艶に映った。鹿の子は霊力がない。ほんまもんの嫁かもしれん。これからすぐに月明に暴かれると思うと、胸が張り裂ける想いがしたものだ。菓子食ったら手の届かぬところへ逃がそうと、うまうま平らげた。平らげ、さあ行くでと鹿の子の前に手を差し出したが、鹿の子は空の菓子箱をみつめるばかり。何度手を振っても、こちらには目を動かさない。鹿の子の瞳には、お稲荷さまはもう映らなかった。

 なんと、お稲荷さまが鹿の子の菓子を食べている時しか、鹿の子はお稲荷さまの姿が見えないのだ。

 菓子を食わねば、逢えぬ娘。

 お稲荷さまはよりいっそうに、運命を感じてしまった。

 

「月明に奪われたくなかった。菓子だって食わせたない、誰にも会わせたくない、独り占めしよ思てかまどに閉じ込めたんや」


 はりつき虫の鹿の子は全く気付きもしないが、かまどでは御出し台の先から戸口にまで強い結界が張られ、神や妖し以外出ることも入ることもできない。女にはガラス壁、男には墨を塗ったような重厚な鉄壁にみえる。方術に長けた陰陽師でもなければ解けない代物だ。

 御饌かまどで菓子を作らせれば、いつでも食べれる。鹿の子に会える。そういった独り善がりな思いつきで閉じ込めたのに、鹿の子は鹿の子に引けをとらない菓子を作った。毎日、毎日。

 なかでも御饌飴なんてのは特別だ。

 はじめて食した日には神の目から涙が溢れたものだ。みずみずしい甘みのなかにほんのりと、母の畑でとれた芋の味がした。母の味が、舌に絡み付いて離れない。飴がぜんぶ舌から剥がれる頃には、鹿の子が他人に思えなくなっていた。

 溢れ出す想いを手に広げ、お稲荷さまは尚も語り続ける。


「ある日鹿の子にな、みんなにも食べて欲しいなぁ、なんてきらきらした目でいわれて、試しにお前らにあげてみたらどうや。皿がきれいになる度にきゃっ、きゃ喜ぶやろ。その後また仕込まなあかんのにやな」

「はぁ」

「鹿の子は自分の菓子が誰かに喜ばれることが、一番の幸せやねん。生き甲斐やねん。そんだけ想いがこもってると思うと、また美味くて。美味くて可愛くてどきどきして」

「へぇ」

「こんな想いはじめてや。ずっと一緒にいたい。傍で鹿の子を見ていたい。話したい。笑わせたい。抱き締めたい!」


 実際、枕を抱き締めている。

 しかし、神様とて他人の恋話とはどうしてこうもむず痒いのかと、久助は嘆息した。「なぜ御饌を食されないのです」と訊ねれば、どうせ「だって、胸が苦しくて」なんて答えが返ってくるのだ、ああ痒い。


「それだけやない……久助、お前や!」

「はぃい!?」


 心を読まれましたかっ!


「久助と鹿の子が話してると、なんか苛々すんねん! 神が妬み嫉みを感じるなど、あってはならんことにやなぁ……それやのに、それやのに、自制がきかん。お前はまだ我慢できてもやな、鹿の子が乳半分放り出してラクと逢うてるのをみた途端に、頭にカッと血が昇った」


 乳半分て、鹿の子さん。

 神様あろう御方が、振り返りたくない過去をほじくるように頭を抱えている。


「考えるより先に、口が衝いてた。もう一生かまどからだせへんって、言ってしもたんやぁ」

「はぁ」

「酷いこといってしもたと思た。散々こきつこうて、娘らしいことひとつもさせんと、一生やなんて……それやのに……鹿の子は、鹿の子は、………………嫁にしてくれって」

「はぁ……はぁあ!?」


 その時かまどにいた妖し等はこくり頷いたが、いなかった久助と他の妖しはまた屋根柱が震えるほど驚いた。

 次の台詞に、今度はちーんと静まる。




「わし、鹿の子を嫁に欲しい」




 これは未曾有の一大事である。

 久助もまた同じように頭を抱えた。お稲荷さまがここまで決意されているのであれば、答えはひとつしかない。


「旦那様に、委ねましょう」




お読みいただきありがとうございます。

直会については、次話で詳しく説明致します。

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