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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
栗鹿の子
59/120

十一‐帰路

 揺れる牛車のなかで鹿の子は正座で前に屈み、床におでこをつけた。


「申し訳ございませんでした」


 その爪先には掛け布団にしていた束帯を身にまとい、月明が座っている。

 鹿の子はたった今、家出の理由とその旅路を申し開いたばかりだ。桜疱瘡の荒神が身体に憑いており、冬に病を流行らすと思い込んで、風成を離れたこと。玉貴のいる山口家で一日世話になったこと。


「玉貴さんにはこっぴどく叱られました。旦那様に相談もせんと、かまどを離れるなんて。玉貴さんの仰る通りです、務めを投げて無断で家を出てしまい、誠に申し訳ございませんでした」

「もう謝るのはよしてください」


 月明は腕を袖にしまい、壁際に仰け反り言った。

 わずかにでも身じろぎすれば、かちこちに固まった鹿の子のお団子頭が膝に触れる。つい先ほど衝動的に抱きしめた感触が頭から離れず、堪え難い。


 側から見ればお説教の姿勢であったが、事の成り行きを理解した月明は側室の裏切りに怒りを覚えるどころか、安堵で満たされていた。家を捨てたのではない、国を護るために家を出たのだ、小御門家の嫁として、これ以上誇らしいことがあるだろうか。


「それより雌狐の始末をどうしてくれようか」


 鹿の子に桜疱瘡なんぞ善からぬ噂を吹き込む者は一人しかいない。


「え?」


 一寸、おでこを上げた鹿の子は泣く子も黙る月明のはんにゃ顔に「ひぃっ」と小さな悲鳴を上げ、再びおでこを板間にこすりつけた。

 月明は慌てて美顔を取り繕う。


「いや、それより」

 

 改めて鹿の子に尋ね直すべきことがある。

 雪が鹿の子に吹き込んだ「鹿の子に憑いた荒神が桜疱瘡をばらまく」という仮説は、なんの確証もない。月明が鹿の子を励まそうとすると、鹿の子は「それはないって、荒神さまは言うてくれました」と自分から否定した。詳しく訊いてみれば夢のなかで、荒神と話したというではないか。それも一度ではなさそうだ。


「今はあなたの夢の中に出てくる荒神さまについて、詳しく知りたい」


 鹿の子の頭に乗ったお団子がピクリと揺れる。

 寸の間の沈黙のあと、鹿の子は頭を垂れたまま、炉の存在を明かした。


「気を失った後に、ですか」

「はい。ひどく疲れて、気を失った時にだけ会えるんです。昨夜のように」

「しかし産土神(うぶすながみ)とは……お義父さまから聞いたことがない。糖堂の村に神の加護はないものと」


 神棚はあっても神の姿を見ていない。そりゃそうだ、月明が糖堂に足を踏み入れた時には、鹿の子のなか。


「糖堂家にだけに祀られておりますので、わたしも豊穣の神様を祀る神棚やとずっと思てました」

「ふむ」


 月明は目を細め、考えを巡らせた。

 大旦那の代からという若い神であるなら、糖堂家も産土神とは知らずに祀っているのだろう。しかし産土神が憑いていると仮定すれば、鹿の子の身体が供物である砂糖を欲する成因となる。

 夢のすべてが正しいとすれば――。


「その、炉と名乗る産土神さまが、病を防ぎきれなかったと。その後に鹿の子さんに憑いたと、そう言ったのですね」

「はい。わたしにのり憑った理由までは教えてくれませんでしたが」


 月明は鹿の子の丸まった背中の奥を見据えた。

 麒麟の背にまたがる一匹の白ぎつね。

 狐と鹿の子の憑依状態は極めて酷似している。

 お稲荷さまが狐に憑依した原因は今もなお定かではないのだから、炉という産土神自身もわからず、鹿の子へ教えなかった可能性が高いだろう。そうなると炉は正月に実家へ帰してくれという、明確な判断をいつ、どのようなきっかけで下せたのだろうか。


「それも実家で三年も憑依していながら、何故今になって」


 鹿の子のお団子が再び揺れる。

 月明は鹿の子がまだ何か隠しているようなしぐさに思えたが、深く掘り下げはしなかった。 

 どのみち正月になれば明らかになるだろう。

 帰るだけで鹿の子の身体から出ていってくれたら万々歳だ。


「いいでしょう。私が風成を出られるのは年が明けてからになりますが、それでよければ共に糖堂へ参ります」

「そ、そんな、めでたいお正月に旦那様のおみ足を汚すわけには」

「これは通常の里帰りではありません。鹿の子さん、貴女の生命にかかわることなのですよ。それに産土神さまの話が誠であれば、祀る陰陽師が必要です」

「なにも旦那様直々でなくても」


 寸の間訪れたのは、息をのむほどの静寂。


「私では嫌ですか」


 鋭く言い放たれた言葉に、鹿の子の頭のお団子がびくんと跳ね上がった。

 鹿の子は床をみつめながら冷や汗をたらす。

 これ以上小御門家に迷惑はかけられない、ひとりで始末をつけたい、そういった思いから発した言葉だったのだが、当主の恩情をはね返すような態度をとってしまった。ただでさえ自分は家出した身分、月明は腸が煮えくりかえっていることだろう。色をなし、眉間にしわを寄せた月明の顔が思い浮かぶ。

 どうかひとりで帰らせてください。喉まででかかった言葉が魚のとげのように詰まる。

 この時ふいに、玉貴に言われた忠言が空耳としてよぎった。


 ――一度だってちゃんと旦那様と目を合わせたことある?


 木目に目を泳がせながら、思い出す。抱きしめられた時に見た、温かな顔。眩しいほどに自分をみつめてくる、潤んだ眼差し。

 意を決し、恐る恐る顔をあげる。

 


「……嫌ですか」



 鹿の子は目を疑った。

 どんなはんにゃ顔かと思えば、月明は大きな眼を悲しげにしぼませ、物見の外をみている。

 その顔にひどく胸が痛み、鹿の子はあわてて弁解した。


「とんでもない! わたしはただお正月に旦那様を独り占めするなんて、とても畏れ多くて」

「正月だからこそ、私に会いたがる者などおりません。風成の正月は朝廷も神殿も休みます。奉公人が居なくなった小御門家は、実に寂しいものですよ」

「そう、なんですか」

「はい、そうですよ」


 鹿の子はごくり生唾をのむ。

 依然、月明の顔は悲哀に満ちている。鹿の子はその顔を少しでも明るくさせたいと、口が先走った。


「糖堂は奉公人いうてもみんな村のもんなんで、正月でも騒がしいんです。三が日は糖堂にみんな集まって、その年の白砂糖を使った菓子を作ります」

「ほう、実に楽しそうだ。皆さんで作り食す菓子はきっと美味しいでしょうね」


 心から羨ましそうに呟く。


「珍しいでしょうか」

「私の食事はいつも一人ですから」

「な、なら、旦那様がよければ、一緒に作りませんか? 作らんでも、一緒に食べましょう。少しでも旦那様の気晴らしになるなら、嬉しいですし、旦那様がそばにいてくれたら、とても心強いです」


 そこまで言うと、月明の横顔はにわかに晴れた。


「約束ですよ」


 嬉しそうに。

 鹿の子はただ、ただその横顔を呆然と、みつめるばかりであった。




 *



 

 いつまでも縮こまったままではかわいそうだ。

 それにあのまま同じ空気を吸っていては、酔ってとんでもない過ちを犯しかねない。

 月明は動く牛車から外へ出ると前方を歩く葦毛の馬に並んだ。その背には白い毛玉。馬に乗る兵士は狐と馬は仲が良いのかとみな興味深い顔で眺めている。

 藤森家の名馬に憑依した麒麟は月明の姿をとらえると、すぐにその足を止めた。


『どうぞ月明様、お乗りになって』

「遠慮しておきます」 さっ、と距離をとり先を行く月明。

『遠慮しないでっ、さあどうぞっ』

「藤森にこれ以上借りをつくりたくないのですよ」

『いけず!』


 そして馬は月明の歩幅に合わせ歩き出す。

 おとなしく背にまたがっていたクラマは辛抱切らしたような深い溜め息のあと、月明に伝えるよう麒麟へ言付けた。

 クラマは麒麟のように、月明へ直接言葉を伝えられない。


『ねぇ月明様、お稲荷さまが、わしを怒らんのかって言ってる』


 麒麟が話せば、月明は前を向いたまま、くすりと笑った。


「そうですねぇ、国と鹿の子さんどちらをとるか判断を迫られたら、私だって鹿の子さんをとるでしょう。私にはお稲荷さまを叱れる立場も身分もありませんよ」

『まあっ』


 なんてこと!

 麒麟はぶるるん、嫉妬の白い鼻息をまき散らした。

 

『あんの小娘、月明様の御心まで奪うなんて!』

『国より鹿の子をとるやと!?』


 クラマの三白眼はまんまる見開いたが、月明は穏やかに笑った。


「きれいごとなど言っていられないのが、恋というものでしょう」


 狐も馬も、これには顎がはずれるほど、あんぐり口を開け、固まった。

 月明は涼しい顔をして先を急ぐ。

 鹿の子の家出はまったくの想定外であったが、こうして無事帰路に立てたのだから事を蒸し返す必要はない。

 問題は鹿の子を家出に駆り立てた雪の所為。

 月明は後ろ背に小さくなったクラマへ直に言葉を投げかけた。


「あなた様のお母様はなにをお企みになっているのでしょうか」


 クラマはねずみを取り逃がした猫のように顔をひしゃげ、そろそろと麒麟に耳打ちをした。ふむふむ聞き取る麒麟の顔も歪んでいく。


『おかんはわしの今のこの姿をわ見たかっただけやろ。本殿にひきこもって二月になるからな、おかんもそろそろおかしいと思うはずや。鹿の子が家出しようとすれば、わしはひきこもっていようが慌てて追いかける。鹿の子はええダシにされたんや。まさか国の外まで出るとは思わなかったんやろ。ですって』

「なるほど。理由が浅はか故、考えに及びませんでした」


 月明もあきれ顔。しかしすぐ別の考えに巡り、いつもの冷たい顔へと戻った。

 クラマはこの千年一時たりとも風成を離れたことはない。何故ならば氏神であるクラマは風成の土地から一歩外へ出れば神力を失うからだ。つまりは今はただの狐。またつまりは今の風成、神の加護の下にないということになる。雪の考えは正しく、クラマが国の外へ出るなど余程の決意がなければ難しい。

 よもや自分が口走った通り、恋がクラマを突き動かしたのだろうか。恋それ故に国を出たと――、ならば。

  

「あなた様は鹿の子さんを山口へ預けたあと、すぐに戻ろうと。……いや」


 風成と山口の往来に約一日、それ以上の留守を踏まえクラマは国を離れている。だからこそ怒らないのかと、月明に尋ねた。


「桜狩まで足をのばすおつもりだったのですね」


 クラマは月明の鋭い指摘に、ただ頷くしかなかった。

 鹿の子についた荒神は三年に一度、桜疱瘡を流行らせる。クラマはその根源である桜狩で手がかりを探そうと思い立った。雪が鹿の子についた壮大なほらは、そこまでクラマを動かしたのだ。

 この神が誠に愛しいと、月明はクラマの背を一撫で。クラマはぞわっと総毛立たせた。


『何をするっ、気持ち悪いっ、と申しております』 正しく通訳する麒麟。

「心から敬愛を示しているのですよ」


 月明は真摯にクラマと向き合った。


「御安心ください。桜疱瘡を野放しにしておくつもりはございません」


 桜疱瘡は流行るその度に何百人と死者を出している。病は飛び火し、国々で流行らせては、その風は春になれば吸い込まれるようにまた桜狩へ戻っていく。月明が思うに、国そのものに忌まわしい呪がかけられているのではないのだろうか。


「鹿の子さんの体が正常に戻り、砂崩の情勢が安定したら、私が行ってまいりますよ」

『すまんな。そういや戦はどうなった、と申しております』

「戦、ですか。あれは戦のうちにはいるのですかねえ」


 月明はしれっと憎たらしいことを言う。

 一晩から半刻に早めた攻め入りは見事な不意打ちとなり、砂崩はあっさりと風成の手に落ちた。


「不意打ちも作戦であったかと、みな軍師を讃えているぞ」


 前を走っていた近衛中将左近が馬の足をとめさせ、月明と並ぶ。


「私は軍師ではない。風成の陰陽寮長として陰陽道を民に広めたまで」

「布教かよ」

「否定はしない」


 実に百聞は一見に如かず。

 砂崩は砲弾を飲み込む鬼神を前に為す術もなかった。人間同士が争わない戦が戦でないとしたら今作戦、布教と呼ぶにふさわしい遠征といえる。死者を出していないこの攻め入りは憎しみひとつ生むことなく、砂崩は風成王都の力を身をもって知ることとなった。

 鬼神が天守を攻め落とした今、残してきたのは数えられるほどの兵士。峠を下りた風成軍は桃李にて合流し、それから半日経つ頃には王都を望む青龍山の中腹まで来ていた。馬の足で下れば昼半には朝廷へ着くだろう。

 左近は碁盤のように張り巡らされた王都の美景を愉しみながら、ふと隣にうら寂しさを感じた。


「そういや、うちの大将の姿が見えんな。あの作戦の後だ、馬ごと突っ込んでくると思うたが」


 近衛大将のことを言っている。

 左近は懐から干し柿を取り出すと「お前、そろそろ菓子がないと苛立つ頃だろ」と月明の手元へ放り投げた。十年も共に働いていれば、互いの腹時計をよく知っているものだ。左近は月明が受け取ったところを見届けると、馬の腹を蹴り行ってしまった。

 近衛大将を探しに前へ出るのだろう。

 月明はもらった干し柿をありがたくしがむ。


「固いな」


 月明とて左近の懐に期待はしていなかったが、裏切られるとやはり残念なものだ。鹿の子が丁寧に干した、やわらかな柿を懐かしむ。こし餡といっしょに、餅にくるまれていれば尚よし。

 月明は固い干し柿を噛み締めながら、渋い顔で左近の背中を見送った。


「……朝廷で会えますよ」

 

 残りを麒麟の口へ放り込む。

 嬉しそうに顎を回し咀嚼する麒麟、月明は鼻梁を優しく撫でた。 


「麒麟、ありがとう」

『な、なんですの! 急に!』

「お稲荷さまと鹿の子さんの命は、お前に助けられたようなもの、感謝していますよ」


 クラマの窮地を前に戦場を選んだ麒麟の判断は正しかった。狐の脆い生命力、麒麟なくしては救えなかった命だろう。

 何にせよ予知に富んだ小薪が冷や水でとどめたところ、この穏やかな帰路を読んでのこと。

 それとも、こちらに構えぬほど氏神が消えた風成に、よからぬ風が吹いているか――。

 結末を締めくくる紐は固くなければ。

 月明は袴の帯を締め直すと、ふたたび麒麟を撫でた。


「藤森には文を出しておくから、少し小御門で休んでいきなさい」


 月明は内奏に朝廷へ上がるため、小御門へ帰るのは陽が沈む頃になる。クラマと鹿の子を無事送り届けるに、幼い舎人ふたりでは心許ない。

 承知した麒麟は月明の手のひらの感触を脳裏に刻み、うっとりと頷いてみせた。

  

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