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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
栗鹿の子
55/120

七‐砂崩

 玉貴が唸り声をあげていたのはそう長くもなく、間もなく赤子の泣き声が局に響き渡った。

 お産婆の許可をもらい、外でそわそわしていた鹿の子がそろそろと簾を潜る。それに続いて玉貴の母や夫もおずおずと。

 出産を終えたばかりの玉貴は声を振り絞り、歓喜の調べを奏でた。


「みて……! 男の子よ!」


 元より男御子を望んでいたのだろう、玉貴は取り上げられたばかりの赤子を腕に抱き、愛おしそうに頬をすり寄せた。お産婆が産湯につけるからと、慌てて拾い上げる。赤ん坊の泣き声が柔らかなものになると、安心したのか玉貴は一番に鹿の子をそばへ呼んだ。


「足を止めさせてしまってごめんなさい。鹿の子さんは早く小御門へ帰らねばならないのに」


 冷や水が入った竹水筒があと三本あるとしても、油断はならない。そのことをよく知らない鹿の子は玉貴を気遣い、明るく答えた。


「とんでもない。いずれは小御門のお世継ぎとなられる、御子様のご誕生ですよ。お立ち会いできたこと、誠に光栄に存じます」

「ちょっと鹿の子さん、大袈裟よ」


 大袈裟に言ったのだ。

 心なしかお産婆の手付きが恭しいものに変わった。


「真のお世継ぎ作りは諦めたの?」


 玉貴が苦笑いで尋ねる。


「諦めたわけではありませんが、旦那様の方針に反対しているわけでもありません。真のお世継ぎがいなければ、玉貴さんの御子様が家督を継ぐべきだと、わたしも思います」


 鹿の子があまりにもきっぱりと言うものだから、玉貴は弱々しく頷くしかなかった。


「まったく、あなたとお世継ぎ争いをする日が待ち遠しいわ」

「そんな日は来んと思いますけど」


 自分はお世継ぎ作りに最も縁がない側室だ。

 鹿の子はからから笑う。

 玉貴は今度のきっぱりに対しては、悲しげに目を伏せた。そして瞬き一度、


「ねえ鹿の子さん、あなたにとって旦那様はどんな存在?」


 心から月明を愛するように、目尻を緩めた。

 鹿の子はその表情に戸惑いながらも、嫁いできてから何度も頭で復唱していた言葉を口にする。


「旦那様は、小御門家の当主であり、親愛なる夫です」

「親愛なる? ふふ、目も合わせられないくせに」

「それでも、お慕いしております」


 当主として、自分の主として。この局にいる誰もがそう聞こえた。

 鹿の子の忠実なる言葉を玉貴は嘲け、こう返した。


「それでも、鹿の子さんは久助さんを愛しているのでしょう」


 不穏に沈む空気。

 そう言い切られた鹿の子は言葉に詰まり、こくりと肯くことしかできなかった。


「鹿の子さん、あなたはすぐに小御門へ帰らなければならない。だから簡潔に話すわ、よく聞いて」


 玉貴は自分の想いを精一杯伝えようと、鹿の子の手に自分の手を重ねた。

 そして早口で、鹿の子のわかる言葉でこう言った。


「鹿の子さん。久助さんはね、旦那様の心の一部なの」

「心の……一部?」

「そう。本来、式の神とは己の魂の一部を与えることで、常世から現し世へ使役するもの。久助さんは旦那様であり、旦那様は久助さんでもあるのよ」


 玉貴は茶室で言い残した、小御門家の過去を鹿の子へ語った。


「久助さんはね、先代が旦那様のために勧めたものなの。自分たちが消えたあと、自身が自身の心の支えとなるように。久助さんは、旦那様を支える心の欠片。だから、鹿の子さん」


 短くとも喋ることに疲れたのか、玉貴は手を重ねたまま顎を天井へ向け、


「久助さんを愛するように、旦那様を愛してあげて」


 一粒の涙をこめかみに流し、枕に落とした。



 帰りの旅支度を済ませ、とぼとぼと廊下に出た鹿の子は、この時ようやく足元が寂しいことに気付いた。そういや、ひっつき虫のクラマの姿を朝間っからみていない。かまどでは遊びに外へ出ても、甘い匂いに誘われ八つ時には尻尾振って戻ってきたもんやのに。出産の喧騒にびっくりして、飛び出していってしまったのだろうか。

 鹿の子の頭には、朝にみた白玉団子みたいなクラマがよぎった。あれだけ弱っていたのだ、必ず邸の中にいるはずだ。みんなにも探してもらおうと、鹿の子が部屋に戻ろうとしたその時だった。玉貴の夫がかまどの方角からこちらに向かって走り寄ってくる。その腕の中にはぐったりとした白い毛玉。


「クラマ!」

「先ほどうちの女中が台所でみつけたんです。苦しそうにして、なにか毒になるようなものを口にしたのではないかと」

「毒……」


 鹿の子の腕に渡ったクラマの冷たいこと。虫の息とはこのことだ。

 鹿の子の顔からさあ、と血の気が引く。

 冷や水だと思い、かまどにあった水瓶の水を飲んでしまったのだろうか。自分より小さい体だ、この土地の水が合わなかったのかもしれない。一刻も早く小御門へ帰らなければ。玉貴の夫へ短く礼を述べ厩舎へ走る。

 火事場の馬鹿力か、鹿の子はクラマを抱えたまま自力で麒麟の背によじ登り、手綱を持った。

 威勢良く引くが、しかし。


『来た道戻るんじゃあ、間に合わないわ。もっと近くに、小御門の当主の匂いがする』

「え、きゃあああああ!」


 麒麟は鹿の子が手綱を向けた真逆の方角へと突き走っていった。





 *





 砂崩(じゃぐえ)とは忌々しい名である不帰峠(かえらずのとうげ)に囲まれた山間のお国だ。国とは自分らがそう名乗るばかりでその人口は二千人も満たない小さな集落である。不帰峠は北部にそびえるあお山・蒼龍山からの支脈稜線にある峠で、蛇のように尾根がうねりとぐろを巻いている。見渡しの良い尾根を歩く人の足首を鬼がとり、谷底へ引きずり下ろすことで峡谷には惨憺たるしま模様が何本も跡を遺していた。

 しかし今はもう影形もない。

 雷で大破した峠は尾根に亀裂が走り、山麓部は土砂に埋まり、まさに砂崩の名に相応しい様相を呈している。

 月明の作戦はこの亀裂の入った尾根を利用し、五百名の円陣を組むというものだった。そのため風成軍は集落を包囲するため少数の班に分かれ、それぞれが峠を目指すという痛手を強いられた。

 刀を一度も握ったこともないような兵士が指揮者もなく散らばっては、さぞ心細いだろう。見渡しのよい尾根に隠れ場所などない。前から砲撃をくらえば、後ろから不意打ちに遭えば、一溜まりもない。

 この無茶苦茶な月明の戦略には流石の近衛中将左近も、苦言せずにはいられなかった。因み、近衛大将は月明の立つ地点から遥か円陣の二等分線上にその座を構えている。


「なあ、月明よ」

「どうした、左近」

「この円陣、余程の意味がなけりゃあ、袋のねずみだぞ」

「安心しろ、余程の意味はある。そんなことより、腹は減らないか」

「減ったよ! みんな減ってるよ! ここまで登るのにどれだけ無駄を費やしていると思ってんだよ!」


 風成から砂崩までまるまる一日を要する。

 半日はあお山越え、あと半日はこの砂崩山の登山だ。これが酷く険しいもので足元は岩肌ばかり、目指すは山頂以外にない道なき道。戦いに来たんだか、山登りに来たんだか、わからない。

 野営を張らず休みなく登ってきた遠征兵は皆が皆疲弊しきっていた。この状況下で攻め入られでもしたら、ゆるゆるの円陣など木っ端微塵だ。


「しかしだな、食ってる暇などあるか! 敵に知られたらお終いだぞ」

「知られただろうな、山頂にこれだけの人影が立てば」

「知られたって……、お前!」


 刻は昼八つ時、強い西の陽射しが人影をより谷底へ落としている。


「内通者もいたようですね」


 月明は砂崩の正中部に輝く、一筋の光線を見逃さなかった。

 貧困窟を下敷きに建てられた気色が悪いほどの白亜の大天守。宣戦の印を示す赤い旗が僅かだが、確かに振られた。


「愚かな種族よ、なぁ左近。こちらが仕掛けるとわかっていながら、あちらが先に兵を挙げたぞ」

「悠長なことを言っている場合か、はやく抗戦の意思を!」

「抗戦? はっ、左近もたまには笑わせるな」

「冗談じゃない!」

「冗談であろう。これは――」 


 月明は自身より一回り大きい白旗を掲げると、砂崩の大天守からも一目に望めるほど西陽の光をひとつに束ねた。降伏の白旗ではない。


「完膚の戦だ」


 月明の旗が挙げられたその瞬間、辺り一面かさかさと紙が擦れる雅な音が響いた。


「左近も、ほら」

「ああ、なんだこれは」

「かりんとうさ」

「かりん、とう?」


 月明が左近の手元へ投げたのは、何やら油染みた紙袋。さあ開けてみれば、何やら黒い炭のような棒が何本も入れられている。見た目は厳ついが、そこはかとなく甘い香りに心が揺さぶられた。

 我に返り周りの兵士を見渡せば、揃いも揃って白い紙袋をがさこそ漁っている。事前に知らされていた作戦なのだろう、次に何を始めるかと思えば、一様に袋の中身をじゃらじゃらと巾着や着物の袂に収め、空になった紙袋を天へ掲げたではないか。

 その直後であった。

 天守の土台である石垣、天守台の一列が内へと動き出し、やがて無機質な鉄の塊がむき出しとなった。隠し砲台だ。


「まずい……!」


 左近の声と重なり、耳をつんざく砲撃の爆音が風成軍を襲った。尾根一帯を照準に合わせた、無駄のない見事な攻勢。真正面に迫り来る砲弾。

 戦場に無常の風が吹いたと、左近は瞼を伏せかけた。

 伏せた馬面の半目に映ったのは、真っ白な壁――。


「いや、……筋、肉?」


 ばくん。

 ばくん、ばくんばくんばくん。

 

 地鳴りのあとの寸の間の静寂のあと、空気を飲み込むような、乾きのある音が円陣を支配した。

 いや、支配したのは音ではなく、鬼。


「お…に?」


 左近は目を瞠り、立ちはだかる白い彫刻を望んだ。

 石灰を固めたようなその巨像は、左近の遥か頭上に肩があり、その幅は実に左近の三倍。背中は滑らかに削ったような筋肉を携えている。その先にある小さな頭には鬼の象徴とも言える一本角。

 ばくん。

 これは、鬼が砂崩の砲弾を飲み込んだ音だった。


「なんと」


 尾根を見渡せば、白の巨像が砂崩を囲う。五百躰の鬼の影は集落を檻で閉じ込めるように山麓まで延びた。

 そう、頂きに並ぶは五百躰の鬼。

 風成軍へ撃たれた砲弾はひとつ残らず鬼の腹へ収まった。


「鬼はなんでも()らいますからねえ」


 月明は左近へにたりと意地悪な笑みを向けた。


「ほら、食べておかない左近が悪いんですよ」


 月明が扇子を指す方角へ左近が目をやると、かりんとうと呼ばれた菓子が地に散らばり、それをちまちまと鬼が拾って啖っている。


「な、何故だ。今まで袋ごと手に持っていたのに」


 それも腹がすいていたから、割としっかりと。それがいつの間にやら手を離れ、中身を鬼に啖われている。


「おい、紙袋はどこへいった」

「左近は愛でたくなるほど物わかりが悪い」

「あ!? 物わかりの悪い私にも、わかるように説明しろ!」

「俗に言う、式札というやつですよ」


 式札とは、陰陽師が式の神の使役に要する紙片を指す。

 つまり月明はかりんとうの紙袋を式札に利用したというのだ。五百名の兵士にかりんとうの袋をもたせ、砂崩を囲えば、五百名分の袋に式の神を喚び寄せられる。

 それもただの式の神ではない。鬼神と恐れられる、最も荒々しい神。もっともこの鬼神、源はこの砂崩を巣窟にしていた鬼共だ。

 月明の手にかかった御霊は式の神として操られる。

 虫も花も、人であろうが鬼であろうが、月明の息が続く限り、その魂は紙一枚、呪で繋がれる。


 魂の式神化――これこそ、神々が懼れる月明の異能。


 月明はこの地の鬼を我が手中に収めるため、昨年の掃討作戦に自ら参じていた。


「総てはこの日のために」


 月明は左近の前に立つ鬼の足へ手を置くと、すうと息をひき、谷底ヘと語り始めた。

 月明の声は鬼の声となり、山間へ滑り降りるように響き渡る。

 いつもながらに冷徹なその声色は、恐ろしい程美しい。


「さて、箸初めにいただいた砲弾ですが、腹に収まっただけでいまだ火は消えておりません。これからそちらへお返しするか、尻から下すか。そうですねえ」


 実に愉しそうに語るものである。まあ、月明の策略はのっけから決まっていた。


「降伏するならば、鬼は消しましょう。返答がなければ半刻に一歩ずつ、鬼をそちらへ向かわせます。そうですねえ、鬼の足でそちらまで一晩はかかるでしょうか。着き次第、再度返答を請いましょう。降伏か、はたまた――滅亡か」


 わざとらしく手を耳に添えてみる。天守からはなんの応答もなく赤い旗は消え、天守台の砲台も火が落ち静まり返っている。

 月明の大きな欠伸が日暮れがかった陽射しに気だるく橋をかけた。



「籠城ですか、良いでしょう」



 一層愉しげなその声は山びことなり、恐ろしいほど不帰峠に響き渡った。

 遥か遠くの向かい側で、近衛大将が口をあんぐりあけている様が窺える。月明はその口に放り込んでやるかの如く、最後の一声を軽快にあげた。


「みなさーん、お八つの時間ですよー」


 そう言って懐に収めていた紙袋を取り出すと、月明はぽりぽりとかりんとうを食べ始めた。五百名の兵士がそれに倣う。


 ぽり、ぽりぽり。


 その夜一晩中、かりんとうを噛み砕く音が砂崩一帯を支配した。

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