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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
栗鹿の子
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三‐鬼胎

 月明の出立は実にあっさりとしたものだった。

 奉公人を起こさぬようにと、鶏鳴の知らせもない日の入り前、ラクや目かけの神職などの従者をつけずに牛車一台、荷車一台で家の門をくぐった。その荷車にのっているのもほとんどがかりんとうの袋。牛の手綱を牽く役はふたりの舎人に任せ、まずは朝廷へと正路を上がっていく。

 月明が振り返ったのは一度きり。かまどに立ち昇る一筋の煙だけ。

 小御門家から当主が消えた朝は、鬼胎を抱くほどの静けさであった。





「鹿の子さん、ひと休みですか」

「あら久助さん。はい、今日の御饌が蒸しあがるまで、一息入れよう思て」


 月明が旅立ち半日が経った昼八つ時。

 かまどでは送り御膳に乗せる栗まんじゅうを蒸篭に入れたばかり。それもちょっとの間、煤汚れた着物で茶室を汚してはいけない。鹿の子は水屋で抹茶を点てて、すこし身体を休めていた。

 崩していた足を揃え、久助を出迎えるが。


「がるるるるるるるるるっ」


 西日射しこむ茶室に狐らしからぬうなり声が響き渡った。

 久助はふ、と含み笑いひとつ、納戸と水屋を繋ぐ上がり框に腰をかける。その膝元にすかさず鹿の子が茶器を滑らせ、クラマを叱った。


「こおら、神様に失礼ですよ」

「がるる!?」


 わしのほうがえらい神様やのに!?

 寸の間、愕然としたクラマであったが、


「そんなにお怒りにならなくても、茶室へは上がりませんよ」

「ぐるるるるるっるるるる」


 言うても久助の自信のあるこの口ぶりが気に入らず、クラマの喉は鳴りやまない。久助の本体が鹿の子に修復されてからというもの、クラマはこの式の神に大層厳しくしていた。

 そろそろ死期かと憐れみ多少の戯れは目をつぶっていたというのに近頃ぴんぴんしているし、なんでもえらそうだ。鹿の子との仲をどんなに邪魔しても取り合わない。まるで心が通っているからいいのですとでも語るようではないか。今の久助を茶室にあげたら、何が起きてもおかしくはない。鹿の子の唇が久助に奪われるなど、クラマは二度とごめんだった。気を失った鹿の子に冷や水を与えたいが、狐の口移しじゃあ牙で傷つけるだけ。久助にその役をなくなく譲った時のことを、いまだに根に持っている。故に夜食はやっても茶室には一歩も上がらせていない。

 クラマは可愛らしい三白眼を見事に吊り上げ、鹿の子のちいさい膝の上にちょこんと座った。見上げれば、その顔は上気し、嬉しそうに緩んでいる。クラマはより一層ふてくされた。

 鹿の子は蒸篭の湯気へちらりと目をやり、久助に尋ねた。


「朝廷へのご出仕はもうよろしいのですか」


 刻はまだ昼八つ、鹿の子の指摘は正しい。

 クラマは当主に任された役をさぼるなと、わふわふ耳でうなずく。


「これから本腰を入れなくてはなりません、今日はもう小御門に帰ってこれませんので。だからこそ間がある今、鹿の子さんに会いに来たのです」


 そう話しているときは鹿の子を愛しげにみつめていた久助であったが、このあとちょっと困った顔をした。

 月明が危惧していたとおり、遠征兵があお山を越えたあたりから、朝廷にて明らかに怪しい動きがあった。一部の仕官がひとかたまりになって何やら密談を始めているようなのだ。朝廷に残されたわずかな近衛兵は上官に買われ、居残っている可能性があるため信用に足らない。故に今日は一晩中、謀反者はいないか、重門(ちょうもん)の外へ出るものがいないか見張らなくてはならなかった。

 夜の間だけ鹿の子さんをお願いしますと、久助がクラマへ目くばせを送る。クラマは当然だと言わんばかりに黒豆の鼻をふんと鳴らせた。

 嫉妬深いお稲荷さまのことだ、鹿の子のそばから離れはしない。まあ心配はないだろうと納得をして、久助は最後に鹿の子へ注意を促した。


「戻りは明日の朝になります。鹿の子さんはそれまで、かまどから離れないでくださいね」

「はいな」


 言われなくとも、毎日毎晩かまどのはりつき虫なのだが。

 鹿の子は少し寂しそうにしてその背中を見送ると、久助が飲みかけた茶器の縁を、しばらく妬ましげに眺めた。




 *



 

 この日の仕込みは夜半遅くに終わった。このところしばらく土産菓子に手を焼いていたからこれでも早いほうだ。鹿の子はお稲荷さまのお残しを水屋でちゃっちゃかかっ込むと、今日こそははよ入ってはよ寝よと、いそいそ湯あみの身支度を始めた。

 鹿の子の体には昨日のかりんとうの仕込みの疲れがまだ染みついている。和三盆の砂糖研ぎもしんどいが、何百人分のかりんとうを仕込むには、たねをこねるのも揚げるのも難儀であった。まあ、みんなが喜んでくれたら儲けもんやと着替えの夜衣とこめぬかだけを持って水屋を出る。


「あ、でもその前に」


 鹿の子はかりんとうで、敵国へ向かう月明の後姿を思い出した。今朝かまどの格子窓からそっと見送っていたのだ。月明が乗り込んだ大きな牛車のあとに続く、荷車からのぞき見えるかりんとうの袋が印象的であった。

 遠征兵は五百人、この人数で戦地にたどり着くには一日かかると聞いている。今頃は山中で野営を張っていることだろう、この厳しい寒さのなかをかい巻きなしで眠っていると思うと、月明の身が心配でならない。

 鹿の子は草鞋をつっかけると、母家へは上がらずに戸口から拝殿へと向かった。

 その尻についてくるのはクラマ。


「あっ、あかんでしょう。いっしょにいるとこ、だれかにみつかったら叱られる。お義母さまの耳にでも入ったら追い出されますよ」

「こんん」


 クラマにとっちゃ、用心も用心だ。自分を祀る当主がいないと神様も心もとない。クラマはできるだけ離れぬように、鹿の子の足にすり付きながら歩いた。

 細い足首をふわふわと綿毛がくすぐる。しゃあないなあと鹿の子は嬉しそうに、クラマを抱き上げた。


「じゃあ、いっしょに拝んでくれる?」


 鹿の子は拝殿の浜床に足をつけると、クラマを膝にのせたまましゃがみ込み、懐からお財布を取り出した。小御門家で稼いだ小遣いではなく、実家で貯めていた小遣いだ。

 

「うーん、いくら納めたらええんやろか」


 手のひらに何枚か小銭を散らばせる。それを見たクラマは迷わず一弦銭をくわえ、これでええ、という顔をした。この戦、風成が負けることなどまずない話だ。月明の身に傷ひとつつくこともない。鹿の子が一弦でも納めれば、月明は衣裳を泥で汚すこともなく帰ってくることだろう。

 鹿の子は鹿の子でクラマのその顔に妙な不安を抱き、一弦ではとても足りない気がしてきた。クラマの牙の隙間から銭を取り返すと、それは財布にしまい、ずっしりとした千弦の丁銀を取り出す。クラマは自分の目が飛び出るかと思った。


「こんこん!」 こんだけあれば、甘酒何杯飲めると思ってんねん! とクラマは言いたい。


 しかし鹿の子にとっちゃ、なんの使い道もない小遣いだ。当主の身の安全のためならちっとも無駄じゃない。クラマを境内の砂利におろし、自分は向拝すると、鹿の子はなんのためらいもなく賽銭箱にえいっと丁銀放り投げ、ぱんぱん拝んだ。


「旦那様が無事に御戻りになりますように」


 クラマはやれやれとその願い、叶えてやった。

 このあとに起こることを先読みしていれば、千弦は別もんの願い事へ変えていたのに。

 白い毛玉はしばらく後悔にふけることとなる。


 ――このあと、すぐ。


 千弦納めれば無事だろう。さて心配事がなくなったと、鹿の子がかまどの土間を渡り、母家へ上がろうとしたその時だ。


「こんばんは、鹿の子さん」


 母家へ繋がる上がり框の上から、甲高い声で話しかけてきたのはお姑の雪。いつから立っていたのか、鹿の子の頭上にその狐顔があった。

 鹿の子はクラマが顔をだしてないやろかと慌てて足元をみた。見えるのは土汚れた自分の足だけ、白い毛玉はいない。

 クラマは随分前から母親の匂いをかぎ分け、本殿へと逃げ込んでいる。お稲荷さまとて、母親にこんな情けない姿、さらすわけにはいけないのである。

 それでも鹿の子はほかに叱られるようなことしてないやろうかと、納戸のほうへ顔をむけたり、火の不始末はないだろうかとかまどを見返したり忙しくした。


「なにをそんなに慌ててますの?」


 雪はそんな鹿の子のうろたえ顔にずいと近づくと、狐目を貼り付けるように、強い視線で小豆顔をみつめた。その視線は徐々に下り、首筋にぴたと留る。

 鹿の子は恐ろしくて恐ろしくて、一指も動かさずに立ち尽くすばかりだ。

 雪はその様子を楽しむようにくすくすと笑いながら、鹿の子の肩に片方の手を置いた。そしてまた何かを見透すようによりじっとりと首筋を目で辿る。

 雪の首が左へまわったあたりで、不気味なささやきが鹿の子の耳にかかった。


「ふふっ。みーつっけた」


 雪の指が鹿の子の首にのびる。その爪は獲物を狩る猫のように長く鋭い。

 雪の爪が引っ掻いたのは、御饌装束の襟。胸元まで、大胆にぐいと広げる。

 鹿の子の真っ白な首筋に現れたのは、淡い珊瑚色のはなびら――。


「とってもきれい。あなたも見て御覧なさい」


 そう言って、雪が取り出したのは唐模様の細工が美しい手鏡。定期的に鏡屋に磨かせているのだろう、くもり一つないその鏡のなかには鹿の子の肌が色濃く映った。

 白肌に染み付く、はなびらの痣。

 鹿の子は無意識に痣へ手を添えていた。


「知ってた?」

「……はい。目立つもんやので」

「この痣はいつから?」

「たしか……、十五の春やったと思います。気づいたら、ありました」

「なんで、痣がでたのかは知らんの」

「……はい。今までおおきな風邪をひいたことありませんし、怪我もとくに。疱瘡もかかったことありません」

「疱瘡、ねえ。疱瘡! 疱瘡、それや!」


 わざとらしく、今思い出したとばかりに帯を叩き、腹づつみをうつ。

 雪は鹿の子と一緒に映りこみながら、鏡越しに、にたりと笑った。



「桜疱瘡。――こう言えば、わかるか」



 鹿の子はきめの整った肌に、粟を生じるのを感じた。

 桜疱瘡――その名を口にするのも恐ろしい、流行り病。

 十五の冬、村に一瞬でひろまり、三ヶ月も老人たちを苦しめた病。じいさまの命を奪った疫病。十五の、冬に――。

 痣に添えられたままの鹿の子の手が少しずつ、少しずつ震えていく。

 雪はより白さを増した鹿の子の顔へ口づけるように唇を寄せ、そして言った。


「鹿の子さん。あんたが病の源や」


 鹿の子はばっ、と雪から離れ、かまどへと総身ごと突っ込んだ。幸いかまどは冬の寒さで冷え切っていたが、その拍子に雪の手鏡が回廊の板間に落ちてしまった。パリンとか細い音が、かまどに響き渡る。

 鹿の子は蚊の鳴くような声を絞り出すが、


「あ……、あ、お義母さま、申し訳ございませ」


 そんなことはお構いなしに、雪はしゃべり続ける。


「十五歳の冬。ちょうどその頃、糖堂のおとうさまと旅にでませんでした?」


 鹿の子は凍え震えた頭を必死にかき回し、思い返した。

 確かに厳しい花嫁修業の息抜きにと、とうさまの商いの同行についていったことがある。最後の旅行は十五の冬、糖堂より遥か南の熱いお国。なかでも一番長旅で、行って帰ってくるのにちょうど二か月ほどかかった。お国の名前は、そう――たしか、桜狩(さくらがり)


「桜疱瘡はな、桜狩っちゅうお国の荒神様がもたらす病や。なんでも若い娘にとり憑くそうで」

「わかい……む、すめ」

「そう! 鹿の子さんのような娘のはらわたに、一生染み付くんやて。ほんで三年に一度、病をまき散らすらしい」


 三年に一度。

 鹿の子はゆっくりと、十五にみっつ、足していった。

 真っ白な頭んなかでもわかる。

 十五で村に病が広まってから、今年でちょうど、三年。

 雪はめでたい祝言のように手を叩き、腹を揺らして笑った。


「あはは、鹿の子さん。言っちゃあ悪いけど、あなたは桜疱瘡にとり憑かれとる。そのはなびらの痣が何よりの証拠」


 そして奈落の底へと突き落とす。



「そろそろ風成に、桜疱瘡が流行りますなあ」



 雪が母家へ消えた後も、鹿の子はしばらくかまど石にひっついたまま、動けなかった。


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