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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
栗鹿の子
50/120

二‐かりんとう

 かりんとう

 旦那様の携帯食


 こね鉢に小麦粉、ふくらし粉、油にあか山の湧き水を入れてよく捏ねる。

 生地をまとめて、四半刻休ませる。

 生地を麺棒で伸ばして、うどんより少し太めに棒状に切ったものを、手でよじって角を丸くする。

 油でじっくり揚げる。

 次は飴。あったまった釜に黒蜜、醤油、水を入れて熱し、泡が出るまで待つ。大きい泡から小さい泡に変わったら、揚がったかりんとうを入れ手早く絡ませる。

 くっつかないように、網の上に広げて乾かす。



 *



 時候の挨拶に、はじめて境内の庭に霜柱がたった小御門神殿。

 巫女もかい巻きに足引っ込める寒さの朝ぼらけ。

 かまどは夏を知らせるように煙をもうもうと上げ、ばちばちと炭が火の太鼓を叩いていた。空気は陽炎のように揺らぎ、じっとりと重い。

 かまどの嫁は汗だくのどろんどろん。御饌装束は粉と油でぎっとんぎっとん。頭にくくった手ぬぐいは汗を含んでずんぐりとお団子頭に乗っている。


 かまどに冬はないのか。

 あったかそうでええなぁと呑気に覗いた下女に心の準備はない。


「ぎゃあああああああ!」


 下女が見下ろしたかまどの御出台には世にもおぞましい光景が広がっていた。今日は御神酒(おみき)をびっしゃん。そこらじゅうにぶちまける。

 だって蚕に慣れたと思うたら、今度は芋虫だ。御出し台いっぱいに白い芋虫がうようよ蠢いている。

 下女はかじかんだ指をおっ広げ、四つん這いになって母家へ引き返そうとしたが、こぼした神酒につるつると滑って進めない。誰か助けてくれないものかと、再びかまどをみたのがあかん。

 御出し台を避けると自然と納戸へ目がいく。

 そこには白い女の生足が二本、太ももの付け根からつま先まで、見事にでろんと転がっていた。


「ひぃいいいいいいいっ」


 ついにかまどに死人がでた。

 下女は舟を漕ぐように板間に尻を滑らせ逃げていった。

 その悲鳴にぴくり、二本足が動く。

 

「うう〜ん……、はっ! 鹿の子さんは!」


 死体がよだれを啜って飛び起きた。

 納戸で転がっていた二本足の正体は先日西の方へ住まいを移したはずの小薪。理由あって、いやないに等しいのだが、昨夜一晩かまどで過ごしている。忙しい鹿の子の手伝いをしているうちに納戸で力尽きてしまった。

 鹿の子の姿を探し、よっこら立ち上がる。

 小薪の目に映る御出し台では、昨夜と変わらず妖し婆さんと小豆洗いが小麦粉の生地をこねこね丸めている。それも終わりかけだ。

 鹿の子は御出し台を離れひとり釜の前で、ひぃひぃ息を上げながら菜箸を油に泳がせていた。


「あかん、この釜ひとつじゃあ、とても間に合えへん」


 そんなことをりんりん叫びながら。

 わたしも手伝います、そう言おうと小薪は身なりを整え御出し台へ近付くが、下女とすれ違いで母家から現れた人間に、注目の全てを奪われた。

 当主の月明だ。


「おはようございます、みなさん。はかどっていますか」


 これに息をのんで驚いたのは妖し連中だった。

 雪婆と火消し婆はぴたり手をとめ、米とぎ婆と小豆洗いはぎゅっと抱き合った。

 月明は明らかに自分らを眼中に入れて「みなさん」と言った。この十何年、自分らを空気のように扱っていたのに。

 なんにも見えちゃあいない鹿の子はそんなことおかまいなしに、真面目に返した。


「生地は成型できたんですけど……」


 油の海に菜箸を潜らせながら、うーんと唸る。

 生地をこねたり丸めたりするには妖しや小薪の手をかりてなんとか今、仕込みが終わるが、揚げるとなると釜はひとつ。それもこの菓子、じっくり揚げなくてはカリッと仕上がらないもんで、鹿の子はそれに焦っていた。

 期限である明日にはとても間に合わない。

 鹿の子は早いことすくい上げようとする菜箸を必死に堪えさせるという、ひとりの戦い始めたところだ。

 月明はわかりきったみたいに、ほうと感心したあと、ある提案を取り上げた。


「生地が出来上がったのなら、充分ですよ。場所を移しませんか」

「場所を?」


 お稲荷さまの御膳をこしらえる、神饌かまどのことだろうか。いくつも並ぶかまどを思い出し、鹿の子はぱぁあと花笑みを浮かべたのだが。


「なつみ燗に」


 そうはっきりと言い、月明は手に持っていた草履を土間の三和土にきっちり揃えて置いた。生地が詰め込まれた板重(ばんじゅう)を四、五枚重ねて持つと、そのまま戸口から出て行こうとする。

 月明は器用に戸を開けると、一度振り返り小薪に言付けた。


「残りはクマさんに持ってこさせてください。場所はわかりますね」

「は、はい。伝えておきます」


 寝ぼけ眼を無理やりこじ開け、小薪はこたえる。


「小薪さん、あなたも来るんですよ」

「は、はい?」

「それと火消し婆はすみません、もう少しだけ付き合ってくださいませんか。あとの皆さんは、お疲れ様でした」

「は、はい?」

「はい」「はぁ」

 

 うろたえる小薪や妖しには取り合わず、今度は鹿の子に言付ける。


「では、鹿の子さんも支度を。油はあちらで借りるので、その後に必要な材料と道具を揃えて来てください」


 的確に指示を出す月明はまるで、かまどを仕切る久助のようだ。みんなぽかんとその背中を見送るが。

 

「はい! ありがとうございます、久助さん!」


 本当に間違う娘がここにいた。

 鹿の子の威勢のいい返事のあとに、ガタンッと月明の持つ板重の角が戸にぶつかる。


 ばっさりと髪を切り、より美しさに磨きをかけた当主をいまだ従者と見紛うとは。


 ふらふらとおぼつかない足取りで出て行く当主に小薪ひとり、南無と手を合わせた。


 


 *




 なつみ燗の営業は小御門繁華街の門、木戸が開くと同時に始まる。しかしこの日のなつみ燗は馬足が通りかかる刻になっても出店の箱椅子が畳まれ、のれんも内に掛けられていた。戸口に貼られた黄ばんだ濾し返し紙にはでっかく休業中と書かれている。

 それやのに覗いてみると、奥の厨房ばかりがじゅわじゅわと妙に騒がしいし、明るいし、ええ匂いもする。暇な町民は開かん戸口にへばりつき、馬足はがっくりと肩を落として先を急いだ。

 

 なつみ燗の(くりや)ん中は実にかまどが五つ。茶屋の二階にある、宿場の客に振る舞う御膳もここで仕込むため、街の料亭も顔負けの広さだ。

 かまどのひとつは米炊きにひとつは汁物、しかし今日だけは五つぜんぶの釜に油が注がれていた。


「こっち揚がんで!」

「はい!」

「こっちも!」

「すんまへん、手ぇ二本しかないんですわ。火消し婆さん!」

「はい!」


 油と戦っているのはなつみ燗の大将の鉄と女将の夏海、弟子ふたりに鹿の子の五人。揚がったしりから生地を蜜に絡めているのが、小薪だ。

 火消し婆は薪をくべたり、小薪を手伝ったり、一番忙しい思いをしている。それでもちょっぴり嬉しそうだ。「火消し婆て誰やねん」なんて夏海のつっこみも笑って受け流している。

 クマは板重担ぎ入れた後すぐ、いつもの使いっ走りに小御門へ戻り、月明はと言えば。


「美味しい……」


 ぼそり、呟きながらつまみ食い。


「ちょっと旦那様っ! 手ぇとまってますよ!」

「失礼な、小薪さん。手は動いています」


 そう言っては口へ入れようとした菓子を袋へ移す。

 菓子の名前はかりんとう。

 鹿の子のとうさまが祝い着にしのばせていった、異国の手帖に書かれた揚げ菓子だ。

 手帖のなかでは白砂糖の蜜で作られているが、鹿の子はこれを黒蜜に置き換えた。すすんで選んだのではない、止むを得ずといったところだが、これが大当たり。

 出来上がったかりんとうは薄茶色で、ぼてっと重くて、一瞬ためらう見た目だが、味は月明のお墨付き。

 噛みごたえのいい、ざくざくとした生地には黒蜜独特の蜜が染み込んでいて、砕く度に香ばしさの後から甘みが追いかけてくる。揚げ菓子にこってりした蜜。このくどさがたまらない。

 腹持ちもいいから戦場で好まれるだろう。

 

 そう、この菓子は遠征兵の非常食として作られたものだ。

 月明が掲示した条件はみっつ。

 日持ちする。

 一口でつまめる。

 単価の安いもの。

 安いものを作るにはまず砂糖が大問題だ。金より高い白砂糖を使うわけにはいかない。黒蜜は和三盆糖から生まれた搾りかす、かまどに樽にして山ほど積まれている。鹿の子は使わざるを得なかったというわけだ。

 しかしこれが功を奏し、一度食べ出したら止まらない、鹿の子特製の黒蜜かりんとうが生まれた。

 月明もたいそう満足げに、絡めた蜜が乾いたものから順にひとつは口ん中へ、ひとつは袋へと詰めていった。

 この袋は月明が小御門家の奉公人に作らせ事前に用意していたものだ。

 (こうぞ)を原料とした和紙に植物の根っこや土を混ぜ、強度を増した奉書紙(ほうしょがみ)と呼ばれる紙を使っている。究極の和紙と謳われる、風成で一番高い紙だ。菓子は安く仕上がったのに、紙は高いのか。もちろん菓子を重宝するほかに理由はある。

 のちに小御門家の英雄譚となり、小御門繁華街の菓子店屋にもこの袋が使われるようになるが、何十年と先の話だ。


 日出の頃からはじまったかりんとう揚げは、なつみ燗の手伝いもあって、昼八つ時には終えることができた。


「みなさん、お疲れ様でした」


 みんながみんな、自分がこぼした汗まじりの土間に尻つく重労働やというのに、月明ひとり涼しげに黒蜜ついた指をぱんぱん払い、さっさと帰り支度を始めた。

 しかし肝心の袋詰めはあと半分終わっちゃいない。

 夏海がぜいはあ、月明に突っかかる。


「飽きたら放ったらかしてご帰宅とは、どういうこっちゃ。いくらなんでも酷すぎんで自分!」

「放ったらかしてなどおりませんよ。明日の分は詰め終わりました」

「ほんなら、これはどないすんねんな!」


 夏海が指差す先にあるのは、干棚に並べられたまんまの黒い行列。鹿の子もおどおど見守るが。


「なつみ燗への報酬ですよ。これだけあれば、今日一日店を休んだ分くらいは稼げるでしょう」


 月明はそう鼻で笑って、袋詰めが終わった分の板重を重ねていった。

 夏海がぽかん、としたのは寸の間。

 店から算盤とってきたかと思うと、小薪顔負けに玉を弾いていく。

 まとまった数のでかいこと。

 一日どころか、一週間はごろごろできそうだ。

 

「あんた!」

「お、おぅ」


 夏海が目をきらきら輝かせ、大将である鉄の首に巻きつく。

 

「黒蜜を使った菓子は安価で売り出したいんです、ぼったくりはやめてくださいよ」


 月明は呆れ顔で夏海へ忠言し、その顔を遠慮がちなものへ変えて、鹿の子へ向けた。


「お稲荷さまの御饌菓子に、黒蜜は使えません。捨てるくらいなら、なつみ燗に使ってもらいましょう。いいですよね、鹿の子さん」

「は、はい! もちろん!」


 鹿の子は月明の言わんとするところが、すぐにわかった。

 なつみ燗は小御門繁華街の看板茶屋だ。

 このかりんとうを皮切りにして、なつみ燗で黒蜜の菓子を売り続ければ、民の舌へ少しずつ黒蜜の味が馴染み、いずれは甘味が流行る。

 ――いつか月明が語った夢につながる。

 自分にその手伝いができる。そう思うだけで鹿の子の身体はぶるぶると武者震いをおこした。

 こうしちゃあいられないと懐紙を取り出し、土間に肘付き手帖を書き写していく。鹿の子の頭ん中には、ちっともかしこまってない、街で売りたい黒蜜菓子がぽんぽん浮かび上がった。

 月明はその気勢のあげように朗らかな笑みを送り、よっこら板重を担ぎ上げ、戸口へ向かうが。

 

「ありがとうございます! 久助さん!」


 鹿の子の威勢のいいお辞儀のあと、ガタンッとなつみ燗の戸に板重の角をぶつけた。


「いちんち同じ空気吸って働いてたんに?」


 あまりの見間違いように、小薪があんぐり口をあける。

 最後の最後まで式の神に間違われた当主が憐れに思い、小薪はおずおずと鹿の子へ打ち明けるも、


「鹿の子さん、ここにずっと居ったん、旦那様ですよ。ほら、髪短かったでしょう」

「いややわ、小薪ちゃん。旦那様が袋詰め手伝ってくれるわけないやないですか」


 鹿の子はからから笑って取り合わない。

 目を皿にして驚いたのは夏海と鉄。火消し婆に限っては、息をひいて泣き笑う。


 鹿の子の頭はかまど石より硬いと、思い知らされた一同であった。

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