終‐久助
落雁
小御門神殿の御紋菓子
作り方
和三盆糖を粉ふるいにかけて、さらさらにする。「しとり」役に御饌飴を入れ、よく混ぜる。
その中に寒梅粉を入れて、均一になるように手でもみ混ぜる。寒梅粉を入れると粉が固まり出すので、手早く、かつ力強く充分に。
落雁の味はもみで決まる。生地ができ上がったら、すぐに型押しすること。
打ち型に粉を均一に詰め込む。竹の皮を当てながら押し込んで、たいらにしていく。
金槌で落雁を打ち出したら、焙炉に入れて乾かす。
雨の日を避けて、乾燥した日に仕込むこと。
*
おさらいの祭り太鼓がどこからか鳴り響く日出。
落雁が札所にお披露目となったこの日、鹿の子は月明に呼び寄せられていた。いつものことながら、場所は幣殿。しかし月明は高座に居らず、立って鹿の子を出迎えた。手には大寄せ用の大きな大きな干菓子皿。
「この菓子をみていただきたい」
そう言って鹿の子と膝を突き合わせる格好で、同じ高さの冷たい板間に座った。二人の膝の狭間にあるのは、先ほど月明が手にもっていた皿だ。鹿の子はこの皿を本殿で久助の肩越しにみたことを、ぼんやりと憶えていた。
しかし、その姿形をはっきりと見るのは今日がはじめてのことだ。いざ相向かうと鹿の子がみたことのない組み合わせの菓子だった。
「羊羹に、雲平……?」
「その通り。さすがですね、見ただけでお分かりになるとは」
真正面から見た形は四角。真上から眺めればわたぐも。羊羹を雲型にくり抜き、その縁に干菓子の雲平を海苔巻きのように、ぐるりと巻きつけた菓子だ。みっちりと小豆が詰まった練り羊羹にぺったりと貼りつく群青色の雲平。二層の半生菓子。
月明はこの菓子の正体を、ゆっくりと明かした。
「先代が作り上げた創作菓子、名を青雲といいます」
「青雲……」
鹿の子の頭に青雲柄の着物がよぎる。久助が好んで着ている、藍染の小袖袴――。
差し向かいで月明は悲しげに瞼を伏せた。
「はい。これが、久助ですよ」
切れ端のため、僅かに尻すぼみだ。
それに菓子が乗っかる懐紙は、蜜が染みて萎びている。小豆色の蜜はまるで血液のよう――羊羹と雲平の隙間にも、切り傷のように蜜が浮いている。
痛々しいその姿に、鹿の子の目からぽろぽろと涙がこぼれた。御饌巫女の鹿の子には霊力がなくとも菓子の死期など、一瞬で見て取れる。
「どうか、治してやってください」
月明は板間に額をつけ、鹿の子へ願い出た。
月明の美しい御髪が久助を包み込むように菓子を囲う。
当主のその様相に、鹿の子は雷にうたれたように動きをとめた。
旦那様と久助さんはうり二つ。その片割れを失えば我が身を切り裂かれる思いだろう。
旦那様のために久助さんの命を繋がなければ――。
鹿の子は瞬きもせず、菓子一点をみつめた。
蜜が溢れ出しているのは羊羹。おそらくは熱に弱い砂糖と寒天が溶け、小豆と分離しているのだろう。水分が極めて少ない雲平を縁だけではなく全面に貼り付け吸収剤として補強すれば、砂糖が流れ出すのをせき止められる。
「お任せくださいませ」
鹿の子ははっきりとそう申し受けると、月明よりずっと小さく縮こまり、深く頭を垂れた。
*
「ここは……」
久助が長い睫毛を重たげに上げると、そこは見慣れぬ天井だった。いや、見渡せばすぐに茶室とわかったがしかし、主の月明に命じられ菓子へ戻ったのだから居るべき場所は本殿のはずだ。菓子へ還ったのは明け方、日の入りをみると一刻も経っていないというのに。首をひねりながら膝を立てると、身体がひょいと勝手に起き上がった。
軽い。なまりのように重かった身体がふわふわとひとりでに飛んでいきそうなほどに。
久助は奇妙な昂揚感を感じ、流動的に立ち上がった。
ぼう、としていた頭は霧か晴れたように冴えわたっている。
「鹿の子さん……、です、ね」
久助は蚊の鳴くような声で、そう呟いた。
「はい」
凛とした返事が被さった。
ちいさい小豆が久助を見上げている。
「お座りください。いま菓子をお持ちします」
間もなく盆にのってやってきたのは、まあるい団子が四つ並んで串に刺さった串団子。三本仲良く尻を揃えて現れると、盆から下ろされるなり久助は膝を立てそうになった。
耐えても手をつき、前のめりだ。
「黒蜜!」
「はいな」
久助に用意された菓子は黒蜜団子。
立ち昇る蜜の香りに久助はない腹の虫が鳴った気がした。
白い団子はねっとりと黒褐色のたれをまとい、肌はうっすらとしかみえない。これはたれの濃厚さを物語っている。
久助はごくりと喉を鳴らし、鹿の子の「どうぞ」を合図に串をひっつかんだ。
普段の美麗な様相からはおおよそ及びもつかない勢いで、久助は団子に食らいついていった。
「んく、……あっ」
久助はほっぺたをまるに膨らませたまま、咀嚼をとめて鹿の子を見上げた。
案の定、鹿の子はにんまりしたり顔。
久助はその顔が面白くて思わず団子ごと噴き出してしまいそうになった。鹿の子にとっちゃ心外も甚だしい。
「ひ、ひどい、笑うやなんて」
「いや、あまりに可愛いらしくて」
美味しくて。
してやられたりと、久助は心からそう思った。
馴染みのある鹿の子特製串団子に、絡みつくたれは黒蜜――と思いきや、微かに醤油の塩辛さが舌に貼りつく。
このたれ、黒蜜にしてみたらし。
みたらし好きの久助には、笑うしかない美味しさだった。
甘ったるさの樽のなかで、黒蜜特有の香り、渋みと醤油のしょっぱさが手を繋いで踊る。たれを思う存分楽しみ、ようやく団子を噛み砕けば、たれに米の旨みが覆いかぶさる。
もちもちと歯ごたえに戯れ飲み込めば、懐かしい黒砂糖の香りだけがあえかに残った。
「どうして、雑味として砂糖から取り除いた黒蜜が、こんなに美味しいんでしょうか」
久助は、和三盆作りについて言っている。
和三盆は原料糖から糖蜜を取り除いたものだ。
ぬりかべの背中に圧され出てきたのが糖蜜、つまり黒蜜だ。
この黒蜜、黒砂糖を水で溶かしたものよりずっと、濃くなめらかで上品だ。美味しい砂糖を作れば、美味しい黒蜜もできる。和三盆作りはなんにも無駄がでない、自然に優しい製法であった。
鹿の子がまた自信満々に、
「お砂糖はどこをとっても美味しい、ということではないでしょうか」
なんて満面の笑みでいうものだから、さすが砂糖売りの娘さんだと、久助も笑って手をうつしかない。もう何も考えまいと夢中になって三本ぺろっと平らげ、皿を縁の外へ返した。
「おかわり!」
「はいっ」
今日の久助の腹は三本では収まらない。
無理もない、本体の修復を終えた今の久助は植え替えた植物のようなものだ。根が水を欲するように、久助は砂糖を欲していた。それもこの黒蜜、はかばかしく血肉となっていくのがわかる。まるで本体の砂糖と黒蜜が融合し、原料へと戻っていくように、本来の姿へ還るようにするすると馴染んでいった。
十五夜のように積み上げられた団子を、吸い込むように食べていく。口を動かしながら、じっと見据えているのはいつもの通り茶筅をふる鹿の子の横顔。
「……おかしいですね」
「どうしました」
鹿の子が久助へ顎を向ければ、うっとりと瞼を半分落としている。
「鹿の子さんを見ているのに、こんなに愛しいと思うのに、砂糖が溶けていかない」
平凡な娘なら卒倒してしまいそうなその言葉に、鹿の子は熱の入りのない、ほがらかな笑みで返した。
「それは、よかった」
晴れ晴れしい鹿の子の顔に久助は、ああやっぱり自分は鹿の子さんに命を延ばされたのだと確信する。
「こんなに美味しい団子を食べることができたのですから、もう悔いはないのに」
「よしてください、もっと美味しい菓子はこの世に何千とあります」
それからほかほかとお茶っぱの湯気が昇り、久助の膝の前に茶器が置かれた。
「一緒に、作っていきましょう」
この時、とろとろに溶けた砂糖が外へ出れずに溢れ、久助の片目からぽろりと、一粒零れ落ちた。
*
この日、王都一帯は朝からお火焚き祭りに湧いていた。川にはお坊を乗せた宝船が流れ、繁華街の薪屋や飯屋は軒先でおこしを配る。小御門神殿は火難除けの護符を求めに参拝客で賑わっていた。やけに花めいているのは人垣の最後尾。賽銭握りしめた客がちいさい娘を囲い喜びのころろきを上げている。みな護符目当てというよりは、娘が配る菓子欲しさに並んでいるようだ。野良着を着たおっさんも信じられない様子で娘に尋ねた。
「ほんまに、もらってええんか」
「はい! 今日はお祭りなんで、特別ですよ」
娘の可愛らしい声にほだされ、ほんじゃまあひとつと取り板に乗った串を拾っていく。
娘の名は鹿の子。陰陽師宗家、小御門家の側室であり、煤汚れたかまどの嫁である。
「この菓子は我が小御門神殿の御紋菓子を作る際に生まれた、いわば弟菓子です。よかったら兄菓子の御紋菓子もみていってください」
ちゃっかり宣伝して、次の客へと移る。
この話をきいた参拝客は必ず御紋菓子を手にとって、銭さえあれば買っていった。弟菓子とやらのこの黒蜜団子が美味すぎるのだ。財布のゆるむ祭りともあって、十個五百弦と値のはる落雁が一弦のおみくじのように売れていった。
参拝客に黒蜜団子を配ろうと提案を取り上げたのは他でもない、久助だ。黒蜜は砂糖を作る際にでる捨て蜜、かかる費用は団子粉程度。月明も快く首を縦に振った。
その様子を巫女や下女はなんにも口を出さず、静かに見届けている。かまどの嫁があまりにも不憫で、罵りも口を衝いてこないのだ。
鹿の子が邸主であるはずの東の院。
その一角を間借りしていた小薪の母は再婚により、家族全員猫一匹連れて、小御門下にできた新しい薪屋へ住まいを移した。世話役の舎人や下女も他の院へ移され、東の院はもぬけの殻。
ではラクはどうしたかというと、なんと北の院へ足繁く通っているという噂がたっている。使い走りの頃ならまだしも、今は立派な当主の侍従。それも朝方、北の方角から拝殿へとやってくるので、北へ住まいを移したのではないかとまで言われている。今や東の院は朝から晩まで蔀戸が閉められ、ほんまのお化け屋敷だ。
巫女や下女、奉公人までみんな思う。
鹿の子はそのお化け屋敷を追い出され、狭いかまどでひとりぼっち。旦那様に見放され、あげく田舎から連れてきた御用人まで他の側室に奪われた。このまま誰も構わにゃ本当にかまどで枯れていくと。
巫女や下女は日が暮れ札所が閉まると、せめて鹿の子の今日の行いが姑にみつからないようにと、境内に落ちて散らばった串をそっと拾って、しずしずと拝殿へ消えていった。
祭り囃子が消え、篝火が赤く色付く宵の闇。
そんな裏舞台があったことなど知りもせず、鹿の子は空になった取り板抱えて突っ立ったまま、総身の火照りが鎮まるのを待っていた。
「また明日から、きばらな」
か細い独り言を呟く。
御紋菓子は売り切れだ、今夜にでも仕込めば和三盆糖の在庫が切れる。また実家から原料糖を仕入れて、それを待つ間にこし餡炊いて、飴練って。原料糖が届いたら、マメタコつぶれる砂糖研ぎ。
当分寝る暇も、考え事をする時間もなさそうだ。
今の鹿の子にとって、それはとても有難いことだった。
「鹿の子さん、いつまでも夜風にあたっていると、風邪をひいてしまいますよ」
夕拝を終えた久助が渡殿から鹿の子のちいさい影をみつけ、足早に近づく。
夜風なんてこの風成にはありゃしないのにと、鹿の子はひっそりと笑った。久助が鹿の子から取り板を奪えば、その手は氷のように冷たい。
お火焚き祭りのこの日、骨に沁み入る冬の寒さのはじまりでもあった。
反して鹿の子にしてみれば、久助の手は練ってる飴より熱い。鹿の子は闇に紛れ、冷たい手を久助の熱い胸へと添えた。
「溶けませんように、溶けませんように」
「はは、冷たいですよ、鹿の子さん」
「溶けませんように」
「鹿の子さん……?」
自分の顔を手に引き寄せ、久助の胸に埋まる格好になる。心の臓のあるべきところに耳をあてているのに、ちっとも聞こえやしない。それは久助が神であり、人の生きる理と無縁にある証拠だった。
それでも久助への想いは変わらない。
本体の菓子をみたって、心はちっとも揺らぎやしない。
鹿の子はそんな自分が誇らしかった。
菓子の神様に想いを寄せるだなんて、自分はこの世界の誰よりも御饌巫女に相応しいと思う。
どのみち、一生かまどの嫁。
務め上げてこそこの命、報われるだろう。
「ずっと溶けないで、久助さん」
とうさま、かあさま、ごめんなさい。
わたしは久助さんが、大好きです。




