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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
小御門神殿の御紋菓子
45/120

十二‐砂糖

 鹿の子はこくりと、小気味好い音をたてて生唾を飲み込んだ。

 落雁の頁を開き亥の一番、材料の並びののっけに、黒砂糖とはっきり書かれている。

 そこはかとなく褐色のあの砂糖が生成り色の落雁へ変わりゆくその過程。その意味するところ。手帖に伝う目が末へ下りると、鹿の子の手はまた震えていった。

 久助がこころもとなく、鹿の子へ尋ねる。


「どうしました」


 しかし鹿の子の声音は明るくはねた。


「すぐ……すぐ、仕込みに入ります! 久助さんはここに書いてある妖しさんに、声をかけていただけますか」

「妖、ですか」


 鹿の子に許しをもらい、久助が手帖にさらりと目を通すと、周りを見ずともにっこり笑った。


「みなさん、すでに顔を揃えていますよ」




 お稲荷さまの食事が終わり、食い散らかされた皿を下げ、かまどを通りすがった下女はその異様な光景にすってん、盆をひっくり返した。

 狭い狭い御出し台に白い布袋がうねうね、蚕のようにのたうちまわっている。蚕を手懐けようとしているのか、かまどの嫁は布袋をちいさな手で一生懸命こねくりまわしていた。内容物が滲みでているのか、布が白から茶色へ染まっていく。いつも美味そうやと涎を垂らしてかまどを覗き見ていたが、さすがに今日の御饌菓子はいらんわと、下女は散らばった皿をかき集め、逃げるようにして奥へと消えて行った。


「よいしょっ、こらしょ」

「どっこいしょ」


 下女と鹿の子の目には映らないが、今かまどでは三人の婆さまと一人のおっさんが肩をぶつけ合って布袋をもんでいる。木綿の布にくるまれているのは、黒砂糖。少量の水で手を濡らし、こうして布ごしに黒砂糖を練ることを「砂糖を研ぐ」という。

 

「美味しくなぁれ、美味しくなぁれ」


 鹿の子は赤子をあやすように、砂糖を研いでいった。

 ありったけの力をこめて手のひらを押し込む。揉まれて喜んでいるのか、布からじわりと糖蜜が浮き出る。

 ――わかる。

 手で揉む度に、黒砂糖が磨かれていく。「研ぐ」とはよく言ったものだ。尖がりが削られ、砂糖にまるみがでてくるのを鹿の子は手のひらで感じとっていた。


 先代の砂糖づくりは、極めて原始的なものだった。


 人肌で温めながら砂糖を研ぎ、かちこちに凝り固まった黒砂糖を柔らかくほぐす。次に研いだ砂糖を圧し石で圧して、黒砂糖に含まれる雑味、灰汁を取り除く。研ぎと圧しの繰り返し。研ぐ度、圧す度に砂糖が研ぎ澄まされていくというわけだ。

 しかしこの砂糖研ぎ、一回がどえらい苦労だ。婆さま達も小豆洗いも、ぜいはぁ息をあげて、ない汗を垂らした。頑固な岩をちょっとずつ、ちょっとずつ均して、跳ね返ってくる岩肌をまた圧し返す。手のひらは真っ赤っか、腕は骨まできしきし軋む。それでもみんな笑いながら、「よいしょっ、どっこいしょ」と手を動かした。鹿の子が、あまりにも楽しそうだから。

 鹿の子は天井に向けて弓引いたように、にっこり笑っていた。

 菓子の材料でしかなかった砂糖。

 その原料を直に触れ、あやす。

 砂糖は菓子の大黒柱。言わば源から、自分の手でこさえている。

 御饌巫女の鹿の子にとって、百姓が畑の土を耕しているようなものだ。

 土が立派なさとうきびを育てるように、この砂糖が美味しい菓子を生む。種をまいて水をやるように、材料測って仕込むだけじゃない。そう思うと鹿の子は涙が滲むほど、嬉しかった。

 先代の菓子手帖には、こうも書いてあった。

 落雁はこの世もあの世も関係なく万人のために作った菓子なのだと。


 先代が御紋菓子を生み出すに至ったひとつの物語が、菓子手帖のしおりとして挟まれていた。


 ――今朝、ちいさな赤ん坊を背負った女が、拝殿に長いこと座っていた。かまどからみて少し気になる程度だったのだが、そのうち他の参拝客が女の様子に悲鳴をあげ、境内はたちまち騒然となった。私が表へでたところ、巫女が言うにはどうやら背中の赤ん坊に息はなく、それも身罷られてから三日ほど経っているという。神職に両脇抱えられ、引きずられていく女に私は尋ねた。

「どうして、供養なさらないのですか」

 女は言った。

「子は親より先に死ぬと、地獄へ堕ちるとききました。可哀想やから、埋められへんのです」

 女は赤ん坊の御霊がこの世に居れるよう、お稲荷さまへの供物に、笊一杯の米を差し出したという。

 私は言った。

「埋めようが、背負っていようが、子の御霊はすでにこの世にありません。そればかりか母親のあなたがしっかり導いてやらないと、坊はあの世で迷い子となり、さらなる苦難が待っていますよ」

 女は泣いた。そこへいらっしゃった旦那様にわけを話すと、坊を供養してくださるという。旦那様に連れられ、拝殿へ向かう女はすれ違い様、こう言った。

「せめて、息子が喜ぶお供えもんをさせてください」

 あつかましい、と神職や巫女は女を虐げたが、旦那様は私へやんわりと頭を下げた。「こさえてやってください」そんな顔をして。

 私はこの時、ひどく悩んだ。

 だって相手は赤ん坊なのだから。

 硬い米なんて腹壊すし、餅は喉に詰まらせる。飴も同じだ。きな粉はむせて、泣き出すだろう。

 霊界には米粒が届かないとか、餅なら届くとか今は考えても仕方のないことだった。

 思い巡らせようやく導き出せた答えが、落雁。

 粉、水、砂糖。乳児が食べれる材料で出来ている。歯がなくてもしゃぶれば溶ける。

 落雁――思えば、落雁とは大事な人に供えるに、かかせぬ供物。

 何百年も前から落雁を供物にした先人の思慮の深さに畏れた瞬間だった。

 落雁はただ日持ちするだけではない。銭が高いだけのお供え物じゃない。

 歯がない赤ん坊も年寄りも喜んで食べることができる。万人のために、生み出された供物――それが、落雁だったのだ。

 いざ幣殿へ運ぶと、ありきたりな落雁にみんなはがっかりしていたけれど、女には伝わったようだった。旦那様にも。旦那様は、ひっそりと私へうちあけた。

「落雁をひろめましょう、この小御門神殿で」と――



 鹿の子は思う。この時の落雁に栗の蜜が入っていたら、赤ん坊は渋くて泣いたことだろう。それを思い描いた女は赤ん坊が哀れで、憤慨したことだろう。

 脈立つ鹿の子の手の甲に、涙が一粒おちた。


「わたしは、わたしは、なんも知らんと……っ」


 何が頓悟だ。

 鹿の子は御饌のしきたりを悟った気になっていた、自分を責めた。何にもわかっていなかった。先代が大切にしていたしきたり、何も知らんでかまどに立っていた。

 先代の御饌のしきたり――それは、




 菓子はいつだって、食べる人のために作ること。




 銭を出す人間のために作るのではない。銭の対価になるものを作るのではない。

 菓子を口にする人間、それだけを想いひたすら作り続ける。

 童子の戯言のようなその文句を思い出す度に、鹿の子は目頭を熱くした。


「こんな当たり前なこと、気付けんかったやなんて……っ」


 自分を追い立てるような呟きに、周りの婆さま等が顔を上げたが、鹿の子の顔は晴れ晴れしく笑っていたから、手は休めなかった。

 つきっきりの久助も、御出し台に水をまきながら、何も言わず温かく見守っていた。


 鹿の子は手帖の中身を振り返りながら、また思う。

 先代は御饌のしきたりに、神々しいほどひたむきだった。

 銭を出して買ってくれる参拝客、御饌巫女はその懐の先を見据えなければならない。

 雛あられにちまき。月見団子にお火焚きおこし、新年には鏡餅。

 お稲荷さまの御饌菓子を作る合間合間に、季節の菓子を札所に置いた。

 特に落雁への思い入れは強い。

 赤ん坊から長老さままで美味しくいただける菓子でなくてはならない。それも通年客に出す、小御門の名を背負った菓子だ。

 しかし落雁の材料は粉、水、砂糖。

 粉は風成でその年一番のもち米から作られた寒梅粉。水はあかやまの湧き水。

 そして砂糖――。

 先代は糖堂の砂糖を手のひらにのせ、考えた。この砂糖、もう少し細かくできないだろうか。細かければ細かいほど、舌触りがいいに違いない。先代は白砂糖を石臼で挽いて、噴いた砂糖にむせた。舌触りはよくなったが、今度は後味が安っぽい。やはり原料から調べねば。黒砂糖を取り寄せた先代は両手をあげて卒倒した。こんな汚い色して、雑味だらけの黒砂糖をどうして真っ白で美味しい白砂糖にできるのか。

 それも先代が見据える先は白砂糖よりもっと先のなにか――。

 先代は諦めることを知らず、御饌菓子作りの傍らで砂糖をこねくりまわしては、あぐねる日々を繰り返した。

 先代はこの、独自の精糖方法を生み出すまでにおよそ五年を費やしている。

 探すまでに三年。元は山向こうの、桃李というお国の製法だ。


 その名も、和三盆。

 盆(研ぎ台)の上で三回研ぐから、和三盆。


 製法をみつけてからというもの、先代は御饌の仕込みの後、夜中のほとんどを精糖に費やした。更に砂糖研ぎを三回から五回に増やして、圧しも長くした。圧しきった砂糖をなんべんも振るいにかけて、手間を増やした。この製法と、落雁の分量に辿り着くまでに二年。

 この五年、十八の鹿の子には途方もなく長い年月に感じられた。

 砂糖作りから始まる先代の落雁――ひとりでは到底辿り着けなかったことだろう。


「お会いしたいなぁ」

 

 先代に会ってお話したい。聞きたい。菓子のこと。御饌巫女のこと。小御門のこと。

 先代の御饌巫女が月明の実母であり、亡くなっていることを一欠片も知らない鹿の子は、引退して風成のどこかに居るのだと思い込んでいる。せっせと砂糖を研ぎながら、まずは何を話そうかとうきうき考え巡らせていった。

 こうして一日かけて研いだ砂糖はひとつにまとめられ、ぬりかべの尻に敷かれる。圧し石の代わりだ。

 ぬりかべはぴっちり地と平行に寝るから、まんべんなく圧がかかるのだと、先代の手帖に書かれていた。

 先代がぬりかべを呼んだのは、こういうわけだったのかと、小豆洗いは腕をくんで頷いた。


「ぬーりーかーべー」


 たまに寝言がうるさいから、家鳴りがびっくりして足を滑らすが、聞こえない鹿の子には関係のないことだった。

 


 *



 和三盆ならぬ和五盆糖は五日研いで、五日圧して実に十日。年の暮れに足をかけた師走のはじめに出来上がった。

 この日クラマは一匹、つくばいの前でちんまり狛犬のように佇んでいた。

 気が遠くなるほど暇だが、耐えている。

 だってぬりかべが圧している間もかまどの嫁に暇はない。飴を練って、こし餡練って。最後に砂糖を研いだ日の鹿の子の腕はもう、胸から上に持ち上がらなかった。それでも御饌はちゃんと旬のものが上がってくるのだから、クラマは「遊んで」なんて我儘、ちっとも言えない。それ以前に我儘を言うた日にゃ鹿の子を死なせるとこだったので、クラマは反省も大反省。文句の「こん」ひとつ言わず、たまに暇つぶしに自分の尻尾をくるくる追いかけて、数を数えたりしていた。


「キツネも走る、師走? うふふ、おいで」


 そこへ鹿の子が現れた。

 昼も合間に鹿の子がかまどを離れ、会いにきてくれた。クラマはぐりんぐりん尻尾をまわし、煤だらけの御饌装束に飛びついた。相変わらず小豆に濃いクマこさえた疲れ顔だが、表情ははつらつとしている。その胸元には両手で作った器。なんや珍しい、味見やろかと鼻をすんすん鳴らし、器のなかを覗き込めば――、

 手のなかには、白い砂。


「こんん?」


 クラマはこの砂がなにか、寝入りしなの敷妙のなかで鹿の子から聞いて知っている。鹿の子の郷里にはこれと同じ砂が、砂利のかわりだ。それを鹿の子は砂浜と言った。砂の向こうには百年かけても飲みきれない水がある。鹿の子はそれを、海と呼んだ。砂も海も知っているが目で見るのは始めてだ。『実家の糖堂が送ってきたのだろうか』と三白眼をぱちぱちするクラマに、鹿の子は口元を緩めこう言った。


「砂に似てるけど、お砂糖ですよ。甘いから舐めてみ」


 なんと、砂糖。このさらさらした砂が。

 クラマはじゅるりと舌でよだれを舐めとった。

 ためらいもせず濡れた黒豆の鼻に、ちょこんと砂をのっける。たちまち黒豆は真っ白だ。こそばゆくて、べろんと舐めたクラマは全身の毛をぴりりと電流を流したように総毛立たせた。

 ――さ、とう?

 キツネの舌にのっかった砂は、すぅ、と儚く消えてしまった。砂の糖と書くのに、じゃりじゃりと歯ぐきに挟まる粒感がまったくない。そして砂糖特有の、上顎にいつまでもはりつくくどさがなく、水のように舌が潤うだけだった。


「こんっ、こん!」


 もっと! ほてほて鹿の子の膝を蹴る。クラマは手のひらの器の砂糖を一粒残らず舐めとった。美味しい。砂糖だけでこんなに美味しいのだ、菓子になったらどれだけ美味くなるだろう。舐めた砂糖は刹那に消える。名残惜しくて鹿の子の手のひらを舐めまわしたクラマは、僅かに感じとった鉄臭い匂いに、舌をとめた。

 手のひらに目を落とせば、あちこちにできたたこが潰れ、血が滲んでいる。

 この砂糖を作るには、こんなにも身体を痛めつけなあかんのか。

 きゅうん、と手のひらに鼻っぱしを下げたクラマをみて、鹿の子は満足げに笑った。鹿の子にはこんな傷、なんとも思わない。


「ふふふっ、美味しいでしょう? 糖堂のさとうきびから、こんな美味しい砂糖ができるなんて。わたしが、作れたやなんて」


 鹿の子はクラマの両前足を手にとり、くるくる回った。すぐに目を回し、よろけて尻餅をつく。頬に弾け飛んだ喜びの涙をクラマが舐めると、鹿の子はぎゅう、とクラマを抱き締め、絞り出すように吠えた。


「すっごく、幸せ!」


 クラマは鹿の子のうすい胸板の中で長い舌をしまい、ぎりりと歯噛みした。

 ――幸せなんは、わしや。

 鹿の子がいるから、この砂糖に出会えた。毎日、当たり前のように美味い御饌を食べられる。大嫌いだった梅干しだって、今ではそのまま食べられる。それは全て、血を流してまで気張る鹿の子のお陰だ。

 神より尊くて、愛しくて、遠い人――。


 歯噛みだけでは耐えきれず、クラマはほろりとキツネの涙を落とした。


最後までお読みいただきありがとうございます。

私ごとにはなるのですが、

「食べる人間の顔を思い浮かべて作れ」

これが働いていた製菓店のシェフの口癖で、本日ついに引用させていただきました。

個人店の店先で、その日がお誕生日の子の名前が書かれているのを、みたことはありませんか。

私がいたお店では、その子の名前を口にしながら、生クリーム絞っていました。

「◯◯くん、一丁あがり!」なんて。

製造業として当然のことなんですけど、とても大切なことだと思います。

その頃を思い出し、勢いついでに書いてしまいました。

失礼しました、次話、ようやく御紋菓子召し上がっていただきます!

宜しくお願い致します〜!

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