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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
小御門神殿の御紋菓子
42/120

九‐賀茂乃

 十日過ぎ、かまど休み。

 鹿の子は火の落ちたかまどを眺めながら独り突っ立っていた。手元にはかあさまからの返し文。


 ――先代の発注書を調べました。先代は製糖する前の原料糖を仕入れていたようです。うちは収穫したらすぐに製糖するでしょう。今はないけど、さとうきびの収穫はちょうど明日に始まる。搾ったらすぐにそちらへ送ります。

 家のもん総出で蔵のなか調べたんですから、美味しい菓子ができたら、うちにも送りなさい!――



 砂糖は鮮度が大事だ。糖堂では収穫した順から搾って炊いていく。この文が届いたのは八日前。灰汁抜きに半月はかかるから、原料糖が送られてくるのは今日から七日後ということになる。

 原料糖が糖堂から運ばれてくるその前に、鹿の子には解き明かすべきことがあった。


 参拝にいらっしゃったお客様が落雁に求めるもの。


 落雁といえば、日持ちするお供え物だ。糖堂では盂蘭盆になると、あちこちで型抜きにカンカンという音が聞こえた。

 取り処はひとつ。日持ちすること。

 小御門神殿の御紋を背負うという点以外は恋結びとなんら変わりはない。菓子ばかり作ってきた鹿の子には、その程度の考えにしか及ばなかった。呪をかけず、砂糖だけで有り難みのある菓子にするには、このかまどでどんな魔法をかければよいのだろうか。


「かまどさん、……あなたは、知ってる?」


 鹿の子はかまどに耳をあて、両手いっぱい広げてひっついた。

 先代はもちろんのこと、何百年と火を焚き続けている御饌かまど。声がきこえたら、きっと教えてくれるのに。

 かまど石は冷たいばかりで何も答えてくれない。


「はぁ……、頭痛なってきた。黒砂糖舐めたいなぁ」


 ふと、郷里と共に幼馴染の派手な顔立ちが頭に浮かんだ。

 ラクはお火焚き饅頭を供物にする理由を修行で学び、知っていた。尋ねれば落雁について何か分かるかもしれない。

 

 ――黒砂糖食べたなったら、いつでも来いや。


 鹿の子はラクの言葉を胸に抱きしめ、草鞋つっかけ東へと飛び出した。

 その帯をおっかけクラマが走る。

 ラクはこの日、月明の御使いに賀茂乃まで足を延ばしている。帰りは日暮れになるだろう。東の院でラクを待つ暇があるなら、遊んで欲しい。それにもう、大木に縄で繋がれるのはこりごりだ。クラマは尻尾ふりひり引き止めた。

 (じゃ)れるクラマに一瞬心が揺らいだ鹿の子であったが、遊んでいる暇があったら何か手掛かりが欲しい。

 鹿の子はその場にしゃがみ込み、クラマと目線を合わせた。


「クラマ、ごめんね? わたしどうしてもラクに会わなあかんの」

「コンンッ」


 だから、ラクは賀茂乃だ。

 賀茂乃――クラマのふわふわの頭に、賀茂乃神殿が思い浮かぶ。東を(つかさど)る神獣、少しばかり小さいが、いい遊び相手になりそうだ。


「コンコン」

「どうしたん、悪いお顔して――、あっ!」


 クラマは鹿の子のお団子頭に飛びつくと、ラクにもらった紅裂をひっこ抜き、境内の外へと駆け走っていった。

 




 *




 

 朝廷を中心点に五芒星を描きながら建立された五つの神殿。北の頂点が小御門神殿なら、東の頂点賀茂乃神殿まで鹿の子の足で二刻。小走りでクラマを追いかけ続け、辿り着いたのは神殿の長い階段だ。その先にある小さな鳥居を振り仰いだ鹿の子は立ちくらみで膝が砕けた。賀茂乃神殿の階段は実に小御門の三倍。


「コンコン」

「ま、まって」

「コンン……コン!」


 それでも再び立ち上がり、必死についてくる鹿の子に「そんなにラクに会いたいんか」と妬いて、クラマは一気に階段を駆け上がった。

 頂で待っていたのは、真っ白しろな白ウサギ。ウサギはクラマをみつけるなり、垂らしていた耳をぴーんとおっ立てた。


『お稲荷さま!?』

『うむ』


 白ウサギの真っ赤な瞳からぽたぽたと清らかな涙が垂れた。御姿が変わられたことは感じとっていたが、目の当たりにしてみればなんと可愛らし……おいたわしいお姿。

 クラマはふん、と黒豆の鼻を鳴らし、ほてほて白ウサギに歩み寄った。


『キツネになったところで、ほれほれっ』

『ひゃあんっ、やめてぇえ』


 前足で白ウサギの耳の付け根をふにふに撫でる。耳の付け根は白ウサギの急所だ。撫でられるとことのほか気持ちがいい。加え、今のクラマは人間のごつごつした指ではなく、ふにふにの肉球だ。

 たまらず逃げ出す白ウサギ。


『堪忍してくださぃい』

『あっ、こらまて!』


 クラマは舌なめずりをして白ウサギの後を追った。他でもない、境内で鬼ごっこをしに賀茂乃まで足をのばしたのだから。クラマはこの半月、本殿と鹿の子の御寝所を行ったり来たりの引きこもり。神霊ならば問題はないが、クラマは生身のキツネに憑依している。キツネの身体は「走りたい! あんよがうずうずするっ!」という欲望に満ち溢れていた。

 一羽と一匹は向拝柱をくるくる回り、回り回って境内の奥深くへと走り抜けていく。

 鹿の子がひゅうひゅう喉を鳴らし、階段を登りきる頃には足跡も消えていた。


「クラマ、ど、こ?」


 鹿の子は疲労と困憊でもうろうとしながら、紅裂咥えた白い毛玉を探した。されどその姿はどこにもない。追えば待ってくれた飼いキツネをついに見失ってしまった。鹿の子はもう一歩も歩けずに、その場にへたり込んだ。

 ラクからもらった、初めての贈り物。

 なくした後で大切さを思い知った。

 ラクを失いたくない。それでもやっぱり久助さんが好きだ。心のなかでぐるぐる混ざり合い、涙を呼び起こす。

 残された僅かな気力でえんえん、声に出して泣く姿はまるで迷子の大童のようであった。

 泣き声をききつけ、幣殿から現れたのはうら若き姫君。

 賀茂乃家、六の君。名を京菜(きょうな)という。

 巫女装束に扇模様の袿を羽織った京菜は冬日和の境内に眩しすぎる美しさだ。

 泣きわめく鹿の子をみつけた京菜は、あらまあ可哀想にと手拭い握りしめ駆け寄った。


「どうなさったの? 悲しいことでもあった?」


 優しさに溢れた柔らかい声色に、鹿の子の小豆顔があがる。

 すす汚れの白装束にほつれたお団子頭、なにより貧相な小豆顔。京菜はより鹿の子を不憫に思った。

 

「こちらへどうぞ」


 京菜は鹿の子の肩を抱き、母家の出居へと連れ立っていった。その背後でころころ転がる一羽と一匹の毛玉。

 

『きゃーっ、きゃ? お稲荷さま?』

『……呼んでくるか』


 一頻り遊び尽くしたクラマはすんすん鼻をきかせ、賀茂乃下をかけ走っていった。

 散々弄られ置き去りにされた白ウサギはつまらない。お稲荷さまと語らう度、話題にのぼる鹿の子という娘でも見に行こうかと、白ウサギは母家へ向かう。

 噂の鹿の子は出居に腰を据える頃にはすっかり我に返り、顔が真っ赤っか。その様子を庭から覗き見た白ウサギはなるほど美味そうな小豆だと独り頷いた。


「はい、どうぞ」


 京菜が鹿の子に出したのは下女に点てさせた抹茶と菊型の落雁であった。落雁を一目みた鹿の子は疲れと恥の念をぽいと捨て、りんりん吠えた。


「落雁!」


 京菜は菓子にかぶりついた鹿の子を憐憫と見据えた。無理もない、落雁は高価な砂糖菓子だ、平民の口には入らない。くすくす笑いながら、京菜は自分の分も鹿の子の菓子皿へ移してやった。

 

「御供菓子とはよく言ったものです。値ははりますが、落雁は供物にするだけの理由があるのですよ」

「理由?」

「落雁は盂蘭盆の供物として広く知られていますが、盂蘭盆に限っての話ではありません。死者へ捧げることに意味があるのです」


 落雁を啄ばみながら真摯に耳を傾ける鹿の子に、京菜はやさしく説き伏せていった。

 神饌の代表的な米や酒は神界にしか届かない。そのはるか下層の死者へ米を届けるには、餅のように練り固めたり、打ち菓子のように加工しなければならない。


「美味しいお米が食べられないのなら、甘い菓子を食べさせてあげたい。落雁にはそういった先人の想いが、込められているのです」

「では、落雁は亡くなられた方に食べてもらうために」

「はい。そして私たちは同じものを食すことで、死者と心を寄せ合うことができるのです」


 思わぬ時と場所で、落雁の答えを得た鹿の子は再び目に涙を溜めた。

 なにも知らずにお供えしていた。

 なんにも知らずに、作っていた。

 粉と砂糖を固めただけの落雁には、そのふたつを固めただけの理由があったのだ。

 ――異物を込めてはならない。

 北の方の言葉の意味が今、ようやくに心へ沁みていった。

 涙を退こうと喉に熱々の抹茶を流し込む。落雁の甘みを爽やかに拭い去っていく抹茶は芯から冷えた鹿の子の身体をやおらに温めていった。

 心身ともに落ち着きを取り戻したのを見計らい、京菜は鹿の子に尋ねる。


「あなたのお名前は? 参拝にいらしたのかしら?」


 境内に響き渡る声で泣いていたのだ、よほど辛いことがあったのだろうと京菜は思う。しかし鹿の子の口からは驚きの答えが発せられた。


「あっ、わ、わたし、小御門東の院、鹿の子と申します。この度はお恥ずかしい姿を見せてしまいました」

「小御門……ですって?」


 京菜の美しい形相にしわが犇めく。


「はい。こちらは賀茂乃神殿でよろしかったでしょうか。わたしのような名乗らぬものに優しくしていただき、ありがとうございます」


 深々と頭を下げ、改めて顔を突き合わせた鹿の子はひぃっと後ろにのっぴいた。えらい気だてのいい器量よしやと思うていた京菜が、姑も驚く鬼の顔。


「ご冗談でしょ? どうみても私より年下じゃない! あなたおいくつなの?」

「じゅ、じゅうはちです」

「十八……? ふ、ふたつも上」


 目を疑い、眉を顰める。

 鹿の子は小薪と同年ときいて少し救われたが、京菜は食ってかかった。


「う、うそよ……っ、霊力の欠片もないじゃない! あなたがお姉さまと並べるはずがないわ!」

「お姉さま? もしかして、南の方の妹さ

までいらっしゃいますか」


 鹿の子は側室茶会を思い出し、やんわりと笑った。

 南の方は賀茂乃家の一の君。ここは賀茂乃神殿なのだからご兄弟がいらして当然のことだ。

 

「南の方も箱の中の素顔は京菜さんのようにお綺麗なのでしょうね」

「はっ、あんな顔と一緒にしないでよ。天は二物を与えずって言うでしょ」


 歯に衣着せず言葉を吐き捨てるも、鹿の子が姉の姿を見ていることに疑念を抱く。京菜の姉は邸に結界を張るほどの人嫌いだ、務め以外に姿を晒すことなどあるのだろうか。


「お姉さまをご存知なら、あなた本当に側室……? でも、霊力が」

「南の方とは一度だけ、茶会で。それにわたしは御饌巫女です。陰陽師ではありません」

「御饌? 巫女、が、側室……」


 必死で理解しようと言葉を噛み砕き、京菜の目は猫のように泳いだ。着物がすす汚れているのは、かまどに立っているからだという考えに辿り着く。よく見りゃ白い単衣は花嫁にしたてるような高級織物。


「側室とわかっていたなら、邸にあげなかったわよ!」


 次にはそう吐き捨てた。

 京菜は姉である南の方の輿入れの際、月明に一目で惚れている。小御門家の側室の習わしは知っているが、それでも婚姻関係にある側室の身分に嫉妬していた。

 さっさと帰って頂戴と、送りの牛車も出さずに鹿の子を追い出そうとしたその時だ。出居の簾がなんの知らせもなくあいた。


「きゃあ!?」

「わっ、待っ! すんまへん!」

「い、いやっ、やめて! 白拓(はくたく)、助けて!」


 京菜に飛びつき、ほてほて前足を掻くは白キツネ。キツネを追い出居へ入ってきたのはラクだ。

 白拓と呼ばれた白ウサギは庭の椿に隠れたまま、助けを求める当主の娘をただ見ていることしかできなかった。


『京菜はん……ごめんな』


 お稲荷さまの爪、痛くなさそうやし。

 傍観するウサギに見兼ね、ラクがクラマの首根っこを掴んだ。

 団子虫のように空で足を遊ばせるクラマ。


「は……? き、きつね?」


 京菜がおずおずと目をあければ、ふわふわと白い毛が辺りに飛んでいた。得たいが知れずのっけは驚いたが、遠巻きに見ればとってもまるまるとして可愛いらしい。

 京菜はおぼつかない手つきでクラマのおでこを撫でながら、ラクへ尋ねた。


「この仔は、なんなの?」

「とんだ無礼をお許しください。小御門東の院の飼いい……キツネでございます。邸を逃げ出し、偶然こちらに辿り着いたようでして」

「そういうあなたは」

「申し遅れました、わたくし小御門東の院御用人、落雁と申します。奥方を迎えに上がりました」

「落雁……?」


 ご無事でしたかと、鹿の子の手をとるラクは慈愛に満ち溢れていて、京菜は思わずほぅと羨望の溜息をこぼした。

 どうやら鹿の子という、目の前の貧相な小豆は本物の側室で間違いない。見ている方が恥ずかしいほど御用人と親密なのだから。落雁を食す時、なにやら愛しげな表情をみせていた鹿の子を思い出し、京菜は独り悶えた。

 また鹿の子は無邪気なことを言う。


「ラク、わたしね、京菜さんに落雁のこと教えてもらったんよ!」

「はいはい、よかったですね。はよ帰らな夕拝の時間に間に合いませんよ」

「ひゃ!?」


 ラクに肩を抱かれた鹿の子の顔は真っ赤に腫れ上がり、それを見た白拓はまたこりゃ美味そうだと頷いた。





 京菜はやみくもに嫉んだ自分を恥ずかしく思い、当主に事情を通さぬまま、裏門から二人と一匹を快く送り出した。


「お気をつけて」

「あ、そうや、これ」


 鹿の子は懐からふくさを取り出すと、中に折りたたまれた懐紙ごと京菜へ差し出した。


「これは?」

「試作した落雁なんですけど、よかったら」


 落雁が京菜の手に渡ると、馬はすぐに走り出し、見えなくなってしまった。一人残された京菜は純粋に御饌巫女がつくる菓子に興味が惹かれ、その場で包みを開いた。

 懐紙の白に映える、やわらかな生成り色。その円柱の菓子には小御門の家紋がうっすらと浮き出ている。間違いなくこれは落雁で、小御門の御饌菓子なのだと(わきま)え、京菜は用心深く口へともっていった。


「へ……っ」


 歯と落雁の狭間でこくり、音が鳴った。

 京菜の知る落雁とは無機質な冷ややかさのある菓子だ。

 しかし、たった今口にした落雁は、なんとも温かみのある歯触りだ。それに――、


「これは、きな粉……?」


 芳ばしい大豆の香りが口のなかに拡がった。

 鹿の子がこの試作の落雁に入れたのは、京菜が呟いたとおりきな粉だ。生成り色と香りに惚れて混ぜ、本人も気に入っていたのだが、それは京菜の話を聞くまで。その後の鹿の子は大豆を米に混ぜたらあかん気がして、あっさり置いていった。

 置いていったが、味はほんまもんだ。

 泡沫の形を一噛みで崩せば、砂のようにたおやかに散る。米粉にねっとり絡むきな粉は舌でまるめれば餅のよう。最後に歯や歯肉にこびりつくきな粉を丁寧に舐めとって、京菜は恍惚とした笑みを浮かべた。


「御饌菓子って、こんなに美味しいの」


 遠のく馬の足音に侘しさを感じながら、京菜は作り手を想った。側室だというのに、汚れることなどお構いなしで務めに励む。だからこそこのような美味しい菓子が生み出せるのだと鹿の子を尊み、また形ばかりの落雁を出した自分を恥ずかしく思った。

 才能にも伴侶にも恵まれ――京菜の頭に四角い箱が浮かぶ。自分が欲しいものはすべて姉上の懐のなか。

 京菜の嫉みの矛先は傍観していた神獣白ウサギへ向けられた。


「白拓、お前夕餉抜き!」

『みゃ!?』 


 その夜、狸の腹づつみのような虫の音が賀茂乃下一帯に響いたという。


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