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かまどの嫁  作者: 紫 はなな
小御門神殿の御紋菓子
41/120

八‐茶会(月と桜)

「いつもご苦労様です」


 つくばいの石に立てかけられた、厚い花束。みつけた鹿の子は、ふわり風の吹く方角へゆっくりと一礼した。砂利を弾いて遠のく何かに手を振り、花束を手にとる。


「こんなにたくさん。……また穴が広がったね」


 着物の裾で無邪気に遊ぶクラマへ、哀れみを乞う。クラマは扇のように振り回していた尻尾をぺたり、尻にひっつけた。

 毎朝花を摘む唐かさの穴、今では菊の小さな花弁など軽く通り抜けてしまう。最近では花束にしないと傘に挿して運べないようだ。そしてまた穴を広げる。その繰り返し。

 みえたら、繕ってあげられるのに。

 一緒に花を摘みにいけるのに。

 鹿の子は近頃になって改めて、霊力のない自分を後ろめたく思う。


「こんなに綺麗な菊が咲くお山、わたしもいってみたいなぁ」


 唐かさが摘んできた花束は菊花爛漫。赤紫、黄、白色と彩り豊かにまとめられている。それらは鹿の子の手により手際良く整えられ、見事なたて花となった。


「さて……」


 鹿の子は花から心を取り戻すと、務めに振り返った。

 今日の御饌菓子は仕込んであるが、夕拝の後には月明と北の方が茶室へいらっしゃる。茶会の日は御饌菓子ふたつのお約束。ふたつのうちひとつは干菓子と、鹿の子は決めている。ここで落雁を出すべきか迷っていた。未だ答えのでない、落雁、御紋菓子。何度作り直しても、月明の言うまろやかな生成り色の落雁に辿り着けない。

 ふと御寝所へ目をやる。

 枕元に置かれたままの、先代の菓子手帖――まだ一頁も開いてはいない。開いたら一生かまどの嫁。この言葉の重みは鹿の子の手を怯ませた。

 一生かまどの嫁。

 ラクとふたりで実家へ帰ることは、二度と許されない。

 何よりもお世継ぎを作らず一生かまどのはりつき虫でいることが、とうさまやかあさまに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 それに、久助さんは――。


 思い悩んで鹿の子は朝拝の太鼓の音に気付けなかった。声もかけずににじり口をくぐってきたのは久助だ。


「鹿の子さ――」


 久助は名も言い終えぬまま、唇を噛み締めた。鹿の子がはらはらと涙をこぼしていたからだ。久助は鹿の子の膝先まで滑るように距離を縮め、そして思い出した。自ら触れてはならないことを。


「鹿の子さん。私を抱きしめてくれませんか」

「き、久助さん?」

「早く。御饌が遅いと、巫女が顔を出しに来ますよ」


 近頃の久助はお火焚き祭りの準備に追われ、茶室から足が遠退いている。それを避けられているのではと、勘違いに不安を積もらせていた鹿の子には、途方もなく嬉しい願い事だった。

 にっこりと笑う久助の脇に、おずおずと手を差し込む。目一杯手を延ばして背中を包むと、鹿の子の顔は久助の胸に埋まった。

 あったかい、というより熱があるのではないかと心配になるほど、久助の胸はじとりと熱い。瞼をとじて深く息をすれば、着物に燻された香の奥深くに、甘い砂糖の匂いがした。

 夢心地の鹿の子へ、久助があっけらかんと尋ねる。


「鹿の子さん、処女ではないですか」


 ひっついただけで、なんでわかるのか。

 鹿の子は表を上げることができず、ただこくり、肯いた。


「泣いていらっしゃるので、私はてっきり」

「こ、こないだはお話しただけです。なんもありません」

「そうですか」


 久助は鹿の子のまあるいおでこに唇を落としながら、そのまま口を動かした。


「お話ししただけで泣いてしまわれるとは、先が思いやられますね」


 意地悪を言いながらも、おでこにかかる吐息は甘く切なく感じられる。

 鹿の子はどんよりと重い罪悪感にかられた。

 ラクと添うことに躊躇っているのではない。ラクを諦めることに躊躇っているのだから。

 そして久助はそんな鹿の子にすぐに勘づき、お団子頭を凝望した。


「可愛らしいですね、ラクさんからの贈り物ですか」

「あっ、これは……。はい」


 喜んでいいのかわからず、鹿の子は久助の胸に顔を隠した。

 久助は胸のなかで丸まる小豆のあまりある愛しさに耐えきれなくなり、ぐっと帯を引き寄せた。紛れもなく久助の意思により、抱きしめる格好だ。それも、強く。


「久助さ……」

「鹿の子さん、貴女は素晴らしいひとだ」


 それはほんのひと時。

 久助は膝を後ろへずらし、鹿の子と離れると、今度は顔を隠せないように鼻が触れる位置まで近付いた。どんな顔をしているかと思えば、鹿の子は小豆顔をしかめっ面にして頬を染めていたので、久助は喉を鳴らして笑ったものだ。


「これでは、旦那様は間に合いそうもありませんね」

「旦那様?」

「いえ、私は貴女が幸せなら、どちらでもよいのですが」


 次にはさぁ、お稲荷さまがお待ちですよと鹿の子の袖をひき、かまどへと連れ立った。





 *





 その日の夕拝が終わると、月明と北の方、桜華は拝殿から直接茶室へと足を運んだ。ふたりを見かけた下女は人形の首の行く末に慄きながらも、ほぅと溜息を吐く。釣り合いのとれた美しさだけではない、長年連れ添っているだけの密な空気がある。

 月明が北の方の手を優しくとり、にじり口をくぐっていくのを見届けた下女は、かまどの嫁がほんのちょっぴり、可哀相に思った。


「お待ちしておりました」


 茶室のなかでは、かまどの嫁はにっこりふたりを出迎えた。幼馴染というだけあって、今日の月明は幣殿の高座にはない穏やかさがある。また北の方も表情が柔らかく、人形も笑って北の方の腕のなか。

 この日の鹿の子は盆の上で菓子を跳ねさせることなく、運び入れることができた。


「今日のお菓子は芋きんつばと干錦玉(ほしきんぎょく)です」


 芋きんつばは丁寧に裏ごししたお芋に寒天液を混ぜて、四角く切り、表面に小麦粉の液をまぶし鉄板で焼いたもの。

 干錦玉は寒天液を固めて干したもの。これは小薪が好んで食べる干菓子だ。この時季はくちなしで黄色く色付けし、菊の型で抜いている。どちらも冬の陽だまりのように華やかな黄金色の菓子だ。

 今日の主役は月明と北の方のふたり。へたに落雁をお出しするよりは間違いのない干錦玉をと思い、鹿の子はこちらを選んだ。


「なるほど」


 月明は一人場違いな嘆声をあげて、菓子を迎えた。

 茶会を開くと菓子が食べられる。

 目の当たりにしただけで、月明は次のこじつけは何にしようかと頭に巡らせた。

 隣に座る北の方を忘れたように放ったらかし、無言のまま静かに菓子楊枝をとる。はやる心を抑えながら、できるだけゆっくりと、月明は芋きんつばへと菓子楊枝を入れた。

 

「いただきま――」


 一切れを鼻先にもっていっただけで言葉が詰まった。

 ふかしたての芋をぎゅっと潰したような濃厚な香り。

 食せば期待通りの芋感。

 表にはった薄衣は焦げ目のついた焼き芋の皮に似ている。

 寒天のように弾みのある噛みごたえがあるのに、舌の熱でとければねっとり餡のよう。


「この甘みは……御饌飴?」


 舌できんつばを転がしながら、月明は思わず呟いていた。間をあけず、なつめに視線を落としたまま亭主の鹿の子が笑う。


「はい。芋には芋の糖をと思いまして。お気づきになられるとは、さすが旦那様です」


 さらりと持ち上げられ、月明の胸は激しく高鳴った。それからは口を滑らすまいと、黙々と菓子楊枝をひいていく。

 静寂な時の流れのなかに聞こえるのは、茶釜の炭がパチパチという音と、鹿の子の着物がしとやかに擦れる音。そのうち庭の冬鳥が巣へと帰りますと、ピチチチ鳴いた。


「あなた、菓子を食べにいらしたの?」


 この和やかな時間は、北の方の至極真っ当な言い分でかき消された。もっとも、話しているのは人形だ。

 月明はしゃにむに心を落ち着かせ、さも必然であるかのように語った。


「久しぶりに会うというのに、寝所へ急ぐのはあまりにも情緒に欠けると思いまして」

「修練を供するのに、情緒もなにもないでしょうに」


 月明の甘言はばさり、菊型の干錦玉と共に引き裂かれた。


「……今日の干菓子は、落雁ではないのね」


 皮肉も相まり、苛立ちを覚えた月明は鹿の子を庇うように今度は冷たく言い放つ。

 

「貴女が落雁にこだわるからでしょうが。素直に味わえばいいものを」

「そうね。今になると、あの日の私はどうかしてたと思うわ」


 落雁なんて名前がいけないのよ、と目頭を押さえる。

 北の方はその償いとばかりに菓子皿を置き、鹿の子へ膝を向けひたむきに語り始めた。

 

「でもね、鹿の子さん。あなた落雁を土産菓子として、世に出すおつもりなのでしょう。ならば絶対に、御饌のしきたりを蔑ろにしてはならない」

「御饌の、しきたり……」


 鹿の子は一度上げた柄杓を、また元の位置に下ろした。

 御饌のしきたり。北の方に言われ、今まで頭から抜けていたことに気付いたのだ。

 鹿の子もまた北の方へ膝をずらし、向かい合った。

 人形の鮮やかな紅がやんわりと弧を描き、再び語り始める。


「御饌菓子だけならば、お稲荷さまが喜べばそれでいいのかもしれない。でも土産は違う。はたして参拝客は美味しいだけの菓子を神殿に求めるかしら? わざわざ神殿へ足を運んで、高い銭まで払って買うには、理由がなくては。その点でいうと恋結びは合格ね。少々荒削りだけれど」


 鹿の子はかまどの境地に立たされたような、妙な高揚感が胸に走った。

 御饌菓子はただの菓子ではない。神殿のかまどで作られる、神聖な菓子。

 土産菓子もまた、ただの菓子であってはならない。小御門神殿の名を背負う神聖な菓子でなくてはならない。参拝客はただの落雁ではなく、神殿の落雁を買いにくる。十人十色のお客様が、神殿の落雁でなくてはならない理由――。

 鹿の子は御饌のしきたりを頓悟したような解放感を感じた。


「お客様が御紋菓子に何を求めるのか――、それこそが、御饌のしきたりに通ずる。……いやだわ、少し喋りすぎたかしら」


 傍目から今の鹿の子を見れば、白目に瞳が浮くほど目を見開き、心ここにあらず。それこそ人形のようだ。そんな鹿の子にやれやれと北の方は、再び菓子皿をとった。


「だからって、落雁に恋結びのような呪をかけては駄目よ。ありのままの菓子で勝負なさい」

「はい……!」


 境地から戻ってきた鹿の子が肩を弾ませ炉に向かう。

 どうやら先行きは明るい。

 月明もほっとひと息、視線を干錦玉へ戻した。

 見れば見るほど可愛いらしい菊の花。小ぶりに三つ、黒い菓子皿に咲いている。花を摘むようにそっと唇に運べば――。


「これは……」


 月明にとって錦玉と名のつくものは、ただの甘い寒天という印象しかない。味に変化がない分、外見の美しさを愛でるものなのだと思っていた。

 ところがこの干錦玉、甘いだけでは終わらない。

 一口啄ばめば、かしゃり。

 もろい珊瑚のように外皮が剥がれ、口の中で溶けた。その内側には水を閉じ込めたように水々しい寒天――甘いだけではない、柚子の爽やかな香りが鼻に抜けていく。


「……柚子の果汁?」


 また口を滑らせていた。

 月明がはっと顔をあげれば、鹿の子と目が合う。鹿の子は浅礼一度「御名答でございます」とにっこり笑った。

 ごくりと飲み込めば、芋でほっこりした口の中が、澄んだ果汁で洗い流されていく。

 同時に心も潤い、鹿の子で満たされていくのを感じた。

 懸命に茶筅をふる鹿の子をうっとりと眺める。

 そんな月明を、北の方が見逃すはずがなかった。


「まあ、なんてこと」


 軽蔑の色がにわかに感じ取れる北の方の声音に月明が目をやると、なにやら袖の中の手が動いている。


「何をしている」

「失礼をお許しください。まさかと思い、少々星を調べただけのこと」


 月明は生唾を飲み込んだ。自分では怖くて一度も調べていない、星回り――鹿の子との縁。北の方はそれをあっさりとやってのけてしまったのだから。

 

「ご自身ではまだお調べになっていないの? てっきり、この星の巡り合わせをみて、彼女を好い――」


 月明が人形の顎を押さえた。

 その上にある北の方の顔色が悪い。

 意地悪い。

 しかし良い方へ匂わす北の方の言動に、月明の顔が複雑にほころんでいった。


「知らずに惹かれてしまうなんて、運命としか言えませんわね」

「桜華!」

「私は大賛成ですよ。だって、これで遠慮なく財布が出せるもの」


 お点前にいた鹿の子はなんのこっちゃ。

 首を傾げながらお抹茶を振る舞いにふたりへ膝を向けると、北の方は茶器の隣に、そっと一枚の丁銀を滑らせた。


「私が茶会と聞いて素直に従ったのは、このためよ」

「はぁ」


 丁銀一枚、千弦なり。

 鹿の子が千弦もらって思い浮かぶのは、ただひとつ。


「恋結びをくださいな」


 誰とそんなに食べたいのか、北の方は東の方角をうっとりと眺めながら、そう言った。

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