表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
かまどの嫁  作者: 紫 はなな
小御門神殿の御紋菓子
38/120

五‐月明

 その朝、冬空にはツグミが飛んでいた。

 鈴の音のような鳴き声を振りまきながら。

 まるで鹿の子さんが泣いているようだ。


 月明は熱い瞼を伏せ、時を待った。


「ふむ、下がってよいぞ」


 主上は床まで垂れた上申文書を巻きとると上奏に上がった美しい女官の顔を一瞥もせぬまま、膝を返した。


「直ぐに話を進めたい。げっつ、主は大臣を呼んでまいれ」

「仰せのままに」


 月明が頭を伏せ膝退する。回廊の板を踏み立ち上がったところで、主上が独り言のように呟いてみせた。

 

「つぐんでいたくちばしがひらいたか。……冬が、始まるな」

「はい」


 再び瞼に熱をおび、月明は逃げるように正殿を退いていった。


 更衣が後宮を退いてからというもの、主上は人が変わったように政への関心が高い。

 ごっこやふりばかり長けたお飾りが、今では官奏を一文字も溢さず読み上げ、誤字まで指摘するものだから、押し返された太政官(だじょうかん)は空いた口が塞がらない。酒を片手に頭を下げれば通った話が今ではけんもほろろ、不道理な策案はこの御座所にて蹴り落とされる。

 月明は回廊に足を滑らせながら、高揚とした笑みを浮かべた。今の主上が大臣の召し寄せに自分を遣わすとは例の案件、まかり通るに違いない。


「ようやく敵が打てそうだ」


 月明は独り呟き太政官庁、朝所(あしたどころ)へ急いだ。

 

 侍従長直々の召し寄せにより、四半刻後には正殿に従一位の長官が顔を揃えた。主上の御前に再び上申文書が広げられ、全員が目を泳がす。

 それは玉貴の故郷、山口を挟んで向かいの隣国、桃李(とうり)からの上奏であり、関門開所の通達だ。

 会議は左大臣の溜息から始まった。


「また関銭が増えるか……、頭が痛いな」


 交易路を跨ぐ桃李に関所が置かれると、二度門を潜る風成は関銭も二倍。氷砂糖の値も跳ね上がる。


「何故今になって、関所を置く」


 左大臣の思慮の浅い疑問に、同席していた近衛大将(このえのたいしょう)が口を挟んだ。


「山間の国、砂崩(じゃぐえ)からの侵略が危ぶまれています。近衛の駐在所としても、今後重宝されることになるでしょう」

「砂崩だと? 桃李との間には不帰峠(かえらずのとうげ)があるだろう」


 不帰峠とは鬼の巣窟、峠入りしたら最後、鬼に喰われ骨ひとつ峠を越えることも戻ることもできないと言われた難所だ。

 近衛大将は本気で訝しむ左大臣へ完全なる蔑視を向けた。


「昨年、酷い落雷により潰滅したではありませんか。今だに何百人という民が生き埋めのまま行方知れずとなっているのですよ。桃李の武勢が弱まった今、標的になるのは瞭然のこと」

「なんと」


 左大臣は焦りと驚きを交えた、複雑な顔をみせた。

 怒りを露わに青筋を立てる近衛大将。月明はそんな彼を見据えながら、なんとか苛立ちを抑えていた。

 犠牲者と同じ数の救助隊を送り出し、鎮圧させたのは風成の兵力。鬼と交え何人もの陰陽師が巻き添えに遭ったというのに。

 月明は同朋の弔いとばかりに、勢いよく新たな文書を重ねた。


「隣国は開所に伴い、我が国へ条約案を上奏しております」


 桃李は庄司と尾賀二家の豪族が互いに協助し合い領地を統括している。

 この度、不帰峠の潰滅により惨憺たる被害を被ったのは山側の尾賀家だ。尾賀の窮地に海側の庄司家がいち早く風成へ救援を要請した為、被害を最小限に抑えることができた。両家の関係は確固たるものになり、また事故以来、風成への信頼は厚い。

 桃李の条約案とは、風成の陰陽師の派遣依頼である。二箇所の関門に陰陽寮を置き、陰陽師に砂崩の侵略や鬼の脅威から国を護ってもらう。その変わりに関銭を一切搾取しないというものだ。

 この条約案、表向きは同等にみえるが、桃李が風成の支配下に入ろうと跪いているようなもの。


「なんとついに、桃李が傘下に」

「庄司の魚は絶品だ。これほど美味い話はないな」


 能天気な右大臣と左大臣は、下卑な笑みを浮かべて喜んだ。 

 月明はそんな二人の会話を無みし、上座へ目をやる。

 傀儡にもならない、酒浸りの両者は精々雲の上から眺めていればよい。

 警戒すべきは、

 

「砂崩には先帝がいらっしゃる。敵に回すような立ち位置には回れんよ」

 

 太政大臣――。


 やはりすんなりと話は通らなかったかと、月明は人知れず、心の中で舌打ちをした。

 白い髭を胸元までたくわえた太政大臣は、淡々と言葉を繋ぐ。


「砂崩は先帝の亡命国であり、桃李は元々砂崩の領地。それを風成が横取りするような真似をすれば、黙ってはいないだろう。こちらは救援に手を尽くしたんだ、関銭を負けてもらえば済む話。下手な干渉は戦を招くぞ」


 その戦を望んでいるのですよ――月明は近衛大将へ目配せを送った。いわば、この条約案の可決は砂崩への挑戦状。先手をうち、砂崩を叩き潰したいのだから。

 先帝の首ごと、木っ端微塵に。

 二人の含みある睨み合いを前に、太政大臣は確信を衝いた。


「はっ、なるほど。その戦をお望みか」


 雲の上からみていた右大臣と左大臣の顔から、さっと血の気が引く。野蛮な武士の揉め事で平穏な暮らしと酒は奪われたくない。

 両者が否決に傾きかけた、その時だった。


「朕は、賛成だ」


 御座所に玉音が上がった。

 太政大臣が髭を揺さ振らせ、狼狽する。


「なっ、……畏くも主上、この条約案は朝廷のおままごとではないのですぞ!」

「帥こそ頭の中まで白髪が生えたのではないか。桃李が砂崩の支配下に堕ちれば、関銭どころか交易路が閉ざされる。そうなれば戦は避けられん。こちらが干渉せずとも、じきにあちらから仕掛けてくるだろう。ならば今、叩きおとすまで」

「し、しかし……っ! 我が国の戦力では」

「何を言う。今の砂崩はちっぽけな山賊村ではないか、増兵する前に潰した方が血は流れない。

 とって転がるのは先帝の首程度――そうであろう? 近衛大将」


 主上のあまりにも的を射た主張に、二人の大臣は息をのんだ。太政大臣が鋭く睨みつけるが主上は歯牙にもかけず、笑うばかり。

 声をかけられた近衛大将までもが言葉に詰まる、怜悧な微笑であった。


 ――主上が、微笑まれた。曇り硝子のようだった龍顔が磨かれ、輝かしく。


 月明は昂ぶる心を必死に抑え、終局へ言葉を放った。


「では、この条約案――可決いたします」

「うむ」


 龍顔の肯きに、誰も異を唱えることはなかった。



 忙しなく散らばっていった大臣を見送ると、近衛大将は回廊で足をとめ、月明の肩を叩いた。


「流石だな、月明。主上を言いくるめていたとは、恐れ入った」

「いえ、私は何も」

「は? ……では何か? 主上の独言であったと」

「はい」


 近衛大将はあんぐりと口を開け、やがて笑った。


「やれ、私の目は節穴ではなかったようだ」

「はい」

「これで心置き無く、刀を抜ける」


 血気盛んな長老の発言に、今度は月明が口を開ける番だ。


「まさかそのご老体で前線にでるおつもりですか」

「言ってくれるな、月明よ。私をそのへんの、左近のような若造といっしょにしてもらっては困る。それにお前の方こそ、何か企んでいるように思うが」

「ご冗談を。――ただ」


 月明はにたりと、口の片端を上げた。



「この戦、三日で終わらせます」


 

 近衛大将は盛大に腹から笑った。

 砂崩まで実に馬の足で一日かかる。往復二日、つまり月明は一日で砂崩を攻め落とすと宣言している。

 主上の侍従長が軍師気取りか。それも悪くないなと、近衛大将はまた笑った。


桜華(おうか)の仇は私にうたせろよ、月明」

「よいですが、目的はあくまでも砂崩の陥落。お忘れなきよう」

「良く言うよ」


 近衛大将は月明が侍従職の傍ら先帝に目を光らせていたことなど、のっけから知っていた。不帰峠の潰滅後、自ら救援に乗り出し、砂崩の動きを現地で探っていたことも。桃李へ開所や条約案の上奏を促したのは月明だということも。

 総てとは言わないが、桜華を思いやってのことだろうと、近衛大将は思う。


 桜華とは近衛大将の愛娘であり、小御門家側室、北の方の真名である。


「ありがとう」


 月明の美顔に亡き友の面影を重ね、近衛大将は心から感謝を伝えた。



 近衛大将と別れた月明は、その足で後宮へ向かった。先日瘴気にあてられた若き姫君、萬寿宮の女御に見舞うためだ。

 しかし、その場で目に飛び込んできたのは慌ただしく荷運びをする女房、その背後は寒々しい伽藍洞の局。

 

「これは、一体……?」


 一枚、もの寂しく垂れる間几帳の向こうで、可憐な着物がしなやかに動いた。


「女御様、ご実家に下られるほど御加減が宜しくないのですか」


 月明は挨拶もなしににじり寄った。

 月明とは虫がわくほど責任感が強い人間だ、一度看た患者にはわずかな傷も許さない。容態が悪化する前に呼んで欲しかったと、周りの女房へ非難混じりの目を泳がせた。

 しかし、几帳の向こうの声は明るい。

 

「お陰様で、周りを困らせるほど元気ですわ。それにわたくし、もう女御ではありませんの」


 几帳をたくし上げ、現れた女御の顔は愛らしく、健やかなものだった。


「女御ではない……? 何故そのようなこを」

「何故と言われましても、わたくしは主上に命じられた通り、後宮を退くだけです」


 命じられたというが、女御の顔は晴れやかなものだ。言葉を迷わせていると、苦手な顔が横にならんだ。


「お話中、失礼いたします」

 

 後宮宮司、葵の君だ。

 葵は月明に目もくれず厳かな総礼ののち、自ら献上台を女御へ差し出した。

 

「主上より、賜り物でございます」


 それはそれは美しい、衣裳の数々。

 何枚も重ねられた着物の上には、貴族の婚儀に花嫁がつける、大きな花簪が乗せられている。


「まぁっ……、素敵!」


 女御は手を叩いて喜んだ。

 実家へ下る女御へ何故、花嫁衣裳を下賜するのか。

 さすがの月明も解せず葵へ尋ねた。


「後宮は今、どうなっているのですか」


 葵は月明へ珍しく、素直に述べた。


「主上は皇后様への寵愛を誓われ、徐々に後宮を御清算されています。お手つきの女御様は女官として残るか離縁、夜御殿へ一度も上がっていない萬寿宮の女御様は離縁でなく、(いとま)扱いで送り出されることになりました」

「後宮の清算だと……?」


 月明は耳を疑った。

 主上が桐乃の更衣と離縁したことで後宮に平穏がもたらされたのはつい半月前のことだ。恋結びを食した主上は更衣の不忠を知り激怒、身一つで追い出したと邸内では噂されている。以降主上は皇后の殿舎へ足繁く通い、また夜は一夜もかかさず他の女御の元へと順に回っていた。

 改心した主上が皇后を顧慮しながらお世継ぎ作りに専念されていると感心していたのに、すべては清算のためだったというのか。

 月明が膝を向ける方角には花簪をさし、うち震える女御。――いや今はもう、女官職から暇をだされただけの、若き姫君。

 誰かに打ち明けたかったのだろう、しかめっ面の月明へ、葵は真実を語り始めた。


「主上のお世継ぎは皇后様との間に生まれた御子ひとり。天下の太政大臣の孫が次期皇帝に成られるのだから、後宮の清算に反対する者はこの朝廷にいないわ」

「皇后も気分良く、丸く収まる……」

「主上は更衣様を守り切れないと悟られた。呪い殺されるくらいならば一層の事別れようと、ご決断されたのよ。わざと怒ったふりをして、追い出した……! すべては、更衣様のために」


 葵は唇を噛みしめ、一粒の涙を流した。

 月明はその姿が、酷く美しいと思った。

 ああ、左近はこんなにも美しい人を、泣かせていたのかと。



「ふざ……ける、な」



 月明のものとは思えぬ醜い声が局に轟いた。

 葵が耳を疑い、月明をみやる。その様相に今度は目を疑った。

 美顔は長い髪に隠れ見えない。ただ、ぎりぎりと歯噛みをする真っ赤な唇だけが黒に映え、まるで鬼のようだ。

 葵は殺されるのではないかと思った。しかしその場に腰を据えたまま、涙を拭うこともできなかった。

 変わらぬ声色のまま、月明は訊く。


「更衣の実家は、どこだ」


 葵は震える声で、おずおずと答えた。

 月明は聞くなり袂をふるい、姫君へ別れの挨拶もなしに出て行く。

 そして去り際、こう言った。



「葵さん。次は、貴女だ」



 月明は誰のものかも知らぬ馬に跨り、手綱をひいた。御門の番兵が扉を開け遅れていれば、突き破っていたことだろう。月明はそれほど凄まじい速さで馬を走らせた。

 口の端から血が滲むほど、歯噛みをしながら。


「ふざけるな……っ、ふざけるな!」


 生きているのに、何故諦める。

 命あるのに、どうして離れようとする。

 互いに求めあい、愛し合っているのに。

 互いでなければ幸せを得ることができないと、わかっているのに、何故その道を捨てる。

 生きたくとも生きられない者は必死で足掻いているというのに。


「私は許さない……っ、諦めることなど、絶対に」


 なんびとたりとも。


 ――久助、お前もだ。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ